便乗してみた。
「空をね、飛べると思ったの」
彼女は笑って答えた。
「...ペンギンが?」
つい、聞き返した。
いよいよ彼女の頭がおかしくなったか、
はたまた常識を知らずに今まで生活してきたのか...
それとも、常識と思っているのは自分だけなのか...思わず考え込んでしまった。
どうしてこんな会話をしているのか。
順を追って他人に説明するならば、
1ヶ月前の出来事から話すのが正しいだろう。
1ヶ月前、彼女は交通事故に巻き込まれて怪我をした。
最初にそんな話を聞いて、同じサークルの俺や仲間たちは焦った。
まあ当然だが。
明日みんなで見舞いに行こう。誰が言い出したかは覚えていない。
反対する奴なんていなかったし、話したこともほとんど無かったが、それが道理だろうと思って俺も賛成した。
行ってみると、案外元気そうにしていた。
脚をやられて暫く歩けないそうだが、痛みより退屈で辛いだの本人は能天気な発言ばかりしていた。
帰り際、一番最後に病室を出ようとした俺に彼女は
「ねぇ中川くん」
そう、ここで声をかけられたことが始まりだった。
「明日、折り紙買って来てくれない?」
何を言われたかよくわからなかった。
いや、別に呼ばれてから甘い展開だなんだっていうのを期待してたとか
そういうことは全くなかったが、意表を突かれすぎてコケそうになった。
折り紙?
俺に買って持って来いと?
そもそも何のために?
「買ってきてね?絶対だよ??」
そこまで念を押すほどの事なんだろうか...
正直言って面倒くさいが、断ることのほうが俺にとっては更に面倒だ。
「わかったわかった。じゃあ明日持ってきてやっから」
そう言ってすぐに病室を出た。
これ以上長居したら他にも頼まれかねない。
とりあえず明日来る途中にでも買ってやろう。
....お人好しな自分に嫌気がさす。
あまりにパシられるようだったら
理由でもつけて他の奴に行かせればいいか。
そんなことを考えながら早足で家に向かった。
「あ、中川くん、おはよ」
「おはようじゃねーよ、夕方だぞ」
一日中眠っていたらしい彼女は、むっとして
だって退屈なんだもん
と口を尖らせた。
「あ、ねぇ中川くん、買ってきてくれた?」
忘れていたかのように言っていたが、
ずっと期待していたと言わんばかりに目を輝かせていた。
....ガキか、こいつは。
「ちゃんと買ったよ、ってか呼び方変えろ。長い。」
「わぁいっ!ありがと!タクヤっ!」
切り替え速ぇ。そしてやっぱりガキだな、こりゃ。
彼女は手渡した袋から早速中身を出し、嬉しそうに2枚取り出して
「...は?」
1枚、俺に渡してきた。
「は、じゃなくて、折って。私さ、折り紙したことないの」
「な...お前...なんで俺がっ」
「一つくらい知ってるでしょ?それと『お前』じゃなくて『千春』ね」
自分の事は棚にあげて、この発言...
こいつ、こんな性格だったのか。
「...鶴しか知らねぇけど、それでもいいな?」
断れない性格に対して断らせない言い方。
とりあえず今日だけ付き合えばいいだろう、
そんな安易な考えで仕方なく傍にあった椅子に腰掛けた。
本当に彼女...千春は初めてだったらしく、下手くそな鶴が出来上がるまでに1時間もかかった。
日はとっくに暮れていた。
俺が作った不細工な鶴を椅子に置いて、帰る支度を始めたとき、
嫌な予感がした。だが、察知したときには遅かった。
「また明日も、来てくれるよね?」
軽く、それでいて寂しそうに笑いながら言った。
...ここで断れたら終わっていただろう。
「暇だったらな」
つい、言ってしまった。
いや...言ったこと自体はさほど問題ではない。
そのとき...千春の顔を見てしまったのがいけなかった。
...まずい。
めちゃくちゃ嬉しそうな顔をしてた。
用事ができたことにしようと考えたうえでの言葉だったのに、
あんな顔をされては..
いや、このままパシられ続けるわけにはいかない、
それに明日は土曜...絶対にここで断ち切ろう、
家で一日寝て過ごしてやるんだ、
そう心に決めた。
翌朝
やはり俺はお人好しだった。
保育士をしている姉から借りた(押し付けられたという方が正しい)幼児向けの
『やさしい折り紙』なる本を手に、俺は病室前まで来ていた。
...頼まれたんだから、仕方ない。
そう開き直って中に入ると、千春の姿はなかった。
「んだよ...」
ふとベッドの枕元を見ると、折り鶴らしきものが7つほど転がっていた。
さらに作りかけのものや失敗作がいくつも近くの机に置いてあった。
...相当暇なんだな、普通なら飽きるだろ
「えっ....?」
外から戻ってきたのか、後ろで千春が声をあげた。
「ん??.......なっ..!??」
...俺は目を疑った。
看護師に車椅子を押される千春も、目を見開いていた。
こんなに早く来ると思わなかったんだろう。
だがそんなことより、俺は...千春から、目が離せなかった。
「お前.....」
千春の、脚が無かった。
膝にかけていていたのだろう毛布を、看護師が畳んでいた。
「...あーあぁ」
ため息をつく千春。
...俺は、何を言ったらいいんだろう。
どこを見たらいいんだろう。
「気にしないで...って言っても無理か、よいしょっ!」
看護師の力を借りながら、ベッドに上がった千春は、すぐに布団をかけて下半身を隠した。
そうだ、昨日も、一昨日もそうしていた。
傷跡か手術の跡でも気にしているんだろうと、深く考えもしなかった。
「割とガッツリいっちゃったみたいでねー、あはは....」
気まずそうに笑われても、こっちだって気まずいんだ。
...何を思ったか、自分でもわからないが、
気づいたら持ってきた本を千春に押し付けていた。
「鶴ばっかじゃ、つまんねぇだろ。ほらさっさと紙出せ」
「えっ...?」
「どうせ一人じゃ作れねぇんだろ、一緒にやってやるから」
呆然としていた千春が、ようやく動き出して、
昨日と同じように2枚取り出して
震える手で、1枚を俺に手渡した。
それからほぼ毎日、俺は千春に会いに行った。
とはいえ、する事はいつも同じ。
他愛もない話をしながら、折り紙と本を見比べ、悪戦苦闘し、どうにかして作りあげてから俺の分は千春に渡して帰る。
俺が帰ってからはそれを見本にいくつかまた作って、練習しているらしく、翌日にはいくつか残骸が床に転がっていたりする。
そんな日々を繰り返して、色々なものを作った。
ウサギ、薔薇、リス、ピ〇チュウ...作るものもクオリティも幼稚園児レベルだったがそれでも段々とお互いに手際よく作れるようになっていった。
そして今日、
ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
なぜ折り紙を買って来いと言い出したのか、だ。
「...腕の力が鈍っちゃうのは良くないからって、お医者さんに勧められて」
なるほど。
確かにずっと寝たままでは筋肉も衰えるだろう、退屈しのぎにも丁度いい。
「ね、外連れてってくれない?」
病院の近くの小さな公園で、俺は車椅子を押して、
千春は作りかけの折り紙に夢中になっていた。
「....できたっ!」
嬉しそうに掲げた千春の手には、不格好なペンギンがいた。
「いいなぁ、私、生まれ変わったらペンギンになりたい」
「なんでペンギン?」
そう、ここで冒頭に戻ることになる。
「ペンギンになったらさ、
空をね、飛べると思ったの」
今に始まったことではないが、千春は...時によくわからないことを言う。
...ペンギンって、空、飛ばないよな?
「空飛びたきゃ、ツバメでもハトでも、いろいろあるだろ」
率直にそう思って言ったら
タクヤらしいね、と笑われた。
「ただ当たり前に飛べるんじゃつまんないでしょ?
空飛べるのを喜べるのって、がんばらないと飛べない、ペンギンみたいなのだけだと思うんだ」
千春が紙飛行機のようにペンギンを軽く投げて
ちょうど吹き上がった風に乗って、本当に飛んでるように見えた。
「...それなら、千春にお似合いかもな」
これから義足をはめて、自力で歩けるように練習するそうだ。
簡単ではないだろう、だが頑張った先に、
確かに彼女にとっての喜びがあるだろう。
ペンギンも、飛べるかもしれないな
そう思うようになった。
再び振り返って千春が照れくさそうに笑った。
「タクヤ、私ね――――――




