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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第二章 騎士タリニオールの章

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第一話 騎士、異国にて過去と再会する 1-1

大陸北東部の小国アルテヤは、12年前の戦争で衰えた国力を確実に回復しつつあった。
アルテヤ王の相談役として大国サルツニアからやってきていた若き騎士タリニオールは、ある夜、不意の窮地を何者かに助けられる。それは過去からの糸が縒りあわされた瞬間だった。

後に「時の選びし者」と唄われる、隻眼の少女ランシィの始まりの物語。
 王国アルテヤの王城のある首都ラウザは、サルツニアの北の山地を越えた先の先にある。地図の上ではサルツニアの北部とあまり気候は変わらないように思えるのだが、全体的に山地や高原の多い国なので、夏でもサルツニアより過ごしやすい、気がする。
 その日、サルツニアの騎士タリニオールは早めにアルテヤ王リュゴーとの謁見を済ませ、王城を出たその足で城下にある市場へと出向いていた。
 サルツニアからこの都にやってきて、もうすぐ二ヶ月になる。最初の一ヶ月は自分に与えられた館と城との往復だけで慌ただしく過ぎ去り、城下の様々な場所を訪ねて様子を見に行くほど気分に余裕ができたのは、本当につい最近だった。
 傾いた天秤と剣を象った紋章のついたサルツニアの騎士剣も、異国のアルテヤではただの美しい剣という認識しかされない。どちらかといえばあまり着飾るのも好まず、普段は動きやすい服装に薄手のマント姿で市民の中に自然に埋もれてしまい、タリニオールは騎士らしい雰囲気があまりない。それなりに顔立ちは整ってはいても、どちらかといえば地味な印象のタリニオールは、周りからは旅の若い剣士くらいにしか見えないようだった。
 戦争が終わって一二年目になる。戦争直後は人口が激減し、サルツニアの援助なしでは復興もおぼつかなかったアルテヤも、終戦当時子供だった者が成長したことで農業や経済もだいぶ安定してきた様子だった。一〇年目をめどに、サルツニアは表だった援助を徐々にアルテヤから引き上げはじめ、今も王都ラウザに駐留し治安協力に当たっているサルツニアの部隊も、もう数年後には完全に撤収する予定だった。
 タリニオールの仕事は、支援部隊を統括するディゼルト部隊長の補佐と、アルテヤ国王リュゴーの相談役だ。相談役といっても、ほかにも何人かいる中のひとりに過ぎず、政治にはあまり知識も経験もないタリニオールのできることなどたかが知れている。だがリュゴーには、軍とも国政とも距離を置いた立ち位置にいる騎士の目から見た、国内の状況についての率直な意見が参考になるらしかった。
 市場に行ったらなにをするかといったら、基本はぶらぶらするだけである。表向きは、市民の生活の視察のためだが、元が商家の出のタリニオールは町の様子を見て回るのが好きだった。
 市場に行ったところで、基本的に身の回りは館を管理する者に任せているから、自分で生活必需品を買い足す必要もない。館に手伝いに来る者達のために菓子を買ったり、気を引かれるような古書を買う程度だ。
 今日は、広場で操り人形を使う芸人も見られた。治安も経済もだいぶ回復してきて、人の心に余裕が出てきたせいか、ああいった旅芸人の姿を見る機会も多くなったという。もちろん、サルツニア王都の賑わいとは比較にならないが、人口に差がありすぎるから比べるだけ野暮というものであった。
 日暮れ前には館に帰るつもりでいた所を、前に立ち寄った酒場のおかみに広場で声をかけられた。珍しい肉が入ったから寄っていけという。酒も入ってすっかり盛り上がってしまい、気がついたら外は真っ暗になっていた。
 夕飯には間に合うつもりでいたのだが……。帰ったらどう言い訳しようか思案しながらも、月明かりの下、タリニオールは気分よく馬に揺られていた。
 都市を囲む市壁に近い外れの区域は緑も多く、川沿いからの風も心地よい。その分建物も少なく、人通りもまばらだ。タリニオールのあまりうまいとは言えない歌につきあわされて、馬の足取りはなんとなく重たげだ。
 不意に、ただの通行人とは違う気配を感じて、タリニオールは歌を続けながらも視線だけで辺りを伺った。
 市壁の内側とはいえ、全体が均一に治安維持されているかと言えばそうでもない。どうしたって、都市の外れの地区には多少生活水準の低い者達が集まりがちだし、首都だから素性の判らない流れ者だって入り込む。
 近道だと思って通ってしまったが、ちょっと隙があるように見えてしまっただろうか。いい心地に酔って調子の外れた歌なんか唄っていたから、物取りの相手を物色しているような輩には、いいカモに見えたかもしれない。
 数人が木や物陰からこちらを伺っているが、あまり殺気だったものは感じられない。近づいてくる気配もないし、どうしようかと思っているうちに、なにか小さなものが風を切って自分に向かって飛んでくるのを感じた。
 どうやら小さな矢のようだったが、あまり勢いがない。きちんとした弓ではなく、弾弓スリングのような道具で飛ばしているのかも知れない。矢自体も重さがあまりないようで、マントを盾代わりにすれば払い落とせる程度の、子供のおもちゃのようなものだった。
 それが一つや二つなら、それこそ子供のいたずらかとでも思ったに違いない。ただ、一度に飛んでくる数が五・六本。数人で示し合わせて一斉に飛ばしているらしい。剣を抜くほどでもないと、マントを掴んで払い落としていたのだが、いっこうにやむ気配がなかった。
 これは、さっさと駆け抜けてこの場を去った方がいいのかも知れない。矢自体に殺傷能力はなさそうで、当たってもせいぜいかすり傷程度のように思えた。タリニオールは手綱を掴み直そうと矢を払っていたマントから手を離した。その一瞬、マントからむき出しになった右の腕にやじりがかすって浅い傷を作った。
 軽い痛みと一緒に、妙な痺れを感じた。見えないままの賊は、タリニオールがマントを盾代わりにするのをやめたとたんに、矢の数と射る感覚を急に早めてきた。引き返すよりは突っ切ってしまおうと、手綱を操るその間にも腕や手の甲に浅い傷が増えていく。
 馬が歩きから走る体勢に切り替わったところで、不意にタリニオールの手から手綱が抜け落ちた。いつの間にか手にも腕にも力が入らなくなっている。鏃に薬が塗られていたのだと、気がついたときには自分の体が右側から、地面に滑り落ちていくのが判った。
 視界が反転する。残っていた力でとっさに受け身をとりはしたが、馬は乗り手を失って驚いたらしく、そのままタリニオールを置いて走っていく。矢の雨がやみ、前方にいた数人が馬を追いかけていく足音が聞こえた。
 乗ってる奴は間抜けだが、馬はなかなか上等みたいだな。そんなやりとりが足音と一緒に聞こえてくる。
 どうやら、馬目当ての盗人のようだ。矢の勢いがゆるかったのは、馬に傷をつけないためだったのだと、タリニオールはやっと思い当たった。もちろん馬を奪うついでに、その間抜けな被害者から金銭を巻き上げていくつもりだろう。
 無抵抗なもの相手に、命まで取りはしないだろうが、金はともかく剣を持って行かれたら困る。これでも一応騎士なのだ。
 痺れがまわってくるのと一緒に、醒めかけていた酔いも戻ってきたのか、自分に向かってくる数人の足音を聞きながら、タリニオールは妙に呑気な心配をしていた。この頃には痺れが全身に回り始めていて、首を動かして周りを伺うのも難しくなっていた。自分に与えられている情報は、耳から聞こえる声と足音くらいで、視界に広がるのは月明かりのおぼろな星空だけである。
 不意に、賊の足音とは反対方向から、軽い足音が駆け寄ってきたのが聞こえた。タリニオールに近づいて来ようとしていた賊の足音が、戸惑ったように一瞬とまった。
 なんだ、子供か。すぐに安堵の声が上がる。
 しかし近づいてくる足音は速度をゆるめないどころか、そのまままっすぐにこちらに駆けてくる。賊がからかうように笑いながら、なにか言いかけたのと同時に、そのまま真っ直ぐ突っ込んできた足音の主の周りで、なにかが風を斬った。
 抜き身の剣が風を斬る音だ。
 続けざまに鈍い音がして、笑い声がそのままうめき声に変わっていく。確かに風を斬るのは剣のものだが、後に続くのは棒で人の体を打つような音だった。耳で聞いているだけでも、それは驚くべき手際だった。
 すぐに、自分の近くまで来ていた賊たちの体が、そのまま地面に倒れていくのが判った。足音の主は少し立ち止まった。賊がきちんと気を失っているのを確認したらしく、今度は馬が逃げて行った方に足音が駆けていく。
 足音が遠ざかってしばらくすると、少し離れた場所から、さっき自分の周りで賊を打ち倒したのと同じような音が聞こえてきた。さっきと変わらない、鮮やかな手際である。
 どうやら自分は助けてもらったのだろうか? 有り難い話なのだが、賊に襲われて抵抗もできないでいるところを見知らぬ誰かに救われるというのは、騎士である身としては素直に喜ぶべきことなのだろうか。
 思わず微妙な心境になってしまったが、そのまま、足音が更に向こうに遠ざかって行こうとしてるのに気付いて、タリニオールは罰当たりな考えを改めることにした。情けなくてもなんでもいいから、放置だけはしないでとりあえず人に知らせるなりして欲しい。
 半分祈るような気分で耳を澄ませていたら、戻ってくるさっきの足音と一緒に、耳慣れた蹄の音がついてくるのが聞こえた。どうやら、馬を追いかけていってくれていたらしい。
「……おじさん、生きてる?」
 足音の主が、星空を遮って自分の顔をのぞき込んだ。月明かりが後ろになって、顔までははっきり見えないが、驚いたことに声は女の子のものだった。小柄な体のその背に、剣らしいものを背負っている影が見える。
 首もろくに動かせないまま、タリニオールはなんとか曖昧な笑顔を作って頷いた。
 タリニオールの表情は見えるらしい。暗がりの中、少女が小さくため息をついたのが判った。
 年端もいかない少女に窮地を救われ、おじさん呼ばわりされたうえに、呆れられてまでいる。これでサルツニアの騎士だとばれたらなんと思われるのか。
「ついでに知り合いに声をかけてきたから、来るまでちょっと待っててね」
 手回しまでそつがない。いったいこの少女は何者なのだ。
 しかし問いかけようにも動かせるのは目だけで、口は動かせてもどうにもうまくろれつが回りそうにない。薬のせいだと判ってくれてはいるだろうが、これ以上みっともないことになったら立ち直るのに時間がかかりそうだ。タリニオールはおとなしく、ほかに人が来るのを待つことにした。
 でもできたら、騎士だとはばれませんように。
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