ウサギであれば
「梨亜〜」
廊下に響き渡った自分の名前に、眉間にしわが寄るのを自覚した。
「ちょっと、目付き怖いわよ」
隣を歩いていた親友からの注意に、自分を落ち着かせようと深呼吸を一つ。
だが失敗したようで、親友は苦笑いを浮かべた。
「梨亜!」
先ほど私の名前を叫んだ迷惑極まりない声の主は、笑顔を浮かべながら近づいて来た。
顔はいいので、周囲の女子から黄色い悲鳴が上がる。
「こんにちは、桐谷先輩」
「・・・こんにちは」
親友が進んであいさつをした後、渋々ながらも私も続いた。
やって来た桐谷先輩は「こんにちは」とあいさつを返し、私の顔を覗き込んだ。
「梨亜、久しぶりだねっ」
「一昨日会いましたけど」
「でも昨日風邪で休んだから会ってないじゃん」
「・・・・・・」
「梨亜に会いに教室に行ったらクラスの子から風邪引いたって聞いて、心配したよ」
「そうですか」
「風邪大丈夫?もう良くなった?」
「えぇ、まあ」
「それなら良かったよ。梨亜も僕に会えなくて寂しかった?」
「いえ、全く」
「またまた〜、照れ屋さんなんだから」
本音を言ったにも関わらず、桐谷先輩は自分の都合のいいように解釈してニコニコ笑う。
思わずイラっとして、嫌そうな顔を隠そうともしなかったが、桐谷先輩には全く気にした様子もない。
「僕は梨亜に会えなかったから悲しくて悲しくて」
「はぁ」
「今日も休んだら、家までお見舞いに行こうって思ってたんだ」
「それはやめてください、迷惑です」
「そうだよね〜、やっぱ梨亜自らご両親に紹介してもらった方がいいよね」
「何の話をしてるんですか?」
「それは勿論、結婚の報告だよ。あ、でも梨亜のお父さんに『娘はやらん』って言われたらどうしよう」
「ご心配なく、そんな予定はないですから。そもそも付き合ってすらいませんよ」
「そしたらやはり分かってもらうまで、僕の誠意をぶつけるしかないか」
「・・・聞いてます?」
「楽しみだね、新婚旅行」
「・・・・・・」
先輩の中で何があったかは知らないけど、そう言ってにっこりと笑う。
もうこれ以上突っ込むが面倒だったので、私は黙った。
今まで経験から、どうせ言ったところで聞いてくれないのが分かり切っている。
「ああそれにしても、すっごく寂しかったよ。梨亜に会えなくて、寂しくて寂しくて狂いそうだった」
「・・・先輩がウサギなら良かったのに」
「ん?」
首を傾げる先輩に、曖昧に笑って誤魔化し、「それにしても」と話題をすり替えた。
「昨日メール送り過ぎですよ」
「そう?」
「そうですよ、仮にも病人に三桁ものメールを送るなんて、一体何を考えてるんですか?」
「あれでも我慢したんだから。本当は声だけでも聞きたかったけど、寝てるかと思って電話は遠慮したんだよ」
「どうせ気を使うんでしたら、メールもやめてください」
私たちの会話に、隣の親友が顔を引きつらせたのが見えた。
分かる、分かるよ。私も昨日ドン引きしたんだから。
えぇー、と先輩が不満そうに声をあげるのと同時に、昼休み終了の予鈴が鳴った。
これ幸いにと、私はまだ何か言いたげな先輩に別れを告げ、親友を連れてその場を立ち去る。
「愛されてるよね〜、いい加減先輩と付き合ってあげたら?」
「冗談じゃない。私が何で昨日休む羽目になったのか忘れたの?」
「あー、そう言えば先輩のファンの人たちに水を掛けられたから風邪引いたんだっけ」
「あれでもモテるからね」
顔を顰める親友に、肩を竦めてみせた。
忌々しいことに、和風美人な先輩は学年問わずにかなりモテる。
私はと言えば、せいぜいお世辞に「可愛いね」って言われる程度で、先輩と違って目を引くほどの容姿を持ち合わせていない。
そのため、頻繁に先輩に構われる私は外見的にも釣り合わないと、よく先輩のファンに嫌がらせをされる。
鬱陶しいが、なぜか一度嫌がらせをしてきた人たちは二度目はしてこない。それどころか、私を見かけただけで顔を蒼くして目を逸らす。謎だ。私はまだ何もしていないっていうのに。
ブルブルブル
考えていたら、ポケットの中でマナーモードにしていたケータイが震えた。
取り出して開いて見ると、どうやらメールのようだ。相手は今しがた別れたばかりの先輩から。
件名も絵文字もない一言だけの本文には「梨亜においたしたクズ共にはよく言い聞かせといたから」と書かれていた。
思わずパッと振り返る。
曲がり角だったため、遠くにいた先輩が笑顔で手を振っているのが一瞬だけ見えた。
それはいつもの柔らかな笑顔ではなく、見たことのないゾッとするほど暗いものだった。
「どしたの?」
立ち止まった私を訝しげに見る親友に、「何でもない」と答えて歩みを再開する。
「そう言えば、さっき先輩にウサギがどうのって言ってたけど、あれどういう意味?」
「ん?ああ。ウサギってさ、寂しすぎると死んじゃうって言うじゃん」
「そうね」
「先輩が寂しいって言うから、それならいっそのことウサギだったら良かったのにって思ったんだよ」
「えっ、それって遠回しに死んで欲しいって事?そこまで先輩が嫌いなの?」
呆れたようにため息を吐く親友に、私は声を立てて笑った。
逆だよ。
声に出さずに呟く。
いっそのことウサギであれば、寂しくて私がいなければ死んでしまうって事になったらいいのに。
私がいないと生きていけない。
私だけ求めればいい。
そんなどす黒い事を考えてるなんて、先輩が知ったら流石に引くかな?
いや。
先ほど見た先輩の仄暗い笑顔を思い出す。
案外喜ぶかもしれない。
そう思うと楽しくなって、昨日一度も返したことのないメールに返信すべく、メール画面を開いた。
さて、何て返そうかなぁ。
一応両片思いです。
どうやったら自然な文章に仕上がるのかな?