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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第二章 騎士タリニオールの章

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第七話 2

「婚約することになったんだ」
 というタリニオールの報告に対する周囲の反応はおおむね二種類で、
「遅すぎるだろう」
「まだしてなかったの?!」
 前者の代表がディゼルトなら、後者の代表はランシィだった。
 託児施設の職員や子ども達など、とっくに夫婦だと思っていたようだったから、改まった報告にお祝いを述べる以前に唖然とした者の方が多い。
「まぁ、普通なら国から連れ出してきた時点で結婚していると思うだろうな」
 そういわれるとタリニオールはもう返す言葉がなかった。
 今までが長い長い婚約期間だったようなものだったから、あとは形式を追いつかせるだけだった。本来なら一度本国に戻って、王や双方の家に改めて挨拶に行くべきだったのだろうが、先に知らせを送ったら、全てが「問題ないから婚約式はそっちでさっさと済ませろ」との返答で、できるなら婚約などすっとばして結婚してしまえという思いが行間から漂ってくるくらいだった。改めてタリニオールは、自分が周りをひたすらやきもきさせていただけだったのを思い知らされた。
 婚約式も結婚式も、原則どの教会でも行えるのだが、話を聞いたアルテヤ王リュゴーは、「自分が両家の親代わりとして立ち会うから、城内にあるレマイナ教会の教堂で婚約式を行うように」と取りはからってくれた。
 友人の立会人として招かれたのは、ディゼルトとランシィだった。初めて足を踏み入れる王城で、ランシィは初めて自分の国の王と間近に接する機会を持った。年齢的にはもう五〇代にさしかかっているのだが、窮地を切り抜けてきた柔軟さと経験の深さが伺えるような、どこか少年のような雰囲気を持った人物だった。
「タリニオールとディゼルトの友人なら、私の友人と同じだ」
 アルテヤ王リュゴーは、さすがに気後れした様子のランシィに自分から歩み寄ると、自分の半分ほどしかない大きさのランシィに手をさしのべた。おずおずと握手の手を返したランシィに、リュゴーは屈託のない笑みを見せた。
「そして、オルネストがずっと気にかけていた子であると聞いた。オルネストは私の親友で、サルツニア王とともにこの国を危地から救ってくれた大事な恩人だ。もしタリニオールやディゼルトが頼りなく思えるようなら、いつでも私を頼ってきておくれ」
「そ、それはいかに陛下のお言葉といえど……」
「まぁ、タリニオールはエリディア殿がいてくれればなんとかなるか」
 微妙な顔で声を上げたタリニオールとディゼルトを見て、ランシィは思わず笑みを見せた。どうもタリニオールの周りの偉い人は、変わった人が多いようだ。
 一ヶ月ほどの婚約期間の後、タリニオールとエリディアは改めて城内の教堂で結婚式を挙げた。本来なら春まで待って本国で執りおこなうべきなのだろうが、これもふたりのこれまでを知る周囲の強い希望からだった。披露宴くらいなら後でどうとでもなるから、とりあえず形をなんとかしろというのが周囲の統一見解だったのだ。
 婚約式の時より若干増えた参列者に見守られる中、花嫁の先に立って花びらで通り道を清めたのはランシィだった。スカートやドレスといったものになじみのないランシィのために、騎士の正装に近い意匠デザインの服をオルネストがしつらえてくれ、その左目には歌姫が作ってくれた金の刺繍入りの眼帯がきらめいて、少年のようでありながら華やかな場にふさわしいいでたちだった。

 一三歳の誕生日を迎える頃には、ランシィは週に二回の託児施設での仕事の日は、タリニオールが在宅でも不在でも、必ず一緒に夕飯を食べ、そのまま館に泊まっていくようになった。
 雪がゆるみ始め、町全体が春の訪れを間近に感じるような頃になって、タリニオールとエリディアが、いずれ自分達の家族にならないかと切り出してきたのだ。
「第一の理由は、私が館に帰ったら、エリディアとランシィがいてくれて、毎日一緒にごはんを食べてお茶を飲んでいろいろな話をして、たまに遊びに出かけたりなんてことを、誰に気兼ねすることなくこれからも出来たらいいなという、私の勝手な希望だ」
 エリディアに求婚した時の自分のふがいなさで逆に腹をくくってしまったらしく、のっけからタリニオールは全く言葉を飾らなかった。
「だけど、私は自分のことばかり考えているわけでは、けしてないよ。ランシィはこれから先、自分が思い定めるものを目指すために、いろんなことを選択していくことになると思うんだ。いずれジェノヴァに剣を託されるにふさわしい人物になりたいというなら、ランシィにはそのために出来る限り最善の選択をして欲しい。その最善の選択が、例えばカーシャムの神官学校に入ることだったり、あるいは軍人として仕官することだったなら、それは全力で応援したい。でも、生きていくのと剣の道を両立させるために、ほかに選択肢がないから仕方なくといった形で、未来を選んで欲しくないんだ。私は、ランシィがもっとも望ましい未来に進んでいけるように、手助けしたいんだ」
「もっとも望ましい……?」
「うん、カーシャムの神官殿と歌姫殿が、君をもっとも安全と思われる孤児院に託すために最善を尽くしたように、私も君が、もっとも望ましい未来に向かうための最善を尽くせるように、手助けしたい。それには、ランシィが身寄りのないままでいるよりは、きちんと大人の保護の元で余裕を持って、いろいろなことを学んでいける状態であった方がいいと思うんだ」
 さすがに戸惑った様子で、ランシィはタリニオールとエリディアを交互に見返した。いかに子どものランシィでも、新婚の所帯に他人が入り込むのは邪魔なものだろうという認識はある。
「私も、ランシィが大好きです」
 エリディアはいつもと変わらない穏やかな笑みで、ランシィに応えた。
「だから、ランシィが自分の望むものを得る手助けをしたいと心から思います。でも、それ以上に、ランシィが家族になってくれたら、もっともっと今より楽しくて、嬉しいと思うのです」
 この二人がこんな嘘をつく理由がないことをランシィはよく判っているはずだった。ランシィも、嫌だと思う大人相手に、無理に媚びるような子どもではないというのも、タリニオール達はよく判っている。
「もちろん、すぐに決めて欲しいなんて言わないよ。もし、そうしない選択をしたとしても、それにはランシィにとってきちんとした理由があるんだと、ちゃんと受け止める。ほかの選択肢の中でも、きっとランシィのためになるものがいくつもあるはずだからね。あくまでこれは、私たちの希望にすぎないんだ」
 ランシィは、戸惑った様子だったが、嫌がっているようには見えなかった。
 数日後にランシィから得た回答は、タリニオールとエリディアが、直接孤児院まで話しに来てくれるようにとのことだった。
 孤児院側としては、タリニオールはこれ以上はないというほど望ましい縁組み先だった。身分も確かだし、ひととなりも判っている。ランシィとの信頼関係も十分だ。
 ただ、やはり友人としてつきあうのと、一つ屋根の下に暮らすのではそれなりの意識の食い違いも出てくる。孤児院側からの提案もあって、しばらくの間、週の何日かを行き来して、実際に暮らしてみようということになった。
 村を出てからこれまでの間の旅の経験もあり、大勢の中で暮らしてきたランシィは、環境が変わっても十分に適応できるらしい。来客用の一室をランシィのために使っているが、タリニオールのいない時はエリディアと一緒に休んだり、料理以外にも裁縫や趣味の手芸など、逆に今まで出来なかったことを楽しんでいる様子もあった。
 タリニオールがランシィと出会った日から一年が過ぎ、短い夏の日差しが少し柔らかくなりかけた頃に、ランシィは正式にタリニオールの娘になった。オルネストは自分の娘として迎えられなかったことを残念がってはいたが、結果的に信頼できる弟子がランシィの保護者になったことをとても喜んでくれた。
 同時期に、アルテヤに駐留する支援部隊が来春には完全に引き上げることが決まり、タリニオールもそれにあわせて本国に戻ることになりそうだった。ランシィにとっては慣れ親しんできた町を離れることになるのだが、
「人生は旅なんだから、起きることは怖がるより楽しみなさいって、パルディナが言ってた」
 歌姫の知恵に、タリニオールは本当に頭の下がる思いだった。本国に戻る前に、カーシャムの神官の青年の方は難しくても、せめて歌姫とランシィが再会出来るよう手はずを整えてあげたいものだ。
 あとは、生まれた村に一度戻り、祖父の墓参りくらいはさせてやりたい。ランシィはとても現実的な考え方をする子どもなので、墓の下の死体にはもうなにも判らないのだから報告など無意味だとでも言うかも知れない。だが一度本国に戻ったら、次にアルテヤに来られるのはいつになるか判らないのだ。
 とりあえず提案だけはと切り出したところ、意外にもすんなりとランシィは承諾した。
「お墓を作ったり、そこにお参りするのは、生きてる人間の為でもあるってグレイスが言ってた。きっと大きくなったとき、私のためになるんでしょう?」
 どこまでもタリニオールは、あの二人に助けられているのだ。いつか自分もこんな風に、離れてもランシィを支えられる存在になれるのだろうか。
「そんなにあせることはございませんわ。私たちはやっと、ランシィの家族になったばかりですもの」
 とても思慮深いランシィの、考え方の根底には、いつも歌姫とカーシャムの神官の青年がいる。どうしても自分の至らなさやものの見方の狭さが目についてしまって、時折考えに沈むタリニオールに、エリディアは少し可笑しそうに微笑んだ。
「ランシィにとって、私たちはまだまだ、お友達と同じようなものだと思うのです。でも、今はそれでよいのではないでしょうか。これからいろいろなことを一緒に経験して、もっともっと仲良くなって参りましょう。私たちには、歌姫にもカーシャムの神官殿にもできないことを、ランシィにしてあげられるではございませんか」
「彼らにはできないこと……?」
「そばにいてあげることですわ」
 言いながら、エリディアはそっとタリニオールの手に自分のそれを重ねた。タリニオールははっとした様子で目をしばたたかせ、すぐに微笑んだ。
「そうだね……エリディアがずっとそばにいてくれたから、私もなんとかやってこれたんだ。自分を愛してくれるものがそばにいてくれることは、それだけで力になるものだよね」
 今までの感謝がそのまま口から出ただけだったのだが、不意をつかれた様子でエリディアは嬉しそうに頬を染めた。
 自分には、大事にしたいと思えるものがこんなに与えられている。今は、それを力いっぱい大事にしていこう。エリディアの細い手を握りかえして、タリニオールはしみじみと思ったのだった。
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