過去之夢・死神の青年と狼犬の少女
2017/2/15/21:06/改稿/誤字修正
これはまだ、四番目の世界から来た彼らが、この五番目の世界から去っていない頃。
人間たちと悪魔、魔族との激戦の最中のこと。
今となっては最悪の汚染地帯と呼ばれるあの場所が生まれた出来事の一部始終。
1
青い月の輝く夜。
知覚は遥かに鋭敏になりながらも、自分の体と意識のリンクがはっきりせず、まるで動きながら幽体離脱して、自分で自分のことを見下ろしているような感覚だ。
「……人間も魔族も敵か。どうするイクリス?」
傍らの獣人の少女に語りかける青年は、廃油のように汚い黒色の耳と尻尾を生やしている。肩にはデスサイズを担ぎ、黒いパーカーに黒いカーゴパンツに黒い戦闘靴。黒一色の中に透き通る青い瞳が輝く。
「もうどうでもいいんじゃないかな。あたしは前からこの群れにいたかった訳じゃ無いからどうでもいいし。そっちは? ついさっき人間やめたばっかなのにどうなの?」
そう聞き返す獣人の少女には、灰色と茶色を混ぜたような色、銀茶色の髪からぴょこんと伸びる獣耳とふさふさの尻尾がある。チューブトップの上からファーの付いたケープを羽織り、下はホットパンツの上に太いベルトを二本、それにポーチや得物である曲剣を下げている。
「人間やめたっつうか、召喚術であの黒い狼の力を纏わせてるだけなんだけどな」
「へーそうなんだ。なーんか残念」
「なにがだよ……」
それよりも、と。
青年は今し方殺し尽くした狼犬族を見る。たった二人で狼犬の群れ一つを黙らせたのだ。
狼犬族という魔族は群れで生きる種族であり、野生動物とあまり変わりの無い掟に縛られる。強い雄とそれに従う群れ。群れの長が一番上に立ち、女たちは長に奉仕するのが当たり前で、男たちは長のために働くのが当たり前。
そんな掟というか、嫌な決まり事に縛られずに生きたいという欲求から。そして年頃になった頃、やれ結婚だと言われ、族長の息子の妾にしてやると言われ一悶着。
それで決心が付き、群れを離れはしたのだが、一匹狼で生きていけるわけも無く死にかけたところを青年に拾われた。
「とりあえずお前の親も兄弟も群れの長も殺したが、なんか文句があるか?」
「さっきも言ったけどね、あたしはこいつらのことなんかどうでもいいの。あんたと一緒にいてよく分かったよ、どいつもこいつも最悪だって」
「あっそ。それで? 人間は無条件に敵と判断するとして、ほかの魔族連中はどうなのかねぇ。さすがに厳ぃ……魔術が使えないとはいえ銃火器がある人間ども、そして種族ごとに独特の能力を持つ魔族たち。敵が多いとなぁ」
「いいじゃん、あたしとあんた。二人でどこまでも行ってやれば」
「行けるといいけどな」
パーカーのフードを深くかぶり、尻尾を巻き込んでベルトで固定する。
「いいな、青い瞳ってのは。いつもよりよく見える」
「ふーん。なんかいんの? あたしにはよく見えないけど」
「特殊部隊だな。臭いまで消してやがる」
「人間の?」
「あぁそうだ。いつも通りやろう」
「りょうかぁい。もちろん皆殺しだよね、レイジ」
「残念ながら一人生け捕りだ、殺しすぎるなよ、イクリス」
血の臭いで噎せ返りそうなその場所からイクリスが放れ、レイジはデスサイズを暗闇の中にハンマー投げの要領で放り投げて、ホルスターからベレッタM93R……の、形をしたエアガン(ソフトではない)を抜く。
近距離ならば六ミリの合成樹脂だろうが人間を殺傷することは可能だ。無論いまレイジが持っているものは金属弾を使用し、手動のポンプでエアを充填出来るようにしているタイプ。
木の陰に身を隠し、レギュレーターなんてものが付いていないそれに圧縮空気を入れていく。
「さーて、メットだけでゴーグルしてないやつらの目を潰しますかね」
陰からふらりと姿を見せるとたちまち赤い光点に狙いをつけられる。
「動くな! 貴様、どこのコロニーの者だ」
「アレを見ろ、こういうことが出来るところの所属だ」
群れ一つ分の、狼犬族の死体を指差して言う。
「ま、そーゆーことなんだが。あんたら州政府軍か? こんな状況になっても人間同士での殺し合いはやめないのか」
「我々は感染者とその疑いがある者を、そして悪魔どもを排除しているだけだ」
「そうかい。それがあんたらの納得できる理由な訳か」
そう言われると軍服を着た者は歯がみし。
「大勢が生き残るには仕方の無いことだ!」
「そら殊勝な判断だ。で? それで大事な人を撃てなくて感染が広がった? 上からの命令で仕方なく民間人の待避所コロニーを焼き払った? 物資が少ないから偉いさんだけ守って他は放置? よく言えるな、テメェら。そもそもテメェらが悪魔って呼ぶ連中も望んでこんなことになっている訳じゃ無い。共存という可能性をなぜ最初から考えない、襲ってきたら話し合いもなしに殺し合いか。これだから大多数に、権力に従う人間どもはダメなんだ」
「貴様、それ以上に言うのならば危険因子として」
「では開戦、オープンコンバットといこうか。銃は向けた時点で殺すことの意思表示、こちらは向けていなかったがそちらは最初から向けてきた。都合よく判断する、つまりそちらは最初から和解などなく殺すだけだったと」
なんの音も無く、軍人の一人が目を撃ち抜かれたときには流れが出来ていた。
先に狙いはつけていた、後は引き金を引くだけでよかったのに。勝利につながる道が突然絶たれたアクシデント、不意の一撃からのパニック。
一人が殺されたという混乱、錯乱を意思の力で押さえ込むクッション、戦闘態勢を立て直すリカバリー。
周囲を確認するリヴェレーション、敵の位置と安全域を明らかにするクリアリング。
敵を確認、そしてアクション。
たった一人、銃弾の嵐で終わらせることができる。そう思っていたからこその敗北。
背後から飛び込んできたイクリスに切り裂かれ、慌てること無く銃口を向ける。意識の矛先を、注意を反らすこと自体が敗因になる。
「当たらなければ問題ない、当たって問題ならばそもそも撃たせるな、ってな」
敵と味方が入り乱れたその場で、軍人はフレンドリーファイアを恐れて撃てず。
しかし疾風のように斬り込んで動き回る少女を的確に避けて撃ち込まれる致命弾に命を散らされる。
「哨戒部隊……イクリス、次が来る!」
「次? えっ、うわっ!?」
2
「たっ……は、はははっ……」
小高い丘の上に一本の木があった。
夜明けの光を受けて、木に背中を預ける二人の姿が照らし出される。
頭から血を流し、片方の目を失い、全身擦り傷だらけで脇腹に穴が開いた青年。
片腕を失い、ショックと失血で震え、青白くなった肌と弱い呼吸の少女。
「いってぇな……」
「レイジ……ごめん、ね。あたしのせいで、お腹」
「言うなよ。庇いきれんでお前の腕が……ぐっ。かっ、ははっ、やべぇ……これ死ぬ、な」
暖かいはずの朝日に照らされながら、二人は寒さに震えていた。
残された時間が後僅かだと言うことくらい分かっている。もう、どう足掻いてもどうにもならないこの現実を受け入れて、意識が暗闇に沈んでいく。
「…………、」
深い深い絶望への入り口。
お互い胸の内に浮かび上がるのは、短いながらも共に過ごした想い出だった。
死への恐怖と寒さで震える中で、心の中から溢れ出す暖かさ。
お互いに支え合ってここまで来た大切な、掛け替えのないパートナー。
声という形に出来なかった淡い思い。その想いを伝えたかった、種族の壁なんてぶち壊して本物にしたかった。
でも、今、まさに二人の命は尽きようとしている。
一人だったらお互いここまで来ていなかっただろう。
「ねえ、生まれ変わることって、あるのかな」
「さあ。でも可能性はすべてにおいてゼロじゃない。きっとあるだろうさ」
別れの怖さに涙を零すイクリスの肩を抱き寄せ、そっと頭を撫でる。
それだけで苦痛に縛られていた顔がほころぶ。つられて体も預けてくる、もう今までのような暖かさも力もない。
「じゃあさ、生まれ変わったらまた会おう? 一緒にさ、今度は楽しいこといっぱいやろ?」
「だな。来世で会おう、今度は違う未来があるだろうな」
「そうだね。全部忘れてさ、それでも心が覚えてるとかみたいなの」
「ありそうだ、イクリスならどこからでも匂いで嗅ぎ付けてきそうだ」
「なにそ――」
続きを言う前に激しく咳き込み、体から更に力が抜けていった。
「なんだか、眠いな」
「あぁ、少し休もう。次に目を覚ましたら、またどこかで……イクリス? ……………………お休み、またどこかで会おうな」
静かに息を引き取ったイクリスをそっと撫で、青年は古ぼけた傷だらけの懐中時計を取り出す。
開いて文字盤を見れば、本来あるはずの無いⅩⅢを示していた。
「使い切ったか……けっ、悪い、生まれ変わりは無しだ……こりゃあ消滅しかねえわ」
死神とも、異端者とも呼ばれ、死ぬことなんてどうでもいいと思っていたのに。いざこうして死ではなく消滅を目前にして、失いたくない大事なものがあると恐怖を覚える。
「……可能性は、ゼロじゃ無い。さようなら、また会える日まで」
肩を寄せ合って、目を閉じた青年は……自分が消えていくのを感じていた。
自分という存在を構成するすべてが分解されていく、澄んだ青い光と、禍々しさをまったく感じさせない黒い光と、白い光。身体が端から消えていく、意識が漂白される、存在が崩壊していく。
「また、会えると……いい……な」
青年が完全に消え去り、支えを失った少女が倒れる。
少女もまた、灰になって消えていく。
風に運ばれて、澄み切った空の上で灰と光が混ざり合って、どこかに消えていった。
これにて第一章・死神/クロード編は終了します
再会と別れは次の章でも
次章・変態/天城編です
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