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人の死にたいを笑うな

作者:双桑綴
 人の死にたいを笑うな   双桑 綴

 人の死にたいを笑うな。おまえは私を笑うな。私はおまえを笑わない。
 私は死にたい。わかりやすい部分だけ少し書いてみる。私は一流大学卒業後就職に失敗し非正規雇用の職についた。奨学金等の借金を返せず副業でAV女優をはじめた。あまり売れずそのうちまともな作品に呼ばれなくなり、食糞だの嘔吐だのを世間にさらした挙句裏モノに堕ちた。その撮影中に警察に捕まった。会社にはあっさり切られ、親からは勘当の通告がきた。名前も顔もネットにばらまかれ、社会的にはすでに故人だ。
 こんな自分語りをしたってどうにもならない。私は死にたい。それが確かで唯一の感情だ。この死にたさは言語化できない。自分の痛みは他人にわからない。他人の痛みは自分にわからない。私の悲惨な経歴だって「まだ若いんだからやり直せる」だの、ムリヤリ前向きに捉えることができなくもない。
 究極的にはなんら汲み取れないのだから、人の「死にたい」を笑ってはいけない。私はそう思う。「おまえが無駄に過ごした今日は、昨日死んでいった人たちがどうしても生きたかった明日なのだ」。はあ? 昨日死んだがもっと生きたかった人たちの明日と、私が耐えた今日という地獄はまったくの別物だ。単純に比較するのは狂気の沙汰。私の「死にたい」を否定するのは、そうやって死んでいった人たちの「生きたい」を否定するのと同じだ。そんな当たり前のことを理解できない阿呆が多いから――阿呆が多い世界だから、私はこの「死にたい」を阿呆にもわかるよう丁寧に仕上げて最期の自己満足を果たしたいと思う。見ていろ阿呆どもめ。

 逮捕のあと、罰金と厳重注意で釈放された私はしばらく家に籠っていた。さっさと首を吊ろうと考えていたが、ここでフツウに自殺なんかしたら私の人生を安直に解釈されるに決まっている。「死にたい」は私にとって最後の思いだ。最後の志だ。その「死にたい」が装飾されピンポイントで脚光を浴びるように、私は悲観に足らない残りの部分をことごとく破壊していかなければならない。
 私は世話になっていた薄給激務の底辺企業へ赴いた。一昨日付けの解雇通知をもらっていたが、ビルの守衛は何食わぬ顔で私の侵入を認めた。私は自分の部署へ行き、自分の机を目指した。机にはすでに別の社員が座っていた。驚いて私を見つめる同僚たちを一瞥し、私は上司の机へと一直線で向かった。
「課長、お早うございます」
 課長はつるの曲がった眼鏡をかけ直して私をまっすぐに見つめた。
「さ。佐藤。どうしてここに来た」
「死にたいからです」
 私は唇の端に唾を泡だてた課長の左目に人差し指を突っ込んだ。眼窩をぐるりとなぞり、たこ焼きを反す要領で中身を回転させた。眼球はぽろりと飛び出して視神経を命綱にそこからぶら下がった。
「ぎゃ。あああ」
 あまり聞いたことのない悲鳴が漏れた。少し面白い。私はポケットからナイフを取り出して課長をめった刺しにしていく。止める者はいない。どうやら驚きで固まっているらしい。ならば好都合だ。凌辱物のビデオに出たとき私がそうされたように、相手に突き刺した凶器をぐりぐりとかき回す。思い切り嬲りまわす。壊そうという意思で潰しにかかる。
 正義感の強い男の先輩が私の背後へ近づいてきた。私はそろそろ頃合いだと思ってナイフを引き抜き、社員どもを牽制しながら部屋を出た。そこからは全力で外へと逃げた。
 終始驚きの表情だった課長の顔はなかなか面白かった。いつも眉間にしわをよせて、ミスとも呼べぬミスをあげつらっては私にセクハラを繰り返したゴミ野郎。私に素の表情を見せるのははじめてだった。彼はすぐに死ぬかもしれないが、私は逃げながら救急車に連絡してやった。速度がゆるんだとき先輩が私に追いついてきた。仕方ないのでその端正な顔をナイフで一突き。警備員は中の状況がわからないらしく、馬鹿な女の金切り声に訝しげな顔をしていた。ついでなのでナイフを投げつけてみた。思いのほかうまく腕に刺さったようだった。

 私は路上に出るとタクシーに乗り込んだ。一人なのに助手席に乗り込むのはもちろん初めてだった。運転手は私に顔についた返り血に気づくとすぐさま車外へ飛び出していった。運転するのは二年ぶりだ。ペーパードライバーの腕が鳴る。私はちんたらと路上を横断していた老婆を轢き殺し、並列進行する目ざわりな中学生でツーコンボ、向かいから走ってきたスクーターを踏みつぶしてスリーコンボを決めた。そして車通りの少ない県道を時速百二〇キロで吹っ飛ばした。
 幸か不幸か私は捕まる前に実家まで辿りついた。ずっと等距離を保ってきたサイレンがどんどん近付いてくる。パトカーが追いつくまで一分もないだろう。私は急ぎ足で実家へと入った。
 玄関に弟の金属バットがあったのですかさず拝借する。私の逮捕を知って以来両親は引きこもりがちだという。近所でいじめられているのだろうか。こんな娘に育ったわけだが、申し訳ないとは思わない。ただただ死にたい。勘当された時点で娘じゃなくなったわけだが、血縁関係は心に染みついている。情が深いわけではなく、抗いがたい惰性によるものだ。
 突然の来訪者に驚いて母が玄関に走ってきた。私に気づいて狼狽していたので、隙だらけの脳天にバットを振り下ろす。いまの感触、頭蓋骨が砕けたかな。振動で手がしびれてバットを取り落としたが、すぐに拾い直す。右手がバットを握った形に硬直している。自由の利く左手でその隙間にバットを挿入すると、むしろさっきよりも手になじんだ気持ちがした。
 時間的に弟は高校だろう。となると家にいるのは父と母だけだ。母を殴った音に気づいて、そこの扉から出てくるに違いない。私は書斎の出入口に控え、天井に向けてバットを振り上げて機会を待つ。サイレンがどんどん近付いてくる。ブレーキ音がした。入ってくる。
「里美。母さんになにをした。ななななななな何を」
 父はトイレから出てきた。その出入口は私の背後にあった。私は素早くからだをひねって防御の姿勢をとったが、父はあぜんとするばかりだった。私に性的虐待を繰り返した暴力的な男。酒に溺れ金に汚く責任感のかけらもない、しかし外ヅラだけは異様に整った男。私を力でねじ伏せたあの大きなからだが、すっかりしぼんでいる。初老の禿げ頭、刻まれた深いしわ、びびりまくっているのか股間に染みをつくっている。用を足している最中、悪かったな。
 玄関に警官の影が見えた。銃を持っている。まさか日本でそんな光景を見られるとは思わなかったな。私は迷いなくバットを振り抜いた。全力を込めたスイングはまず戸棚の花瓶を粉砕し、続いて父の首をへし折った。気合いさえあれば女でもホームランが打てるらしい。
 警官が発砲した。太ももを撃ち抜かれたが、私はかまわず次の行動へ移った。花瓶の破片を拾い、父のジャージを引き下ろす。ぶざまに委縮した陰茎がだらんと垂れた。私はそれを掴んで引き千切り、残った睾丸を破片で切りつけた。父の金玉は思いの外簡単に潰れた。潰れた組織がピンク色のペーストになって流れ出している。もっと、白く汚く濁っているものだと想像していたけれど。後ろから警官が迫ってくる。私は痙攣する父を向かってくる男に放り投げた。男は一瞬たじろいだがまもなく私を捕縛した。
 ああ死にたい。死にたいな。
 ある程度「死にたい」に装飾ができたし、もはや人生に一縷の望みもないだろう。
 しかし、パトカーで連行されながら、私はひとつ誤算があったことに気づいた。
 全身全霊で死のうとすれば、いつでもどこでも死ねるものだと考えていたのだ。
 まあそのうち死ぬための隙ができるはずだ。差し当たって舌を噛み切ろうとしてみたがそれを察した警官に殴られて死に損ねた。


 私の意識が戻ったのは薄暗い部屋の中だった。堅いベッドのはるか上で、ブゥゥーーーーン……という音が響いている。換気扇だろうか。私を細切れに変えてくれる裁断機ならありがたい。私はいつの間にか着替えていて、少し黄ばんだ白い患者服を纏っている。どうやら牢獄ではなくて病棟らしい。世界の誰よりも死にたさを表現したつもりだったのに。この国には死にたい女を即刻射殺してくれるような寛大さがないらしい。まったく阿呆だ。
 死刑に相当するか否かじゃなくて、死にたさを認めてくれればそれでいいのに。
私は両手両足を堅く拘束されていた。口には金具がはまっていて、舌を噛み切ることができない。SMモノAVの撮影を思い出した。
「誰か! 誰か居ないの!」
 顎を固定された状態で不明瞭な大声を出した。すると間もなく部屋の外から靴音が聞こえてきた。扉が開き、壮年の男が現れる。死んだ魚の眼だ。最後に私を抱いた小太りの男優に似ている。服装からして警察官か、あるいは看守と呼ばれるような人間だろう。ここは病棟ではなくて拘置所とか留置所とかそんな感じの場所のようだ。
 私は手足の拘束を解かれて部屋の外へと導かれた。やたらと音が反響する廊下である。灰色の壁を見ながら男についていく。ガラス張りの部屋があって、そこへ入る。粗末な机と椅子。私は部屋の奥にある椅子に座る。別の男が現れて正面に座った。問答がはじまるらしく、私は口の拘束具を外された。顎がコキコキと鳴る。口の中が鉄の味だ。
「どうしてあんなことをした」
 会社での暴力を言っているのだろうか。車での暴走を言っているのだろうか。実家での殺人を言っているのだろうか。それとも、AVの出演? 裏モノの撮影? どれであってもいま私の内側にある感情はただひとつだ。
「死にたいからです」
 私がそう言うと男は不機嫌になった。机に置かれていたペンをとり、カチカチと鳴らす。そんな物に頼るんじゃなくて、私を殴るなり犯すなりしてうさを晴らせばいいのに。
「答えになってない」
「と、言いますと?」
「なんで知人や親、無関係の人間を殺したかと訊いているんだ」
 こいつは馬鹿なのか。だから言っているじゃないか。
「死にたいからです」
「ならば一人で勝手に死ねばよかろうが!」
 男は怒って力任せに机を叩いた。威嚇もかねているのだろうか。だったら私を直接殴ったほうが効率いいですよ。しかし、興奮した人間の表情はなかなかに面白い。
「動機はなんだ。人生に悲観して、どうでもよくなったのか?」
 男は身を乗り出して私に迫った。多少尋ね方を変えたら返答が変わるとでも思っているのだろうか。当局の取り調べなんてそんなものかもしれない。くだらないな。
「死にたいからです」
 私はまっすぐに見つめ返してそう言ってやった。男は目をそらし、あきらめたようにペンを放り投げた。それは放物線を描いて壁に衝突し床へ落下した。どうせあとで拾うのだと考えると滑稽な振る舞いである。
「もういい。おまえは間違いなく死刑だ。死ねてよかったな」
「いつですか」
「可及的速やかに裁判を進行する。情状酌量の余地もない」
「だからいつですか」
「なんならいまここで殺してやろうか!」
「ありがとうございます」
 売り言葉に買い言葉を返したつもりだったが、男は喰えぬ顔をして引き下がった。売るつもりがないなら期待させないで欲しい。男と入れ替わりにさっきの男が入ってきた。また部屋に戻されて拘束されるのだろうか。となると死ぬのはしばらく延ばされてしまいそうだ。そんなのはごめんこうむりたい。
 私は舌に歯を喰い込ませた。
 顎の力を込め、渾身の力で踏ん張り、噛みちぎる。脳を針山にされたような刺激がほとばしる。破瓜のときより何倍も痛くて、絶頂のときより何倍も気持ちがいい。これが死ぬってことか。これが「死にたい」の果たされる瞬間か。溶けるほどに熱した鉄の鉤爪で、全身の毛穴を引き裂いていくような感覚。内側から熱くなっていって、どんどんぐちゃぐちゃに崩れていって、口から腹まで包丁を飲み下したみたい。
 死ぬ。これで死ぬ。
 重力に任せる首吊りでもなく、化学に任せる薬でもなく、とことん能動的な自殺。
 勢いのままに噛みちぎって、そのまま咀嚼する。鉄の味。命を燃やして精錬した金属の味。ひと噛み、ふた噛みしたあたりで、縮れた舌が喉に詰まる。呼吸ができなくなる。気が遠くなる。最高の幸せの中で私は、もう誰にも笑われない世界へと旅立つ。
 誰かがからだを揺さぶっている。あわてふためく喧騒は遠ざかるばかりだ。これで終わりだろうけど、けっこう無様な展開。こんな場所で死んだら、また余計な解釈が生まれる。純然とした、一部の隙もない「死にたい」で以て死んだのだけど、取り調べの途中ってだけでまちがいなく情報が歪曲される。さっきの男が責任を負わないように、獄中で勝手に死んだとかそういう形に片付けられるかも。どっちにしろそれじゃ管理不徹底なのかな?
 私の「死にたい」が一人でも多くの人に伝わったらいいな。そういう表現ができていたならいいな。世界の阿呆どもが、人の死にたいを笑わなくなったら嬉しいな。


 ……白い……平面……に……を……視界の……。
 私は見ている。白い画面を見ている。焦点が定まっていく。壁だ。平面は壁、もとい、天井だ。私は首を上げて自分のからだを見た。鋭く気が回る。ここは病棟だ。
 舌が、ついている。

 無様な自殺ごっこだった。
 私は死にきれなかったみたいだ。
 死ぬことを目的に生きた時間が、現実をますます地獄にする。
 死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。それだけ。死にたい。
 どうせ死刑だろうけど、そうじゃない、もう余計なことはいい、早く死にたい。
 法廷で「死にたい」とだけ言い続ければ何か伝わるだろうか。浅はかな打算で同じ発言をしたすべての先人を恨む。私はおまえらの中の誰よりも純然とただ死にたい。ただこの考え、彼らの「死にたい」を値踏みしているかもしれない。反省。死にたい。
「死にたい」
 私は大声で言った。縫合された舌がゴワついて気持ち悪い。顎に力が入らない。また噛んでも同じことだ。管理下にある以上、その死に方はできない。
「死にたい」
 医師らしき男が現れた。牢獄にいた男も現れた。現れた男たちは私を見下ろしている。
「死にたい」
「死にたい」
 見下ろされている。笑われている。
「死にたい」
「死にたい」
「死にたい」
 死にたい。死にたい。
「死にたい」


「精神鑑定の結果、君はこの病院で引き取られることになった」
「死にたい」
「隔離病棟だ。君の心がバランスを取り戻すまで、私が責任を持って面倒をみる」
「私は気違いじゃありません」
「どこを見ている」
「死に……た……」
「何をしている」
 眼窩に指を入れただけですよ。
「おい」
 眼窩をかき回しているのです。
「やめろ!」
 もう見たくないから。
「取り押さえろ!」
 手と口に、枷がはめられた。無駄に舌を噛んだりはしないのに。私は気違いではありませんから。おかしなことは言いませんから。ただ、ひとつの感情を、主張する自由をください。
「(死にたい)」
 目玉を回すので精一杯だ。
「(私は気違いじゃありません)」


 どうやら、私は生きねばならない。
 どうしても死にたいのに、生きねばならない。ただ死にたいとい思いだけを抱えて、死んだように、しかし、生きていかなければならない。
 生きることは死ぬことより重い。はっきりとそれがわかった。絶対的に重いんじゃなくて、大多数の人にとって重い。この世界は多数派に牛耳られて回っていく。多数派が少数派を笑って回っていく。死にたい。死にたい。死にたい。笑う。笑うな。死にたい。
「死にたい」
 舌を縫いつけた奴が悪い。私はもうこの言葉以外口にしない。

 あれだけ人を殺したのに、死刑にならない。発狂したせいだと誤解をうけて、無罪放免となったらしい。死ねないのなら、もう、それでいい。死ぬまでひたすら死にたいと主張して生きる。そうした形で私は主張を続けていける。圧倒的な矛盾の中で、生き続ける。ただ死にたいという気持ちだけを抱いて。死にたいから。死にたい。死にたいのに。

 笑うな。


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