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国境の空
作:JUS



首都編 17章


 実家に帰ると、いつものように親は既に寝ており、リーフだけが俺を出迎えてくれる。リーフが煎れてくれた紅茶と、用意してくれた簡単な夕食を食べながら、俺は昨日の事を思い出す。若干の恥ずかしさがあって、お互いその事には触れることはないが、時折視線が合うと、リーフは目を伏せて、微かに顔を赤らめていたりする。
 
「明日、首都に行くんだ。何か買ってこようか?欲しい物とかあるだろ?」俺がそう口を開くと、リーフは目を上げて、いいよ、と遠慮がちに言う。
「私、ただでさえ迷惑かけてるのに」
「いや、迷惑とか別にかかってないから。店も手伝ってもらってるし、ほら、昨日は俺も迷惑かけてるしさ」昨日、という単語の辺りで、リーフはまた顔を赤くする。こういう純真な所は、リーフのいい所だと思う。
「いいから、欲しいもの、教えてくれ」俺は顔を赤くしたまま俯いているリーフにそう尋ねる。

「時計、かな」しばらく考えた後で、リーフはそう言った。
「パンを焼く時に、便利なの。時計があると。時間とか計れるし」
「わかった。リーフに似合うのを、探してくるよ」俺がそう答えると、リーフは首を振る。
「女の子向けの、とかじゃなくて、頑丈なのがいいの。水とかかかるし、防水だったらいいな」リーフはそこまで話して、一旦沈黙すると、ごめんなさい、と一言呟く。
「なんで謝るんだよ」俺がリーフの顔を覗き込むと、リーフはばつの悪そうな表情で俺を見た。
「……時計とか、やっぱり悪いもん」しばらく沈黙したあとリーフはそう呟いて下を向く。あいかわらず、遠慮がちなところは変わらないな、と俺は思う。
「あのさ、遠慮しなくていいんだぞ」俺は小さくため息をついて、そう言うと、リーフは俺を見上げて、ありがとう、と答える。リーフの顔には赤みが差した笑顔が浮かんでいた。疲れが一遍に吹き飛んでしまいそうな笑顔だった。

 夕食を終え、俺が納屋に帰ろうとすると、リーフが俺のシャツを軽く掴んで、俺を引き止める。前にもこんな風に引き止められた事があったな、と俺は思う。確か、リーフに謝りに行った時だった。国境で過ごした時間。なんだかそれが不意に頭に浮かんだ。
「あんまり引き止めると、昨日みたいに甘えて縋り付いたりするぞ」俺がふざけてそう言うと、リーフは頬を膨らませる。
「じゃあ、いい」俺から目を逸らしてリーフは不満げにそう答える。まずい、怒らせたのかもしれない。俺が、ごめん、と言うと、リーフは頬を膨らませたまま、まっすぐに俺の目を見た。
「いつも、私がしてあげてるでしょ、ほら、あの」顔を赤くしながらリーフはそう言って口ごもる。
「いろいろリーフにはしてもらってるけど、なんだ、お茶か?、ご飯か?」俺のその言葉に、リーフは首を振る。
「そう言うのじゃなくて、ほら、頬に……」そこまで話すと、リーフの顔は真っ赤になって、俺から目を逸らしてしまう。頬、と言われて、俺は気付く。いままでに二回。リーフから俺がしてもらった事を。

 俺はリーフの前に屈んで、リーフの顔の高さに自分の顔の高さを合わせると、リーフの頬に唇を近づける。リーフは恥ずかしさが最高潮に達しているのだろう。真っ赤な顔のまま目を強く閉じている。やがて、俺の唇がリーフの頬に触れると、リーフはおずおずと両腕を俺の首に回す。
「あんまり、時間かけると、母さんとか父さんに見つかるぞ?」俺がそう言うと、もうちょっと、とリーフの小さな声が返ってくる。

「あのね、カイル」リーフは俺の耳元で囁くように言った。
「私って、カイルの何になるのかな?」リーフの問いに俺はなんと答えたものか戸惑う。明らかに俺はリーフの事が好きな訳だし、リーフだって、普通の好意を超えたものを俺に抱いていてくれているのは解っている。ただ、それは、なんだか、恋人、とか、彼女といったような軽いものでは無いような気がした。
「守るって、前に言ったろ」俺がそう囁くと、リーフは小さく頷く。
「あれはさ、あの、戦争が終わるまで、とかそういう、期間限定の意味じゃなくてさ。何て言ったらいいのかな」俺がそうやって口ごもっていると、リーフが顔を俺の肩から外して、俺の顔を直視する。
「ずっと、守るってこと?」リーフが真剣な表情でそう問いかける。俺はその問いに頷きを返す。
「リーフの側で、ずっと、守ろうって思ってる。だから、なんか、彼女とか、恋人、っていうよりもさ。もっと」俺はうまく言葉にできない自分に苛立ちながら、言葉を続けて行く。
「簡単に言えば、あれだ。戦争終わっても、ずっと側にいてほしいっていうか、解るだろ?大体」
「解んない。ちゃんと言ってくれないと」リーフはまた頬を膨らませる。俺はため息を一つついて、深呼吸をする。ずっと守りたくて、戦争終わっても一緒にいてくれってことは、どういうことか。解ってもらえそうな気もするが、はっきり言葉に出せということでもあるのだろう。俺は俺に向けられたリーフの瞳をまっすぐに見返して、口を開く。
「お嫁さんになってください、ってことになる、のかな」
「ことになるのかな、は、よけい」リーフがそう言いつつも恥ずかしさと嬉しさが半々に入り交じったような笑みを浮かべる。俺はリーフの頬に両手を当て、リーフの顔を覗き込む。
「……返事は、どうなんでしょうか?」俺がそう聞くと、リーフはなにか楽しげな悪戯を思いついたような目で俺を見る。
「戦争が終わって、カイルがちゃんと無事に帰ってきたら、返事する」
「あの、結構気になるんだけど……」俺が若干不満げにそう呟くと、リーフは、俺のその様子を楽しそうに眺める。
「聞きたかったらちゃんと無事に帰ってきて」リーフは笑顔でそう言い残すと、俺の手をすり抜けて、小走りで部屋に戻っていく。

 翌朝、なんとなく楽しげに看板を拭くリーフの様子を眺めながら、俺は車に乗りこむ。返事を聞きたければ、無事に帰ってこい、か。俺は解析施設に向かう車の中で、昨日のリーフの言葉を頭の中で何度も繰り返す。
 
 なんとなく上の空のままで、情報部別室のドアを開けると、クリス大尉も、F二五も、アキもおらず、見慣れない若い女が一人で椅子に腰掛けていて、俺は驚くことになった。女は黒いワンピースに白のカーディガンを羽織り、ポニーテールにした髪を、白く細い手で、物憂げに撫でている。白肌に浮かんでいるように見える鮮やかな色の唇が、妙に艶かしい。
「あの、どちらさまでしょうか」俺が多少緊張しながらそう聞くと、その女は怪訝そうな目で俺を見た。
「F二五です。何を言ってるんですか、朝から」いきなりそう言われて俺は目を丸くする。確かに声はF二五のものだったが、容姿も、印象もまるで違う。

「あの、化粧とか、いつもしてないですよね。なんか別人にしか見えないんですけど」俺がそう聞くと、F二五はいつもは見せない、なんだかひどくさわやかな笑顔を浮かべる。
「印象を変えるのは、大事ですよ。特に諜報部員に取っては」楽しげにそう口にするF二五は、俺の側まで歩いて来ると、首を少し傾げて俺の顔を覗き込んだ。
「カイルさんも同じです。今日は一般人になりきって、首都に潜入するんですよ?服もいつものままだし、それでは駄目です」F二五はそう言って、俺の軍服を人差し指で軽くつついた。仕草までいつもと違う。こんなになりきらなくてもいいのに、と俺は思うが、確かに軍人という事が気付かれてはまずい任務である以上、F二五の言う事は間違いではない。いつもとここまで印象が違えば、普段のF二五と同じ女性だとは誰も思わない。
「服は、私服を着ます。ロッカーに置いてるんで」俺が少しどぎまぎしながらそう答えると、F二五はかわいらしい仕草で人差し指を俺の額に当てる。
「髪型もです。前からカイルさんはオールバックとかが似合うんじゃないかと思っていました。整髪料、持っていますか?」俺が、多分ロッカーに、と言うと、F二五は、じゃあそれも持ってきてください、と有無を言わせない口調で告げた。

 クリス大尉は、俺が私服に着替えさせられ、髪をオールバックにされた直後に部屋に入ってきた。何故かクリス大尉は俺のようにF二五に気付かないということはなく、今日は奇麗だな、とF二五に声をかけて、席に着く。いつものようにあくびまじりの背伸びをした後、さて、とクリス大尉は呟き、俺たち二人を眺めた。
 
「今日、首都に潜入するにあたっては、各自に武器の携帯を認める。まあ、私服だし、あんまり大げさな物は持っていけないだろうけど。武器のチョイスは任せるよ。ナイフとかがベストだとは思う。あと、二人とも首都では偽名を用いるように。カイルはジョン、F二五は、そうだな、ジョディとかで。徹底しろよ」楽しげに指示をするクリス大尉を眺めながら、俺は少し憂鬱になる。命令を盾にからかわれている感がしないでもない。
「例の教団の集会は、首都中央広場で十三時から開催される。通りがかりを装って、これに参加するように。終わった後にどうせ教団施設へ誘われたりすると思うので、そういう機会を逃さないようにしてくれよ。できれば教団のやつと世間話でもしつつ、教団の内情、集会への参加人員数なんかの情報を収集できるだけ収集してくれ」クリス大尉はそこまで言い終えると、席を立って俺の前まで歩いてくる。なんだろうと訝しがる俺に、クリス大尉は、私服似合わないねえ、と呟く。余計なお世話だとは思うが、俺自身も確かに似合っていないとは思う。いつも軍服ばかり着ていると、どうも姿勢やら、雰囲気に軍人の色がついてしまうのだろう。
「カイル、お前は特に気をつけろよ。今回の件はボディガードとして参加くらいに思っておけ。こういう任務はF二五の方がプロだ。現場では、なにごともF二五の指示に従うように」そう言って俺の肩を軽く叩いたクリス大尉は、次にF二五の方に振り向く。俺もつられてF二五を改めて見る。いまのこの人からは、軍人の色が全く感じられない。F二五は、いいところのお嬢さん風でありながら、なんとなく妖艶という不思議な感じを漂わせ、穏やかな笑みを口元に浮かべている。
「F二五、カイルがぼろを出さないようによくフォローしてやってくれ。あと、身分がばれそうになったり、身の危険を感じるような事態があれば即座に撤退しろ。無理して深追いは決してしないように」クリス大尉のその言葉にF二五は優雅な笑みを返すと、了解しました、と静かに答える。

 十一時になり、俺とF二五が、あらかじめ用意されていた白い四人乗りのSUVに乗り込むと、クリス大尉はあきらかにおもしろがっている表情で、運転席の俺と助手席のF二五を眺める。
「やっぱり、カイルにはリーフちゃんが似合うなあ。F二五だと大人っぽすぎてさ。なんかすごい不自然っていうか、不釣り合いだな」俺はクリス大尉が呟いたその言葉に苦笑いを返す。
「不釣り合いなのは解ってますよ。しょうがないでしょう」俺が若干ふてくされながらそう答えると、助手席のF二五が、そんな事はありませんよ、と慰めるように呟く。
「いまのカイルさんは、いつもより、素敵です」F二五はそう言ってにこやかに微笑んでいる。俺はその姿を眺めながら、まだ潜入している訳でもないのに、と思う。容姿だけならともかく、口調から、仕草から、容姿までこうも変えられると、正直、別人としか思えなかった。俺はため息をついてハンドルを握り、窓の向こうで楽しげに笑みを浮かべて、気をつけろよ、などとのんきな事を言っているクリス大尉を見る。
「いってきます。戻りは不確定ですが、首都を出る際にはこちらに連絡をいれますので」
「了解。F二五の言う事をちゃんと聞くようにな」クリス大尉はそう答えて、解析施設の建物に戻っていく。

 首都に向かう車の中で、F二五は潜入任務に於いて気をつけなければならない点を簡潔に述べていく。もちろん、優雅で妖艶な今のF二五バージョンの口調のままで。
「いいですか、カイルさん。基本は簡単です。なりきること。これにつきます」断定するようにF二五がそう言って、俺に笑いかける。
「なりきるといっても、俺はF二五さんみたいにはいきませんよ」俺がおそらく相当に弱気に見えるであろう表情を浮かべながらそう答えると、F二五は、とりあえず、と口を開く。
「とりあえず、私をF二五と呼ぶのをもう止めてください。ちゃんと、ジョディ、と呼ぶように」
「ジョディ、さん。ですか?」
「さん、はいりません。ジョディ、で結構です。私も、ジョン、と呼び捨てにします」そう言ってから、F二五は、ジョン、となにかどこかに誘うような口調で俺に呼びかける。
「あのですね、F二五さん……」俺が心中に大量の困惑を抱えながらそう言うと、F二五は、ほらまた、と言って、俺の言葉をそこで遮る。
「F二五、ではなくて、ジョディ、です。今からそんな調子では絶対にぼろがでますよ?」咎めるような口調でF二五は俺にそう言う。
「ジョディさん、いまから一時間くらいでそんなすぐには……」
「さん、はいらないと、いいましたよね」なんだか凄みのある目つきでF二五は俺を見据える。

 それから首都につくまでの一時間ほど、俺は苦行としか思えないF二五の演技指導を受け続けた。正直、格技の訓練や、グラウンドを走り回らされるほうが、どれだけ楽だったかわからない、と俺は思う。今日一日で、俺はおそらく心底疲れてしまうだろう。俺はこんなどうみても俺向きではない任務を与えたクリス大尉に心中で呪詛の言葉を何度も投げかけていた。







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