第2話ダン編 隣のヘラヘラ女
女は塀から飛び降り、こちらに向かって来た。
背は小さく体は華奢で、ちょっと力を込めて叩けば骨が折れてしまいそうだ。
黒い髪は肩に付く程度の長さしかない。
こんな短い髪の女性はトーラでは珍しい。
女は俺に両手を伸ばして言った。
「洗濯、我が家は飛ぶ。ごめーんねー」
……おそらく、『この洗濯物は、私の屋敷から飛んで行った』と言いたいのだろう。
俺が布を渡すと、女は頭を下げた。
「わたーし、サツキ。隣、屋敷、住む」
「隣……? カタヤに? 親戚か?」
女――、『サツキ』だったな、は、首を振る。
「娘ね。ニホン言う国から来た、捕まった」
「捕まった!?」
どういう事だ?
『ニホン』と言う国は知らないが、そこから来て捕まる……。
密入国で逮捕されたという事か。
それでカタヤに保護され、気に入られて養女になった……のか?
異国の者だから、トーラ語が下手なのだな。
「あなーた、どなた?」
「あ、ああ。俺はダン。この屋敷の者だ」
何だかサツキの事情はよく分からないが、訊かれたので取り敢えず名乗った。
「隣ね。宜しく願いまーす」
サツキが手を差し出したので、俺は慌ててそれを握った。
小さく柔らかな手は、ギュッと握ると骨が砕けてしまいそうで怖かった。
「そこで、ちょっと前、鏡、何やってた?」
「え……!?」
「頬、上、下する。顔の、んー、美しい動き似てる」
う……。
『美しい動き』が何かは分からないが、笑顔の練習をしていたなどと知られたくない。
俺は視線を逸らして頷いた。
「ああ、まあ、そんなようなものだ」
するとサツキは驚いた顔をして、更にブハッと吹き出して笑った。
何だ?
何がそんなにおかしいのだろう。
眉を寄せる俺に、サツキは謝った。
「あ……。ごめーんねー」
サツキは布をテーブルに置き、顔を両手で挟んだ。
「わたーし、やる。美しい動き。ほら、上、下、回す、回す、ねー!」
サツキがヘラヘラ笑う。
……もしかすると、馬鹿にされているのか?
会ったばかりの女に……。
衝撃的な出来事だ。
「教えてやる。一緒する。顎の回す、上に。ほら、早く」
サツキが俺の腕をポンポンと叩く。
一緒にやれって?
はぁ……。仕方ない。
サツキの真似をして手を動かす。
そうして暫く二人で顔を擦っていると、カタヤの屋敷からサツキを呼ぶ声が聞こえた。
「サツキ様ーっ!!」
使用人がサツキを捜しているようだ。
「はーい!!」
サツキは大きな声で返事をして、テーブルに置いていた布を持った。
「ごめーんねー。帰る。さよなーらー」
そして軽く頭を下げて塀に向かう。
ちょっと待て。
何故また塀を乗り越えて帰るのだ?
「サツキ」
呼び止めると、キョトンとした顔で振り向いた。
俺は黙って門を指差す。
あそこから出てくれ。
どうやら俺の思いは通じたようで、サツキはもう一度頭を下げて、門に向かって駆けた。
はぁ……。なんだか疲れた。