第45話・その1
最寄り駅から自宅への道中、右隣の菜月に断って遠回りをした。
この時期には珍しいほど気温が高まった、平年で言うなら5月上旬の暖かさに相当する
そうだ。
遊歩道に歩を進めると、若草たちの萌える姿を目にする。もう春の息吹に触れることが
出来る頃合になったのか、東京に上京して3度目の春だ。
「気持ちいいわね、風が」
少々の温みは否めないが、それでも4つの季節の中で1番の爽やかさを兼ね備えるのが
春風だった。
「あぁ、今日みたいな日にはいいよね」
陽の射し込む射光はその線まで感じられるくらいの強さであった。
50mほどに伸びている遊歩道の2/3を過ぎた辺りで肩から提げていた綿のミルクホ
ワイトのショルダーバッグからビニールの提げ袋を取り出し、それを菜月に手渡した。
彼女にはそれが何であるか、どういう経緯でのことかは伝わっていた。
「ありがとう、開けてもいい?」
うん、どうぞ。
彼女が提げ袋に貼られたシールを剥がす。中にあったのはリスのぬいぐるみだった、正
確にいえばシマリスのベビーのそれになる。
「かわいい〜」
彼女からのリクエストだった。本物を飼いたかったそうだが、これから大学3年の大事
な時期を迎えるので我慢を決めたそうだ。ぬいぐるみなら680円、本物なら餌等々の諸々
の費用を込みで50000円近くになるだろう。随分と安く済んだものだった、まぁホワ
イトデーの贈り物で本物までの投資は出来ないが。
「ありがとう、友川くん」
可愛らしい笑顔だ、こんな晴天の日には彼女の笑った顔はよく似合う。
ただ、これから僕が彼女にしなければいけない告白は今日という日に似つかわしくない
ものだった。
こんなとき、物事を否定的に捉えても仕方ない。前向きに捉えよう、「対称的な2つだか
ら融合してゼロになるんだ」と。プラスがゼロになるのは気が引けるが、マイナスがゼロ
になってくれるなら望ましいことだ。プラスにはならないがマイナスにもならない、それ
でいい。
僕の自宅に着くと、決まりごとのような手順が進められる。
菜月は昼食の調理、僕は残っている家事の続き。大概は僕が先に仕事を終える、なので
僕はそのまま彼女の手伝いへと回る。今日のメニューは、きのこスパゲッティとチキンサ
ラダだった。僕が頼んだオーダーではないのに、毎度僕の好みに合うようなものばかりを
揃えてくる。探偵でも介して僕のあれやこれを調べ上げてるんじゃ、と思うほどだった。
食後、使った食器類はキッチンのシンクへ運び、お湯をかけるだけをしておく。(お湯だ
け含ませておけば、後からでも難なく拭き上げることはできる)
そして2人は洋室の襖に隣り合わせに凭れ、自宅までの道中にレンタルしたDVDを鑑
賞する。ジャンルはその日の気分だった、今日は菜月の意向で洋画の大人モノの恋愛映画
になった。
これが彼女のOKのサインだった、無言での静観的主張。
ただ、今日の日にそのチョイスをされたのは正直なところ困った。
本編に入ると、80分を過ぎたところで高揚感あふれる場面に差し掛かる。この後、自
然性ある流れで彼女の指先が僕の身体のどこかしらに触れてくるのが通常であった。
しかし、今日はその前に流れを止めなければならなかった。
菜月、とちょうど80分に差し掛かる頃に呼び掛ける。左隣の彼女を見遣った、その右
手は既に右隣の僕の体温を欲してるように見えた。彼女からの返答はなかった、いつもと
違う僕の行動の真意が読み取れないからだろうか。恋先の不自然と窺える行動に疑問の表
情といえる顔色でそこにいる。
「ちょっと話があるんだ」
彼女はなんとも捉えがたい面持ちを見せる、喜色とは言えなかった。
「映画の途中で申し訳ないんだけど」
彼女は少し押し黙る、自己の頭の中でいろいろと流れる物事を整理してるようだった。
そうよ、と僕の言に肯定とも否定とも取れる一言を漏らす。
「終わってからじゃダメなの?」
ダメってことはないけど。
でも、この手の映画の際は最後まで見ることもなく僕らは行為に走る。
そして、僕らは映画のエンディングを毎度おぼろげにしか把握することなくDVDを返
却する。映画の中の主人公とヒロインの幸せは見届けなくていい。今ここにいる僕らがそ
れ以上に幸せだから、そう言い合うように。
「じゃあ・・・最後まで見てからにしようか」
いいわよ、肯定ではなく否定的な感情と共に彼女が言い捨てる。
「気になっちゃって、落ち着いて見れないから」
ごめん、と彼女に謝る。謝らないで、と彼女が僕に目線で告げる。
DVDプレイヤーとテレビの電源を消す。
僕が体の向きを彼女に向けると、彼女も続けるようにそうした。
「話って?」
何かしら、と呟くように彼女が言う。
僕は話を始めることを躊躇していた、それだけの話であったから。
「・・・・・・良い話じゃなさそう」
正解だ、きっと僕がそれを感じさせるような空気をこの部屋に発してたのであろう。
これ以上に定まりのない空気を発出しても仕方ない、覚悟を決めないと。
「まずね、最初に言っておきたいんだ」
何かしら、と今度は首を傾げる仕草で表す。
「僕は菜月のことが好きだ」
彼女の表情のうちに疑問符が点るのが感じ取れた。想いを寄せる相手に言われて嫌な台
詞のわけはないが、良い話ではなさそうな流れの中でのその台詞には矛盾や当惑が付属さ
れる。
「君のことは本気で想ってる、それは僕の中で間違いない事実なんだ」
眼前の彼女の表情が徐々に困惑に満たされていく。僕が良質的な意見を述べれば述べる
ほど、彼女はそれを逆に捉えていく。悪循環という言葉は今の僕らのためにあるようなも
のだ。
彼女の表情の変化に煽られるように、僕は話の進行を軸の部分へ移らせる。我慢できな
いというように、彼女の不定の表情が僕の進行をそうさせた。
「だけど・・・・・・」
逆接の接続詞、3文字だが今現在の状況においてはどれだけの力を持っていたことだろ
う。
菜月は心内を1度構え直す、これから告げられる僕の言葉を受けるため。
僕も1度呼吸を整える、構えを直した彼女の応対がそうさせた。
「だけど・・・何?」
待ち切れないといったように彼女が急かす。
「だけどね・・・・・・」
一間を置く、僕らの部屋に流れる音は一切ない。
「・・・僕と別れて欲しい・・・」
目は伏せていた、菜月を直視しながら言うことは出来なかった。
そんなんじゃダメだ、と自分自身を奮い上がらせる。
覚悟を決めると、顔を上げた。菜月は僕から僅かに目線を逸らしていた、表情の変化は
それほど見受けられない。そんなに吃驚してないのか、それとも驚きのバロメーターが振
り切れてしまったのか。
「・・・」
菜月が口を開いた、でも言葉が口から出てこなかった。何かを発するつもりだったはず
だ、なのにショックで声帯が機能しなかったようだった。
彼女の身体が身震いと見られるほどに揺れたのが分かる。上下の歯を軋ませながらなん
とか堪えていた涙腺がプツリと途切れた。彼女の瞼から滴る水の雫は何度と繰り返される。
それでも、彼女は涙を堪えようと必死になっていた。
「・・・なんで?・・・なんでよ?・・・」
「・・・私に負があるの?・・・それなら言ってよ・・・」
前にも言ったじゃない、私に悪いところがあるなら直すから。
「君に負なんてない、君はとても素敵な女性だよ」
じゃあ、どうしてよ。
「これは僕の独り善がりなんだ、君の気持ちを余りに無視した個人的で勝手な決断だ」
「でも分かって欲しいんだ、僕は芯の底から考え抜いた」
そうやって出した結論なんだ。
「・・・嫌よ・・・そんなの絶対嫌だ・・・」
彼女は何度とかぶりを振り続ける、零れ出る涙を堪えることはもうしていなかった。
「・・・勝手に結論出さないでよ、私の気持ちを無視しないで・・・」
ねぇ、と縋るように僕を強く見遣る菜月の視線が心内に直に刺さる。
「僕はもう君と恋人関係ではいられないんだ、だから・・・」
「・・・どうしてよ・・・どうして私じゃいけないの?・・・」
「・・・他に一緒にいなければならない人がいるんだ・・・」
ごめんよ、君じゃいけないなんて、そんなおこがましいことじゃない。
ただ彼女は君よりももっと近くの、なにか運命共同体のような繋がりのある感じなんだ。
「・・・夏川さん?・・・夏川さんなの?・・・」
ほとんど間を置かずに返された返答だった、彼女はおそらく感づいていたのだろう。
彼女の目を見て頷く、僕の強い決意を少なからず表したつもりだ。
「・・・美喜のところに行かないといけない、彼女は僕がいないといけないんだ・・・」
「・・・何よ、それ・・・意味分かんない・・・」
私だって、と彼女は先を続ける。
「・・・私だってあなたがいてくれないとダメなのよ・・・分かるでしょ?・・・」
そんなの眼前の君の姿を見ていれば痛いほど分かるさ、でもそれは無理なんだ。
美喜の置かれてる状況は僕が思ってたよりずっと悪いところにあるんだ。
僕の決意は君が思ってるよりも強固なものだった、もう同じ過ちはしたくないんだ。
「・・・もう決めたことなんだ・・・それに君はもう分かってくれてると思う・・・」
そう、菜月は僕の心内が今どういう構造で成り立ってるかすら分かってる。
この1年あんなに近くにいたんだ、君は僕の心情の移り変わりをとっくに把握してたん
だよね。
1ヶ月前のあの日に僕の心情が大きく蠢き出したことに不安を覚え、3週間前の公園で
のキスで君が見せた涙は今現在の僕らを既に胸の内に憶えているようだった。
君は分かっていたんだ、近いうちにこの日が来ることを。
「・・・友川くん以外の隣なんて嫌よ・・・」
「・・・居心地悪くてしょうがないわ、ねぇ?・・・」
そうだね、君の言葉には一切の嘘はない。
僕だって、君の心内が今どういう構造で成り立ってるかは分かってる。
君はもうある程度「こんなことしても仕方ない」と、見切りはついている。
今の君の行動は自身の想いを素直に言葉に替えてぶつけること、言い方を変えれば最後
の悪あがき。
僕の意思が変動しないことは、彼女の中で既知のことだったろう。
|