一一五 姜維の戦い
~~~魏 陳泰軍~~~
「とうとう郭淮の旦那もぽっくり逝っちまったな」
「王凌の反乱未遂に巻き込まれて心労が重なってたんだろうよ」
「旦那のかみさんが王凌の妹かなんかだったっけか」
「旦那の功績に免じてかみさんの罪は目こぼしされたそうだが、
それもかえって律儀な旦那には申し訳なかったんだろうな」
「不器用なおっさんだったからなあ」
「………………」
「で、後任になったアンタはまた昼寝か。まったくいい身分だな」
「…………ああ、いや。起きてますよ。
ちょっと英気を養ってただけです」
「それを昼寝っつーんだよ」
「郭淮の旦那も死んで、俺らみたいな三下しか残ってねえんだ。
少しはマシなアンタがしっかりしてくんねえと困るぜ」
「蔣琬、費禕死に蜀軍瀕死。
誰にも止めれぬ姜維の脅威。
身の程知らずの姜維が勝利。
夏侯覇加わり行こうぜやはり」
「蔣琬と費禕が死にもはや姜維の暴走を止める者はない。
亡命した夏侯覇を加えた姜維の遠征軍がもう目の前に迫っているぞ」
「おっ。お前、魏では通訳キャラで行くつもりか」
「そんなつもりはない。
それにしても鄧艾殿の作った地図には驚かされた。
実際の地形と全く同じである」
「それがわかっただけでもお前が寝返ってくれた甲斐があるな」
「寝返ったわけではない。行き場を失い蜀から魏へ鞍替えしただけだ」
「細けえ野郎だな。まあとにかく、蜀には夏侯覇が加わったが、
俺らにはお前が加わった。条件は同じだ」
「おう、そろそろ蜀軍を迎撃に出ようぜ陳泰さんよ」
「………………」
「だから寝てんじゃねえよ!!」
「将軍スリープ。進軍フリーズ。
さっさと起こしてとっとと行こうぜ」
~~~蜀 北伐軍~~~
「来たな魏軍め! この俺の鉄拳の前にひれ伏すがいい!」
「蜀軍の先鋒はお前か」
「ややや! 貴様は李歆!
よくもおめおめと我々の前に姿を現したな!
蜀に残された貴様の家族は肩身の狭い思いをしているぞ!」
「そうか。少なくとも無事でいるのだな。
俺が魏に降伏したせいで処刑されなくて良かった」
「劉禅陛下がそのような懐の狭い方と思ったか!
貴様の妻子も、今では別の旦那を世話されて貴様のことなど忘れておるわ!」
「……感謝する。ならばこの拳にもはや迷いはない。
廖化よ、お前とは一度本気で手合わせしたかったところだ」
「貴様の手の内など知り尽くしている!
裏切り者に遅れを取るような俺ではない!!」
「もはや言葉はいらぬ。考えるな。感じろ」
「行くぞ李歆! うおおおおおっ!!」
~~~魏 陳泰軍~~~
「蜀軍どもは李歆と同じ拳法家の廖化を先頭に立ててきたか」
「目には目をってわけか。やっぱり夏侯覇からこっちの戦法がバレてんのかな?」
「構いませんよ。こっちの方が兵の数は多いんです。
目には目をの考えで五分に戦おうとしたら勝つのは我々だ」
「見よ! 蜀軍の後方から部隊が前に回り込んで参ったぞ!」
「あれは張嶷。それは病弱」
「張嶷か。病に臥せってて遠征軍には帯同しないだろうと、
李歆からは聞いてたけどな」
「病人など敵ではない! 拙者の斧の錆にしてくれよう!」
「徐質のヤロー、命令も待たずに勝手に行っちまったぞ。
憧れて真似してる徐晃の旦那には程遠い短慮なヤツだな」
「こっちも人材不足で参るぜ。申儀は文書偽造がバレて飛ばされたし、
その兄貴の申耽や鄧賢も鬼籍に入っちまった」
「……それにしても少しにおいますね。いや、張嶷の動きのことだけじゃない。
これまで見てきた姜維の用兵とは違う気がする。なにか企んでいそうだ」
「罠を仕掛けてるってのか?」
「あるいは仕掛け終わってるか、ですね」
「んん? なんか急報が届いたぞ。
……なんてこった! 別働隊を率いてる王経が姜維に撃破されたとよ!」
「こっちに姜維はいなかったのか。アンタの予感が当たったな」
「ふむふむ。王経さんは狄道城に逃げ込んで、姜維に包囲されてると。
こいつは一大事だ。とりあえずここは引き上げるとして、どうしますかね」
「姜維の本隊、勢い脅威。狄道城は捨てるの常道」
「狄道は捨てて隴西を固めるのがベストだと?
……俺は賛成できませんね。狄道を失えば雍州や涼州も危うい。
それに王経さんもそれなりの兵力を連れてたし、無能な方じゃない。
姜維のほうも無傷じゃ済んでないでしょうよ」
「姜維の本隊に向かい、王経を救援するんだな?
わかった。李歆や徐質には撤退を指示しとくぜ」
「………………」
「すいませんね鄧艾さん。ここは俺の勘に従って欲しい」
「アンタが大将。従う対象。姜維を討てればそれで大賞」
~~~魏 徐質軍~~~
「撤退しろだと? 馬鹿な! あと一息で蜀軍を殲滅できるのだぞ」
「無理」
「くそっ、死に損ないのくせにしぶてえ野郎だぜ。さっさと死にやがれよ!
……おっと、徐晃将軍はこんな乱暴な口は利かねえな。いけねえいけねえ。
ここまで粘るとは病人ながらあっぱれだ! だがそろそろ引導を渡してくれる!」
「無駄」
「チッ! 本当にしぶてえ野郎だ!」
「無理をするな張嶷! 陳泰を引き付ける任務は十分に果たした。
我々も姜維に合流するぞ!」
「………………」
「陳泰を引き付けた? ど、どういうことだ?」
「孤立」
「な、なに!? 俺を放って陳泰たちが撤退を始めているだと!?」
「好機」
「ぐわああっ!! て、撤退に気を取られた隙に……。く、クソが……」
「やったな張嶷!
……ああっ!? な、なんてことだ。お前も血反吐を吐いてるじゃないか。
重病のくせに無理するからだ!」
「……無念」
「し、しっかりしろ張嶷!
……武人らしく最期は戦場で死にたかったんだな。
お前の勇姿はしっかりと胸に刻んだからな!」
「………………」
~~~蜀 姜維軍~~~
「陳泰の動きは予想より早かったな。
廖化、張嶷の陽動部隊を放ってこちらに向かっているそうだ」
「どうしますか姜維さん。迎撃に出ますか?
ですが私達も王経に手こずり消耗は激しく兵糧もあまり残っていません」
「やるならやってやる。蛾遮塞や餓何焼戈の仇討ちだ!」
「……いや、撤退しよう。
すでに多くの敵の首を斬り、多くの捕虜も得た。戦果は十分だ。
未確認だが張嶷が戦死したという情報も入っている」
「いいのですか? 叩けるうちに魏軍を叩いておかず後悔しませんか」
「蔣琬も費禕も死に、国内に私の北伐を止められる者はもはやいない。
彼らにも劣らぬ実力をこうして示せただけで十分だ。
無理をせず次のチャンスを待とう」
(せっかく包囲した狄道城も落とせず、陳泰と戦いもせずに撤退だと?
敵として戦っていた頃の姜維はこんな弱気な男ではなかったが……)
(……姜維は変わった。いや、弱気になったと言うべきか)
(んだ。自信を失ってる感じだぞ)
(まあ無事に帰れるならいいじゃないか ボソッ)
「………………」
~~~魏 陳泰軍~~~
「やれやれ、戦わずに撤退してくれましたか。
姜維と戦ってこれ以上の損害を出してたら、陛下に顔向けできませんでしたよ」
「それにしても姜維も慎重になったな。
王平や馬忠が生きてりゃ、焚き付けて撤退なんかさせなかっただろうがよ」
「人材不足に悩んでるのは向こうも同じなんだろうよ」
「人材といやあ徐質の馬鹿が戦死したようだな」
「あんな猪武者はどうでもいいだろ」
「違えねえや」
「蜀軍は張嶷が死亡したそうだ。
病を押して出陣したのが祟ったのだろう。彼らしい最期だ……」
「……なあ、こりゃチャンスなんじゃねえか?
姜維には前みたいな積極性がない。歴戦の強者も次々とおっ死んでる。
蔣琬や費禕が死んで政治もガタガタだろうよ」
「今こそ蜀を征伐するべきってか?」
「まあそんなの上が決めることで俺には関係ねえけどよ。
でも確か……アンタは司馬師や司馬昭の親友なんだろ?」
「俺がですか? ただの学友ですよ」
「でも偉大な親父さんがいて、都の偉い連中にも顔が利くじゃねえか。
蜀を征伐しようやって、いっちょ焚き付けたらどうだ?」
「ははは。面白そうですが、
言い出しっぺの俺にお鉢が回ってきたら面倒そうですね。気が進まないなあ」
「そういうと思ったぜ! かくいう俺も陛下に逆らって左遷された身だ。
蜀の征伐で手柄を立てても、どうせ出世はできねえからな。
できればやりたくないけどよ」
「………………」
「どうやらやりたいヤツがいるみたいだぜ」
「さっきの王経さんを見捨てようって意見の時にも思ったんだが、
鄧艾さんはどうも守りより攻めの方が冴えてそうだ。
少なくとも俺より適任だと思いますよ」
「蜀軍征伐。俺が討伐。益州攻め入り告げるぜトゥーバッド」
「それじゃあ鄧艾さんのため、都に掛け合ってみましょうかね」
「……邪推だとは思うが、
それを口実に前線から都に戻るつもりじゃねえだろうな?」
「おや、バレましたか」
「アンタの考えそうなこった。にしても不思議なもんだな。
エリート街道を歩んできても、下手に軍事の才能があったせいで、
左遷された俺と同じように前線で命を張らされてんだ。
出世したり才能があったりするのも良いことなのかわからねえや」
~~~魏 洛陽の都~~~
「…………とうとう、陛下を廃位に追い込んだか」
「曹芳は皇帝の器ではなかった。それだけのことですよ叔父上」
「次の皇帝は曹髦様だ。すでに皇后陛下の許可も得ている」
「なに? 吾輩の頭ごなしに事を進めたのですか?」
「顔色が変わったな。曹髦様はお前の思うままには動かせんぞ」
「……さすがは司馬懿の弟と、ここは褒めておきましょう」
「……私とて魏の世は終わったと心得ている。
だが、お前や司馬昭の道は急過ぎる。それではひずみが生まれるぞ」
「叔父上と同じように我々に逆らう者が現れると?」
「私などはかわいいものだ。
……まったく、お前たちが兄上の十分の一でも、
謙虚さを受け継いでおれば良かったのだがな」
「あいにくと嫌味に付き合っているほど暇ではないのです。
そろそろ蜀の征伐も考えなくては。失礼しますよ」
「待て司馬師」
「まだなにか?」
「忙しいのはわかるが一度医者にかかれ。
邪眼だかなんだか知らんが、その眼は治した方がいい」
「……お気持ちだけ受け取っておきますよ」
~~~~~~~~~
かくして姜維は戦果を得て引き上げた。
だが蜀の人材不足は深刻で、姜維も自信を失いつつあった。
蜀へ危機が迫る中、呉にはまたも激動が待ち受けていた。
次回 一一六 さらなる独裁