憧憬のひとびと
其の一
嘉永六年、めりけんの、ペルリとか申す提督が、我が国に来航。
巷では忽ち大騒ぎであった。
遡る嘉永四年の春、若き日の松陰先生は兵学研究の為、江戸に上る事と成った。
其れに際して思い立った事は、
「さて、湊川と云えば、彼の楠木正成公の墓前に参ろうか。」と。
旅先の予定を変えて見たのであります。
「もし、此の辺りに、楠木正成公の墓所がござろう筈。」
土地の百姓の親爺が、墓参の路を教えてくれた。
「ほう。こちらか。」
元禄五年摂津の湊川に、水戸藩主、光圀公が建立された《嗚呼、忠臣楠子の墓》
の墓碑が、永い時の流れに、苔むして居た。
此の地で樹木のこずえを抜ける涼風に吹かれ、
「…。」
松陰先生は思わず魂を揺さぶられたのでございましょう。
此の身を駆け抜ける感情の高ぶりは何であろう。
松陰先生は滂沱の涙に昔日を思い、
《道の為にし、
義の為にす、豈名を計らむ、
誓って斯の賊と共に生きず、
嗚呼忠臣楠子の墓、
吾しばらくためらひて行くに忍びず…》
と認められた。
其の二
暫く泣き伏すと旅の目的を思い出し立ち去る事となった。
道々楠公の赤誠のこころを思いつつ、泣きては歩き、涙を拭いては旅をするのであった。
松陰先生二十二歳の春、所用で水戸の地へと赴く。
旅先で見知った水戸藩の若者、郷田と申す男に聞いた。
「郷田さん。水戸藩と云えば水戸学。某、一介の、もののふとして、水戸学の師と仰ぐべき大丈夫に、お引き合わせ頂けないでしょうか。」振舞いに一寸の邪なるものも感じさせない松陰先生に郷田は敬意を示し、「お任せ下され。私がご紹介致しましょう。」と快く引き受けてくれた。
其の三
此処は何処であろうか。薄暗い部屋に若い侍が独り座して居た。
どうやら、此の部屋は獄の一部らしい。
非常に重苦しい中、侍は怯む事も無く、乏しい明かりの下で淡々として書を読んで居た。ひたひたと廊下を歩く音がしたと思うと、格子の戸が軋んで、その隙間から
「先生。」
「何か…。」初老の下級役人が、にこりと微笑んで白い物をそっと手渡した
「済まない。」
「いいえ、では。」
役人はそっと戻って行った。彼は手紙を開くと、久し振りに外界からの便りに心が逸るのを覚えた。
軈て其の目は希望から失望の悲しい色に変わった。
思わず俯くと、ふっと溜め息をついた。そっと閉じた目尻からは、ほろほろと流れる熱いものがあった。
「ああ、我も又、彼も又。」
其れは越前の若き丈夫の獄死を伝える便りであった。
「実に、実に惜しい事だ。」
彼も又、自らの運命が迫りつつある事に、云い得ぬ焦りを感じたのであろうか。
《親おもふ こころに勝る 親こころ 今日の訪れ 何と聞くらん》
《身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂》
其の四
天保五年、隣國では阿片戦争の余兆があり、西洋列強が亜細亜、阿弗利加の侵略を虎視眈々と狙っていた時代であった。そんな危機的な極東世界であった。越前福井城下の常磐町に藩医、橋本長綱の家に希望の星があった。「橋本様の御子息には驚きました。」「ほう。どんなです。」「いや、未だ確か、お歳が10歳を越えたか越えないか。其れがねえ。」「其れがどうしました。」「あの難しい支那の三国志の六十幾巻を読んじまったとか。」「は〜そりゃ、神童と云う事ですな。」橋本左内(景岳)は幼少から、ずば抜けた天才ぶりで、周囲を驚かせて居た。しかも数え年十五歳の時に自分の志を認めた『啓発録』は、次の5項目からなるが、とても15歳の文章とは思われないもので、の精神は現代も多くの教訓を与えるものである。
因に列挙致しますが、稚心を去る・気を振ふ・志を立つ・学に勉む・交友を択ぶと云うもので、それぞれ詳しく説明がされて居ます。『啓発録』
其の五
福井藩主松平慶永公の江戸屋敷には、公のお気に入りの家来がひしめいて居た。そんな中にも最近江戸表の勤めと相成った俊逸の者達が数名。しかも更に引き立った若い藩士が居た。「弘道は居るか。」名君と云われただけあり、慶永公の目利きは大したものであった。家格によらず秀でた人物を藩内から集め、時には江戸勤めを命じ、勉学に機会とした。「は。こちらに。」「居たか。」「はっ。」「例の事は如何致した。」「はっ。其れなれば、橋本、手筈は打って居りまする。」すると慶永公は嬉しそうに「よしっ。」一言、ご満悦の日であった。主従一体。此れこそ藩の政ごとの要であった。
其の六
真っ暗な闇の中に、何やら螢灯のような光が、ゆらゆら蠢いている。軈て其れは、次第に大きくなり、沢山の提灯である事が判った。「不味い。早く来い。」京の外れの賀茂の河原は忽ち修羅の巷となった。「うっ〜〜。」「んむむっ。」或者は只黙し乍ら、また空を掴み乍ら、腕を斬られ、見る影も無い無情な姿で、囚われの人となった。捕手で思わず顔を背ける者も居た。勤王の志士とて、皆剣の達人とは限らない。志高くも、其の屍を野に晒すも有り。刑場の河原の露と消える事は、甚だ無念やる方ない事であろう。「母上、ご不孝をお許し下さい。」あたら命を國の命運に捧げる、その心情は熱いもので有ったろう。
其の七
或春の日、江戸の下町を歩く二人の侍が居た。「橋本さま。」「……。」「橋本さまの武士としての身上は如何なるもので…。」橋本と呼ばれる武士も共に若者であった。爽やかに笑った。「はっはっはっは。聞いてどうします。」「はい。私も常々橋本さまを、範として生きて行きとう存じます。」「……。」「ご迷惑でございますか。」「…稚心を去る事です。」「はい。」「自ら、大人として省み、余り他に依頼心を起こさぬ事。」「例えば…。身上など、他に問う事でも有りますまい。」「…。」「武士として己が心に想いを馳せて、考えて見たら良いでござろう。人として歩むべき道は、他に習わずとも、誰しも己の心根の中に有る筈。大人として、恥ずべき心は無かりしか…。」相手の青年は項垂れて、そっと頬を赤らめるのであった。「は、はい。」
其の八
此処は江戸城に近い相模の海岸であった。日没を前に沖から強い風がぼうぼうと吹き付けた。茜色に染まった樹々を後ろにして、一人の若者がじっと海を見て居た。潮風が髪を揺らし、まとわり付くのも全く気にも止めず、何を見つめて居るのか、その黒い瞳の奥に映ったものは、見慣れぬ外輪船であった。近頃世間を騒がす黒船と云う奴であった。しかし、彼は何を考えて居るのであろうか。
其の九
彼は何を考えて居るのであろうか。と、次第に闇に溶け込んで行く景色の中を、浜を目指して歩き始めた。彼は気が付いて居ないが、何やら浜の向こうから、多くの松明と姦しい人の声が近付いて来た。「何処だ。」「何処なんだ。」「あすこだ。」其の時、沖へ漕ぎ出す一双の小舟の中では、漸く浜の騒ぎに気が付くと、間近に迫った黒船に横付けするや、遥か上を振仰ぎ、大声で叫んだ。船上でも其れに気が付いた様子だったが、突然の闖入者に容赦はせず、決して甲板の上に上げようとはしなかった。そうこうする内に舟上の若者は近付く役人の捕り手の縄に掛からざる終えない運命に辿り着いた。
其の十
南の孤島に独りの男が居た。あたかも禅宗の祖師、達磨大師
の風貌であった。
海を見下ろす島の高台に座し、じっと沖を眺めて居た。その
厳つい、そして優しい眼差し。
目尻から、ほろほろと流れるものがあった。
(西郷)「判いもはん。」
(西郷)「何いごって。」
(西郷)「あげな、偉か御仁が…。あげな男は、こいからは、そげん出っもっん
じゃなか。」
男は人生最良の友を度々亡くした、其の不運を嘆くのであろうか。
人生五十年の中で作り上げて来た男の大切な宝であった。
西郷は独り、過ぎ去りし、藩邸での夜を思いだした。
(西郷)「橋本さん。」
大きい目がじろっと振り向くと。
(橋本)「又ですか。」
(西郷)「……。」
(橋本)「ま、一杯。」
(西郷)「聞いてくいやったもんせ。今頃、おはんに愚痴を申しても、せんねこ
っ
でごわすが…。」
(橋本)「……。」
(西郷)「今ん世ん中。あげんな子供を戴きまつるような所帯じゃあいもはん。
」
(橋本)「声が大きいと…。」
(西郷)「ははっ。此処は俺いどん達の藩邸でごわす。」
(橋本)「しかし、何を考えて居るのでござろう。」
其の時悲憤に顔を赤らめた西郷は
(西郷)「万乗の君は、御歳が幾つでごわそうと、お構い申さん。大御心に変わ
り
はごわはんでな。」
(西郷)「じゃっどん、此んっ國をお守いする侍の統領ちなれば、子供には勤ま
り
申さん。」
(橋本)「……。」
(西郷)「島津の殿様も、此んっ國の行く末がご心配で…。」
(橋本)「判ります。」
(西郷)「んっ。島津のお酒はお口に合いもはんか。」
(橋本)「いや、旨い。」
(西郷)「かっはっはっはっはっは。」
(橋本)「相変わらずですな。」
(西郷)「ん。」
(橋本)「西郷さんの磊落ぶり。」
(西郷)「そげんでごわすか。」
(橋本)「はっはっ。私は其処が大好きです。それと…。」
(西郷)「そいと。」
(橋本)「國を憂える御眼差し。」
(西郷)「かっはっはっはっはっは」
(橋本)「其の大きな目です。」
(西郷)「うん。」
其の時隣の控えの間から辺りを察する余り。
(西郷の世話役)「宿直の者が…。」
(西郷)「わかった。もう、おわりじゃ。」
もうすぐ世も白んで来るのであろうか、此の國の命運もかく
有ればとは、西郷も橋本左内 も案ずる処は同じで有ったろう。
{西郷先生の回想を仕立てた此の話は、先輩から、ご紹介頂きました、薩摩人の方が、小生の文意を汲み、薩摩弁に訳して下さりましたものです。薩摩弁の何とも暖かい、風格のあるものですね。此の文は飽くまでも創作ですが、流石に西郷先生には薩摩弁がお似合い申す。}M氏に心より感謝申し上げます。 中仙堂