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君と共に…
作:兎羽



君と共に… (18)



バンッ!!

荒々しく開けられた扉。突然の来客に、俺も昴も驚きその人物をただ呆然と眺めていた。
しかしそれも、たった数秒のことで、その人物は高いハイヒールをカツカツと鳴らし、俺に素早く近付いてきた。

パンッ――…。

「……………」

それはもう、惚れ惚れするほどに良い音を鳴らした。

「…昴を返して」

いきなりビンタは驚いたが、そいつの言葉の意味を理解することもできずに俺は、赤くジンジンと痛む頬を気にしながらも、たった今ビンタした張本人の菜月を見つめた。

「菜月が…なんで…」

信じられない、とでもいうように、昴はそう言葉を絞り出すように言った。俺はいまだに状況が理解できずに、鋭い目付きで俺を睨む菜月を見ているしかできない。

「聞いてるの?早く昴を解放してって私は言ってるのよ…片瀬翔」

「!?」

なんで…俺の名前を…?
ホストでは下の名前しか名乗っていなかった。必要もなかったから昴にも晃にも話してはいない。
それなのに…なんで昴の太客が俺の名前を知ってるんだ…?

「不思議?不思議よね。なんで私がアンタの名前を知ってんのかワケ分からないって顔してるもの」

「………」

「おい菜月…お前がなんで翔の名前…」

「昴は黙ってて」

小さく発言したのにも関わらず、それは菜月によって遮られた。

「私は平峰菜月。店では大学生って言ったけど、本当は高校1年生…アンタと同じ高校のね」

「高校…生?」

しかも同じ学校?

「アンタの事…何度か噂で聞いたことあったけど、顔は知らなかったから、店で会った時には気付かなかった。勝手な事情で…昴まで巻き込んで……よくもそんなヒドイ事ができるわね?それでも同じ人間?昴にはもう時間がないのよっ!?」

「菜月やめろ!!…翔には…言ってないんだ」

「言ってないって…」

なんのことだ?
菜月は呆然と、止めに入った昴を見つめて呟いた。

「なんで…昴も晃も…。どうしてこんなヤツに執着するのよ…。ワケ分かんない」

キッ、と俺をにらみつけてくるが、俺にはもうサッパリだった。
菜月がなんでこんな悲しそうに昴を見つめているのか…。
どうして、泣きそうな目で昴を見つめているのか…。
その表情はまるで…。

「ごめん、菜月。ちゃんと…翔にも話すから、今日は帰って」

「っ…!!」

バッ、と身を翻し涙を隠すかのように背中を見せる菜月。肩は小刻に震えていた。

「なんで…女の私じゃなくて…男のそいつなのよ…。こんなことになるならあの時、協力なんかしなきゃ良かった…っ」

部屋から飛び出した菜月を、昴は追い掛けたさそうにその背中を見つめていたが、フッとこちらに目を向けて泣きそうに微笑んだ。

「ごめんな、翔。菜月も…根は悪いヤツじゃないんだ」

「はい…」

それは分かっている。
菜月が昴を見つめているときの目は…ひどく、俺がシンを見つめているときの目に似ていたから。

「昴さん…病気なんですか?」

時間がない、ってことはきっとそういうことんだろう。案の定、昴はゆっくりとうなずいた。

「ガンなんだよ」

「……………」

言葉が…出てこなかった。

「時間がないのは自業自得。俺はずっと医者から逃げて治療を拒み続けたから」

どうして…?

「馬鹿みたいだけどさ…俺、体を切り刻まれてまで生きたくない。抗がん剤を使って、苦しい思いをしてまで…生きていたくないんだよ」

「なんで…」

やっと出た言葉は、昴の表情を悲しい色に変えた。

「理由が必要?ただ、そう思ったんだ。死にたいわけじゃない。でも、生きたいわけでもない。きっともう…体が壊れる前からずっと、心は壊れていたんだよ」

「……………」

この人は…何を諦めたんだろう。
なぜか、そう…直感的にそんなことを考えた。

「だから、翔…。お前が気にすることは何もない。菜月が言ったことは全部お前には関係ないんだから」

関係?
大有りじゃねぇかよ…。

今の今まで、昴に甘えさせてもらっていた俺だから、関係はありまくり。
それなのに、俺を関係ないというのは…それは、昴の優しさだ。
でも、それは俺にとって拷問でしかない。

生きたいという人間と、生きたくないという人間が、俺の一番近くにいる。
二人はなんとも対称的な存在だけれど、ひどく似ているんだ。

二人とも、大事な人を想って…そう思っているんだ。

「…生きたくないって今でも思ってますか?」

「え…?」

驚く昴をじっと見つめてみると、昴は目線を泳がした。
やっぱり…。

「生きたいんですよね?」

「…………さぁね。もう、自分でも分かんねぇんだ」

そう言う昴は、ひどく悲しそうな表情を見せる。
分からない?
分かってるじゃないか。

「ねぇ、昴さん…。俺と会えて良かったって思える?」

「………」

「俺と会えて良かったって、心から思えてるの?」

たぶん…昴は俺に会ったことを後悔してるんだろう。
黙りこむのがその証拠。

「俺と会って…生きたいって思ってくれたんじゃないの?」

初めて昴と会った時、正直…恐い人だなって思ったんだ。その表情は優しく微笑んでくれているのに、それが偽物に思えて仕方なかった。
でも、一緒に働くうちに、そんなこと思わなくなった。
それは、昴が変わったからだろ?

死んだような目をした昴はもういない。
今目の前にいるのは、治療を受けなかったことを後悔しながら生きたいと願っている昴。

「生きてよ…」

「翔…」

「俺、昴のこと好きだから……だから、アンタがいなくなると困る」

好きだよ。
俺を素直に甘えさせてくれる昴。
アンタは、俺を救ってくれたんだ。

「…父さんが、二度もいなくなるのは嫌だから」

幼いころ、父親をなくした俺は母さんと二人だけで暮らしてきた。決して裕福な家庭とは言えないけど、俺はあの暮らしが好きだった。
でも、いつでも、その暮らしには何かが足りないような気がして…俺はその無くした小さなピースを探していたんだ。

父親という存在を――。

「手遅れだよ…」

「……馬鹿じゃないの?」

手遅れ?
まだ、手遅れなんかじゃない。助かろうとしないアンタに手遅れだなんて言葉は使えないはずだ。

「ねぇ、昴…。お願いだ。生きてよ…俺の為にも…菜月さんのためにも…」

「………」

静けさだけが、俺たちを包みこむ。
昴は小さく口を開き、笑った――…。













「ねぇ、君いくら〜?」

「………俺、高いよ?アンタに買えんの?」

いつも通り、俺は街の中をさ迷い歩いていた。すれちがう人々を無関心に眺め、その中にいい客がいないかと目を光らせる。
そんな中、バチリと目があったのは…チャラチャラとした身なりの高校生くらいの男。

そいつは、俺と目があった瞬間にニヤリと笑い、ゆっくりとした歩調で歩み寄ってくる。

「見くびってもらっちゃ、困るな。君くらい楽勝で買えるよ」

ニヤニヤとした笑みが気持わるい。こんなの見慣れているはずなのに、今日の俺はなぜだかその視線から逃れたい衝動に駆られる。

「200万」

二本の指を突きだし、その男に値段を言う。
こいつには抱かれたくない。
そう、もう一人の俺が叫ぶ。だから俺は、いつもより数倍の高値を示した。

「よし、買った」

「……は?」

「なんだよ。だから買ったって言ってんだよ。今更値上げとかナシな」

馴れ馴れしく肩を抱かれ、俺はわけが分からないままにその男に引かれて、ホテル街へと歩き出す。

何考えてんだ?この高校生…。200万で買うとか…馬鹿だろ。

「本当に金、持ってんの?」

疑わしいにも程がある。

「大丈夫。ほら」

そう言って、その男は懐から札束を2つ見せつける。余計に疑わしい。

「なぁ、アンタさ多数プレイってあり?友達もいるからそいつらも混ぜたいんだけど」

「まぁ…2、3人なら…」

200万だったら10人くらい相手にしないと儲かんない。それを短時間で手に入れられるなら…と考えて、俺は頷いた。

「よかった!あ、そこのホテルな」

「………」

でも、多数プレイと聞いて俺の中の疑心は少しなくなった。たぶん、友達同士で金を掻き集めたってとこだろう。
何度か利用したことのあるホテルで、そこは結構高価な部屋だった。

「…友達は?」

「え?あぁ…もうすぐで来るよ」

メールをカチカチと打ちながら答える男に、俺は手を出す。

「前払い。200万」

「はいはい。ほらよ」

ポイ、と投げられた札束を受取り、部屋に設置してある金庫へと入れておく。後ですられたりなんかしたら、最悪だから。

「よぉ、ヒロ。来たぜ」

「おぉ!入ってこいよ」

その声に、俺は嫌な予感がした。
どこかで…聞いたことのあるような、そんな声だったからで――その予感は的中した。

「久しぶりだな、片瀬」

ニヤリと笑い、部屋に入ってきたその男を見た途端、俺は目眩を覚えた。

「た…なか…」

田中宏。
そいつは、俺の元クラスメートであり、喧嘩相手だったヤツだ。

「お、マジで片瀬じゃん!久しぶり〜」

その後をついてくるように入ってきたのは、田中のダチの杉田達彦。

「なんで…」

バッ、とヒロと呼ばれていた男を振り返ってみると、そいつはニヤニヤと笑いながらすぐ後ろに立っていた。

「多数プレイ…大丈夫だって言ったよな?今更ナシは受け付けないぜ?」

「っ!」

ヒロの手は嫌らしく俺の腹を擦り、田中も杉田もゆっくりとした歩調で俺に近付いてくる。

「学校休んでるって聞いたけど…こんなことしてるとはなぁ?片瀬」

「ヤ…だ……来るな…」

「金は払ったんだ。俺たちは客なんだからちゃんと奉仕しなきゃだ…ろ!」

ドン、と体を押されれば自然とベッドに倒される。逃げようとしたが、すぐに杉田が覆い被さってきて逃げられるような状況ではなかった。

「俺、普通にノーマルだけど……片瀬ならいけるかも」

「っあ…」

布ごしに自身に触れられれば、体は素直に反応してしまう。

「やめ…っ!?」

ヒヤリ、とした感触が首元をなぞった。

「あきらめろよ、片瀬。お前は買われたんだ」

「そうそう。ほら、SMプレイはしたくないだろ?下手すりゃ傷が残るぜ?」

首元に当てられているのは、果物ナイフのような刃物で……俺の動きは封じられてしまう。
3人の男は、反抗しなくなった俺を満足げに見下ろし、それぞれが自身を取り出した。

「誰からヤる?」

「俺口がいいな」

「俺はコイツ鳴かせたいから宏先にどうぞ」

「サンキュ〜」

口々にそんな会話が目の前で繰り広げられて、俺は恐怖心にかられた。
見ず知らずの男とヤるのとではワケが違う。

こいつらは金持ちの部類に入るような輩じゃないし、バイトなんかをして金を貯めるようなガラでもない。ということは…。

「だ…れに…」

「あ?」

「誰に雇われたんだ…?」

「………」

黙りこんだのも束の間、ヒロがニヤリと笑い、自身を持ち上げて言った。

「ちゃんとご奉仕してくれたら、教えてあげる」

「………」

ゴクリ、と喉が鳴るのが分かった。

俺は四ん這いになり、ヒロのソレを口に運ぶ。その間も、田中と杉田の視線がこちらに向いているのが分かる。

「ふむっ…ん……っ」

これまで重ねてきた経験は、確実に舌技のレベルをあげてきていた。どうすれば相手が早くイってくれるのか…どうすれば相手が感じるのか。
それら全てが、今の俺には備わっている。

「っ…やべぇ…。そこらの女より…巧い、ぜコイツ…っ」

息をあげるヒロ。
自身も大きく膨張し、俺の呼吸を妨げる。
両手を使い、根本を擦りながら腰を振る。そうすれば、効率的に事が進むのだ。

「あっ…イク…!!」

放たれたザーメンは、勢いよく口に出されて、とっさに身を引いた俺の顔に顔射されてしまった。ドロドロとねばつく白い液体を手のこうで拭う。

「約束。話せよ」

「…まだだ。宏と杉田も相手してやれよ」

「なっ!!?約束――…っ!!」

口を開いた途端に、杉田によって口を塞がれる。それは、意外にも杉田自身ではなく、その唇だった。

「なにしてんだよ、たっつー。本気になっちまったのか?」

「ふぁっ…ぁっ…ん…っ」

くちゅくちゅと、杉田の舌が俺の口内を犯す。長い長いキスに、俺の頭はボーッとしつつあった。
何分、キスをしたのか…分からないくらいの時間が経ち、唇は放された。

「ばーか、本気になるわけないじゃん。俺の舌技でコイツをおとなしくさせて、挿れようと思ったの」

「なるほど〜。流石遊び人」

「舌技は負けないってか?」

ぐったりと重い体を、杉田は反転させる。俺はもうされるがままの状態だった。

「でも、コイツも中々だよ。舌入れればちゃんと応えるし…ちょっと落ちそうになった」

キスに応えるのは、もう慣れというか…習慣みたいなものだ。やられっぱなしだと、余計にキツイし…。

「男に二言はねぇよな?たっつー。俺が先だ」

ズイッ、と杉田をどかして前にしゃしゃり出てくる田中。杉田はもう諦めているのか「へいへい」という生返事で、意外にもあっさり引き下がった。

「でも、二人でヤれば気持ちよさ倍増だよ、宏。俺が口で、お前は下の口」

ニヤリ、と歪む表情。
どうやら、やっぱり簡単には諦めきれないようだ。そんな中、ヒロは再び自身を勃ちあがらせて駄々をこねる。

「俺は?何もしないで見とけって言うの?」

「はぁ…お前、一回イッてんだろ?我慢できねぇのかよ」

「できないね」

キッパリハッキリ答えるヒロに、田中は溜め息をついた。

「じゃあ、手コキしてもらえよ。連結とかありえねぇからな」

「確かに」

「…………」

勝手なことばかり言いやがって…。こいつら本当に約束守る気あんのか?

「さぁ、始めようか」

ゾクリ、と鳥肌が立つような低い声が耳元で聞こえた。俺はこれから起こることを予想し、覚悟して、その瞳をギュッと閉じることしか出来なかった――…。

「約束は…守れよ」

非力な自分が、時々…無償に嫌になる…。













つまらない学校…。
翔がいないだけで、あんなにも楽しく思えていた俺の日常はガラリと変わった。

「けんご〜!今日さ、西校のヤツらと喧嘩なんだけど…混ざんねぇ?」

「…いかねぇ」

「え〜!」

つまんないヤツばっか…。
確かに翔がいるとき、中々構ってくれないから喧嘩に明け暮れることもあったけど、別に楽しいから人を殴っていたわけじゃない。
翔に追い付きたくて、スキルをあげたくてヤってたも同然。
でも、肝心の翔がいなくなったんじゃ話にならない。

「…………」

ガタッ、とイスから立ち上がり、俺は教室を出た。もうすぐ授業が始まるが、集中できないなら受けても受けなくても同じこと。

「賢吾、どこ行くんだよ」

「屋上。せんせーには保健室とか適当に言ってて」

つまらない。
本当につまらない。

「俺も辞めようかなぁ…」

そんなことをぼやきながら、俺の足は屋上へと向かっていた。




「―――で…ょ」

「じゃ――…す…」

屋上へと続く扉を開けようとした俺の手がピタリと止まる。どうやら先客がいるようだ。
耳を澄まして、ヤツらの会話を盗み聞きしようと扉に張り付く。

「マジ最高〜。俺、ハマりそうなんだけど」

「ばーか。俺らが易々買える相手かよ」

「でも、脅せば無料奉仕してくれんじゃねぇ?学校にバラすぞ、とか」

「バラしたら俺らも退学だぜ?」

「だから脅しだって。本当にバラすわけねぇだろ」

この声は…。
たぶん、田中と杉田と神田だな。いつも一緒に行動しているヤツらの異名は『田舎』という今までにないユニークさをもっている。
もちろん、ヤツらは知らないだろう。
由来は、3人とも名字に田がついているからと、今時流行らねぇ番長を張っているからだそうだ。

つっても、誰もヤツらがこの学校の番だとは思ってねぇけど。

「あ〜ぁ、菜月ってヤツにもっかい言ってみるかぁ?」

「片瀬を買いたいから金くれって?ハハハ」

バンッ!!!

片瀬、という名前を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になって気付いたら扉を荒々しく開けていた。

「なっ…け、けんご…」

「なんでお前がいるんだよ!!」

慌てるヤツらに、俺はツカツカと近付き、一番近くにいた杉田の胸ぐらを掴みあげた。

「さっきの話…詳しく教えてくんない?」

「っ………」

苦しそうに顔を歪める杉田を、無表情で見る。どんどん、青くなるのがよく分かった。

「話す!!話すから達彦を解放してくれっ」

「………」

意外に仲間思いなヤツだな、とかどうでもいいことを考えながら俺は、持ち上げていた杉田の胸ぐらをパッと離す。ゴホゴホと咳き込む杉田を蹴って退け、田中に近付いた。

「で?翔がなんだって…?」

自分でも分かるくらいに、俺は今、酷く冷酷な表情をしているのだろうと思った…。













「…………」

ぐったりと、ベッドに沈み込む体。
昨日は大変だった。
3人相手にするのは、3回違うヤツの相手をするのとは全然違っていて、予想外の体力を消費することが分かった。二度としねぇ…と自己嫌悪に浸るなか、頭に浮かんできた菜月という名の女子高生。

「金持ちのボンボンが…」

というか、俺にどうしてほしいんだよ…。
俺を憎むのは分かるが、知り合いに抱かれたくらいでへこむような、そんなデリケートな俺じゃない。
むしろ、大金はたいてくれて感謝。

「早くやめてぇな…」

つい、そんな弱音を吐く。
でも、この様子だと早く貯まりそうだ。そしたら…シンに…。

「!」

ウ゛ウ゛ウ゛…と、携帯が震える。滅多に使うことのなくなったそれは、ほとんど開かれない。母さんから連絡がくることもあるが、話もそこそこにきってしまうことが多いのだ。

あとは…。

最近会っていない晃と、最近会うことの多い昴。

「誰だよ…」

仕方なく、ベッドから起き上がり、机に置いていた震える携帯を手にとった。

「…賢吾」

ディスプレイに表示された名前に、俺は電話に出るか出ないか躊躇う。なにしろ、あれから連絡を取ってはいない。
辛くなったら相談しろ、と言ってくれた賢吾に、俺は相談することもなく昴に助けられたから…。

「もしもし…」

長く震えるそれを耳に当てて、俺は呼び出し主に答える。

『…………』

「賢吾?…どうした」

コンコン――…

今度は扉を叩く音。
珍しいこともあるもんだ。来客なんて…。

『今、家…?』

「あ?あぁ、そうだけど…ちょい待ち。誰か来、た…」

ガチャリ、と扉を開けてみれば、そこにいたのは賢吾で、携帯片手に…まるで魂でも抜けてしまったかのようにつっ立っていた。

「賢吾…」

携帯を耳から離し、俺は目の前にいる賢吾をひたすら見つめていた。

「翔……」

「!」

倒れ込むかのように抱きついてきた賢吾を受け止めて、俺は今の状況が理解できないまま、ただ…辛そうな賢吾を支えていた。

「翔…」

「ん…?」

ぼそり、と呟くように名前を呼ばれて俺はとりあえず賢吾を家に上げた。
今まで、まだ誰もこの家には上げたことなかったけど…賢吾ならいいだろう。

それにしても、一体どうしたんだというんだ。

賢吾はずっとうつ向いたまま何も言おうとはしないし…。

「なに?何かあったのか?」

「………」

家にまで来といてシカトかよ…勘弁してくれって感じだ。

「翔…」

「だから何……って、え…?」

ふと、うつ向いている賢吾に目を落としてみるとなぜか床が濡れていた。別に賢吾の体が濡れているわ毛じゃないし、何かを溢したわけでもなさそうだ。

「泣いて…んの、か…?」

尋ねて見れば、賢吾はハッとしたように顔を上げて、自身の手を頬に触れさせては驚いた表情を見せる。
どうやら気付いていなかったらしい。

「っ…ごめん……」

「なにが…」

「床…濡らした」

それかよ!!!

「いや…それは別にいいんだけど…」

とりあえず、手元にあったティッシュを1、2枚取り床を拭く。それでも賢吾はうつ向いたままだ。

「なに…どうした?」

「……ごめん」

「だから何が」

床はもう拭いたし、賢吾が謝る意味が分からない。泣いている理由も分からないし、賢吾が自分から話してくれるまで、俺はどうしようもないわけだ。

「ごめん……ごめっなさ…ぃ…」

ヒック、と嗚咽まで上げ始めてしまう賢吾に俺は溜め息をついた。
何が「ごめん」なんだ…。
俺は別に賢吾に何かされた記憶はない。そりゃ、学校に普通に通っているときはムカつくこともあったが、今更謝るほどのものでもない。

「俺っ、何も知らないくせ、に……翔に酷いこと聞いた…っ…」

なんだそれは…。

「あぁ?わけわかんねぇよ」

酷いこと聞いた?
そんな記憶は、学校に通っているときの記憶にもないぞ。

「俺…俺は…!!!」

「!」

ギュッ、と賢吾に抱き締められる。
なんだこれ…。
なんなんだ、この状況は…。

どんなにいじめても、泣かない賢吾が、今になっちゃ号泣しているし…何か、抱き締められちゃってる。
意味が分からねぇ…。

「俺は…無力だ……っ」

「…………」

わけわかんない。
賢吾の何が無力?

「翔を…助けられない…っ、親友、なのに…」

「………おい、親友」

俺はグイッと賢吾の体を離し、バチンと両手で頬を叩いてみた。賢吾はびっくりしたように、涙の溜った瞳を見開かせて俺を凝視している。

「さっきからワケ分かんねぇんだよ。ちゃんと説明しやがれ」

「………」

パチパチと瞬き、賢吾はまた涙をボロボロと流し始める。服の袖で濡れた頬を拭ってやると、情けない面のまま、賢吾はポツリポツリと話し始めた。

「俺…今日始めて知った…。その、翔が…売春してること…」

「…………」

これには、流石の俺もびっくりだ。
なんで賢吾が…と思ったところで俺はピンときた。たぶん…いや絶対、あいつらだろう。あの3田んぼが…っ!

「んで俺…前、辛くなったら相談してとか…すげぇ簡単に言っちゃったの思い出して」

「…………」

「そんなこと…相談できるわけないのに…っ」

泣き虫再開。
グズグズと泣き続ける賢吾に、俺はなんと言えばいいか…正直迷った。

相談できるわけないのに、か…。

相談しようと考えていた俺の立場はどうなる…。

「はぁ…」

「ごめんなさい…」

「別に謝る必要はねぇよ」

驚く賢吾に、俺は微笑んで見せた。

「お前は親友だから、時期がくればいつか話そうと思ってた。だから気に病むことはないんだよ。どっちにしろ、あんなことしてる俺が悪いんだし」

「しょう…」

「ごめんな、他人の口から聞かせるよりは俺から言いたかったんだけどな。事情が事情だから言えなかったんだよ。この際、シンのことも聞いとくか?」

ん、とタオルを渡し、賢吾の隣に腰かける。賢吾は顔にタオルを押し付けながら少し考えた末にゆっくりと頷いた。

「ちゃんと…翔の役に立ちたい…」

「うん」

「力になりたいんだ…」

「うん」

「話して、くれる…?」

「もちろん」

今度は賢吾を俺から抱き締めてやると、賢吾は肩に顔を埋める。俺は小さく「ありがとう」と呟くと、ゆっくりとシンとのことを話した。

シンと付き合ってる、って言うと、賢吾は驚いたはものの軽蔑なんかしないで「おめでとう」と笑ってくれた。それが俺にとって、どれだけ嬉しかったかお前には分からないんだろうけど…。
シンの病気のことを話すと、賢吾はまたボロボロと涙を流した。意外に涙脆いやつ…。
ホストでバイトしたことも、シンの手術費用を稼ぐために売春していることも、俺を心配して支えてくれている晃や昴のことも、全部話した。
気付けば、昼前だったハズの時間はあっというまえに過ぎていて、長い針は4時を指している。

「まぁ…こんなもんだな」

「翔って…案外苦労してんだな…」

「案外ってなんだよ」

「いや、学校にいたときは何でもそつなくこなしてさ…羨ましいヤツだな〜と思ってたんだけど」

確かに…。
苦労というものを感じ始めたのはつい最近のことだ。シンと両想いになって、シンの病気を知って、ホストやってたけど辞めなくちゃいけなくなって…現在に至る。
でも、そんな苦労もシンのためだと思えば苦にもならない。

「でさ、俺決めた!!」

唐突にそんなことを言う賢吾に、俺は小首を傾げる。

「俺も学校辞めて働く!!」

「ダメだ」

「えー!!なんで!!?」

馬鹿だコイツは。

「お前が今更加勢なんかしなくても、もうすぐ貯まるんだよ。だから、そんなことしなくていい」

「でもっ、俺もなんか役に立ちたい…」

しょんぼりと頭を垂れる賢吾の頭を軽く叩く。

「だから…お前は時々、こうして会いに来てくれるだけでいい。それだけでも、十分励みになるから」

「へ…?」

首を傾げる賢吾からパッと目をそらし、俺はうつ向いた。
自分で言っておきながら、すげぇ恥ずかしい…。

「っ〜…だから!!お前と話すだけでも、俺は体力…つーか忍耐力?が、回復できるから…で、あって…」

「…会いに来てもいいの?だって仕事で疲れるんじゃ…」

「家に一人だと、気がおかしくなりそうなんだよ…。あ、でも学校サボりはナシな!もちろん休むのも…!?」

なんだ…なんなんだ今日は…。
ハグの日か?

「急に抱きつくなよ…」

「なんか…翔が可愛くて…」

「ばっ…!!!」

かぁ、と顔が熱くなる。
手元にあった枕を賢吾に投げつけ、俺は蹴りを繰り出した。それを腕でガードする賢吾。

「変な気おこすなよ?親友」

賢吾にまでそんな目で見られたら、俺はもう学校に行けなくなる。
すると賢吾はニッと笑い、枕を投げかえしてきた。突然のことで対処できなかった俺の顔に、枕がボスンと当たる。

「ばーか。翔は親友以外のなんでもねぇよ。つか、彼氏もちは範囲外」

「ならいい」

本気で安心した…。
最近、色目使うヤツばっか相手にしてるから自意識過剰になってんのかな…。

「じゃあ…俺はいつでも翔が学校に来られるように、3馬鹿と菜月って女を潰しとく」

「え……?」

「変な噂、流されないようにな!!だから、いつでも安心して戻ってこいよ」

「…………」

笑う賢吾に、俺は涙が出そうになった。

…なんだよ、コイツ。
嬉しいことばっか言ってくれんじゃん。

「あぁ…」

いつか、学校に戻れる日がくるのなら…その時はちゃんと頭を下げて皆に謝ろう。

心配かけてごめんって…。

賢吾や学校の皆、晃や昴、春樹さんに静香さん、母さん…。

そしてシンにも――…。

ちゃんと、そんな日がきたらいいのに…と思う。
先がどうなるか分からないけど、俺はもう引き返せない。進むしかないんだ。

だから…ちゃんと言おう。

シンに、本当のこと…。

いつか皆で、心から笑い会える…そんな日がくるように…。












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