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短編集

優しいカイダン

作者: 東風

 「ねぇ、ねぇ、知ってる?」

 「あ? 何を?」

 「西棟の四階にある、屋上に続く階段あるでしょ?」

 「うん。あるね。それが?」

 「そこの踊り場にある鏡、あれを合わせ鏡にして、夕方の西日が射すときに中を覗くとさ、幽霊が出てきて、覗いた人を捕まえちゃうんだって!」

 「……あぁ、よくある七不思議だね。そもそもさぁ、あの踊り場に鏡なんて……」


 夕方の西日が射す中、私はそんな女子達の声を潜めながらも姦しい噂話を聞き流しながら、教室を出た。

 家に帰る前に、塾があり、塾の前にコンビニでおにぎりを買って、その日の夕食にするのが日課だ。

 これからの道程に、思わずため息が漏れる。

 塾もいい。

 コンビニ弁当が夕食ってのも、別に何とも思わない。

 ただ、それら全部が終わった後に、私は家に帰らなければならない。

 それがとても気鬱だった。


 私だけが特別なんて事は思っていない。

 家に帰れば、不仲な両親が帰宅直後から口論を繰り広げ、その挙げ句に私に「どちらがより悪くないか」のジャッジを強いる。

 母に言わせると、父は前時代的な家父長制度の生き残りで、仕事人間で、家庭を顧みない冷徹な人間。

 父に言わせると、母は金銭感覚がルーズで、高慢で、年甲斐もなく悲劇のヒロインぶり、その挙げ句に愛人を作るふしだらな人間。

 そして、二人はともに、私のことを、相手によく似て、可愛げなく、高慢で、何を考えているかわからない、人間の出来損ないなのだ。


 二人は互いに罵倒しあい、離婚を求め、私をどちらが引き取るかでさらにもめる。

 そのジャッジを私に求めてくるなんて、本当にばかげていた。


 足取り重く教室を出たところで、渡り廊下の向こうの西棟が見える。

 ふと、先ほどのクラスメイトの言葉が脳裏によみがえった。

 「西日が射すときに中を覗くと、幽霊が出てきて、覗いた人を捕まえちゃう」

 腕時計を見ると、まだ塾には間がある。

 私は自然と、足を西棟に向けていた。


 西棟の四階には特別教室が連なっている。

 そして壁は鮮やかなオレンジ色だ。

 西日が射しても射さなくても、ここはいつも黄昏の世界のようだ。

 そこに向かう私は、幾人もの生徒や教師とすれ違ったが、誰も私に声をかけない。

 誰にも見えていないみたい。

 勿論、本当はそんなことはない。

 いじめられているわけでもない。

 単に、私は普段から優等生で、何かをしでかすような人物ではない。

 だから「誰の目にも触れない」だけだ。


 屋上に続く踊り場には、初めて足を踏み入れた。

 入学から一年半。屋上に用事があったことはこれまで一度もない。

 私は何故か、息を潜めて、そっと階段を上がった。

 踊り場にはやや低いところに窓があり、そこから鮮やかな西日が差し込んでいた。

 それに照らし出されるように、左右の壁に大きな鏡が一枚ずつ、架かっている。

 私は恐る恐るその鏡をのぞき込む。

 鏡の中には鏡があり、いくつもの私が私をみたり、後ろを見たりを繰り返し、延々と遠くまで続いてた。

 じっと目を凝らしてみても、何の変哲もない鏡像。

 西日はその光を淡く空気に溶かし込み、消え去ろうとしている。

 少し緊張していたのがおかしくて、私はうっかり笑ってしまう。

 西日が消え行く。


 その一瞬、目の端に白い影が映った気がした。

 この学校の制服は、漆黒と言うほどではないが、かなり黒に近い紺色になっている。

 口が悪いクラスメイトに言わせると、「学校よりもお葬式の方がよく似合う」制服なのだ。

 だから、白い影というのは、とても異質だった。

 驚いて鏡を見ると、確かに随分と遠い鏡像の一つが白いような気がする。

 目を凝らして見つめる。

 焦点がしっかり結ぶ前に、西日の最後の光が細く途絶え、辺りは薄暗くなって、鏡像も見えにくくなった。

 私はいつの間にか止めていた息をすべて吐き出し、身を翻して校舎から走り去った。


 それから私は、数日に一度、同じ時間、同じ場所に行き、鏡を覗くことが習慣になった。


 西日の中の鏡像には、確かにシミのような白い影があり、それは覗く度に、少しずつ、僅かずつ、近づいてくるように見えた。


 怖いような気もする。

 アレが何なのか、私は知らない。

 皆の言う幽霊なのか、それとも何らかの錯覚? 私の興味が見せた幻?


 毎日、勉強し、たまに誰かと言葉を交わし、塾に行き、帰宅して、両親の罵詈雑言に挟まれる。

 そこに加わった、踊り場の鏡像は、私にとってはどこか非現実的で、なのに、世界と私をつないでくれている細い細い糸のようにも思えて、見に行かないとイライラして、気分が沈んでしまう。


 それを毎日見に行くようになるのは、必然だった。

 理由などない。

 誰にも知られず、誰にも気にかけられず、そんな私に唯一近寄ってくるソレ。

 私も、ソレを見たかった。


 いつしかソレは、白いスカートを身にまとった、私と同じ年齢くらいの少女に見えてくる。

 ホッとした。

 少なくとも、人智の及ばないような宇宙的な容姿をしているわけではないようだ。

 私は発狂したいわけではないから、そのことに胸をなで下ろす。


 夏休みを目前にしたある日、私の両親はとうとう、決定的な亀裂を作り上げ、今まで私に仲裁を求めていたにも関わらず、今度はどちらが私を引き取るかでお互いと、そして私を罵倒する。

 「こんな気味の悪い子、欲しいわけがないでしょう! あなたにそっくり!」

 「見ろよ、人を見下しきった、この目! おまえにそっくりだ! こんな目つきの子供なんて、一緒に住めるか!」

 私の静かな世界が壊れていく。

 いや、最初から壊れていて、ただ、目をそらしていただけなのかもしれない。

 私は、私の居場所が欲しくて、そこに居座って、目をそらし続けていただけなのかもしれない。


 涙はでなかった。

 両親はともに家を飛び出て、その夜は帰ってこなかった。

 私は朝になると、いつも通り、鞄の中身を確認し、パンを牛乳で流し込み、鍵をかけて学校に向かう。


 その日一日、私は誰とも話さなかった。

 誰も私に話しかけなかった。

 誰も私に目を向けなかった。


 ねぇ、辛いよ。

 私、こんなに悲しいよ。


 誰かにそう言いたくて、言える人を知らなくて。


 私はまた、踊り場に足を向ける。


 西日の中を埃がきらきらとまう。

 その埃からそっと鏡に視線を向ける。

 鏡の中には、白い制服を着た少女が一人、こちらをしっかりと見て立っていた。


 「あなたに、逢いたかったの」

 私はこらえきれずに涙をこぼし、独り言のようにそっと呟く。

 少女はこっくりと頷き、苦笑を浮かべながら、大きく息を吐いた。

 「知ってた。だから、ゆっくり来たのに……」

 逃げてよかったのに……、彼女は優しく囁く。

 「ありがとう。あなたがそんな人だから、私、ここに来たの。……ずっと、私を見てくれてたでしょう? 困ったように、嬉しいように」

 そう、鏡の中の彼女は近づくにつれ、その表情が鮮明になった。

 私を求めてくれている、渇望してくれている。そうわかるほどに。

 「連れて行って、あなたの世界に……」

 「寂しいよ。二人っきりだもの」

 「寂しくないよ。二人だもの」

 鏡の中の少女が私に手をさしのべる。

 私は歓喜に震えながら、その温かい手に私の手を重ねた。

 西日が落ちる。

 私は旅だった。


 「そもそもさぁ、あの踊り場に鏡なんて、一つしかないじゃない。どうやって合わせ鏡を作るのよ」

 「招かれる子だけが、合わせ鏡を作れるらしいよ」

 「何よ、それ? 中二病臭い~。それよりもさ、三組の女の子、行方不明になったじゃない?」

 「家出って聞いたよ。親不仲でさ、親を捨てたって」

 「それが定説なんだけどさ。……ちょい、耳貸して?」

 「何よ?」

 「西棟の屋上に続く踊り場にね、その子の靴、揃えておいてあったんだって。まるで、鏡の中に行くように、鏡に向かって揃えられてたって。

 部活に来た先輩が発見したんだから、確かだよ」

 「まさかぁ~。それこそ、中二病じゃん! あ、予鈴だ! 移動教室だから、急がないと!」


 少女たちの笑い声が、校内にこだました。


20161104 誤字修正いたしました

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