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国境の空
作:JUS



首都編 34章


 昨日と比べると幾分穏やかな酒宴は、クリス大尉の部屋で、もう三時間ほど続いていた。明日の仕事をさすがに考えているのか、酒量を幾分セーブしている感のあるクリス大尉は、ベランダに出て楽しそうに会話をしているF二五とアキとリーフの後ろ姿を眺めながら、隣に腰掛けている俺に黙って空になったグラスを差し出す。
「ワインが良いですか?ウイスキーですか?」俺がそう尋ねると、クリス大尉は、水、と微笑みまじりに答えた。
「さすがに、今日は昨日みたいには酔えないよ」そう言いつつも、その声は若干残念そうではある。
「確かに、ですね」俺は水差しから氷の入った冷水をグラスに注ぐと、クリス大尉に差し出す。クリス大尉はその水を一気に飲み干すと、今日はそろそろお開きにするか、と呟いて、背もたれに寄りかかり、大きく背伸びをした。
「明日は早いですし、そうした方が良いかもしれませんね。彼女達にも伝えてきます」そう言って俺が立ち上がると、クリス大尉が、頼む、と短く答える。

 リーフとアキは相変わらず仲良く語り合いながら部屋に戻り、F二五は、相変わらず気配の感じられない歩き方で部屋に戻っていく。三人がそれぞれの部屋に戻ってしまった後、散らかったゴミや食器を軽く片付け、俺はクリス大尉の部屋を出た。
 
 言葉が無くなったあとの廊下や、自分の部屋は、酷く静かに感じる。ため息を一つついて、煙草の煙を吐き出すと、窓の外の水路から、水の流れる小さなせせらぎだけが聞こえてくる。ブルームの何処にいても聞こえてくるこの音が、何故かとても懐かしく、愛おしいように感じられた。生まれてから十数年間聞き続けたこの音が、こんなに愛おしく思えるのは、何故なのだろう。軍に入る為に、故郷を初めて離れたときはこんな風には思わなかった気がする。
  
 シャワーを浴び、幾分伸びすぎた感のある髪をタオルで乱暴に拭き、俺はベッドに横たわる。なんだか目が冴えて、すぐには眠れそうになかった。俺はベットサイドの電灯を消し、真っ暗になった部屋の中で、落ち着かない気持ちのまま何度も寝返りをうつ。
 
 結局眠りにつけないまま、俺は部屋を出ると、エレベータに乗って、展望ベランダに向かう。少し気分を変えた方が良さそうに思えた。
 
 ベランダには驚いた事に先客がいた。ベンチに座っていたその先客はドアの開く音に少し驚いたのか、顔を上げて、切れ長の目をほんの少し見開いている。
「何?」
「アキこそ、何やってんだよ」夜の闇の中から問いかけられたアキの声にそう答えると、アキは、何も答えずに視線を俺から逸らした。
「……眠れない」アキはそれだけを呟くと、頭を上げ、ブルームの秋特有の雲のない星空を見上げる。
「俺と一緒だ」俺はアキの隣に腰掛けて、アキと同じように星空を見上げてみた。秋の星座が幾つもくっきりと見える。

「……大尉が、連れて行ってくれると言ってくれた」しばらくの沈黙の後、アキが不意にそう呟いた。声の響きだけではよくわからないが、おそらく、アキは嬉しかったのかも知れない。不安まじりの嬉しさではあるのだろうけれど。
「よかったな」俺がそう答えると、アキは無言で頷く。

 アキは、それっきり口を開かず、俺も、なんとなく口を開く気にはなれず、お互い無言のまま、俺たちは星空を眺め続ける。
 
「リーフも、多分まだ起きている」アキがそう呟くと、俺の方を見た。
「……あいつ、何か言ってたか」
「心配と言っていた。カイルがちゃんと帰ってくるかどうか」
「無事に帰ってくるって約束してるんだ。ちゃんと、ブルームまでさ」俺がそう言うと、アキは、そう、と呟いて、ポケットから何かを取り出すと、それを俺に差し出した。
「……これ、確か、ボストの……」それは、昔、アキから見せてもらった事のあるボストの硬貨だった。アキの仇のボスト、ロシュビッチ大統領の姿が刻印された硬貨。こんなものを何故俺に渡すのか解らないまま、俺がそれを眺めていると、アキは、捨てて、と言った。
「いいのか?」俺の問いに、アキは迷いの無い目で頷く。

 ベンチから立ち上がり、振りかぶって、ベランダの向こうの星空に向けてコインを思いっきり力を込めて投げると、月明かりをほんの少しだけ反射させて、放物線を描きながらコインが消えていく。
 
「よかったのか?」俺がベンチに再び腰掛けてそう尋ねると、アキは頷いて、もう必要ない、とはっきり答えた。そして、何かを振り切るように勢い良くベンチから立ち上がると、もう寝た方が良い、と言い残し、ベランダから去っていく。

 それからどれくらいの時間が経ったのだろう、俺が立ち上がり、廊下に出るドアに向かって歩き出すと、ほんの少しではあるけれど、右手の手のひらが疼いた。細い、小さな針でつつかれたような、僅かな痛み。虫にでも刺されたのかと思い、手を見ても、痛みの原因になるような痕跡は何も無かった。何度か強く手を振ると、疼きはゆっくりと消えていく。
 
 エレベータを下り、廊下を歩いていくと、俺の部屋の前には、パジャマに白いコートを羽織ったリーフがいた。俺の姿を見つけると、何かを言いだそうとして、そのまま視線を落とし、口ごもる。
「どうした?」そう尋ねながら、俺は、リーフの姿を認めた途端に、身体の端から端までが柔らかい暖かさに包まれていくような安心感に包まれていた。どうしてなのだろう、と俺は改めて思う。守ってやると決めた筈なのに、最近は、俺がリーフに守られているような気さえした。ボストの軍人を殺した時にも、今、戦場に向かう不安に駆られている時も、リーフが側に居るだけで、どうして、俺は不安や、痛みを忘れられるんだろう。
「……アキさんが、カイルがまだ起きてるって」リーフは、無理に作ったような笑顔でそう呟く。
「眠れなくてさ。なんでだろうな」俺がそう答えると、リーフは笑顔をゆっくりと消して、慈しむような表情で、俺の頬に触れた。

 狭いベッドに俺が横たわると、ベッドサイドの椅子に腰掛けたリーフが、白い柔らかな手を俺の額に優しく乗せた。
「眠れるまで、側にいるから」
「……リーフが眠れなくなるぞ、そんな事してたら」俺がそう言って立ち上がろうとすると、額に乗せられた手に僅かに力が込められる。
「そうやって、動くから、眠れなくなるんだよ?」子供に言い聞かせるようにリーフはくすくすと笑いながらそう言った。
「……なんか、子供みたいだな。俺」
「そうだね。本当に子供みたい。心配で心配で、一緒に……いたくなる」

 リーフは、俺の額からゆっくりと手を離すと、コートを脱いで俺の隣に横たわり、俺の首に両手を回して、どう考えても強すぎる力で思いっきり抱きしめた。
「痛い?」悪戯っぽくリーフがそう呟くのが耳元から聞こえた。
「痛いけど、嫌じゃない」俺がそう答えると、リーフは力を緩めて、俺の頬にまた、手を触れる。
「……リーフは好きだよな、ほっぺた触るのが」俺は触れられたその手に、自分の手を重ねた。この手を離さないと誓った時の事が、何故だか鮮やかに脳裏に浮かんでいく。

 どちらが先に眠りについたのかは解らない。俺とリーフは、子供が遊び疲れて眠るように、二人抱き合ったまま、深い眠りに落ちていく。このまま、朝なんてこなければいいと、俺は思う。暖かく穏やかな眠りの闇に落ちながら。







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