隙 間
「私ね、“隙 間恐怖症”なの」
「……隙 間恐怖症?」
俺は彼女に、聞き返す。
「うん」
彼女は普通の世間話をするような表情で、言った。
「小さい頃からね、隙 間が怖かったの。なんだか暗くって、その向こう側に誰かがいるみたいな……。覗かれてるような気が、しちゃうのよね」
そう言ってテーブルの上のグラスを取ると、その中で揺れるピンク色のカクテルを一口、飲んだ。グラス表面に浮かんだ水滴が底に集まって、ポタリと――ショートパンツから伸びた脚――彼女の太腿に、落ちた。
俺は、その水滴の動きを目で追う。……せっかく彼女が初めて家に来たんだ。……このまま「じゃあね」とは、帰さないつもりだ。
「ねぇ、ほらそこ。隙 間」
彼女はそう言うと、俺の後ろの襖を指差す。
――三センチ程の、隙 間が開いていた。
「あれっ?」
俺は呆然と、それを見つめる。……いつも開けたら、キッチリ閉めるはずだ。
「閉じて」
「うん」
背後に手を伸ばし、閉じる。
――トンッ
ずっと前から、開いていたのだろうか――。
「……なんだかね。呼んじゃうみたいなの。あたし」
「……なにを?」
……結構、酔いが回っている。……彼女もそうみたいだ。頬が少し、そのカクテル色に染まって――。……なんてかわいいんだ。
「ユーレイ」
――少し茶色がかったショートボブに――少し強気な目。粉雪のように白い肌はきめ細やかで――どうしたらそんなサラサラとした肌になるのだろう…………。……触ってみt
「ねぇっ。聞いてる?」
「えっ。聞いてるよ。うん」
彼女はキッ、と俺を睨む。
「嘘。ジロジロ私の身体ばっか見てたじゃない」
「……見てないってェ」
…………どうやら俺の言うことは信じて貰えなかったらしい。彼女はハァッ、と一つ溜息をつくと、立ち上がってしまった。
「私、帰る」
「や、あっ、ちょっ……ちょっと待ってよぉ」
俺は慌てて、立ち上がる。
彼女は荷物を持ち上げると、すぐに玄関へと向かってしまった。その動作はキビキビとしていて……俺より酒には強いらしい。
玄関で追いつくも、かける言葉が見つからなかった。(なんと言ったら引き止められるんだろう……)。そんなことを考えつつも、狼狽えるばかりだった。
「言っとくけどね」
彼女がヒールの高い靴を履きながら、下を向いたまま言う。
「ここ、あんま良くないよ」
「へっ?」
……我ながら、間抜けな返事をしてしまった。
「なんのこと?」
「……やっぱ聞いてなかったんじゃない!」
――バタンッ!
……彼女は最後に俺を睨みつけ、そう吐き捨てると出ていってしまった。……遠ざかる高い足音が虚しい……。
(はぁ……)。――部屋に戻り、片付けを始めた。
――すると視界に、違和感を感じた。
……襖が、開いている。
それだけではなかった。テレビラック、窓、食器棚、トイレ……。全ての扉という扉が、少し開いている。
隙 間が、できている――。
わけもわからず、全てを閉じていった。
――バタンッ
――パチンッ
――ガチャッ
――パタンッ
――トンッ
……先ほどぼんやりと聞いていた彼女の話が、頭に浮かぶ。
(“隙 間恐怖症”…………怖かった…………誰かが…………いる…………覗いて…………)
少し寒気を感じながら、全てを閉じた。確認するために部屋を見回し、確認する。
――ッ!
襖に、隙 間ができている。
酔いが、一気に醒めた。
――目が、合った。