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闇より黒い
作:狼之羊



第一話 出会い


深い深い樹海があった。
その樹海は、はるか古代からその姿を変えず、季節によって葉が紅葉する事もない。いつも同じ、深緑色だ。
その事から、この樹海は常緑の森と呼ばれていた。
この常緑の森に集落を築き、生活する者を【異形】と人間は呼ぶ。


朝からフウマは石造りの床を飛ぶように走っていた。彼が走ると、冷たい月光を凝縮したような銀髪がサラサラとなびく。父親から受け継いだその髪色は、沢山の人の中に紛れても一瞬で見つけることが出来る。異形の中でも珍しい色なのだ。
フウマの住む集落の家々は大概が石造りである。人間の生活圏と近い、森の入り口近辺に位置するここは、昔は人間に焼き討ちを受けて、ひどい損害を被った。石造りに変わってからは火の被害は上っていない。
土に比べると、石の床は随分走りにくいとフウマは思った。心持ちも関係しているかもしれない。
母に呼ばれると、何故かいつも気が重かった。
「入ります。」
広い一間に玉座が据えられている。村長が座る場所だ。
七年前はフウマの父が座っていた。
今は母が座っている。
「フウマか。待っていた。」
男のようなしゃべり方で母は言った。サソリと言う。髪は黒く、フウマと同じ金色の瞳。年齢不詳の肌は張りとつやで保たれている。村長になる前は女性の中にもたくましさのある笑い方や仕草が目立ったが、村長になってからはどこか男らしい態度でいることが多かった。
死んだ父代わりになろうとしているのかもしれない。
父の死は衝撃だった。
父があんな死に方をして、自分だけのうのうと生きていられないと思った。
死ぬ事が許されないと分かった時、何かが自分の中で変わったのだ。壊れた、というのかもしれない。心が頭に何も伝えてこなくなった。
それはフウマにとって、ひどく楽な事だった。自分がやるべきは、一戦士として、課せられた人間の殺傷。それを全てにして、生きていけばいい。
父の跡を継いで村長になろうとは微塵も考えなかった。母が村長に推されて就任した時も、何も思いはしなかった。今のように少し、気が重くなったのを感じただけだ。
それからのフウマは悲しいとも嬉しいとも思ったことはない。心はいつも空白で、ただ、思考とは隔たった遠い場所で、時々もやもやした疼きを覚えるのみだ。
「さあ、報告を始めてくれ。」
「……何度も言うようですが、俺に言う事はなにもありません。こんな報告会などやめにして下さい。」
村長になったサソリにフウマは敬語しか使った事がない。
「何もない、という事はないだろう。シュウに聞けば、お前は昨日、人間を六人も仕留めたそうじゃないか。何でもいい。些細な事でも報告してくれ。」
サソリは痛みに耐えるように目を細めて言った。
フウマは変わらず、黙ったままだった。
フウマが出て行ってから、サソリは深い溜息をつき、玉座の後ろのつい立に向かって話しかけた。
「シュン、今日もあの子を頼むよ。」
「……ウス。」
つい立からふわりと出てくると、シュウはあっという間にフウマを追って出て行った。フウマが生まれる前は村一速い足の持ち主だったのだ。
一人になると、サソリはぼんやりつい立を眺めた。
銀色の毛並みを持った獅子の絵が描かれている。獅子は鋭い目つきをしているようにも、優しい目をしているようにも見えた。自分の夫、ザンシャが村長になった時に描かれたものだ。
ザンシャは本当にこの絵の獅子のような男だった。
触れると針金のように固い、美しい銀色の髪が好きだった。どんな戦からも生き残る強さが好きだった。何より好きだったのは、鋭くも優しい目だった。
生まれた息子は夫の銀色の髪と自分の金色の瞳を持った、明るい子供で。何も望まない位幸せな日々で。
その記憶は大事に心の奥にしまってある。
「どうすればいい……?」
サソリは獅子に話しかけた。
「あたしはあの子に何をしてやればいい……?」
獅子はいつまでも何も答えなかった。


フウマは森の中を駆けていた。道などない。木が隙間なく立ちはだかる所をだ。
速度は普通の人間では目で追えない位である。
フウマはとにかく走る。走っている間は、何も考えなくて良かったからだ。
考えれば考えただけ頭の奥がざわつく。それは煩わしい。
「ちょ、ちょっと待て、休憩!一時休憩ー!!」
上から降ってきた声に、フウマは急停止した。
木の上からガサガサ葉を落としながらシュンが地面に降りてきた。肩で息をしている。
「お、お前ちょっとは俺を気遣って歩け!追いつけなくなるだろうが。」
「追いついてこなければいいだろう。」
「そうは行くか。お前の護衛は村長の命令だぞ。」
フウマはシュンが傍に付いて離れないのを監視と呼ぶが、シュンは護衛と呼んでいる。
森には人間の斥候が時々潜んでいて、小規模な戦闘はほぼ毎日起きていた。
そのため、村を出て森を巡回する自警団が村の若者を中心に発足している。入れるのは二十歳を過ぎた者からで、十六歳のフウマがそれに加わっているのは異例の事だった。
フウマの強い希望と、村長の判断で、シュンを同行させるのを条件にフウマは森を巡回する役目を掴み取った。
また駆け出そうと足に力を込めたフウマを見て、シュンは慌てた。まだ息が上っている。
その時、大声が樹海を突き抜けた。
「フウマ様!フウマ様ぁー!!」
その声の主はすぐわかった。フウマを様付けで呼ぶのは、自警団でただ一人だけだからだ。
「な、なんだよウォンの奴、大声出して。まさか襲撃か?」
普段、自警団がお互いを呼び合う事はない。人間にかち会った時でも各個撃破が基本だ。
尋常じゃない呼び声にシュンは緊張を走らせた。フウマはすでに突風のように走り出している。
「あ…っこら、速い!」
シュンも慌ててその後を追った。

フウマとシュンはウォンの元に着いて言葉を失った。
その場にはウォンと他二人、村から出てきている自警団の若者が三人いて、横たわる得たいの知れないものを取り囲んでいた。人間でない事は確かだ。何故なら、背中に大きな翼が生えているからだ。ゴツゴツした表面で、黒っぽい色をしている。他にも腕の表面や首筋など、服から肌が見えている所にはうっすら透明な鱗らしいものが見える。
「まさか……翼神族よくしんぞくかよ。」
色素の薄い目を丸くしたまま、シュンはおそるおそる言った。
樹海に住む異形の者にはおぼろ気な、民族の区別があった。
例えばフウマ達のように、足が速く、牙や爪のある異形は犬神族いぬがみぞく。肌に鱗があり、水に長く潜る者達は魚神族ぎょしんぞくと呼ばれている。
そして、異形の中でも存在が伝説化していた、翼が生えた者は翼神族と呼ばれていた。
何故伝説化していたかと言えば、その姿を実際に見た者はいないし、口から炎を吐くだとか、睨まれると石化するだとか、異形の者ですら化け物に思えるような能力を持っていると伝えられていたからである。
シュンも翼神族など、異形を怖がる人間が想像した者だと思っていた。今からその考えは一掃しなくてはならない。でなければ、目の前のこの物体は何だと呼べばいいのだ。
「まだ息はしているようですよ。」
ウォルは敬語でフウマに言った。ウォルはフウマが嫌がっても決して敬語をやめない。まだ、ウォルはフウマが村長を継ぐと信じているのだ。
自警団の中ではフウマの次に華奢で背の低い男で、どんな表情をしていても優しく見えてしまうような優男だった。顔とは別に怖いもの知らずな所があって、他の三人が近付かないのにウォルは興味津々といった様子で翼の生えたその者を近くで眺め回している。
「どうしますかフウマ様。」
ウォルはフウマを自警団のリーダーとして扱う事が多かった。他の団員も特別不満は言ってこないのを見ると、黙認しているようだ。年少とは言え、フウマの能力の高さは群を抜く物がある。
フウマは考え込んでいるのか、黙ったままだ。
「息があんなら、一応助け……」
シュンの言葉が途中でぷつりと切れた。
言い切る前に、翼が激しく動いてむくりとその人物が起き上がったのだ。
その男はウォルに負けず劣らずの優男だった。気弱そうなその表情は背中のごつい翼と正反対で、何となくチグハグした印象を受ける。瞳は焼けて焦げたような赤銅色で、蒼白な顔をしていた。ひどく疲労しているようだが、怪我はなかった。
取り囲まれているのに驚いて、男は一瞬硬直したが、こちらに敵意のないのを悟ると口を開いた。
「あ、あの、た、助けて、下さい。」
舌がもつれて、ひどくたどたどしい口調で男は続ける。
「この先の、大きな木の幹に、穴があって、そこにルリ様が…、女の子がいるはずです。どうか、その方を助けて下さい。」
ウォルとシュンは顔を見合わせ、同時にフウマに視線を投げた。
「…何族の者だ。どうして森を彷徨っていた?」
動じた様子もなく事務的な口調でフウマは言った。
明らかにフウマの方が年下なのだが、感情のない口調に気圧されたのか、少しオドオドした様子で男は答えた。
「ぼ、僕自身は翼神族と呼ばれる者…です。一昨日まで、ルリ様のご家族に仕えていましたが……」
そこまで言うと、男は一瞬言葉を忘れたようにうつむいた。
そして、囁くように小さな声で
「人間に襲われました。」
男はそれ以上口を開かなくなった。
それどころか微動だにしないので、ウォルが不審に思って覗き込むと、男はそのままの格好で気を失っていた。

「あれが泣く子も黙る翼神族かよ。何か調子狂うぜ。」
フウマは何も答えない。
気絶した男はウォルに任せて、フウマとシュンは木の幹にいるという、女の子を捜していた。男の言う情報が少なく、いまいち場所が分からない。
「俺はこの辺りの村は行きつくしたと思ってたが、まだまだこの森は広いな。」
樹海の広さは異形の者の関心事の一つだ。森の端から端までを歩き通す、と言って旅に出た者で、帰って来た者はいない。
今の所、この樹海がどこまで続いているか誰も知らないのだ。
「…気を失うまで飛んだんだ。随分遠くからここまで来たんだろう。」
フウマの物言いが、いつもより同情的な気がして、シュンはフウマに目をやった。
自分と重ね合わせてるのかもしれない。
「……女の子早く見つけてやろうぜ。」
シュンが言うと、珍しくフウマは頷いて見せた。
フウマが父親のザンシャと人間に捕らえられたのは六歳の時だった。
次にフウマが森に戻ったのは一週間後。瀕死の傷を負って、手にはザンシャの切り落とされた右腕を抱えていた。
それまで、フウマは無邪気に遊びまわる活発な子供で、誰もが次の村長として立派な青年への成長を疑ってなかった。今は村のほとんどの者が腫れ物か何かに触るように、遠巻きから眺めているだけである。フウマはフウマで、笑わず、人と触れ合わず、人との殺し合いに明け暮れる。
サソリはフウマが感情を失ったと思っているが、シュンは違うと思う。
感情をなくしてなどいないのだ。ただ、深い憎しみに焼かれて、他の事に反応できなくなっただけだ。きっと今もフウマの心はあの六歳のまま、時が止まっている。
気付かぬ間にぼんやり立ち尽くしていたらしい。
フウマはすでに背中が小さく見えるほど離れている。
「あ、おい。一人でズンズン行くなよ。っつうか声かけろよ、足止まってるってさぁ!」
シュンは慌てて走った。
するとフウマがハタッと止まった。シュンの声に応じて止まったとは考え難いので、シュンは何か見つけたな、と思った。
追いついた先で、フウマの目線に目を落としたシュンが見たのは、木の幹から飛び出している小さな足だった。


直径一メートル位の大木の幹が、ぼっくり窪んで穴になっていた。そこに、黒髪が艶々して美しい華奢な少女が、安らかな表情で眠っていた。伏せた睫毛が長く、幼げだが、とても端正な顔付きをしているのがわかる。
「……いたな。」
「……ああ。」
ここまでさっきの翼神族の男が担ぎ、途中で運ぶのが困難になって、ここに隠してとにかく集落を探したのだろう。右足が少し穴から出てきていた。その靴の装飾も、衣服もフウマ達には見た事のないものだった。
姫、という格好ではないが、雰囲気はさながら、木に封印された森の姫のようだ。
二人はその光景をしばらく、金縛りにあったように見つめていた。
何か神聖なものすら感じる姿だった。
フウマが長い金縛りに気付いて首を小さく振って、それを解いた。
そっと近付いてみる。フウマは自分が息を潜めている事に気がついた。何故だろうと思った。頭の遠い所で何かがムズムズと反応している。フウマは時々感じるこの感覚が嫌いだった。
少女のか細い腕に触れてみる。
氷のように冷たくて一瞬たじろいたが、小さな呼吸音が少女の口元から漏れているのを耳にしてフウマは少しホッとした。
こんなに細いなら骨ばった感触が返ってくるかと思っていたが、実際は驚く程柔らかい。
抱え上げようと思って、肩まで手を回すと、今まで触れた誰よりも細い、小さな体だった。
「……フウマ。何ぼんやりしてんだ?」
「……え?」
シュンの声でフウマは瞬きをした。
「や、え?じゃなくて。」
そのままの格好でしばらくフウマは停止していたらしい。
「そういえば、お前…、同い年位の女の子に接するなんて初めてだよなぁ?」
シュンはニヤァと気持ちの悪い笑い方をした。何が言いたい、とフウマは思った。
「どーだよ、可愛いお姫様を腕に抱いた気分は?」
さらにニヤニヤしながら肘で頭を小突いてくる。
何を言っているのだコイツは。殺しかねない程の強い目でフウマはシュンを睨み付けた。
シュンは思いのほか強烈な反応が返ってきたのに驚いて、二歩分くらい飛び退った。
「…わ、悪い。」
「……村に戻るぞ。」
持ち上げた。
軽い。
それに驚いて、また一瞬動きが止まりかけたが、シュンに余計な事を言われるのが嫌で無理に体を動かした。
それでなくても、気分は悪かった。
今まで感じた事がない程、頭の奥がザワザワ悲鳴を上げて、村に戻る間中、フウマはそれを振り払うのに夢中になったのだった。












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