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  月が泣く 作者:橘。
第二話 コロナ -王妃-
 
 目が覚めた時、視界に入ったのは真っ白な天井だった。
 心地よいベッドと柔らかいシーツ。そのまま再び目を瞑りそうになるが、こんな上等なベッドで自分が寝ているなんておかしいと気付いてすぐに目が覚めた。
 そのままの勢いで起き上がろうとした時、腹部に痛みが走った。

「うっ・・。」

 俺は起き上がる事ができず、再びベッドに倒れこむ。すると声がかけられた。

「・・銀太さん?」

 声は俺の左側からだった。横を見ると金髪の頭が見える。その顔はひどいものだった。目の下にはクマと、泣いた跡が見える。
 俺は彼女の名前を呼んだ。

「コロナ・・・・。」
「大丈夫ですか?」
「あぁ・・。」

 そういえば、俺は昨夜コロナの養母にナイフで刺されて・・。
 それで、

「!?・・いっ」
「動いちゃ駄目ですよ。今、お医者様呼んできますね。」
「ちょ・・と、待って。」
「?なんですか?」
「その前に、あれからどうなったんだ?」
「・・・昨夜は、」





 全身が冷たくなり、背後から襲ってくる恐ろしさに突き立てられて、ひたすらに銀太さんを呼び続けた。
 けれど、痛みで歪んだ顔はどんどん青くなり、それとは引き換えに赤い血が床に広がる。

「おっ、お前・・・。」

 銀太さんを見て動揺したのは私だけではなかった。
 王子は大罪を犯した母を汚いものを見るような目つきでねめつける。彼女は血だらけになったナイフを、それでも離すことができずに見つめるしかなかった。

「人殺しだ・・。お前は人殺しだ!すぐにここから出て行け!!」

 冷静さを失った王子は後ずさりながら母に言い放つ。彼女はそれを聞き、絶望的な顔で王子を見返した。
 もう、彼女の夢は叶わない。

「嫌、嫌よ。なんで私が・・。」
「こっちへ来るな!さっさと出て行け!!」

 王子は助けを求めすがろうとする彼女を振り払った。彼女はもう六十歳近い年齢だ。若い男の力には敵わず、その場に倒れてしまった。
 王子はそれを足蹴にしようと上等の革靴を履いた足を振り下ろす。

 そこで、声がした。


「そこまでです。」

 凛とした声。その声に二人は凍りついたように動かなくなった。同時に王子からは脂汗が流れる。
 恐る恐る彼は声の方を振り向いた。そこは部屋の入口。開けられたままの扉に二人の女性と数人の近衛騎士が立っている。
 一人は血に濡れる私達を見て顔色を変えた。それはあの栗色の髪の女性、スレイナさんだった。
 そしてもう一人。彼らの中心に立ち、先ほどの力強い声の持ち主。私もお目にかかった事のある女性、王妃様だ。
 母の次に絶望に震えるのは王子の番だった。

「母上・・・。」
「ルーシュ。あなたは何をしているのです。」
「あ・・。これは・・。」

 彼は緩慢な動きで足を下ろすと、母と私達を交互に見た。

「違う!俺は何もしていません!!この女があの二人をナイフで刺したんだ!!」

 母は震える口では何も話す事ができず、ただ首を横に振った。目には涙が浮かんでいる。

「王妃様、私・・・。私は・・ただ・・・。」
「衛兵。」
「はっ。」

 母は衛兵二人に抱えられて部屋から出された。王子はほっとした表情を戻す。
 しかしそれもつかの間だった。

「ルー。このまま私と共に王の間へ来なさい。聞かせて貰いたい事があります。」
「え・・、しかし、俺は何も。それにこの時間だし・・。」
「ルーシュ。」
「で、でも母上。俺は・・」

 そこで唐突に王子の言葉が途切れたと思ったら、彼の体は突然床に倒れた。
 鈍い音と共に私達の目の前に現れたのは鳴月さんだった。余りにすばやい動きで何がなんだか分からなかったが、いつの間にか鳴月さんがこの部屋に入り王子を気絶させた事だけは何とか理解できた。鳴月さんは軽く王子の首元に触れただけのように見えたのだが、王子はピクリとも動かない。

「ルーシュを連れて行って。」
「承知致しました。」

 息子が見知らぬ男に殴れたというのに、王妃様は鳴月さんの事について何も言わなかった。

 王妃の命令で騎士達が王子を運んでいく。それと入れ替えにスレイナさんが私達の所まで走って来た。

「大丈夫ですか!!」

 そして、私達を見て息を飲む。

「・・・ひどい怪我。」
「大したことない。」

 動揺する私達の前で、あっさりとそう言ったのは鳴月さんだった。

 彼はすばやい動きで銀太さんの服を脱がせて傷を見ると、そのまま傷を圧迫して止血をする。
 そして驚く事に王女様に向かって「おい。」と声を掛けた。王妃様は頷き、まだ残った騎士達に何か指示を出す。すると彼らが私達を抱え、場内の医務室まで運んでくれた。
 その間、スレイナさんもずっと側に居てくれた。

 私の怪我は背中側から脇腹をかすっただけだったので、それほど酷い怪我ではなかった。けど、銀太さんは肋骨の下をナイフで刺され、重体だとお医者様から聞かされた。
 現にそれから銀太さんは目覚めなかった。

 それが怖くて、お医者様が部屋を出てから、私は寝ているように言われたベッドを抜け出し、銀太さんのベッドの下へ行った。
 すると、あんなに無関心そうにしていた鳴月さんが銀太さんのベッドの脇に椅子を置き、そこに座り腕を組んだまま眠っていた。

 二人に近づきベッドの中の銀太さんの顔を覗き込む。月明かりの下でも彼の顔色が少し良くなったのが分かってほっとした。
 彼の腕に触れて、体温を感じて、安心したのかもしれない。
 その後はすぐに私も眠りに落ちてしまった。





「そうか。王妃様が・・。」

 敵である筈の王家の者が理解を示してくれたのはありがたい。あの状況では俺達だけでは危なかっただろう。その後、俺は王城の中の医務室に運ばれたという訳だ。
 俺のベッドの横に座るコロナを見る。それ程顔色は悪くないようだが、彼女も母親に脇腹を刺されていた筈だ。

「コロナの怪我は大丈夫なのか?」
「はい。私はもう。」
「そうか。良かった。」

 微笑んでそう言ったコロナの表情は明るい。
 育ての親とあんな事があった後でも笑う事が出来るなんて、彼女は強い。いや、強くなったのか。

「ごめんな。」
「え?」
「・・・その、結局俺はコロナの役に立つ事ができなかった。」

 コロナを助けると言ったくせに、結局助けられているは俺の方だった。情けない事だ。
 すると、コロナは椅子から立ち上がって俺の左手を取った。

「そんな!私は銀太さんや鳴月さんが居てくれたから立ち上がる事ができたんです。一人だったら、きっといつまでも逃げていただけだと思います。」

 言葉の勢いのまま、彼女は俺に頭を下げる。

「ありがとうございました。」

 コロナが顔を上げるとお互い目が合う。
 俺が笑うと安心したのかコロナも笑った。だが、すぐに顔を赤くする。どうやら俺の手を握ったままだった事に気がついたらしい。「すいません」と慌てて謝るので、なんだか可笑しくなる。
 「いや、」と言いかけた所で足音が聞こえて俺はドアの方を向いた。 





 廊下を病室に向かって歩いてくる複数の足音が聞こえて、私と銀太さんは口を閉じた。目を合わせた後ドアの方を見ると、静かに白い扉が開く。
 真っ先に入ってきたのは鳴月さんとお医者様。そしてその後には王妃様と従者の方々が居た。

「お、目が覚めたか。」

 鳴月さんがこちらに歩いてくる。そういえば、私が起きた時にはいつの間にか彼の姿は無かった。すると王妃様も一緒に部屋に入ってきた。

「お二方とも、顔色が良くなったわね。」
「あ、はい。ありがとうございました。」

 緊張して王妃様に言葉を返すと、その様子を見ていたお医者様も声を掛けてくれた。

「でもまだ、安静にしていないと駄目ですよ。」

 高齢のお医者様が私達二人の顔色を確認した後、傷口を診てくれた。お医者様の話では銀太さんが歩けるようになるにはまだまだ日数が必要なようだ。
 診察が終わると、王妃様が立ち上がってお医者様に声を掛けた。

「ドクター。この方達と話がしたいのだけれど、いいかしら?」
「えぇ。どうぞ。では私はこれで。」

 お医者様と入れ替えに、王妃様が私達の所へ来た。
 彼女に椅子を用意すると、何故か従者の方達まで居なくなる。いつの間にか病室は王妃様と私達だけになっていた。
 王妃様は私達の顔を順に見る。そして頭を下げた。

「この度はあなた方には本当に迷惑をかけてしまいましたね。」

 私は驚いて銀太さんと顔を見合せる。
 聞いていいのか躊躇したが、私は王妃様にずっと気になっていた事を口にした。

「あの、母は・・。」

 王妃様は少し悲しそうに微笑み、すぐに厳しい表情を見せた。

「憲兵に引き渡しました。裁判の後、その罪を裁かれるでしょう。」
「そうですか・・。」
「ルー、いえ、ルーシュ王子は現在謹慎中です。しばらく控えるでしょうが、ただあれでもこの国の唯一の王子です。いずれまた后を迎えねばなりません。その時、同じ事を繰り返さぬようにするのが、私達の勤めだと思っています。」

 王妃様は今どんな気持なんだろう。
 王妃様の表情を見る限りは政治の事を語っているに過ぎないように見える。だけどそれだけじゃないはずだ。王妃様だって母親なんだから。
 ただ、上に立つものとして国民の前で苦しみや悲しみを外に出す事は許されないのかもしれない。それが身内の事なら尚更なんだろう。
 王妃様は強い人なんだな。そう思ったとき、この国のもう一人の女性の事を思い出した。

「・・あ、そういえば、彼女、スレイナさんは?」

 すると王妃様は笑顔を見せて言った。

「彼女はすでに自宅へ帰っていますよ。あなたに改めて御礼がしたいと言っていました。」
「え・・?」
「それは、私も同じですが。」
「そんな!お礼だなんて・・。」

 どういう事だろう。結婚式をめちゃくちゃにして、挙句城への不法侵入。王妃様からお礼を受けるような事は何もしていない。むしろ罪に問われたっておかしくないのに。
 混乱する私を見て、王妃様はゆっくりと話し始めた。

「私は・・・・。この城に嫁いだ時は、素直に嬉しかった。私は王家にふさわしい人間なのだと認められた気がしていました。でも違っていた。」

 ふっと、私を見て寂しそうに王妃様が小さく笑う。

「認められたのは私の髪だけだった。しかし、私はそれがこの国だと諦めていたのです。」

 あぁ、そうか。この人も・・。
 だから、

「そこに、あなたが現れた。」

 王妃様が真っ直ぐに私の目を見る。その表情に悲しみも哀れみも無い。はっきりと微笑んでいた。

「あの時、あなたの行動が、私達に勇気を与えてくれたのですよ。」

 じんわりと何かが胸に沸き起こる。瞼の周りが熱くなり、視界が歪んだ。

「ありがとう。」

 温かいものが頬をゆっくりと伝う。止まらない涙に、私はどうしたらいいか分からず銀太さんを見た。
 彼は唯笑って温かい手のひらで私の涙を拭いてくれた。

 この気持ちが、私自身を認めて貰えた喜びだと理解できたのは随分後の事だった。


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