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国境の空
作:JUS



首都編 5章


 家に帰ると、リビングでリーフが一人、ぽつんと座っていた。俺の姿を認めると、何だか安心したようにリーフが微笑む。
「母さんは?」辺りを見回して、俺はリーフに尋ねる。
「お父さんを迎えに行くって言ってた」リーフがそう言って、玄関の方向を指差す。
「そうか。あ、弁当、もらってきた。おなか空いたろ。食事にしよう」俺がそう言うと、リーフが嬉しそうに頷く。

 ビクセン軍曹お手製の弁当は、冷めていても味が不思議なほど落ちていない。大抵は肉の油なんかが固まって、多少は味が落ちるものだが、どういう訳か、ビクセン軍曹の弁当はそうではない。調理の仕方になにかコツでもあるのだろうか。
「本当に、軍の弁当とは思えないよな、これ」俺がそう呟くと、リーフが食事の手を止める。
「首都はまずいって前にいってたよね。そんなに美味しくないの?」俺は以前いた首都警備隊の糧食を思い出す。
「まずい、ってはっきり言えるほどじゃないんだけどさ。好んで毎日食べたいかっていうと微妙なんだよな。後を引かない味っていうかさ」
「ぜいたく」リーフがそう言って口元に笑みを残したまま、俺を少し睨む。
「だよな。でもさ、ビクセン軍曹の料理になれちゃうとどうしてもさ。なんでだろうな。素材は一緒なんだぜ。軍で一括購入してるんだから」
「なんでだろうね。でも、ビクセン軍曹とくらべたらかわいそうだよ」リーフはそう言って俺に笑いかける。
「まあ、いいや。味わって食べるよ。しばらくビクセン軍曹の飯は食えないし」俺がそう言うと、リーフも、そうだよね、と答えて、少し寂しげな表情をする。

 ちょうど食事を食べ終わった頃、玄関の方から、なにかどたばたと音が聞こえた。酔った父さんを母さんが運んできたんだろうなと思い、玄関に向かう。玄関では、父さんがふらつきながら母さんの肩に寄りかかっていた。
「父さん、お帰り」俺がそう言うと、父さんはにやにやと笑って俺を見る。俺がその表情に少し怯むと、父さんは俺の肩を少々強すぎる力で叩く。
「お嬢様を連れて帰ってきたってな」なんだか楽しげに父さんはそう言った。
「上官の娘さんだよ。いろいろ事情があってさ。母さんから聞いてるだろ」俺がそう答えると、父さんは母さんの方を見て、聞いてたっけ、とろれつの回らない口調で言う。
「話したでしょうに。あんた、お金はいらないって珍しく良い事言ってたじゃないの」母さんがそう言うと、あの事か、と父さんは呟く。
「どれ、挨拶でもしようかな」そう言うと、父さんは母さんの肩に寄りかかったまま、リビングに向かう。

 リビングで、初対面のリーフに、宜しくお願いします、と告げられた父親は、こちらこそよろしく、となんだかはっきりと答えた。さっきまでろれつが回らなかったくせに、と俺は思う。しかも、父さんはなんだか少し照れているように見える。リーフから目をそらしつつも嬉しそうな表情を浮かべていた。
「いろいろご迷惑をかけて、すいません」リーフがそう言って頭を下げると、父さんは、いやいや気にしないでいい、と大声で言う。
「リーフさんのお父上にうちの息子も世話になってる。お互い様さ」父さんのその言葉にリーフは僅かに目を伏せた。
「まあ、ゆっくり過ごすと良いさ」父さんはそう言って俺の背中をまた叩くと、明日の仕込みがあるので、と言い残し、寝室に向かう。

「お風呂入れたから、リーフちゃん先に入りなさい」母さんがおそらくリーフの着替えなのだろう、衣類を抱えてリーフに渡す。
「あ、私、後でいいですから、」とリーフが遠慮がちに言うと、お客様なんだから、と母さんが有無を言わさない口調で告げ、リーフを半ば強引に風呂場に連れて行く。俺はその様子を見ながら、ため息をつく。リーフを風呂場に連れて行って、リビングまで戻ってきた母さんは、俺の前に座って、なんだか意味ありげな笑みを浮かべる。
「なんだよ」
「あんた、リーフちゃんと仲いいの?」
「仲がいいっていうか、まあ、悪くはないよ」俺がそう答えると、ふーん、と母さんは言う。
「あんた、クリス少尉みたいにお嬢様とか呼ばないじゃないの。呼び捨てでしょ」痛い所をついてきたなと思う。
「リーフからお嬢様っていうのは止めてって言われたからだよ」嘘を隠すためにまた嘘を吐くというのは、なんとも後味が悪い。後でリーフとも話を合わせておかなければならない。
「まあ、いいけど。でも、リーフちゃん、可愛いわねえ。母さん、気に入ったわ。お店に立ってもらおうかしら。うちの制服も似合うと思うのよね」
「制服ってあれか、あの趣味の悪いやつか」俺は出来の悪いメイド服の様だったうちのパン屋の制服を思い出す。母さんが自分の趣味で作らせたのは良いが、従業員のおばさんは着ようとせず、母さんは喜んで着ていたが父さんから、頼むからそれ着て歩くのは止めてくれ、と言われた一品だ。
「趣味は悪くないわよ。母さんがもう少し若くて、もっと若い女の子がうちの従業員だったら、とても似合ってたと思うわ」
「でも、母さんはおばさんで、従業員もおばさんだろ」俺がそう言うと、母さんは、リーフちゃんは違うでしょ、と答える。
「あのさ、リーフに無理させてそんなもん着せたりとか、しないでくれよ。母さんの着せ替え人形じゃないんだからね」
「そんなことしないわよ」そう言いながらも母さんはばつが悪そうに俺から目を逸らす。たぶんあれを着せる気なのだろう、なかば強引に。
「母さん、リーフはああいう子だから、嫌だなあ、って思っても、口に出せなさそうってのは解るだろ」
「まあ、ねえ。そこがなんとも言えず良い所よねえ。あんな娘がほしかったわ」母さんはそう言って、非難がましい目で俺を見る。
「あんたが男の子じゃなかったらねえ。あんたは中学に入ったらもう母さんには寄り付かなかったし」
「女の子だったら、二十過ぎたら大体嫁に行くんだぞ。男だろうが、女だろうが、家からいずれ出て行くのは当たり前だろ」俺がそう言うと、母さんの目がなんだか鋭く光った。俺は自分の発言の中にとんでもない言葉を入れてしまっていた事に気づく。
「そうよねえ、お嫁さんよねえ」ごまかす暇もなく、母さんはそう呟く。
「あんた、リーフちゃんみたいな娘、っていうか、リーフちゃんに頼んで見なさいよ」ほら来た、と俺は思う。俺は母さんを軽く睨む。
「母さん、世話になってる上官の娘さんって言ったろ。頼むからリーフに嫁に来てくれとかそんなことを言うのだけは止めてくれよ」俺は懇願するように言う。そんなことを言われれば、リーフが困り果てるのは目に見えている。
「世話になってる上官の娘さんなら、なおさらいいじゃない」母さんは尚食い下がる。
「あのな、リーフはいろいろ辛い事もあって、ずっと悩んだり、きつかったりしてるんだ。お願いだからさ、しばらくはリーフにゆっくり平穏な日々を送らせてやってくれよ。母さんがリーフに訳が分からないことを言ったり、無理に変な事をさせたりしたら、俺は本当に怒るからね」俺がそう言って、真剣な目つきで母さんを見据えると、母さんは、そんなに怒んなくてもいいじゃない、とむくれてしまった。俺は少し強く言い過ぎたかも知れないなどと思いつつも、この人はこれくらい言っておかないと何をするかわからないとも思った。昔からこんな人だったのだから、今更いくら念を押した所で無駄かも知れない。
「まあ、いいわ。リーフちゃんは可愛いし。いろいろ楽しみだわ」歌うようにそう呟いた母さんを見ながら、俺は、後でリーフには事前に謝っておこうと考えていた。

 リーフが風呂から上がってくると、俺は母さんに、先に入ってきて、と告げ、リーフと何か話したそうなそぶりをしている母さんをむりやり風呂場に追いやる。リビングに戻ってくると、猫の足跡の模様が沢山プリントされたパジャマを着たリーフが、ソファーに座って俺を見る。明らかに母さんの趣味なのだが、それはリーフにとても良く似合っていた。俺は、クリス少尉が、好みも親と一緒だから、と言っていた事を今更ながら思い出す。信じたくはないが、確かにそうかも知れない。
「どうしたの?」リーフが湯上がりでほんのり上気した顔で言う。濡れた髪の水気をタオルで吸い取る仕草がとても可愛らしく見えた。
「いや、あのさ、ごめんな。なんか騒がしい家でさ」俺がそう言うと、リーフはきょとんとした顔をして、それから自分の着ているパジャマに目を向けると、猫の足跡模様の一つをつまんでおかしそうに笑う。
「楽しいよ。私」リーフが俺に穏やかな笑みを向けてそう言った。
「お母さんって感じの人にいろいろ構ってもらうのは、嬉しいよ」俺は、リーフのその言葉と、なんだか愛おしそうにパジャマをつまんでいる仕草を見て、リーフの置かれていた境遇や、育ってきた環境の事をいまさらながら思い出す。
「あんなお母さんとお父さんがいたら、楽しそうだね」リーフが俺を見て、笑いかける。俺はリーフの笑顔に、自分としては精一杯の優しさを込めた笑顔を返す。
「本当に遠慮とかしなくていいからな。特に母さんには。ほら、ちょっと趣味のおかしな人だからさ。服とか着たくなかったら、断っていい」俺がそう言うと、リーフは、口に手を当てて、おかしそうに笑った。
「でも、私、このパジャマは好きだよ」
「いや、パジャマはいいんだけどさ。うちのパン屋の制服とか、おかしなやつもあるんだよ。母さんのコレクションには」俺がそう言うと、リーフは興味を引かれたようで、俺の顔を覗き込む。
「パン屋の制服?」
「そう、昔母さんが作らせたやつがあってさ。従業員のおばさんが絶対着たくないって言ってたやつがあるんだ。母さんだけは喜んで着てたけど、俺と父さんは、本気で死ぬほど恥ずかしくてさ。頼むからそれ着て歩かないでくれって父さんが何回も頼んで、やっと、普通の格好で店に立ってくれるようになったんだ。悪いんだけど、形容する言葉が他にないよ。とにかく、母さんが制服、とか、店に、とか言い出したら注意したほうがいい」俺がまだ小学生だった頃の話だ。これはリーフには一生隠しておきたいが、俺は、母さん以外誰も着たがらなかったその服を母さんに無理矢理着せられた事がある。この思い出は俺の中でトップランクのトラウマだ。
「どんな服なの?」リーフは、興味がまだ覚めやらないようで、さらに詳細を聞きたがる。
「……変な服」俺はそれだけしか答えられない。リーフは、なんか見てみたいな、と呟く。
「絶対、見てみたいな、とか言わない方がいいぞ。着せられるかもしれない。特に母さんはあれを若い子に着せたがってたから」俺はなるべく真剣に警告したつもりなのだが、リーフは楽しげに、どんな服なのかなあ、などと言っている。

 俺は、まだ話足りない様子のリーフに、暖かい紅茶と、父さんがよくお菓子代わりに焼くスコーンを用意する。リーフはスコーンを見た事が無かったようで、珍しげにそれを眺めていたが、一口食べて、おいしい、と笑顔で言った。父さんが起きていたら、さぞ喜んだ事だろうなと俺は思う。
「うちは、パン屋だから、大抵お菓子がこれだったんだ」俺は懐かしい味のするスコーンを食べながら、そう言った。身内を持ち上げている訳ではないが、父さんのスコーンは外側の香ばしさと中のしっとり感のバランスが絶妙で、ブルームの住民の間でも評判が良い。
「カイルは、家でも、基地でも美味しいものばっかり食べてたんだね」リーフがからかうようにそう言った。
「首都警備隊にいたころはそうじゃなかった」俺はそう抗弁するが、家にいた十八年間と国境警備隊にいた数ヶ月間は、確かにリーフの言う通り、美味しいものしか食べていない。
「このスコーン、お父さんが焼いてるの?」そう聞いたリーフに、俺は頷く。
「うちの人気商品。首都のホテルにも卸してるんだ」首都のホテルの料理長から届いた感謝状が店には誇らしげに飾ってある。父さんは声に出して自慢した事はないが、それをとても誇りに思っている事は時折その感謝状を満足げに眺めている姿からもよくわかる。俺は小さな頃から、パンを焼き終えた父さんが感謝状を眺めるその光景がとても好きだった。

 会話の合間に欠伸が混ざり始めたリーフに、もう寝た方が良いんじゃないか、と言うと、リーフは首を振る。
「なんか、今日は寝るのがもったいない感じがする」リーフはそう言って、俺を見る。
「でも、あんまり起きてると、母さんが風呂から戻ってくるぞ」俺が半ば脅かすようにそう言うと、別にいいもん、とリーフは言って、自分の右手をそっと、俺の左手に重ねた。
「前に、手当してもらったでしょ。だいぶ良くなったよ」リーフはそう呟くと、恥ずかしげに目を伏せる。俺もなんだか気恥ずかしくなって、リーフから目を逸らす。
「そっか」そう言って、俺は空いている右手で紅茶のカップを取り、口に含む。そう言えば、あのときも紅茶だったな、と思う。

「リーフ、父さんも、母さんも悪い人じゃないからさ。沢山甘えていいんだからな」俺のその言葉にリーフが小さく頷く。俯いているリーフの瞳は、少し潤んでいるように見えた。俺はブルームでの暮らしが、リーフにとって安らかな生活になれば、と思う。そして、いつかリーフが、どこかの高官のお嬢様だとかそんな嘘をつかなくても、本当の事を隠さずに暮らせる様にしてやりたいと心から思った。自分の力がどこまで役に立つかは解らないけれど、ただ、全力を尽くそうと俺は思う。出来うる限りの全力を。







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