depot 水樹ゆう編
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ちなみに、depot=駅 と言う意味です。
2009/6/6 携帯用の改行修正。
俺の名前は、飯井頼。
ひらがな二文字しか使わない実に珍しい名前だが、それに付いては深く言及するのは避けておく。
『頼』と言う名前は結構気に入っているが、『飯井』と言う名字とセットになると、まるで出来の悪い早口言葉みたいで、ちょっと微妙なのだ。
この年十八歳の夏、俺は高校の夏休みを利用して、東北にある父方の祖父の家に、恒例の『ジーちゃん家お泊まりツアー』に来ていた。俺の命名主の、ジーちゃんの家だ。
東京からJRの電車を乗り継いで、更に単線のローカル線に揺られて、田んぼの中の無人駅にやっと到着する。そこから徒歩で三十分。ちょっとした旅行気分だ。
小学六年生までは両親と三つ下の妹と毎年訪れていたのだが、父親が脱サラして『お袋さん』と言う弁当屋を初めて忙しくなってからは、俺一人で訪ねるのが恒例となっていた。中学一年生の時に初めて一人で辿り付いたときは、『ああ、俺って大人!』と妙に嬉しかったものだ。
空気も美味いし、こっちの人達は実に人間味があって温かい。誰それの子供だ孫だと教えると、すぐ縁側にスイカだのトウモロコシだのが並ぶ。都会の喧噪に疲れた俺には、憩いの場所なのだ。
なんて、たかだか十八年しか生きていない若造が言うことじゃないけどね。
この日、のんびりとした田舎の空気を満喫した俺は、予定通り、東京に帰る日を迎えた。
リュック兼用のデイ・バッグに貴重品だけを残して着替えは先に宅配便で送っているので、身軽な物だ。
白いTシャツに、ブルーのジーパン。
足下は、フットワークも軽く履き慣れたスニーカー。
爽やかな俺の心を映すように、午後二時の夏の空は快晴だった。
遠くから、ミンミンゼミの大合唱が聞こえて来る。
「じゃぁ、バーちゃん。又、冬休みに来るよ!」
「ああ。楽しみにしているよ。頼も、体に気を付けて。ああ、これ、お稲荷さん作ったから、電車の中で食べなね」
ニコニコといつものようにバーちゃんが、タッパーに詰めた『お稲荷さん』を手渡してくれた。
バーちゃんのいなり寿司は、お袋の作るのとは味が微妙に違う。もっと、甘くて、しょっぱい。
俺の『田舎の味』だ。
いつもお土産に持たせてくれるこの『お稲荷さん』を帰りの電車の中で食べるのも、楽しみの一つだった。
「サンキュー、バーちゃん」
俺はありがたく受け取ると、ずっしりと重みのあるタッパーを、デイ・バッグの中に詰め込んだ。
「おおーい。車がパンクしとるよ!」
駅まで送ってくれようと、広い敷地の西側にある車庫に軽トラックを取りに行っていたジーちゃんが、慌てた様子で駆けて来た。脇にばーちゃんの赤い自転車、いわゆる『ママチャリ』を引いている。
「時間に間に合わんといかんから、バーさんの自転車を乗って行け。駅に置いておけば、後で取りに行くからな。しかし、今朝までは何ともなかったんだがなぁ……」
「大丈夫だよ。自転車なら十分間に合うから。じゃあ、借りて行くよ」
そう言って俺がママチャリに跨った瞬間、ポツリ、と水滴が鼻の頭に降って来た。
「あれ?」
一瞬、鳥の糞でも落ちて来たかとぎょっとして、鼻の頭を拭いながらを空を見上げる。
ポツリ、ポツリ――ぽつぽつぽつ。
雨だった。午後二時の夏の空は、晴れて澄み渡っている。なのに、なぜだか雨が降っている。
「ありゃぁ!? お天気雨だわぁ! 傘、傘!」
今度は、バーちゃんが慌てて母屋に傘を取りに行くのを、俺は何となく釈然としない気持ちで見ていた。
「んじゃぁ、自転車と傘、借りて行くよ」
「ああ、気を付けて行くんだよ!」
心配げにいつまでも手を振っている二人に、借りたジーちゃんの黒いこうもり傘を持つ手を、掲げて別れを告げた。
古びた赤いママチャリに、黒いこうもり傘。なかなか素敵な出で立ちだが、気にしてる場合じゃない。急がないと、真面目に電車に乗り遅れてしまう。乗り遅れたら、次は一時間後。JRの乗り換え時間にも、全部間に合わなくなってしまう。
俺は、無人駅に続く田んぼの中の真っ直ぐな砂利道を、軽快に飛ばしていた。
五分ほど経ったろうか、突然、ハンドルが右に取られて倒れそうになった。がたがたと自転車が今までと違う振動をする。
「あれ?」
降りて前輪を確認すると、タイヤにぶっ太い五寸釘が刺さっていた。
「何で、こんなトコに五寸釘?」
悩んでる暇はない、とハタと気が付く。とにかく釘をぐりぐりとこじりながら引き抜いた。思わず、抜いた釘とぺしゃんこになったタイヤを見比べて溜息を付く。
今日は、厄日なんだろうか?
ブルブルと頭を振る。気弱になっている場合じゃ無い。俺は、急がなくてはならないんだ!
俺は、パンクしたママチャリに跨った。
相変わらす天気雨は降っていたが、構わず傘を畳んで前かごに突っ込む。
本当なら、パンクした自転車に乗って走る様な真似をしてはいけない。まして、ここは舗装されてない砂利道。パンク修理で済む物を、下手をしたらホイール交換しなければならなくなるのだ。
「バーちゃん、ゴメンよっ! 後で、バイト代入ったら、新しい自転車買うからね!」
俺は、がたがたと、もの凄い振動をする暴れ馬の様なママチャリを、一心不乱にこいでいた。遠くの田んぼの真ん中にポツリと建った、無人駅の青いトタンの外壁が見えて来る。
プオー!
電車が警笛を鳴らしながら、ゆっくりと駅に停車する。
やった! ぎりぎり間に合う!!
そう思った瞬間。
がちゃりと言う嫌〜な音と共に、ママチャリがスーっと止まった。
「……やっぱり、今日は厄日だ……」
ママチャリのチェーンが、何故かブッツリと切れていた。外れたんじゃない。見事に切れていたのだ。
五秒ほどの茫然自失の後、俺はスウッと大きく深呼吸すると、最後の力を振り絞り、ママチャリを引いて猛ダッシュした。
がたがたと暴れるハンドルを握り締め、駅に向かいひたすら走る。
はあはあと息が上がる。
雨と汗で体に張り付いたTシャツが煩わしかった。
無情にも、後二十メートル! と言う所で再び警笛を鳴らしながらゆっくりと、電車が動き出す。
俺はぜいぜいと大きく息を付きながら、定時で発車して行く電車を恨めしげに見送った。
乗り遅れてしまった物は仕方がない。
今更慌ててみた所でどうしようもない。
たまにはこう言う日もあるさ。
俺は気持ちを切り替えると、駅舎の脇にある自動販売機で唯一売れ残っていた缶入りウーロン茶を買い、ぐびぐびと一気に飲み干した。
「はー。疲れた……」
腕で額の汗をぐいっと一拭いすると、駅舎に入る。
駅舎とは名ばかりで「ほっ立て小屋」と言う感じの三畳ほどの木造の骨組みに青いトタン張り。
入り口は、ごく普通の家庭用の引き違い戸。
奥の壁にもやはり家庭用の引き違い窓。
その両方がガラリと開け放たれている。風向きの関係で上手い具合に雨は吹き込んで来ないようだった。次の電車が来るのは一時間後。
俺は、携帯電話のアラームを五十分後にセットし、奥の壁際の五人掛けのベンチで、午後の昼寝としゃれ込む事にした。
幸い、ここは無人駅で滅多に乗客が来ない。
俺はデイ・バックを枕にベンチに横になると、さっきの予定外の運動も手伝ってか、心地よい倦怠感に包まれて、すぐにウトウトと眠りの中へ落ちて行った――。
夢を見ていた――。
白い子犬と遊んでいる、幼い自分。
夏になるとお祭りがある山向こうの神社。そこで飼われていた白い子犬。
「おいで! ほら、こっち! こっちだよ!」
楽しかった。
黒い大きな瞳の、真っ白な子犬。
体に似合わぬ大きなふさふさした尻尾が、跳ねるたびに、ふわりと宙に舞う。
ちりん、ちりん、と俺が首に付けてあげた小さな銀の鈴が、澄んだ音を響かせる。
「おいで……。こっちだよ――」
俺は、その自分の声で目を覚ました。
はっとして腕時計に視線を走らせると、眠り始めて三十分ほどが経っていた。
くすくすくす。
不意に聞こえてきたその声にぎょっとして周りを見回すと、隣に女の子が座っていた。年は、多分同じくらい。
白いワンピースの、色白の女の子。長いストレートの明るい茶色の髪が、夏の日差しに透けて金色に見える。
真っ黒な大きな瞳が、楽しそうに俺を見つめていた。
「あ、ああ! すみません! 人がいるなんて思わなかったので!」
がばっと飛び起きて、あたふたと身繕いをする。
「いいんです。気にしないで下さい」 そう言って又笑う。
「あの、俺、何か寝言、言ってませんでしたか?」
「少し」
「あ、あはははっ」
これは、ついている部類に入るのか、入らないのか複雑な気持ちで俺は頭をかいた。
「あの、ここら辺の人じゃないですよね?」
何か話題を振らねばと、当たり障りの無い話を振ってみる。
同じ地区の同じ年頃の人間は、さほど多くはない。彼女の顔には見覚えが無かった。それとも、俺と同じで、親戚の家に遊びに来ているのだろうか?
「私は、山向こうに住んでるんです」
「山向こうっていうと、峰岸神社のあたり?」
「ええ」
「へえ。あそこの神社のお祭り、毎年行くんですよ。今年も行って来ました。もしかしたらすれ違っているかも知れないですね」
「ええ」
にこにこと相づちを打つ彼女を見ていたら、何故か夢に出てきた白い子犬を思い出した。
白い子犬? 峰岸神社? 夏祭り?
あれ?
何かが心に奥に引っ掛かった。
あの白い子犬。名前、なんて言ったっけ?
いつの間にか居なくなっていた、白い子犬。
シロ? チロ? コロ? チビ?
「ジュン」
「は!?」
「私、巡と言います」
一瞬、白い子犬の名前を言われたのかと驚いたが、彼女の名前だとすぐに飲み込む。
「あ、俺は、頼。飯井頼と言います」
彼女がクスリと笑った。まあ、大抵の人間は、俺が名乗ると、驚くか笑うかする。仕方が無い。半ば悟りの境地で、なんとなく俺は窓の外に視線を走らせた。
「ああ。雨、止んだんですね。雨雲なんて無いのに降るなんて、ちょっと変な雨でしたね」
「狐の嫁入りって言うんですよ。ああ言うお天気雨のこと」
――狐の嫁入りか。
そう言えば子供の頃、そんな話をジーちゃんから聞いたような気がする。
「へぇ。そうなんですか」
俺が答えたその時、ぐう、と彼女のお腹が鳴った。
「ご、ごめんなさい!」
白い顔を真っ赤に染めて彼女がうつむく。俺は、バーちゃんの『お稲荷さん』の入ったタッパーを、デイ・バッグから取り出して彼女に勧めた。
「良かったら、どうぞ。祖母の手作りなんです。ちょっと味が濃いかも知れないけど、美味しいですよ。俺も小腹が空いたので、ちょうど良かった」
若い女の子に、手づかみの物を進めるのはどうかとも、ちらっと思ったが、彼女は、嬉しそうに顔をほころばせて、いなり寿司を一つ手に取った。
「いただきます」
美味しそうにパクッと一口頬張ると、彼女は目を細めてニッコリと笑顔を浮かべた。
「美味しい……」
「それは良かった」
俺も、ぱくぱくと、いなり寿司を口に運ぶ。
甘くて、しょっぱいバーちゃんの味が、口いっぱいに広がる。
その時、俺の携帯電話が鳴った。
俺は残りのいなり寿司を口に放り込むと、携帯の着信表示を確認する。ジーちゃん家からだった。
「あ、ちょっとゴメン」
彼女に断って、駅舎の入り口に歩きながら電話に出る。
――何か、忘れ物でもしたかな?
「はい。もしもしー」
「あんた、生きてるの!?」
むぐむぐと、必死にいなり寿司を飲み込む俺の耳に、大音量のバーちゃんの声が響き渡った。その迫力に、思わずご飯が鼻に逆流して、ぐほっとむせる。
「な、何だよいきなり!? ビックリしたなぁ」
「いきなりも何も、頼! あんた無事なの!?」
「はあ?」
「だって、あんたが乗った電車、脱線事故で怪我人が一杯出てるって、テレビでニュースやってるよっ!!」
――え?
ごちそうさま――。
お気を付けてお帰り下さいね。ライ――。
彼女の、巡の声が聞こえた。
いや、声じゃない。
心に、直接流れ込んだメッセージ。
座っていた筈の場所に彼女の姿が無い。
三畳の狭い駅舎。俺はその入り口に立っていたのだ。彼女が出ていけば、気が付かない筈がなかった。
ケーン――!
甲高い獣の鳴き声が、何処までも続く田園の中に木霊する。
振り返る俺の目に映ったのは、緑の稲穂の中に、ぽーんとトンボを切る白い獣の姿。
白いふさふさとした大きな尻尾が、ふわりと宙に舞う。
細く長く伸びた鼻筋。その上の、黒い双眸が愉快そうな視線を投げてくる。
「白い、狐――?」
ちりんと、俺の足下で鈴が鳴った。
左のつま先に落ちている、小さな古い銀の鈴。
それを手に取り、くるくると回す。
「あ――!」
その鈴の裏側には、見覚えのある下手くそな自分の字で、『巡』と書かれていた。
「助けに来てくれたのかな?」
自動車のパンクに、天気雨。自転車の五寸釘に、チェーン切断。
さぞ孤軍奮闘してくれたであろう白い獣の姿が思い浮かんで、思わず、クスリと笑いが漏れた。
今度来た時は、バーちゃんの『お稲荷さん』を神社にお供えに行こう。
それが、
俺が経験した、ちょっと不思議でおかしな十八歳の夏の出来事――。
―了―
ジャンルは、ファンタジーにしてみました。
前回が、結構長い話しになってしまったので、コンパクトに纏めてみましたが、いかがでしたか?
少しでも楽しんで下さったのなら、嬉しいです。