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第9章 海神の脅威
 夜が明けました。昨夜の夢で女神ミネーヴァのお告げを聞いたポリスの人々は不安を胸に海の様子を伺いました。すると、預言通り、海では恐ろしい現象が起こっていました。

 国王アレクサンドラ37世には司祭よりミネーヴァの詳細な「お告げ」が報されていました。まさかと思っていた国王でしたが、報告を聞き、自らも海岸の丘へ視察に出向き、その目でその光景を確認して腰を抜かしそうになって慌てて臣下に支えられました。
 伝えられた予言によると海が凍って船が固まるのだそうです。
 そして今見ている北の海は海面が真っ白になっています。
 まさかこの夏の盛りに海が凍るなどあり得ません。しかしではあの白い物はなんなのでしょう?
 その正体はすぐに知れました。
 海を覆い尽くしている白い物、それは巨大なクラゲの群でした。
 しかし内海のこんな近海にそんな巨大なクラゲが大発生するなど過去一度もありませんでした。
 クラゲはマーマラ海峡の船団の展開している周囲を埋め尽くし、ポリス島の沖まで覆っています。一匹の大きさは幅が2メートルから3メートルもあり、足は10メートル以上ありました。
「船は、我が軍艦はどうしておるか!?」
 王のうろたえた問いに、しばらくして答えが来ました。船からの緊急の報せにはやはり伝書鳩が使われていましたが、その司令船よりの伝書鳩が状況を知らせてきました。
 やはり船は周囲をクラゲに埋め尽くされ、まったく航行ができなくなっていました。試しにクラゲを剣で切り裂いたところ、毒を吐きだし、兵士が目をやられ、十数人が喉を腫らし咳が止まらなくなりました。
 さらに、オールを繰り出し脱出を計ると、いつの間にやら船と船とが引き寄せられ、衝突し、もうまったく動かなくなってしまいました。何事かと船体を調べると、船底から側面にびっしり貝がくっつき、それらが船と船をくっつけて接着剤のように固めてしまっているのです。
 もう、どうすることもできません。
「なんたることか・・」
 街では国民たちが夢に見た女神ミネーヴァの予言を確認し合い、海神ポルセデューンに見捨てられた不安をささやき合いました。
 こうなっては昨夜の司祭の報告を信じないわけにはいきません。
「しかし海神への儀式は行ったであろうが?」
 海洋国ポリスにとって、まして海の戦において海神ポルセデューンは最も重要な神です。海戦準備に当たって、まずは出陣の挨拶を海神に捧げました。呼ばれた司祭は
「敵は海神に乙女の生け贄を捧げたといいます。敵の方が海神様へのもてなしが上だったのかと・・」
 と苦しく言いました。
「海神も海神だ! 異国の異教徒などに味方しおって! 我がポリスは毎年祭りを行って供物を捧げているではないか!!!」
 国王は海神の裏切り行為に真っ赤になって怒りました。
「ええい、裏切った神など知らん! ミネーヴァ様をたてまつれ! 仰せの通り乙女を金銀の鎧に飾り、ミネーヴァ様の化身として我が軍の先頭に立て、ミネーヴァ様のご助力を得て我が軍をもり立てるのだ!!!」
 昨夜のうちから鎧かぶとと身にまとう女神役の乙女の選考は行われていました。
 鎧とかぶとは王室の宝物庫からいくつか候補のあった中で司祭が「まさにこれである!」と天啓に似た閃きで一揃えを選びました。当然クラリスが司祭の頭脳に刷り込んでいたイメージです。まあそれがなくとも実に女性らしく美しいプロポーションと装飾の一級の美術品でしたから選ばれて当然でしたでしょう。
 女神の乙女の方はある貴族から強力な推薦があり、彼の孫娘に決まりました。その貴族というのが軍部の重鎮で、その孫娘はこの戦争で隊を一つ指揮する有能な将校の男性と戦争終結後結婚する約束ができていました。これでこの将校が武勲の一つも立てれば重鎮としては大満足で鼻高々なのでした。・・ここにも当然クラリスの計算が働いています。
 彼女、ミケーネが美しい鎧かぶとを身につけて、白いマントをなびかせて王の船に乗って港を出発しました。島にはもうこの船しか残っていなかったのです。あとは漁船だけで、その漁船に乗った漁師たちが先に立って棒で必死でクラゲどもをかき分け女神の船の針路を開きました。
 ドーンドーン、と太鼓を打ち鳴らしながら女神の船は進んでいきます。
 しかし先に行けば行くほどクラゲたちは多くなり、かき分ける隙間もどんどん無くなっていきました。漁船がかき分けたクラゲがまた後ろに回り込んで、漁船そのものが立ち往生してしまいました。
 さて困りました。女神の船はこのまま進めば自分たちもクラゲに周りを取り囲まれ脱出できなくなってしまいます。考えている間にどんどん後方の海が白くなってきて、慌てて方向転換すると、またドーンドーンと太鼓を打ち鳴らしながらみっともなく港に舞い戻ってきました。
 これに王はまた激怒しました。
「なんじゃ、女神を奉ったのに、なんにもならんではないか!?」
 と司祭を叱りました。
 そこへ丘の神殿の女神像が王を呼んでいると報告が入りました。「そんな馬鹿な?!」と思いながら王は司祭を伴って忙しく丘の神殿に登りました。

「「アレクサンドラ、アレクサンドラ! アレクサンドラはまだまいらぬのか!!」」
 国王が神殿の入り口に立つと中から女の大声がわんわんと響いてきました。国王アレクサンドラ37世は顔を青くして駆け込みました。
 神殿の奥に高さ5メートルの守護女神ミネーヴァの代理石像が立っています。戦神でもある彼女は鎧かぶとに剣と盾を持ち、戦車に乗った美しい娘の姿をしています。
「我が守護者、大女神ミネーヴァ様!」
 国王は代理石像の前にひざまずきました。いっしょに来た家臣たち、遅れて息を切らせてやってきた司祭も同様にひざまずきました。
「アレクサンドラ。ようやく来おったか」
 やはり喋っていたのはこの女神像です。もちろん喋らせているのはずうっと遠くにいるクラリスです。実際に喋っているのは頭の上にいるヴァイオレットで、クラリスが彼女に喋らせ、空気の振動を増幅させて大声にしているのです。
 国王が問いました。
「おそれながら我が守護女神。我らは仰せの通り女神さまの身代わりの乙女を立て、女神さまを奉って海に進軍いたしました。しかしながら忌まわしき海の悪魔どもに邪魔をされて引き返さざるを得なくなってしまいました。これはいったいどういうことでありましょうか?」
 クラリスの女神が言いました。
「お前たちは二つの間違いを犯した」
「は?」
「一つ、我が身代わりの乙女を立てるのに許婚いいなずけのおる娘を立てるとは何事か! 我が身代わりは生涯処女でなければならぬ! 貴様ら、わたしを舐めておるのか!!」
「ははあーーー、申し訳ございません。ただちに生涯処女の誓いを立てる娘に代わらせますーー」
「もうよいわ。わたしはへそを曲げた」
「そ、そのような子どものようなことをおっしゃらず・・」
「なんだと?」
「へへええーーー、どうぞお許しをーーー」
「よい。それよりよく聞け。どちらにせよ此度こたびの戦、ポリスに勝ちはない」
「そ、そんな、わが女神よ。それはいかに女神のお言葉とて聞けません!」
「馬鹿者、女神の言葉に軽々しく口答えするな! わたしを舐めるなと言っただろう? 貴様ら人間ごときの考えなどお見通しだ。おいおまえ、アレクサンドラ。貴様、南の異教徒と秘密の同盟を結んでおろうが?」
 国王は内心ギクリとしながら、
「そ、そのようなことは・・・・」
 と言ったきり女神像を見上げて黙ってしまいました。クラリスはあらかじめ王や政府の人間の心を読んでその事実を確認しています。彼らはやはりクーロンと密約を交わしていました。クラリスは脂汗を流して黙り込んでしまった王に言ってやりました。
「まあよいわ。お前たちの犯したもう一つの過ちを教えてやる。
 お前たちが女神の乙女に着せた鎧かぶと、あれは、アルマの戦士の遺物だ。かの国では今それに関してお前たちの犯した罪が大問題になっておるわ」
「我々の犯した罪とは?・・」
「あの鎧かぶとはアルマの大騎士ロンババが最期の戦で着ていた物だ。そしてお前たちの祖先はそれを自分たちの都合のいいように汚したのだ!」
「ロンババ・・」
 司祭が呟き、ハッとしました。
「アルマ教の南方騎士ロンババ! しかしあれは女で、アルマ教徒の間でもアルマ教徒の名誉を汚した愚か者と切り捨てられているのでは?・・」
「ぶわ〜か! それがお前たちの罪だと言っているのだ! ロンババはれっきとした男で、勇者で、あの鎧かぶとは恋人の女戦士を守るためにまとった物だ。今かの国ではその証拠が出てきて、戦士の名誉を汚したおまえらの嘘がばれてしまったぞ。
 あ〜〜あ〜、海神ポルセデューンだけならまだしも、アルマのアーまで敵にしてしまったら、いくらわたしの神力が強くたってねえ〜〜、こりゃ駄目だわ」
「そんな女神さま、異教の邪神などになにを弱気な・・」
「おまえら、アーという神を知っているか?」
「我らを支配しようとする邪神・・・・」
「ふむ。アーなどと言う神はこの世におらん」
「なんと!やはり!・・」
「考え違いするな。ついでにサークレのサインなんぞという神もとっくにこの世にはおらぬわ。
 よいか?
 わたしは、今、ここにいて、ありがたくもお前たちにこうして言葉をかけてやっている。いざとなればこの力を貸してやらぬでもない。
 わたしはミネーヴァという本物の女神である。
 が、一方、
 アーやサインなど、大昔に一度現れたきりで、今この世にはいない。神の力なども残してはおらぬ。
 だが、アーはいる。この世にはおらぬが、信じる者どもの心の中に確実に居るのだ。
 わたしはお前たちがどんなに信心しようが、気にくわなければあっさり裏切るぞ。
 だが、信じる者の心の中にいるアーやサインは、絶対に信じる者を裏切りはしない。その力は等しく信じる者の心の強さになる。
 お前たちの小細工がばれたせいで、かの国のアーを心に抱く戦士たちはそれはもういきり立ってポリスへの戦意を煮えたぎらせておるぞ。あ〜あ、こうなってしまっては、わたしがいかに助力してやろうとポリスに勝ち目はないのおー・・。ハア〜〜ア〜・・」
 司祭は女神の一連の言動に不審を持ち、『もしや』と思って王の様子を伺いました。王もここまで指導力を発揮して国をまとめてきた人物です、女神の意図に勘づいて問いました。
「もしや女神さまは、この度の戦争に反対なので?・・」
 クラリスは答えました。
「そうです。もしこの戦争に勝っても、ポリスに良い未来はありません。北の大国の属国に成り下がるだけです。ポリス国家の自主性は大きく制限されます」
「シヴィリがそうであるようにですか?」
「そこまで分かっているのに、何故彼らの甘言に乗りました?」
「それは・・国を、民の幸福を思えばこそ・・・・」
「アレクサンドラ37世」
 クラリスは威厳と敬意をもってその名を呼びました。
「あなたは良い王になれます。わたしは、真に賢い者の味方です。あなたがこの愚かな戦争をやめ、平和を望むなら、わたしは必ずポリスを守り、ポリスを良い方向へ導くと約束します」
 国王は立ち上がり、改めて片膝を付き、胸に手を当てると、深々と礼をして言いました。
「我が女神の仰せのままに。船を引き、シヴィリ、テュークメンと和睦いたします」
 クラリスは安堵し、ほっとしながら言いました。
「よろしい。
 では改めてわたしの身代わりとなる乙女を命じます。今捕らえているカザリンのローゼにかの鎧を着せ、わたしの名代となさい」
「ローゼ社長を、女神の名代に?」
「そうです。そしてポリスとアルマの国々を結ぶ使者を招きましょう。くれぐれも丁重におもてなしするように。よいですね?」
「ははああーー」
 国王一同はかしこまりました。
 『もういいわよ』というクラリスの言葉でヴァイオレットは女神像の頭から飛び立ちました。恐る恐る顔を上げた国王たちを、ミネーヴァの像はただ静かに見下ろしています。


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