第一話 銀 −序-
異端である者が生きようとするならば、
それだけで正統な存在の何十倍もの強さと
何百倍もの優しさが必要である。
* * *
空気は暗く風となって荒れ狂い、空は重い雲で塞がれている。時折走る稲妻だけが空からの光源となって大地を照らす。だが、雷光は一瞬。すぐにまた大地には暗闇が戻る。無論、こんな天気の荒れた日に外に出る者はいない。動物達でさえ雷光から隠れ、どこにも姿は見えなかった。森も海も川もそして空も、どこを見ても誰も居ない。
だがこの国で最も大きな街の外れ。木も草花も生えない岩で出来たむき出しの切り立った崖の上。そこに一人立っている者がいる。
その人物はいつ雨が降ってもおかしくないような空の下、服の上にたった一枚マントを頭から羽織っただけの無防備な姿で暴風にさらされ、マントが風につかまれて激しくはためきながらも、崖の淵ぎりぎりの場所で平然と遥か下にある景色を見下ろしていた。すっぽりと全身を隠すマントからかろうじて覗く目元。それは男のものだ。
彼の足元、崖の下には街が広がっている。しかし既に時は深夜。どの建物も明かりは消えており、月が隠れている夜にはよほど目の良い者でなければ何も見えないだろう。だが、男の目はまるではっきりとその先が見えているかのように、ある一箇所を見つめたまま動かない。その目線の先にあるのは街並みから北へ少し外れた木の多い場所にある真っ黒な塊のような大きな屋敷。それはこの国で最も旧家である如月家の屋敷であった。
この地方独特の瓦という陶器を屋根に敷き詰めた木製のその屋敷は、この街のどの建物と比べても一番大きく、一番古い。いつ建てられたかは定かでないが、最古の建造物とは思えない程、この嵐の中で揺ぎ無く堂々と佇んでいる。まるで目に見えない大きな何かが守っているようだ、と男は思った。
「ふん、面白い。」
その大きな何かに挑戦するように言い放つ。それも当然だ。この男はこれからその屋敷に侵入しようというのだから。だがその声は暴風に奪われ、本人以外誰にも聞こえない。
当然、如月家は旧家であり、名家なのだから使用人を大勢抱えている。およそ五十人はいるだろう。そんな中、誰にも気付かれずに侵入することは難しい。と、普通は考えるはずだ。この男のおかしい所はそうは考えない所にある。見つからない自信があるのではない。見つかってもいいと思っているのだ。だからといって、素直に不法進入の罪で捕まるつもりはない。見つかっても捕まらない、なおかつ目的を果たす自信がある。
男は長い間固定していた目線をようやく外して振り返り、ゆっくりと崖とは反対の方向へ歩き出した。これから向かう先はもちろんその屋敷。彼の目的のモノはあの屋敷で待っているはずだ。
何も知らないままで。
もう屋敷の中の人間は誰も起きてはいない。だが、たった一人だけ眠りについていない者がいた。眠れないわけではない。彼女がいつも時間を守ることは屋敷の誰もが知っている。
風と雷、そして木々がその身を揺らされている音が休み無しに聞こえる。それらの音と、刹那の光に浮かび上がる異形の影が合わさり、まるで幼い頃聞かされた御伽噺に出てきた悪霊がこの屋敷の周りを囲んでいるかのように見える。だが、彼女が眠ることのできない理由はそれではない。彼女が消灯時間を無視してまで就寝しない理由。それは予感であった。暗い何かが体中を息苦しく覆っているような重圧を感じる。こんな重苦しい空気は、すでに七十歳になる彼女の人生の中でも初めてである。
彼女の体は震えていた。
(一体・・、何が?)
気温は冷たいのに、体は汗で濡れていた。自分の体を包むように両腕を回す。だが、震えは止まらない。
(銀太。)
今頃は寝ているのであろう彼の部屋の方を見つめて、彼女は心の中で息子の名前を呼んだ。
(銀太。)
(銀太。)
彼女は名前を呼び続けた。
男が目の前に現れるその時までは。
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