首都編 19章
森を横切る細い道から、F二五は躊躇無く森の中に分け入っていく。俺は周辺を警戒しながらF二五の後を追う。背の高い針葉樹林は葉が少なく、俺たちの姿を隠すには心細い。足場の悪い森の中に躊躇無く足を進めていくF二五の背中を見ながら、何があったのか解らない俺は、ただ不安と緊張の中で、辺りを見回す。誰かが付けてきている気配は無かった。
「どうしたんですか、急に」
「広場に、武装している人間が複数いました。気付きませんでしたか?」俺はF二五のその言葉に驚く。武装どころか、棒切れを持っている奴でさえ見当たらなかった気がした。
「スーツの男が二人。上着の膨らみ具合から推測するに、おそらく大形拳銃を脇に吊っていると思われます」F二五はそう続けて、俺を見ると、ため息を一つつく。
「そんなの、わかりませんよ」俺が不満げに口にすると、F二五は、マスカラで彩られた、いつもより大きく見える目で、俺を睨んだ。
「敵の状態を、与えられた情報、推測できる情報から、なるべく正確に予測することは、とても大切な事ですよ。これは諜報に限らず、です」F二五はそう言うと、腰掛けるのにちょうどいい倒木に腰を下ろし、俺に隣に座るように促す。
「おそらくですが、武装していた二人組は警察関係者ではありません。警察の、特に公安の人間はあんなすぐに解るような武装の仕方はしないでしょうから」俺は、隣に座っているF二五が語りだす内容に、無言のまま耳を傾ける。どうやら、あの集会の様子だけで、F二五はかなりの情報を収集したらしかった。俺と言えば、教祖の訳の分からない話に呆れ果てていただけだったのだが。
「あの二人組が、なぜあそこに残っていたのかは解りません。私たちを追ってこないところを見ると、我々に危害を加えるような意図はなかったようですが」
「教団が何かを警戒している、ということは確かだ、ということですか?」俺がそう聞くと、F二五は少し目を細めて、俺を見た。こんなときまでF二五は演技を続けている。F二五の妖艶な笑みから、俺は目を逸らす。
「そうですね。正解です。何を警戒しているのかは解りませんが、銃器で武装しなければ排除できないほどの脅威なのでしょう」
「……どうします?あの地図の集会場所、でしたっけ。行くんですか」俺が苦笑いを浮かべながらそう聞くと、F二五は、そうですね、と呟き、しばらく無言のまま考え込む。
「とりあえず、あの地図の周辺まで行ってみましょう。周辺の状況を見て、集会に参加するかは考えます」F二五は二、三分、無言でいた後、勢い良く立ち上がり、俺を見下ろすとそう言った。俺はF二五を見上げて、了解しました、と答える。俺たちはSUVを停めた駐車場まで歩いて、車に乗り込み目的地に向かう。
教団の建物は古い石造りの教会だった。キリスト教の教会だったようだが、三角屋根の十字架は取り外され、ステンドグラスには教団のマークなのか、大きな黒い十字が書かれている。どことなく気味が悪い建物だ。入り口には例の裾の長い青の民族衣装を着た男二人組が立っており、周辺を落ち着かな気に見回している。俺とF二五は道向かいの喫茶店に入り、窓際の席を確保すると、教会の様子をしばらく眺める。ウェイトレスが運んできたコーヒーはとうに冷め、F二五は窓の向こうの教会に視線を向けたまま、一言も言葉を発さない。
「で、どうします?」俺が沈黙に耐えかねてそう聞くと、F二五はゆっくりと俺の方を振り向き、上目遣いの不機嫌な視線を向ける。
「様子を探りたいのはやまやまですが、あれではいざという時の逃げ道の確保が難しそうです。別の手段を考える必要がありますね」俺は呟くようにそう答えたF二五に、それが妥当ですよ、と慰めるように付け足す。石造りの教会の両脇、背後には高々といくつものビルが建ち並び、建物同士が数十センチの間隔で密着したその空間から考えるに、あの教会の出口は正面しか無いとしか考えられない。もし、中でなにかトラブルが起これば、とても逃げ切れたものではない。
俺とF二五は、喫茶店を出ると、どちらが言いだすでも無くSUVを駐車した、教会近くの人気の無い駐車場に足を向ける。とりあえず、車に戻って、クリス大尉に現状を報告し、指示を仰いだほうが良さそうだった。SUVのドアを開け、俺が運転席に、F二五が助手席に座る。もう時間は夕方に近い。傾きかけた太陽に照らされて、人気の無い駐車場が、少しづつオレンジに染まっていく。俺が通信機のスイッチを入れ、マイクを手に取ると、F二五は、クリス大尉には私が報告します、と言い、俺からマイクを奪う。俺は右手から強奪されて、F二五の手に渡ったマイクを呆然と眺める。
「……なんですか?」F二五は少し不貞腐れた様子でそう言った。思ったより成果が上がらなかったことが気に入らないのだろう。俺はやれやれとため息まじりに心中で呟く。通信先のチャンネルを回し、もうすぐ繋がりますよ、と俺がF二五に言おうとしたその時、俺に取っては聞き慣れた、鋭い破裂音が車の外に響いた。
「銃声?」F二五がそう呟くより早く、俺は車から飛び出し、辺りを見回す。左脇に吊ったナイフの柄に俺は右手を当て、銃声のした方向を確認した。駐車場の奥の、高さ50センチメートルほどのフェンスの先にある、ビルとビルの間の細い路地。その路地をまっすぐにこちらに向かって走ってくる二つの影が見えた。俺はSUVの影に隠れ、車中のF二五に身を伏せるように素早く指示をする。F二五は俺の指示を受け、まるで猫のように素早く、後部座席に身を滑らせ、身を伏せる。車ごしに覗き込んだその路地には、若い二人組の男女の姿が見えた。背後を気にしながら走るその様子を見るに、どうやら、この二人は何かに追われているようだ。手に武器も持っていない。俺は車の陰から飛び出し、フェンスまで駆けると、フェンスの上端に手をかけ、懸垂の要領で一気に身を乗り出し、二人組の前に飛び降りた。二人組はかなり驚いた様子で、俺の姿を見る。
「何があった」そう聞いた俺に、女が、助けてください、殺される、と短く叫ぶ。同時に路地の向こうからまた銃声がして、ビルの壁に当たり、おそらく跳弾だろうが、反対側の壁に走っている配管をそれは貫通した。管から真っ白な蒸気が吹き出し、男が女を庇って、地面に女を引き倒す。俺は銃を持って来なかった事を悔いる。この細い、まっすぐな路地でナイフを使って相手を圧倒するには接近戦に持ち込むしかない。地面に伏せた二人が無事な事を確認して、顔を上げると、路地の向こうには銃を持ったスーツ姿の男が見えた。俺は身を低くして出来うる限り早く男の元に走る。男はまっすぐに走り寄ってくる俺に驚いたのだろう、銃を構える動作に一瞬のためらいを見せる。距離は約四から五メートル。俺はその距離を一気に縮めると、銃が握られた男の右手にナイフを跳ね上げる。黒い銃身にナイフの刃が当たり、白い火花が散った。銃をナイフで跳ね上げた俺は、その反動を利用して、勢いを付けた右膝を男のみぞおちに叩き込む。気絶してくれれば言う事はない。思っていたよりも重い衝撃が俺の右膝に走り、男がなにかつぶされたカエルのような声を上げ、地面に突っ伏す。俺は男の右手から落ちた銃を奪い、倒れた男の頭にその銃を突きつける。男は銃を突きつけられても微動だにしない。狙い通り、気絶してくれたようだった。
俺は、路地の突き当たりのフェンスによりかかって放心状態になっている二人組に近づく。ジーンズにTシャツというラフな格好の上にジャケットを羽織った若い男と、ファルト教団の装束を身に着けた若い女。おそらく、俺が気絶させたスーツ姿の男は、この二人を殺す気だったのだろうと思う。でなければ、こんな路地で警告も無く発砲などしないだろう。
「何があった?」そう尋ねた俺に、若い男は我に返ったのか、目を見開き、ジャケットの内ポケットに右手を差し入れようとする。
「動くな」俺は短くそう叫ぶと、銃を男に向ける。男は手を止めると、おびえた表情でゆっくりと両手を上げた。
「……俺は警察官だ」男は弱々しくそう呟く。俺は銃を向けたまま男の元まで歩き、男のジャケットの内ポケットに手を突っ込み、その中にある手帳を手に取る。手帳の青い表紙には『首都警察本部』という箔押しの文字があり、表紙をめくった最初のページには制服を着た男の写真が貼付けてある。俺はその写真の男と、目の前でおびえている男の顔が同じである事を確認すると、銃を下ろす。
「誰かがくる前に、ここを離れたいんだ。あの車、あんたのだろ。頼む。すぐにここから俺たちを連れて逃げてくれ」男は俺にそう懇願する。
人目についてはまずい任務の最中である以上、この場所を一刻も早く離れなければならないのは俺も同じだった。この二人を襲ってきた男が、まだ気絶している事をもう一度素早く確かめると、俺は二人を後部座席に乗せ、F二五に奪った銃を渡し、車のエンジンを掛け、とりあえず目についた空いている道路に向けて車を走らせる。なるべく遠くへ、短時間で移動する必要がある。幸い、この駐車場周辺に人気は無く、いまのところ、集まってくる人間の姿は無かった。とは言っても銃声や、配管の破裂音は周辺に確実に響いている。遠からず人が集まってくる事は明白だ。
「俺は運転に集中します。ジョディ、彼らから事情を聞いてください」俺がハンドルを乱暴に操作しながら、F二五にそう告げると、F二五は素早く頷いた。 |