第3章 大国の欲望
ナヴィー氏はルピネー氏の弟さんです。ルピネー氏が17歳の年まで行方不明でしたので、伯爵は2歳年下のこの弟さんを跡取りに決めて教育していました。ナヴィー氏は28歳の現在立派にその役割を果たしています。
ユリアナさんはルピネー氏のラピス国の奥さんです。父上はユリアナ・ローゼ社のラピス支社長です。アナトリーはルピネー氏とユリアナさんの子で、6歳の男の子です。
ユリアナさんアナトリー坊やの二人がラピスの首都ペテロブラーグに連れ去られたとは、どういう意味があるのか?
「人質ということじゃろう」
伯爵は苦々しく言いました。ナヴィー氏の手紙によればそれは一応オペラ観賞のご招待ということでしたが、うむを言わさぬ調子で、その使者をナヴィー氏ではどうしても退けることが出来ませんでした。
これが、
「ラピスからポリスへの『覚悟のほど』ということね」
と、ララベル姫はクラリスに言いました。先ほどの『ラピスがどこまで本気か?』という問いへの答えです。
どうやらラピスは本気のようです。
でも、クラリスはどうにも納得できません。
「伯爵様はラピスの英雄なんでしょ? その伯爵様を陥れるようなことをして、ラピスの国民が黙っていないと思うんですが?」
もし仮に、このロヴィークの誰か貴族が例えばお隣のルービッシュに良からぬ欲望を抱いて、今エメラルド城にオーロル王子のお祝いに来てくださっているシルバー王子のご両親や弟さんを何かイチャモンをつけて監禁するようなことをすれば、絶対にロヴィーク市民たちに貴族に対する暴動が起きます。
大伯爵と尊称される伯爵の家族がそのような目に遭わされて、ラピスの国民は黙って政治家や貴族・・どっちも同じ意味ですが・・の言うことを聞くのでしょうか?
大伯爵は重々しく言いました。
「それがきゃつらの今ひとつの目的であろう」
クラリスは分かりません。ララベル姫が教えてくれます。
「ラズベリー伯爵様が何故『大伯爵』と尊敬されているか、知ってる?」
「それは・・、ラピスを富ませたからでしょう?」
伯爵の領有地ラズベリーアールは広大なラピス領土の西の端に位置し、ロヴィークの属する西側世界とラピス中央を結び、大いに両者を富ませたとオーロラ姫から授業を受けました。
ララベル姫はうなずきつつ、そこに加えました。
「その通りです。そして、それによって野蛮な戦争の時代に完全に終止符を打ったのです」
クラリスは驚いて思わず伯爵を見ました。戦争の時代なんて、そんなものずうっと大昔のことと思っていました。伯爵様は面白くもなさそうに、クラリスに困った顔で言いました。
「わしは父親の後始末をしただけじゃ。何も偉いことをしたわけではない」
「ラズベリー鬼伯爵」
ララベル姫はクスッと笑って「失礼」と謝りました。伯爵はますます苦い顔です。
「わしの父親は、変人じゃった」
「変人ですわねえ。たった一人で大ラピス帝国に喧嘩を売ったのですから」
クラリスはますます驚きました。今一つの島国がラピスに喧嘩を売って驚いているというのに、たった一人で喧嘩を売ったとはどういうことでしょう?
「わずか50年ほど前まで、この大陸はまだ戦争の時代にあったと言っていいでしょう。ラズベリーアールはその頃ラピスが領土拡大戦争で手に入れた地です。その地に伯爵の父伯爵様は西方への備えの要塞作りを命じられて赴任してきました。そこに、伯爵様も連れていかれたのですわよね?」
伯爵はウムとうなずきました。
「西方への備えを命じられていた先代伯爵様ですが、何をどう聞き違えたのか、ラズベリーアール・・当初の名前をラピスアールと名付けられていましたが、ラズベリーアールを360度全方位に向けて要塞化してしまったのです。もちろんラピス中央に向けてもです。そしてご自分はこの要塞国家の司令官に就任し、御自身の領有を主張、この地を侵す者は何人たりとも容赦しないと宣言されたのです。何を血迷ったのかと当時の中央政府は大慌てだったでしょうねえ」
愉快そうに言うララベル姫に大伯爵は「まったくだ」と苦虫を噛み潰したように言いました。ララベル姫は笑って言います。
「先代伯爵様は非常に優れた軍事家でいらっしゃいました。その優れた目から見て、もう時代が領土拡大などという野蛮な思想を受け付けないようになっていると考えていました。いまだ領土拡大の欲望を納めない中央に対して、心底嫌気が差したのでしょうね。そこで『これにて打ち止め!』とラピスの西の領土にくさびを打ち込んだのでしょう」
ね?とララベル姫に笑顔を向けられて大伯爵は苦り切った顔で言いました。
「そんな魂胆ではあるまい。あれは父の最後の芸術作品だったのだ。戦しかできん軍事馬鹿だったからな。たしかに、戦争の時代はもう終わりだと見ていたのだろう。だから自分の最後の仕事として、永久に残る戦争のモニュメントを作り上げたのだ。父は、自分の好きなことをしただけだ」
大伯爵は昔を思って遠い目をしました。前の時代の、遠い遠い昔のことです。
「好きなことをやるだけやって、満足してとっととあの世に行ってしまったわい・・」
「苦労されましたか?」
「それはそうだ。国を丸ごと要塞化するなど、とんでもない土木工事をしおって、国は貧乏のどん底じゃ。まったくゼロからの立ち上げじゃったわい」
「しかし、あなたはそれを成し遂げられた」
「・・・・・・」
「だからこそ、あなた様は大伯爵と皆に尊敬を込めて呼ばれるのですわ」
「わしも、やるべきことをやっただけじゃ。責任を果たしただけで、別に褒め称えられるようなことはしとりゃあせん」
「そうですか? ジャローム将軍の残党たちはどうなのです?」
「・・・・・・」
大伯爵は押し黙り、ララベル姫はクラリスに意味ありげな目配せをしました。
「ともかく、ラズベリーアールは城壁に守られて平和国家に生まれ変わった。ゼロからの出発が幸いして、それは理想の平和国家のモデルケースになった・・」
「なってもおらんようだがな」
「残念ながら、まだまだ不十分なようですねえ。が、ともかく、理想的な平和国家としてラズベリーアールの名はラピス国内は元より西側世界にも広く知れ渡るようになった。いえ、むしろ西側世界の方がラピスの侵攻を防いでくれた感謝もあってより賞賛の度合いも強かったでしょう。
しかし、そんな伯爵の功績を疎ましく思う者たちもいた。それが、
ジャローム将軍の残党たちです」
クラリスは聞いたことのない名前ですが、ララベル姫の声にはたっぷり侮蔑がこもっています。
「ジャロームは戦争による領土拡大を唱えた前時代の代表的な野蛮人です。ラピスの歴史上は数々の武勲を立てたラズベリー鬼伯爵に並ぶ戦争の時代の英雄ですがね。
ジャローム自身は狩りの最中の事故で死んでいました。暗殺されたという噂もありますが・・ま、真相は分かりません。このジャロームの死によって中央の主戦派は徐々に勢いを無くし、政界から消えていきました。そこに・・大伯爵様の圧力があったとかなかったとか・・」
大伯爵は口を真一文字に結んで硬く目をつむっています。ララベル姫も敢えて追及せずに話を続けます。
「そんなわけで戦争の時代は完全に終わりました。めでたしめでたし・・だったのです。今度の事件が起きなければ」
「けっきょく」
大伯爵が重々しく口を開きました。
「奴らはまだ生き残っておったというわけじゃろう」
「ですね」
ララベル姫が同意して後を継ぎます。
「ラピスはきっと大きすぎるんです。広大すぎる国土の真ん中にいたのでは周りの世界も見えないでしょう。彼らは彼らの理屈で、自分勝手な夢を見ているのでしょう」
「夢が夢で終わっておればよかったものを・・馬鹿どもが」
「さて伯爵閣下」
ララベル姫が真剣に向かい合って問いました。
「ラピス国家は、どうしますか?」
大伯爵はしばらくこの若くて美人の政治家をじいーっと見つめて、言いました。
「やる、じゃろうな。中央の貴族どもにとってはいつもの政治ゲームの延長だろう。戦争とはいえ、どうせ実際に戦うのは末端の兵士たち、どころか、ポリスやシヴィリの人間たちだ。きゃつらは兵士を盤上の駒程度にしか思っとらんだろう。いやむしろ、
今回はかなり本気と見た。今中央は主戦派に主導権を奪われ、平和主義者たちはおっかなびっくり縮こまっておるじゃろう。いったん事が起こってしまえば、政府はズルズル主戦派の論理に引きずられていくだろう」
「伯爵閣下はどうされます?」
「わしは、」
大伯爵は胸の前にグッと腕を組んで、腰を立て、お尻をソファーに押し付け、両足を床に踏ん張りました。
「動かん」
動かんぞと、そのポーズが頑固に表明しています。
「伯爵閣下が中央に乗り込めば、主戦派たちを抑えられるのではありませんか?」
「そのための人質だろう」
「天下の大伯爵が、人質を取られて大人しく引っ込んでいますか?」
「わしが立てば、ラピスに戦火が立つ」
ギラリと、その炎を映したように大伯爵の瞳が燃えました。
「特に地方の、中央に不満のある人民が、ここぞと立ち上がるだろう。ラピスに内乱が起こる。それを、戦争の時代を夢想する愚か者どもは欲しているのだろう」
ララベル姫が冷たい目で大伯爵に問いました。
「では逆にその状況を起こすために敢えて人質を殺すという残虐を犯すことはありませんか?」
「もしそうなれば」
大伯爵の瞳がギラリと光を発します。
「わしは奴らの望むようにペテロブラーグに乗り込み、クリムト広場でこの心臓に剣を突き立てて民衆の目前で死に果ててやる。きゃつらの非道の証をべったり石畳に印してな」
恐るべき鋼の意志です。もしそんなことをされればさしもの阿呆な主戦派どもも肝を底から冷やすことでしょう。
ララベル姫が問います。
「しかしそれでも内乱が起こってしまったら、反主戦派、いえ反中央派は負けますか?」
伯爵は太い息を吐いて言いました。
「勝つ、だろう。と、思う。が、多くの血が流れる。ラピスに革命が起こるだろう。だが、わしが自決などせず生きておっても、その結果を見定める時間はわしには残されていないだろう。革命は、どうせ失敗する」
なんと悲観的な、とも思われますが、この鷲の目をした大政治家はもっと時代というもの、人間というものを達観しているようです。
「多くの人民にとって今よりはましな社会になるだろう。だがそれも多くの命を犠牲にするほどの良いものではないだろう。後の歴史はそれを賛美するやもしれん。だが、わしはそんなもの見たくはない。どうせ、新しい貴族が生まれるだけじゃ。いずれ、同じことになる」
クラリスは分かりません。じゃあこの伯爵様は何を望んでいるのでしょう? クラリスの視線に気付いて大伯爵は優しい目になって言いました。
「ゆっくりでいいのだ。誰も血を流す必要はない。ゆっくりと、少しずつでも皆が揃って良い方に進んでいけばそれで良いのじゃ。急いではいかん。無理は、いかんのじゃ」
クラリスは伯爵様に大きな黒い山を見る思いがしました。どっしりと、風雪に耐えながら、根元には豊かな緑の野を従える。クラリスはニッコリ笑い、問いました。
「教えてください。わたしはどうしたらいいですか?」
伯爵は眉をひそめました。
「お嬢ちゃんが危ないことをする必要はない。これは大人が解決しなくてはならん問題じゃ」
「でも戦争が起これば子どもも巻き込まれますよ。大人の政治のせいでね」
ララベル姫がクスクス笑って伯爵に言いました。
「伯爵様。無駄ですわ。この子はどうせ首を突っ込みますし、誰よりも働きます。心配なのはやり過ぎちゃうことですわね。正しい道をお示しくださいますことの方が、この子のためにも良いと思いますよ」
渋い顔の伯爵にクラリスはニッコリ言いました。
「ありがとうございます、伯爵様。伯爵様くらいのものですよ、わたしに何もしなくていいとおっしゃってくださるのは」
ムッとララベル姫を睨むと姫はそ知らぬ顔をしました。伯爵様はそれでも迷っているようでしたが、クラリスにまっすぐな視線を向けられて「ウム」とうなずきました。
「ラピスは放っておけ。奴らにとってはやはりゲームだ。逃げ道は用意しているだろう。そういうところでは抜かりのない奴らだ。
奴らに分がないと思わせることだ。そうすれば手のひらを返したようにポリスを切り捨てるだろう。
ポリスに誰と戦う意志も捨てさせることだ。それが本筋だからな。
そのためにどうするか?
やはりローゼを取り戻さねばならぬ。できれば、ポリスから自主的に解放するようにな。
後は、あの熊に任せるがいい。そもそもあいつが始めた商売が元だ」
クラリスはうなずきました。
「わたしはローゼさんを助け出せばいいんですね? 出来るだけ穏便に」
「そういうことじゃ」と大伯爵はうなずきました。それから優しいおじいちゃんの顔になって言いました。
「すまんのう、こんなことをやらせて。わしは、ほんに申し訳ない」
伯爵様に頭を下げられてクラリスは慌てました。
「とんでもないですわ。・・わたし、伯爵様にお会いするのが恐くて恐くて仕方なかったんですよ」
「それは心外じゃ。わしはおまえさんに会うのを楽しみにしておったのにのう」
「ありがとうございます」
「では約束じゃ。この一件が片づいたらクラリス嬢はわしらといっしょにラズベリーアールに遊びに来ること。歓迎するぞ」
「はい。楽しみにしています」
ああ、もうどうでもラズベリーアールに行かなくてはならなくなりました。まあ伯爵も奥様も優しい人たちのようなのでよいですが。
「というわけでわしは事が片づくまでここに滞在させてもらうことにする。国王陛下、すまんがよろしくお頼み申す」
大伯爵に頼まれて王様も「もちろんです」と即答しました。
天井をふわふわ漂っていたサファイアが下りてきました。
「面倒な話は終わった?」
「なんじゃサファイア、おったんか?」
「いましたとも。一応ご子息の名付け親ですからね」
ヴァイオレットは伯爵が恐くてさっさと逃げ出しています。サファイアはクラリスに言いました。
「じゃあ取りあえずルピネーに会わなくちゃね?」
「そうね。えーと、ユークリナに行けばいいの?」
伝書鳩はそこから飛ばされています。
「遠いわね?」
妖精騒動でノール海に面するお隣ローゼンヌ国の南の海岸部まで行きましたが、そこからずうっと東に行かなければなりません。
「陸を直接向かえばうんと近いわよ。あったかくていい所よ」
サファイアはルピネーのお供で何度か行っています。
「ではさっそく」と旅立ちの準備にかかろうとすると、また新たな伝書鳩の到着を報されました。
「これは・・何者でしょう?」
戸惑う秘書官からララベル姫が手紙を受け取り、文面を見てクラリスに渡しました。読みます。
「『魔女クラリスへ。まずは俺に挨拶に来い。ソロカのトーチにて、ルピネー氏の代理人カジキより』」
クラリスは手紙から顔を上げてみんなに訊きました。
「ソロカのトーチって、どこ? カジキって、だれ?」
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。