第46話・その2
僕はここで迷った。差し障りのない話を次にするか、本題に話を進めていくか。
時間は十二分にある、焦る必要はなかった。ただ僕の性格上、本筋から逸らした話に心
を落ち着けてしまうことも考えられた。思いの外に話が弾み、静々的な本題に話を持って
いきづらくなる展開だ。
時間は十二分にある、しかしそれは良い要素ばかりを提供してくれるわけではない。
それによって、僕に対する美喜の笑顔が戻るかもしれない。今の流れからすれば、それ
は大いに在り得る。それは好ましいことだ、ただそれだけでは以前の僕らの関係に戻るだ
けだ。僕はそれを望んでここにいるんじゃない。それならば選択する項目は後者、そちら
の方がいいのだろう。
美喜、と今日初めて彼女の名前を口にする。彼女にとって1ヶ月半ぶりに僕から直接呼
ばれた名前、僕にとっても同意だ。
「君に関すること、いろいろと佳奈ちゃんから聞いたんだ」
彼女の視線が再び向けられる、その瞳は少々丸みを帯びて形づくられていた。
「何?」
と、前置きを据える。
「何を聞いたの?」
ええっと、と僕は間を置く。
内容的に重苦しい空気が2人の間を漂いそうだったので、2人の会話の間に隙間を作っ
て、2人を包む重度の空気が外に抜け出やすいようにした。
「君の身体のこと、君の家族のこと、君の男性不信のこと」
美喜は顔を俯け、暫く頭内で僕の言葉の裏にある事の展開を巡らせていた。
僕は待った、彼女からの次の発言が送られるまで。
1分ほどの間隙が過ぎると、彼女は口を開いた。口と同時に、己の胸の内に閉じ込めて
いた難事の扉も開かせる決意を固めていた。
「そうよ」
美喜の顔は右手に向けられる、僕の瞳の奥先までをしっかりと見るため。
「佳奈の言ってることは全部本当よ」
僕と新垣佳奈の会話は当然彼女は知らない。だが、彼女は知ってるように「全部が本当」
と言い切った。そこで新垣佳奈が僕に嘘事を伝える理由はない、だから。
「そうか・・・・・・」
僕は少し黙ってしまった。
覚悟は決めていた、ただ実際に本人の口を通して告げられると新たに生まれる感情があ
った。
「ごめんなさい」
黙ってて、と美喜が呟く。
その言葉で正気に返る、ここで僕が落ち込んでる暇はない。
「いいんだ、言うのが辛かったんでしょ?」
眼がピタリと合うと、それを逸らすように彼女は頷いた。
「・・・男性不信なんて言ったら、みんな気味悪がって離れていきそうだったから・・・」
そんなことないよ、ほぼ即答で返事を送った。
「背中に負ってる傷なんて人それぞれさ、それで離れるやつなんてそれだけの度量しかな
いんだよ」
僕はそいつらとは違う、強い意志を添えて彼女に送る。
「・・・あなた達は・・・」
と、僕ら仲間内を指定して美喜は先を進める。
「・・・あなた達は違う、きっと全てを知っても私のことを受け入れてくれる・・・」
そうだよ、だから1人でしょいこまなくていいんだ。
「・・・でも、あなたは・・・」
と、今度は僕だけを指定する。
「・・・でも、あなたは私の気持ちに応えることはしてくれなかった・・・」
心内がズキッと痛んだ。
僕は確かに君の気持ちに応えなかった、それだけでなく君を裏切って傷口を広げたんだ。
今のはあなたを傷つけようとして言ったんじゃないの、という顔色の美喜が眼前にいた。
「・・・私はもう決心がついたの、だからそういう顔しないで・・・」
決心?
美喜がこの1ヶ月半で胸の内に出した答え。
それは僕にとって良い答え?
それとも・・・・・・。
「・・・向こうでね、自分の気持ちと向き合って決めたの・・・」
国境を越えることで、美喜は客観的に自分を見ることができた。それが彼女の胸の内に
1つの答えを出させた。
それは僕に対する想いの再燃?
僕に対する決別の再現?
「・・・あなたからの答えを聞くって・・・」
僕からの答え?
「・・・私、一方的にあなたに想いを押しつけてたわ・・・」
「・・・あなたからの返事は聞いてないのに、勝手にあなたのことを避けてた・・・」
僕は彼女からの想いに返事を告げたことがなかった。
彼女からの決別で思い込んでいた、僕が君に告白してフラれたかのように。
「・・・あなたからちゃんと聞くの、それであなたのことは諦めるから・・・」
自分の胸の内の想いに踏ん切りをつける、それが彼女の決意の形だった。
ただ君は1つ間違えてる、君の頭に描かれた通りの結末は迎えないんだ。
美喜がその場に立ち上がる、僕もそれを追うように続いた。
彼女の瞳は真っすぐに僕を見ている、完全に肝が据わっていることを判別できる強い瞳
だった。
「雄二」
と、僕の名前を呼ぶ。
その何百回と君から聞いてきた単語が懐かしい、他ではない僕自身の名前なのに。
「私・・・・・・」
彼女は言い篭ると、己の身体に鞭をふるうように奮い立たせた。
「・・・私は雄二のことが好き・・・」
「・・・雄二の笑った顔が好き・・・優しいところが好き・・・純粋なところが好き・・・」
「・・・あなたの・・・全部が好き・・・」
反動で後ずさりしそうなほど、美喜の強い想いがそこにあった。それを受け取ると、な
ぜだが心内にほんわり温かみが生じるのが分かった。
そうか、こういうことだったんだ。
これは君が僕から受け取っていた温かみ。君は僕という自分の居場所にこういう感覚を
憶えていたんだね。
僕もやっと受け取ることができた、君からのそれを。
だから僕も言うよ、君はきっと驚くだろうけど。
眼の前の君は上歯で下唇を軽く噛んで、僕からの返事を待っていた。
かつてない緊張感が2人の間に漂動してる。君の鼓動がどれだけ乱雑に鳴っていたかは
表情から窺い取れた。
でも不思議なんだけど、僕はこの緊張感を楽しめていた。変だよね、肝が据わってるの
は実は僕の方だったのかもしれない。
君は今の状況を、僕が君への返事を出すことに悩んでると思ってるんだろう。それは不
正解だ、僕の返事はもう決まってるから。別にじらしてるわけでもない、そんな嫌なやつ
じゃないさ。
なんにしてもそろそろ言わないと、君が痺れを切らしてしまう。
「・・・返事・・・」
と、僕は一声を発する。
「・・・いい?・・・」
受け取る準備は出来てるかな、という意味合いで言った。
彼女は口を噤ませて、コクンと頷く。
「・・・僕は・・・」
「・・・僕は君が好きだ・・・」
その瞳を大きく見開くと、美喜は魂が抜けたように身体の動きが止まっていた。
自分が言われた言葉の意味を理解しかねる、真逆の言葉を突きつけられるはずだったか
ら。その言葉の意味を考えようにも、思考回路が飛んでしまって頭内はこんがらがるだけ
だった。
「・・・嘘・・・でしょ?・・・」
嘘なんかじゃない、ここでそんな嘘を言えるなら相当に性格の捻れた人間だ。
やはり、彼女の中では僕からの返事に対する整理がついてないようだ。
「・・・嘘じゃないよ、本当なんだ・・・」
でも、と大きく見開いたままの瞳で彼女は言う。
「・・・菜月は?・・・」
確かに、1番先に思いつく疑問だよね。
「・・・菜月とは別れたんだ・・・他に好きな人がいるって・・・」
「何で?」
と、信じられないといった表情を浮かべる美喜がいた。
「・・・なんで?・・・なんで別れたの?・・・」
「・・・さっきも言ったでしょ、僕は君が好きなんだ・・・」
まだ、彼女は僕から発せられていく事実を受け入れられない様子だった。
困惑、彼女の表情からはそれを感じれた。
「・・・だって、私は菜月より綺麗じゃないし・・・」
「・・・菜月より性格もよくないし・・・菜月よりおっぱいも小さいし・・・」
そうだね、一般的な見解でみれば君より菜月の方が良い女性と位置付けされるだろう。
ただ、僕と君の間にはそんな常識的なものでは量ることのできない繋がりがあるんだよ。
美喜は眼前で起こってる事柄に卑屈気味になってたので、違う観点からそこを見遣れる
ようにした。
「・・・美喜、じゃあ僕からの気持ちは嬉しくない?・・・」
彼女は口をキュッと閉めてかぶりを振る、一間を置いてまたかぶりを振った。
「・・・嬉しくないわけない、これ以上はないくらいに嬉しいの・・・」
今すぐ飛び跳ねて喜びたいくらいよ、と言い足した。
「・・・素直に受け取ればいいんだよ、あれこれ変に考える必要はない・・・」
彼女の両肩に両手を添えると、彼女は急に僕に防御的に身構える姿勢を取る。僕は彼女
から拒否の姿勢を取られたのだと思い、彼女も何だかばつの悪そうな顔色をしていた。
「・・・ダメかな?・・・」
「・・・うぅん、ダメじゃないの・・・」
美喜は自身の取ってしまった行動で、僕を少し傷つけたと思って胸の内を痛めていた。
「・・・私、そういうのしたことなくて・・・」
「・・・どうしていいか分からなくなって、つい・・・」
ごめんなさい、と僕に謝った。
いいんだ、と僕はそれを許した。
「・・・最初はみんなそう思うんだよ、必要以上に緊張しちゃってね・・・」
「・・・そういうものなの?・・・」
こうべを垂らす、彼女の気を落ち着けるため。
「目を閉じて」
と促すと、彼女は目を閉じた後で口もグッと噤ませる。僕はその光景にフフッと笑みを漏
らす、無性に美喜のことが可愛く見えたから。
「・・・口まで閉じたら出来ないでしょ・・・」
「・・・うん・・・」
ゆっくりとその唇が現れてくる、艶のある煌きさえ見遣れる純度の高いリップ。
一間を置いて僕は体を動かせる、美喜の唇と僕の唇がそっと合わさった。美喜にとって
のファーストキス、そのイメージに合うような2つの唇が重なる程度のキスにした。
彼女は硬直したように身を固まらせて、キスの間も息を止めて堪えていた。
その息を凝らすことも限界に近づいたようなので、そっと唇を離す。眼前の彼女は息を
詰めていたせいもあってか、耳の先まで真っ赤に染めていた。
美喜は赤味を帯びた両頬を両手で隠してしゃがみ込む、20歳の女の子としては余りに
純な姿だった。
「・・・大丈夫?・・・」
「・・・うん、ちょっと待っててね・・・」
この言う事を聞かない顔の皮膚が落ち着くまで。
僕も彼女に合わせてしゃがんだ、目線は近い方がいい。
「・・・かわいいな、真っ赤になってるよ・・・」
「・・・からかわないでよ、バカっ・・・」
僕が美喜をからかえる数少ないチャンスなので、有効に使わせてもらった。
結局、彼女はその体制を2〜3分続けた。ずっと想いを寄せてきた恋先とのファースト
キス、それはもう天にも昇るような気持ちだったろう。
「本当に?」
美喜の心内は大分落ち着きを取り戻していた。
僕らはしゃがみ込んだまま、話を続ける。
「本当に私でいいの?」
どうやら、まだ彼女は僕からの想いに確信が持ててないようだ。この出来すぎた現実が
信じられない、もしかしたら都合のいい夢から覚めてしまうんじゃないかと。
「あぁ、僕は美喜がいいんだよ」
これは現実だ、都合のいい夢なんかじゃない。
「じゃあ」
と、彼女が一間を置く。
「私はその・・・雄二の彼女ってこと?」
「そうだよ、君は僕の彼女で 僕は君の彼氏だ」
また美喜の頬がピンクに色づく、僕の彼女という言葉の響きに羞恥心を駆られたようだ。
「信じられない、雄二と想いが通じ合ってるなんて」
「君には辛い思いもさせてしまったね、申し訳ない」
己を責めるように言った言葉に心内を痛めると、美喜は僕の身体をそっと包む。
「いいの、あなたが私のことをすごく考えてくれてるのは分かってるから」
「ありがとう、これからは君のことをたくさん幸せにしないとね」
そう彼女の背中に両腕を回すと、僕の肩先から啜り泣く声が聞こえてきた。
それはこれまでにあった辛い思いからきた涙ではなく、僕の言葉に感動を覚えた嬉し泣
きだった。美喜のこれまでの人生は統計をとれば間違いなくマイナスと判定できる。それ
をプラスへ押し上げるためには、これから僕が溢れるほどの幸福を送り続けないといけな
い。
時間は多くは残されていない、あとで悔やむことのないように彼女の身体を幸福で埋め
尽くそう。
互いの想いを確認した僕らは新垣佳奈に電話を入れた。わざわざ僕らのために席を外し
てくれた彼女を長く放置するわけにはいかない。
僕らの愛のキューピッドを献身的にこなしてくれた彼女は僕ら2人の恋の成就を確かめ
ると他の誰より喜んでくれた。
「美喜ちゃん、おめでとう」
「ありがとう、ホントに佳奈には感謝してるよ」
美喜とは抱き合って、喜びを分かち合う。
その後、僕の両手をとって感謝の意を告げた。
「友川くん、ありがとう」
「いやっ、お礼を言わないとならないのは僕さ」
君がいなかったら多分この結果にはなっていなかったと思う。僕は菜月との交際を続け、
美喜に突きつけられた現実にもまだ気付いてなかったはずだ。そして、僕と美喜は結ばれ
ないまま終わる。彼女を失って、その大切さに気づいたところでもう遅い。
だから君には感謝してる、君みたいな子が美喜の周りにいてくれてよかった。
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