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短編:すこしふしぎ

笑う甘党主義者

作者:森崎緩
 夢を見た。
 海里くんと、白玉だんごを作る夢を見た。
 二人がかりでこねた白玉を茹でながら、どうやって食べようか話をしていた。すると海里くんが氷白玉あずきにしたいと贅沢なことを言い出して、茹で上がった白玉を水に取って冷やす間、今度は二人でかき氷を作った。
 真新しいかき氷器は赤いアイスクリームスタンドをかたどった手動式で、私たちは代わりばんこにハンドルを回した。私も海里くんも甘い物が好きだから、毎日のおやつを生み出す為の作業は全く苦じゃなかった。むしろ出来上がりを楽しみにしながら、大はしゃぎで氷を削った。楽しい夢だった。

 私が忘れっぽいのか、それとも夢ってものが元々そういう性質なのかはわからない。
 ともかく私は、その日見た夢を、目覚めた直後は忘れている。

 今日だって、海里くんと白玉粉を混ぜて、伯父さん家の古い台所で鍋にぐらぐらと湯を沸かして、白玉だんごを茹でている間にようやく気づいた。
「のどかさん。この白玉、どうやって食べる?」
 海里くんのその聞き方には覚えがあって、それで初めて『あ、これ夢で見た』って思った。
 瞬間、難しいパズルが解けた時みたいにすっきりして、頭がクリアになる。
 だけど心はかえってもやもやする。夢と同じことが起きるなんて、やっぱり奇妙だ。普通じゃない。
「缶詰のあんこを買ってあるから、冷やしぜんざいでって思ってたんだけど」
 もやもやしつつも私が答えると、海里くんは日に焼けた顔で私を見下ろす。彼は生意気なことに、私より十センチも背が高かった。
「それじゃちょっと物足りないよ。氷白玉あずきにするのはどう?」
 海里くんはアーモンド形の目をきゅっと細め、薄い唇の両端を愉快そうに吊り上げ言った。笑う時、楽しい気分の時、彼はいつもこんな表情になる。
 私にとっては少し、懐かしい顔だった。
「氷、作ってあるの?」
「当然。俺とのどかさんの分なら余裕であるよ」
 悠々と冷蔵庫に歩み寄った海里くんは、芝居がかった動作で冷凍庫の引き出しを開ける。その中に四角い氷がぎっしり詰まっているのを私に見せた後、得意げに胸を張った。
「昨日のうちに作っておいた。あと、かき氷器も洗ってあるし」
「すごい。用意周到だね」
 誉めてあげると、海里くんは嬉しさを押し隠すように視線を外す。そのくせ口元はにやにやしながらこう言った。
「俺、こう見えても計画的な男だから。もっと盛大に感謝してくれてもいいんだよ」
「すぐ調子に乗るのがなあ……」
 そういう生意気なところはさておき、海里くんは甘い物に目がない。こうして毎日のおやつ作りを手伝ってくれるばかりか、より美味しく食べる為の努力や準備も惜しまない。高校生の男の子でここまで甘い物好きの子って珍しいのかもしれないけど、作る側としても美味しい美味しいと食べてもらえるのは嬉しいものだった。
 それに私だって甘い物が好きだから、二人でする毎日のおやつ作りが楽しくて仕方がなかった。一昨日は水ようかんを作ったし、昨日は葛きり、そして今日は白玉だんご。母仕込みのお菓子作りスキルを活かすいい機会だ。
「待ってて、今出すから」
 そう言って海里くんは流し台の下に屈み込むと、戸を開けてかき氷器を取り出す。
 私はそこでまた、夢の中のやり取りを思い出した。その上で海里くんの動作を落ち着かない気持ちで見守っていたけど、現われたアイスクリームスタンド型の、赤いかき氷器を見た瞬間、思わず口に出さずにはいられなかった。
「……夢で見たのと同じ」
 かき氷器を抱えた海里くんが、私の方を向いて瞬きをする。
「マジで? また?」
「うん、昨夜も見たんだ。やっぱりこれ、予知夢だよ」

 つるんとした白玉と缶詰のあんこをガラスの器に盛りつけて、お仏壇に供えた。
 ろうそくに火を着け、お線香も立てて、鉦を三回鳴らして手を合わせる。それから目を開けると、お仏壇の前に並んだ遺影の中、祖父は場違いなくらい不遜な笑みを浮かべていた。
 こうして見るとしみじみ、うちの祖父と海里くんはそっくりだと思う。
 こんがり日に焼けた顔とか、アーモンドみたいな形の目元とか、唇を吊り上げる笑い方とか。

 その後で祖父似の海里くんと居間のテーブルを囲んで座り、扇風機の風を浴びながら氷白玉あずきをいただいた。お仏壇に供えた分もお線香が消えたら下ろして食べるから、そっちにはかき氷を盛らなかった。
「でもじいちゃんなら、『何で俺の分にはかき氷ないんだ』って文句言いそう」
 海里くんがシロップのかかった氷の山をスプーンで崩しながら笑う。
 私もざらざらした甘い氷を口に運んで、口の中と頭をきんきんに冷やしてから頷いた。
「言いそう。だから私、そういう夢を見るんじゃないかって思って」
「じいちゃんが、のどかさんに夢を見せてる、ってこと?」
「うん」
 昨夜だけじゃなかった。
 私が伯父さんと伯母さんと海里くんの家に泊まりに来てからというもの、毎晩甘い物の夢を見ていた。
 一昨日は葛きりを作って食べる夢だったし、その前は確か水ようかん。更にその前は金つば、しかもご丁寧に伯父さん家の近所の和菓子屋のって指定までされてあった。それだけならいかにも甘党の私の見る夢らしいって納得するところなんだけど。
 そういう夢を見た次の日、私は必ず夢に見た甘い物を作って食べていた。昨日は葛きり、一昨日は水ようかん。金つばはまあ、その前の日から伯父さん家のお仏壇に上がってて、包装紙に包まれてるのも見ていたから和菓子屋まで一致するのもおかしくないのかもしれない。手作りおやつにしたって、目覚めた直後は忘れているとしても深層心理には刷り込まれていて、夢で見たから食べたくなって作った、という解釈もできなくはない。
 だけどそれにしては何日も続きすぎだと思っていた折も折、今日もまた夢が本当になった。
 しかもただの白玉じゃなくて、氷白玉あずきという海里くんの思いつきまでぴったり一致した。
 それどころか、かき氷器の色と形まで夢とそっくり同じだった。伯父さんの家で今年買ったばかりの新品らしく、当然、私にとっては今日初めて見るものだった。ただの偶然だとは、私にはもう思えない。
「すごくない? こっち来てからずっと当たってるんだよ。予知夢だよ」
 氷とあずきを交互に掬いながら私は語る。
「これはもう、どう考えてもおじいちゃんからの夢のお告げだと思う。きっとおじいちゃんは、私に何か伝えたいことがあるんだよ。間違いない!」
 興奮する私を、海里くんは白玉を頬張りながらどことなく疑わしげに見る。
「お告げってどんな?」
「さあ。今んとこ、おやつの夢しか見てないし」
「それだけでお告げとか言い切っちゃうんだ。のどかさん、かぶれてるね」
「かぶれてるって……何によ」
 いとこ同士とは言え、年上相手に遠慮のない物言いをしやがる。
 私がむっとしたのを見て、海里くんは軽く首を竦めた。
「仮に予知夢だとしてもだよ。だからってじいちゃんパワーだとは思えないんだけどな」
「おじいちゃんしかいないよ、こんなに甘い物の夢ばっか見るなら」
「のどかさん自身がエスパーって可能性は? 普通、そっちを先に思い当たるよ」
「それなら何で今頃? って感じだし。今まではそういうの全然なかったんだから」
 私の十九年の人生は絵に描いたように平々凡々としていて、オカルト沙汰とも無縁だった。
 幽霊なんて見たこともないし、超能力なんて漫画か、酔っ払いの与太話くらいでしかお目にかかったことがない。だからこの予知夢のことも、最初はただの偶然だと思っていた。
 それが今年の夏休み、こっちに遊びに来てからずっと続いているんだから、オカルトとは無縁の私もそろそろ超常現象を疑いたくなってきたわけだ。
 次の日のおやつばかり予知できる能力と来たら、それは無類の甘党だった祖父のご加護に違いない。
 それでなくてもうちの祖父は、何かそういうことをやらかしそうな可能性に満ちた男だった。
 伯父さん家にはちょうど祖父のいるお仏壇もあるし、もうじきお盆もやってくる。となれば、お盆を前にいち早く里帰りしてきた祖父が、眠る私に予知夢を見せているって考えるのが自然だと思うんだけど。
「どっちにしろ、特に役立たない予知だからな」
 海里くんはこの件に関しては冷静と言うか、むしろ冷めていた。鼻で笑うようにして、
「俺はのどかさんが食いしん坊だからそういう夢見るんだって思うよ」
 と言うから、私は心外さに鼻白んだ。
「うら若き乙女に対して何たる物言いか!」
「事実だろ。毎日毎日、おやつに対してはこんなにも熱心なんだから」
 君がそれを言いますか。食いしん坊なのも甘党なのもお互い様なのに、つくづく生意気な子だ。
「海里くんは、私のこと全っ然言えないと思いまーす」
「いいや。俺は見てないから、そんな夢」
 きっぱりと言い切る海里くんは、どうやら私と同じ目にはあっていないらしい。

 そもそも私が伯父さん家に来たのは、私の家のエアコンが壊れるという大事件が発端だった。
 八月の酷暑の最中、家に冷房なしじゃ夏休みは乗り切れないし勉強も捗らない。うちの両親は共働きで忙しく、いつも夜遅くまで家を空けているから、エアコンのない深刻さがいまいちわからないらしい。そのせいで新品購入よりも数日かかる修理を選ぶという最悪の判断を下した。
 エアコンの修理の間、私は灼熱地獄のように蒸し暑い我が家で寝起きしなきゃいけないわけで、絶望に打ちひしがれ十九で散るかもしれない我が身の儚さをひとしきり嘆いていたら、母が呆れたように言った。
『じゃあ、のどかだけでも兄さんとこ行きなさい。ついでにおじいちゃんたちのお墓参りもしてきてよ』
 伯父さん家は山間にある小さな町に建っていて、周りは緑の山々ばかりで涼しげだし、元々は祖父が建てた古い日本家屋なんだけど、風の通りがよくて意外に過ごしやすい。
 伯父さん一家も私を快く預かってくれて、私は夏休みをこの田舎町で送ることになった。

 涼しさの代わりに、他には何にもないような田舎だった。
 買い物は不便だし、遊びに行く先もほとんどない。でも不思議と退屈はしなかった。伯父さんと伯母さんも共働きなので、日中は海里くんと二人で過ごしているからだろう。一緒にお墓参りも行ったし、一緒におやつ作ったり食べたりしているし、毎日の夕飯の買い出しも二人で行く。海里くんは三つも年下のくせにちょいちょい生意気だけど、昔から弟みたいなものだと思っていたし、年々祖父に似てきたせいか何とも憎めない奴で、二人で過ごすのもなかなか楽しかった。
 そういうふうに平和な日々が続いているせいなんだろうか。私は次第にあの甘い物の夢が気になってしょうがなくなってきた。もしかしたら何か、夢を見る原因になっているものがあるのかもしれないなんて、非現実的な考えを持つようになってきた。
 平和な田舎町も結構なことだけど、ちょっとくらいは刺激というか、びっくりする出来事が欲しい。夏休み、しかもお盆近くと言えば少年少女がほんの少しの不思議とめぐり会う季節と相場が決まっているのだ。十九歳の女子大生を少女枠に含めていいかはこの際さておくとして。
 そこに起こったこの度のごくささやかな超常現象は、謎めき具合も夏っぽさという観点から見てもまさにぴったりの事件だった。
 ついに私にも少しの不思議とめぐり会う機会がやってきたのかもしれない!

「……そう、これは事件なんだよ。どう考えても普通じゃない」
「事件ってほど大げさなもんかな。確かに偶然にしちゃ、続きすぎだと思うけど」
 色めき立つ私に、海里くんはそう言った。
 この時、海里くんは氷白玉あずきをあらかた片づけていて、最後の白玉をスプーンでひょいと口に運んだ後、かき氷の溶けた水分まできれいに飲み干した。
 それから深く息をつく。
「けど予知夢を見て、それでどうなるって? 単に次の日のおやつを当てられるだけじゃ意味もない」
 彼の、だぶついたタンクトップの胸元が、扇風機の風に吹かれてばたばた揺れている。甘い物をいくら食べても太らないところまで祖父にそっくりな海里くん。羨ましすぎてむかつくし、不思議に憧れる私の推測をことごとく潰していくところも腹立たしい。
「それこそ、さっきのどかさんが言ったみたいにさ。夢の中に、じいちゃんからのありがたいメッセージでも含まれてるっていうんなら別だけど。そういうのがないんじゃ、やっぱりのどかさんの甘党パワーだとしか思えない」
 そして悔しいけど、彼の発言にも一理あると言えばある。
 予知夢でこう、これから起こる危機とか、祖父からの頼み事でも教えてくれるのならそれっぽいけど、本当に海里くんの言う通り、明日のおやつがわかるだけだからね。自分で言っといてなんだけど、事件というには日常的だし、超常現象的なロマンにも乏しい。
「おじいちゃんからのメッセージかあ……」
 それで私はスプーンを、探偵のパイプよろしく咥えながら考える。
 今日まで見続けた甘い物の夢の中、隠された訴えはないものかと――だけど昨夜ならまだしも一昨日、その前の夢の内容がはっきりくっきり思い出せるはずもなく。
 ちゃんと覚えているのは現実と一致したおやつのメニューと、それを海里くんと一緒に食べたり作ったりする、映画のフィルムにしたらほんの数十コマくらいの情景だけだった。
「じいちゃんの言いたいことなんてせいぜい、『仏前に俺の好物をもっと供えろ!』ってとこだろ」
 考え込む私の代わりに、海里くんが言った。
 海里くんのする祖父の物真似は激似だった。顔のつくりも笑い方も甘党なところも、孫の私がしみじみ思うくらい本当によく似ていた。伯父さん伯母さんが半ば本気で、おじいちゃんの生まれ変わりじゃないかって言い出すほどだ。
 もっとも祖父が亡くなったのは二年くらい前の話なので、生まれ変わりという可能性があるはずはない。単なる遺伝、血筋ってやつなんだろう。
 でもそれなら、甘党の人らしい夢を見る役割は海里くんの方こそふさわしい気がするんだけどな。私は祖父には似てないのに、何で祖父は私に夢を見させるんだろう、とも思う。
 現状、祖父のせいって決まったわけでもない。他に無類の甘党主義者なんて、私と海里くん以外には見当たらないからそう思うだけだ。
 そして私にとっての祖父は、何となくそういうことをしそうな人、ってイメージがあるから。それだけだった。根拠としてははなはだ貧弱だ。
「おじいちゃんがそれだけの為に、私に予知夢なんて見せるかなあ」
「見せるね。じいちゃんならやりかねない」
「ですよねー……。おじいちゃんだもんね」
「ぶっちゃけそれ以前に俺は、のどかさんの考えすぎ、かぶれすぎだと思うけど」
 海里くんは頬杖をつき、考え込む私に宥めるような笑顔を向ける。
「のどかさんがどうしても超常現象にしたいって言うんならさ、じいちゃんが仏壇に供えて欲しいメニューを送ってきてるとでも思っとけばいいんじゃないの。俺はじいちゃんなら、そのくらいくだらないことしかしないと思うね」
 歯に衣着せぬ言いようだけど、祖父に関してはそう言う人も少なくない。

 うちの祖父は生前、よく言えば明朗快活、悪く言えば少々やんちゃな性格の主だった。
 老いてなお周囲の人間をからかい、常に冗談か本気かわからないような発言を繰り返していた。その一環として祖父は私にも奇妙な話をしてくれたものだった。
 あのアーモンド形の目を細め、唇の両端を吊り上げて、日焼けした皺だらけの顔をくしゃくしゃにしながら祖父は言った。
 ――おじいちゃんはな、未来がわかるんだぞ。こう、頭にひらめくみたいにな。
 祖父のする予知は、それこそ今日のおやつや夕飯の献立、あるいは来客者を当てる程度のもので、この歳になってしまえばもしかするとタネも仕掛けもあったのではと思わずにはいられない代物だった。だけど当時の私には祖父が本物のエスパーに見えたし、次々と予知が的中していくさまは子供心に鮮烈な印象を残した。
 だから私はこの度の一連の予知夢を祖父と関連づけてしまう。もしかすると、祖父は正真正銘本物のエスパーだったんじゃないかって――今となっては確かめようもないからこそ、よりそう思うのかもしれない。

 一方で、親戚筋からの祖父の評判はそれほどでもなかった。
 うちの母や伯父は純粋無垢な幼少の頃の私が祖父の言葉を鵜呑みにしているのを見て、
『またおじいちゃんがのどかを担いでるな……』
 としか思わなかったらしい。

 海里くんもどちらかと言えば祖父の言動には懐疑的だし、祖父によく似ている割に、私ほどは懐いていなかったようだ。
「のどかさんは本当、じいちゃんが好きだよな」
 空になったガラスの器を見下ろしながら、海里くんは呟く。
「面白い人だったじゃん。一緒にいて退屈しないって言うかさ」
 私が応じると、海里くんは私を目の端で見て、いくらか不満げに言ってきた。
「俺はじいちゃんが、のどかさんを散々泣かせてきたのを見てきてるからさ……」
「海里くん、まるで私が悪い男に泣かされてたみたいな言い方するね」
「実際悪い男だっただろ。美化しすぎなんだよ、のどかさんは」
 冗談半分とは言え、故人、しかも実の祖父にその言い方はどうだろう。
 それに泣かされてきたといっても、せいぜい子供の頃に本気で怖い話をされたとか、チャンバラごっこでこてんぱんに負かされたとか、そういう次元の話だ。
 そんな時、海里くんは本気で祖父を怒っていたけど、私からすれば祖父のやんちゃぶりも大好きだったし、こうして振り返る分にはいい思い出となっていた。
「もう会えないから、いい思い出ばかりに感じるってのはあるかもね」
 私はしんみりした気分で呟く。
 皆が何と言おうと、私にとっての祖父はやはり素敵な人だった。
 海里くんはしばらくの間、何か言いたそうに私を見つめていた。
 でもその後、思いついたことでもあるように急に立ち上がる。そして思い出の中の祖父によく似た笑い方で私を見下ろした。
「仏壇の白玉、早い者勝ちでいい?」
「どうぞ。海里くんが食べていいよ」
 元々譲る気でいたから、私は彼にあげることにした。
 それで海里くんは居間のすぐ横にある仏間に駆け込むと、お仏壇の前で三回鉦を鳴らしてから白玉あずきの器を下ろした。
 私も食べ終えていたので、海里くんにかき氷を作ってあげようと席を立つ。
 夢の話はまだもやもやと心のうちにあったけど、考えてもわからないんじゃしょうがない。また見ることがあったら、今度はもう少し真相に近づけるかもしれない。そう思うように努めた。

 そうしたら、またその晩も夢を見た。
 海里くんと買い物に出たついでに、田舎町らしい佇まいの駄菓子屋さんでアイスを買った。
 私は真ん中で割れるソーダのアイスを選び、海里くんはナッツを散りばめたチョコレートがけの棒アイスにした。夏のからからに乾いた道を、二人でアイスを食べながら歩いた。途中、海里くんが一口ちょうだいと言ったから、私はソーダアイスを彼の口元へと差し出した。
 その時、海里くんはもう片方の手に、金つばの美味しいあの駄菓子屋さんの紙袋を提げていた。
 そういう、楽しい夢を見た。

 次の日、お昼ご飯を食べた後で私たちは買い物に出かけた。
 いつもなら夕方、いくらかでも涼しくなってから出るんだけど、海里くんがちょっと足を伸ばして行きたい店があると言ったから、今日は時間を前倒しして出発することにした。
 田舎町は買い物も何かと不便なようで、普段は伯父さん家から歩いて二十分のところにある個人経営のスーパーに通っているものの、品揃えはあんまりよくない。昨日、せっかくかき氷器があるんだからとシロップを探しに行ったんだけど、どうやら取り扱っていないみたいだった。
 こういう時、普通ならコンビニ行けばいいやって思うのに、ここは田舎だから普通のコンビニチェーンもなし。
 それでも一応、コンビニ『もどき』はある。けど、こっちも雰囲気的には個人商店と大差ないし、今時珍しいことに二十四時間営業じゃない。
 この町に住んでいる人たちは、もしも夜中につい甘い物が食べたくなってしまったら、事前に買い置きを用意しておくか、そうでなければ自分で作るしかないわけだ。

「だから、のどかさんがずーっとこっちにいてくれたらいいのに」
 と、海里くんは流れる汗をものともせず、屈託なく語る。
「そしたらいつでもお菓子作ってもらえるだろ。こんな遠くまで買いに来なくてもいい」
「君の専属コックかあ……。ま、お給料次第で考えてもいいかな」
 私は冗談のつもりで応じたけど、海里くんは本気にしたようだ。すぐさま食いついてきた。
「え、マジでいいの? じゃあさ、時給でどのくらいならアリ?」
「いや、海里くんね。時給ってとこからして微妙なんですが」
「駄目? ああそっか、福利厚生のちゃんとした正社員希望とか、そんな感じ?」
「当然だよ。今時バイト生活じゃそうそう暮らしてけないでしょ」
 すると、海里くんは手をひらひらさせながら言った。
「大丈夫だって。ここに住んでたら、そんなにお金使う先ないから」
 確かにこの田舎町じゃ、ろくに買い物もできないしお金を使う機会もなさそうだ。
 私の住んでいるところより家賃は安いし、遊ぶところはほとんどないし、それなら食費さえ賄えればどうにかなりそう、なんて短絡的な考えが頭を過ぎってしまう。
 だけど、少しの間の避暑ならともかく、実際に暮らすならさぞ不自由も多いだろう。店なんて古い個人商店ばかりだし、若い子とか、どこで服買ってるんだろうなって思う。海里くんはいっつもシンプルなTシャツやタンクトップだから、別にどこでも買えそうだけど。

 私たちが本日足を伸ばした商店街も、いかにも田舎らしい年季の入った趣だった。
 色褪せたアーケードの下にはいかにも先祖代々やってます、って雰囲気の店が立ち並んでいる。半端な都会だとこういう商店街はシャッター街になっていることも多いというけど、ここまで田舎だと他に買い物に行くあてがないせいか、それなりに賑わっているようだった。アーケード通りを行き交う人はそこそこいたし、そういう人たちが店に出入りする度、店内から冷えた空気が溢れ出てくるのが歩き通しの肌に心地よかった。
「さすがに炎天下でこの距離はきつかったかな」
 海里くんが気遣うように私の顔を見る。
 生まれてこのかた田舎町暮らしの彼は目を瞠るほど足腰が強く、一時間近く歩こうが全く疲れた様子がない。
 一方、都会っ子の私はすっかりくたびれていて、ここからまた伯父さん家まで帰るのかと思うと悲嘆に暮れたくなっていた。
「あちー……」
 ゾンビのような呻き声を上げながら、私は従弟に訴える。
「こう暑いと干からびちゃいそうだよ。帰りに冷たいものでも買って帰んない?」
「いいねそれ。買い物済んだら何か買おうか」
 海里くんが即座に同調してくれたので、私たちはまず目的の買い物をさっさと済ますことにする。
 行き先は和菓子屋さんだ。祖父の大好物だった、金つばの美味しいあのお店に行きたいと海里くんは言っていた。もちろん金つばを購入して、それをお仏壇に供えるつもりだという。
「のどかさんの夢についてだけどさ」
 優しそうな店員さんから金つばの入った紙袋を受け取ると、海里くんは得意げに語る。
「じいちゃんからのお供物の催促だとしたら、好物を供えときゃ収まるかと思ったんだ」
「それで鎮まるかなあ、あのおじいちゃんが」
「味を占めて、かえって荒ぶったりしてね」
 割とシャレにならないことを言った後、にんまり笑って海里くんは続けた。
「でも、のどかさんがあんまり気にしてるようだから、俺なりに考えてみたんだよ。どうせ仏壇にお菓子は必要なんだし、試してみてもいいって思うだろ?」
 生意気なことは言っていても、この従弟は私の見る奇妙な夢について、あれこれ気にかけてくれているようだった。
 口は悪くても心根は素直で優しい子だ。口の方ももうちょい優しくてもいいと思うけど。

 冷房の効いた和菓子屋を後ろ髪引かれる思いで離れた私たちは、次の涼を求めてアーケード街の中にある駄菓子屋さんへと向かった。海里くんはこの商店街まで足を運んだ際は、いつもそのお店でアイスやジュースを購入するという話だった。
「ところで、昨夜は何か夢見た?」
 歩きながら彼に聞かれ、私は顎に手を当てて唸る。
「それがさあ……いつものことながら、思い出せないんだよね」
「夢で見た、ってひらめく瞬間までは、まるで出てこない感じなんだ?」
「そう。それはそれで変だと思わない?」
 夢の内容を目覚めた直後は覚えてない、ってのも、そう珍しくない現象だと思う。
 ただ私の場合、こうして予知夢が何回か続いた後は、目覚めてすぐに夢について思い出そうと努めてみたことがあった。ところが、意識して思い出そうとしても頭に重くもやがかかったようで、全く浮かんでこなかった。夢に見たことを自覚するのはいつも、夢と同じ場面に遭遇してからだ。
 こんなんじゃ、海里くんの言ったように予知としてはあんまり役立たない。祖父の思惑が反映されているのだとすれば、祖父は私に一体何を伝えたいんだろう。
 それとも、食わせ者の祖父のすることに、そこまで壮大な意味などないのか。
「俺はやっぱ、のどかさんが食べたい物の夢を見てるだけだって思うけど」
 海里くんはどうしても、私が甘党の食いしん坊だと言い張りたいようだ。にやにやしながらそう言われたので、私は首を竦めておく。
「ロマンがないねえ海里くんは」
「のどかさんこそ、十九にもなって中二病だね」
「いくつになってもロマンを忘れぬいい女と言って欲しいな、この場合」
「いい女はそもそも、そういうのにかぶれないと思うよ」
 そうだろうか。オカルト沙汰に巻き込まれるヒロインってのは、大抵美人だったり美少女だったりするもの、のはずだけど。いい女には夢もロマンも、少しの不思議も自然と寄ってくるものなのかもしれない。じゃあ私がそういう夢を見るのだって致し方あるまい、なんてね。
 あとはもう少し、理解しやすくわかりやすい不思議が欲しいです。予知夢の意味をあれこれ推測するのも結構体力使うし、そろそろ片づけたい時期だしね。おじいちゃん、聞こえているならどうぞよろしく。
「……で、のどかさんはアイス、どれ食べる?」
 駄菓子屋さんの前まで辿り着くと、海里くんは私の方を振り向いた。
 アイスケースの蓋を開けながら彼にそう尋ねられた時、靄が立ち込めていたような頭が、急にすっきり晴れた。

 ――夢で見た。昨夜、この光景、まさにこの通りに。
 田舎町らしい佇まいの駄菓子屋さん。金つばが美味しい和菓子屋さんの紙袋を提げた海里くん。そして彼が霜だらけのアイスケースから引っ張り出したのは、ナッツを散りばめたチョコレートがけの棒アイスだった。
 私は私で、今の気分はすっきり爽やかなソーダ味を欲していた。喉が渇いていたせいか、もう他の味は論外、眼中になかった。アイスケースの中を覗くと、ちょうどスタンダードなソーダアイスは切らしているようで、真ん中でぱきっと割れる、棒が二本ついた方のソーダアイスしか残っていなかった。
 つまり、何もかも夢で見た通りだった。

 アイスを食べながら、私たちは商店街を後にする。
 入道雲がもくもく湧いている夏空の下、身体中にまとわりつくような熱気と湿度を冷たいアイスで緩和する。口の中が冷えると気分がすっとして、不思議と頭まで冴えるような気がした。
 食べたかっただけあって、ソーダ味のアイスは本当にすっきり爽やかで美味しかった。ただこのアイスは棒が二本でちょっとばかし食べづらい。炎天下でなければ真ん中で割って、一本ずつ大事に大事に食べるんだけど、ここでは急速に溶けてしまう恐れがあるので慌しくかじらなければならなかった。
「のどかさん、一口ちょうだい」
 ソーダアイスと格闘する私を面白そうに見やりつつ、海里くんが言った。
 ああ、そういえばこんな場面も夢の中にはあったっけ。そう思い、私はソーダアイスを十センチほど高いところにある彼の口元に差し出す。
「あいよ」
「ありがと」
 海里くんは遠慮なくぱくっとかじりつき、溶けかかって崩壊の危機を迎えているソーダアイスを、実に美味しそうな顔で食べた。アーモンド形の目を細めて、にまにまと。
「ほっひもふまいれ」
 何言ってんのかわかんない。私はつい笑ってしまった。
「咥えたまんまで喋んないの。行儀悪いよ」
 食べ歩きしてる身分で指摘できるもんかとも思うけど。行儀の悪さならどっこいどっこいか。
 それにしても。また夢と、同じになった。
 海里くんと二人で出かけて、買ってきたものも、歩きながら食べているアイスの種類も、こうして一口食べさせてあげたところまで全部同じだった。夏の強い日差しに干上がったような、からからの田舎道を二人で歩いている。
「のどかさんも食べる? チョコ剥がれかけてるけど」
 ぼんやりする私に、海里くんが食べかけのアイスを向けて寄越した。
 私はそれを横目で見てからかぶりを振る。
「いや、いいよ。今日は何か猛烈にソーダの気分だから」
「へえ。そんなに食べたかったんだ」
「そうみたい。夢で、見たせいかもしれないけど」
 何気なく言ったせいだろうか。海里くんはチョコアイスを引っ込め、一度自分の口に運んでから、再び勢いよくこっちを向いた。
「夢のこと、思い出したの!?」
「ついさっきね」
 私は今にもほろっと崩れ落ちそうなソーダアイスを頬張り、きちんと溶かして飲み込んでから打ち明ける。
「昨夜は、海里くんとこうして買い物に行った帰り、アイスを食べる夢を見たんだ。あのお店の紙袋も、私がソーダ味のアイスを、海里くんがチョコのアイスを選んだところもぴったり同じだった」
 話す私の手の中には、二本のアイス棒だけが残った。これって、当たりとかないやつだっけ。どちらも何も書いていない。
 でも夢は当たった。大当たりだった。
「それにさ、海里くんが『一口ちょうだい』って言ったのも、夢で見たよ」
 私の言葉に、彼は心外そうに眉を顰める。
「何か俺、のどかさんの夢の中じゃ食いしん坊ってことになってそう」
「なってるってか事実、空前絶後の食いしん坊ですがな……」
「のどかさんほどじゃないし。同類扱いみたいでショックだな」
 どの口が言うか。私は軽く睨んでやったけど、問題はそこじゃないってことも忘れていない。
 この夢は多分、私が海里くんをどう思ってるかとか、私が甘い物を好きだって事実も、関係していないんじゃないかと思う。あくまでも見るのは本当になることだけで、だから、つまり。
「本当に、予知夢なのかもしれないね」
 海里くんもそう言った。
「だって、いかにのどかさんが無類の甘党で類稀なる食いしん坊だとしてもさ」
「海里くん。女の子にそこまでの物言いはいかがなものか」
「まあ、それは置いといて。甘党パワーだけじゃ、こんなに細かく当たんないよ」
 彼もチョコアイスを平らげてしまうと、アイスの棒を指揮棒みたいに振りながら続けた。
「俺が金つばを買いに行こうって言い出すとことか、俺がチョコアイスを選ぶとことか。いかにのどかさんでももれなく当てるなんてできっこない」
「そうだよねえ……」
 昨日のかき氷もそうだった。
 私の知らないはずのことまでが、夢の中にはあらわれていた。

 となると問題は、これらの予知夢にはどんな意味があるのか、その一点に尽きるわけだけど。
 祖父が金つばを求めていたのだとして、それを私に見せて、しかもすぐには思い出せないようにすることに意味はない。今日だってお供物を買いに行こうと言い出したのは海里くんだし、私はアイスを買う段まで、夢の内容を忘れていた。つまり、私が海里くんを、買い物に出るよう誘導することはできなかったはずだ。
 じゃあ祖父は、私に一体何を伝えたいんだろう。
 それとも海里くんが主張してきた通り、祖父は全く関係なく、私の甘党パワーという可能性は……あるのかなあ。さすがに超能力発揮できるほどじゃないと思うんだけどな。

「けど、じいちゃんのせいだとしたら、ちょっと大事だよね」
 海里くんはそこで呆れたように笑った。
「自分は高い金つば買わせておいてさ、のどかさんにはたかだか六十円のソーダアイスだろ。どうせならもっと美味いもの食べられるような夢を見せてあげればいいのに」
 確かにそうだと私も笑った。
 今日はたまたまソーダアイスが食べたい気分だったけど、せっかくだからもっといいものを食べられるよう、予知夢を見せてくれてもなと思わなくもない。
 すると海里くんは何かひらめいたらしく、
「あ、じゃあさ! のどかさんの今食べたいもの教えてよ」
「え? 何で?」
「俺が今晩、のどかさんの枕元で食べたいものをずっと囁いてあげるから」
 無邪気な従弟は、いかにも名案だと言わんばかりの笑みを浮かべて語った。
「そしたらのどかさん、好物の夢見れるかもしれないじゃん」
「ずっと枕元でぶつぶつ言われ続けながら寝つくの? ってか、寝れっかな……」
「なら、のどかさんが寝ついてからそっちの部屋行くよ。それでどう?」
「却下。伯父さん伯母さんに目撃されたら、それこそ大事になるっつうの」 
 もっとも伯父さんと伯母さんが、真夜中に私の部屋を訪ねる海里くんを見かけたところで、おかしな解釈はしないとは思うけど。
 最後の最後で無用なトラブル起こすのもどうかと思うので、丁重にお断りしておく。
「駄目か」
 海里くんは軽く肩を落とした後、すぐに言葉を継ぐ。
「ま、それはそれとして。もし食べたいものあるなら本当に教えて。のどかさん、明後日には帰っちゃうだろ。最後に何か美味いもん食べてって欲しいからさ」
 お盆に入ると、海里くんのお兄さん一家が帰省してくる予定になっていた。遠方に住むそちらの従兄には既に奥さんとお子さんがいて、伯父さんと伯母さんは孫ちゃんたちに会うのを大層楽しみにしているようだった。私には『気にしないでいいから、ずっといなさい』と言ってくれたけど、さすがに三世代水入らずのところをお邪魔しちゃ悪い。
 ちょうど昨日の晩、我が家のエアコンが無事直ったと母から電話があった。お墓参りも済ませたことだし、お盆前に帰ることにしたわけだ。
 唯一、奇妙な予知夢についてだけが未解決で、心残りではあったけど――。
「食べたいものかあ」
 私は少し考える。
 やっぱ甘い物がいいなと思い、脳裏に浮かんだのは昨日使った赤いかき氷器と、昨日食べたつるんとした食感の白玉だった。
「いちご白玉とかどうかな」
「何それ。美味そう」
 名前を出しただけで、海里くんは目を輝かせ食いついてきた。
「白玉粉に潰したいちごとか、ジャムでもいいんだけど、混ぜて茹でるときれいなピンクの白玉ができるでしょ。それに練乳と、かき氷にいちごシロップかけたのを添えたら、我が世の春って感じになるよ」
「うわあ……食べたい! のどかさん、明日のおやつはそれにしよう! 俺も白玉ならもう作り方覚えたし、何だったら俺が作るよ!」
 海里くんは途端にはしゃぎ出す。
 それで私も、よし二人で作るか、って気分になったけど、直後海里くんが表情を曇らせた。
「あ、でも、シロップ買うんだったらさっきの商店街じゃないと……」
 そうだった。伯父さん家の近所のスーパーには、かき氷シロップは置いてなかったんだ。さっきの商店街でなら買えたのかもしれないけど、復路も一時間弱の道のりをもう半分近く歩いてきてしまったから、戻るのは非常に億劫だった。
「明日買いに来ればいいじゃん。今日みたいに、ちょっと早めに出てさ」
 私が勧めると、海里くんは残念そうにしながらも頷いた。
「しょうがないか……。のどかさんといられるのも、明日一日しかないのにな」
「今生の別れじゃないんだから。また来るよ、そのうちに」
 そう言いつつも私は、従弟が別れを惜しんでくれていることが素直に嬉しかった。
 だからこそ、明日のおやつは腕を振るおうと心に決めて、今日は彼と二人、のんびりと帰路を辿った。

 そうしてまた次の日、夢を見た。
 ただし、今度のは悪夢だった。

 夏空の下、からからの田舎道を歩く海里くんに、暴走運転のバイクが突っ込んだ。
 一気に距離を詰めてきたエンジン音が急に膨れ上がったかと思うと、ほんの一瞬のうちに、目の前に立っていたはずの海里くんが大きな影に攫われ、私の視界から消えた。金属の塊が民家の塀に衝突し、潰れて砕けるものすごい音が辺りに響いた。
 あまりのことに立ち尽くす私は、怖くて、とても怖くて、海里くんの姿を探す気になれなかった。見つけてしまったら何もかもが終わってしまうような気がして、バイクを受け止めた塀にべっとり張りついた、赤い飛沫だけをいつまでも見つめていた――。

「……うあっ」
 自分の呻き声で目が覚めて、視界にはそろそろ見慣れた伯父さん家の天井が飛び込んできた。
 今のは……夢だ。
 まるで現実のようにはっきりして、色も着いていたけど、夢だ。
 心臓がばくばくとうるさい。耳鳴りもしている。全身にじっとり汗を掻いていて、着ていた夏物のワンピースが肌にまとわりついてくる。顎を伝う汗を手の甲で拭った後、私は深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
 そう、夢だ。今のは本当に、ただの悪夢のはずだ。

 気がつくと日が暮れ始めているようで、仏間の窓からは涼しい風が通り抜けてくる。
 外ではひぐらしが鳴いていて、耳鳴りと同調するようにぐるぐると頭の中に響いた。よろりと上体を起こせば、私の身体にガーゼケットがかけられているのに気づけた。
 それから、ゆっくりと思い出してくる。
 ――ああそうだ、私、昼寝をしていたんだっけ。
 今日はいちご白玉を作る約束をしていて、かき氷のシロップを買いに行く予定だった。ところが海里くんは『気が変わった』と言い出して、私を近くの川へザリガニ釣りに誘った。十九歳の女子大生相手にザリガニ釣りなんてどうなのよ、と思いつつもついて行ったら、これがなかなか愉快だった。田舎の浅い川では面白いようにザリガニが釣れたし、ただ水の中に足をつけているだけでも涼しくて、気分がよかった。私は海里くんと年甲斐もなく川遊びを楽しみ、そしていい具合にくたくたになって伯父さん家に帰ってきた。
 お昼ご飯を食べた後、海里くんは『水遊びの後は身体休めた方がいいよ』と言って私に昼寝をするよう勧めてきた。明日は朝のうちに電車に乗らなくてはいけないから、今日はもうゆっくりした方がいいと言われた。その言葉ももっともだと私は思い、厚意に甘えて少し昼寝をさせてもらうことにした。
 そして夢を見た。酷い悪夢だった。海里くんがあんな目に遭うなんて、夢でも嫌だ。恐ろしい。楽しく遊んだ後なのに、どうしてあんな夢なんか――。

「……海里くん」
 ふと、気づいた。
 私はガーゼケットを放り出して立ち上がる。
 仏間を飛び出し、家の中に彼の姿を探した。あいにくすぐには見つからなかったけど、仕事を終えた伯母さんが帰ってきており、居間で本を読んでいた。
 こちらの気配に気づくと、伯母さんは顔を上げて私を見た。
「あら、のんちゃん。もう起きたの?」
 私は答えず、焦れる思いで居間の中を見回す。動くものは伯母さんの他は、首を振る扇風機だけだった。海里くんの姿はない。
「あのっ、伯母さん、海里くんは!」
 ずっと寝ていたせいか、尋ねる私の声はかすれた。伯母さんは一度きょとんとしたものの、やぶからぼうの私の問いが面白かったようで、すぐに優しく微笑んだ。
「海里ならお買い物。のんちゃんに食べさせたいものがあったみたいでね」
「買い物……? 出かけてるんですか?」
「ええ。本当は、のんちゃんが起きる前に帰ってきたいって言ってたんだけどねえ」
 伯母さんの冷やかすような口調が、まるで酷く場違いなものに聞こえた。
 私は薄ら寒い思いで現状を把握する。海里くん、一人で出かけたんだ。まさか――まさか、あの夢まで本当に、正夢になったりは――。
 いいや。私がこの家で見た夢は、今日までずっと当たり続けてきた。昼寝の最中に夢を見たのは初めてだったし、起きた直後に夢の内容をはっきり把握しているのも初めてだ。でももし、これが祖父からのお告げだったとしたら。祖父が私に、一番強く伝えたかったことだとしたら。
「私も、出かけてきます!」
 私は伯母にそう告げると、踵を返して居間を出た。背後から伯母が、怪訝そうに呼び止める声が聞こえてきたけど、返事をする余裕すらなかった。
 急いで靴を履き、玄関から駆け出した。
 向かう先は昨日、海里くんと歩いた商店街までの道のりだ。ワンピースのまとわりつく裾を蹴り飛ばし、ひたすら走った。死ぬ気で走った。
 何としてでも絶対に、海里くんを見つけて、助けなければいけない。

 西日の照らす乾いた道を、一体どのくらい走っただろう。
 あちこちで鳴くひぐらしの声に頭を揺さぶられつつ、人通りの少ない田舎道を絶望的な気持ちで走り続けると、やがて前方の十字路の奥にぽつんと、人影が浮かび上がった。遠くからでも見覚えのある歩き方だと思ったけど、ここまで必死に走ってきたせいで、もう声すら出なかった。
 最後の力を振り絞り、絶え絶えの呼吸でそちらへ駆け寄る。
 向こうもこっちに気づき、驚いたように立ち止まった。彼の手元では重そうな白いビニール袋が揺れていた。
「のどかさん!? え、ここで何して――」
 海里くんがそう言いかけた時だ。
 夢と同じように、バイクのエンジン音が、恐ろしい勢いで近づいてきた。それは瞬きほどの速さで私の背後まで迫り、辺りにひしめくひぐらしの声を呑み込んだ。
「海里くんっ!」
 私の叫んだ声も、果たしてまともに響いたかどうかわからない。
 ただもう、無我夢中だった。地面を蹴り、全身の力を込めて海里くんに飛びついた。そのまま体重をかけ、彼を庇うように押し倒す。
 彼は両手を上げながら背中から倒れ込んだようだった。
 そして彼の手から離れた何かが、私の耳元を掠めてすっ飛んでいった。

 その一瞬、運命の審判を待つような気持ちだった。
 すぐに、地響きのようなエンジン音は重い衝突音へと切り替わった。金属が硬い何かにぶつかり、潰れ、砕ける音と、ガラスの割れるような音がそこらじゅうにけたたましく響いた。
 私の身体は恐怖のせいか、もはや石のように動かなくなっていて、硬く閉じた目を開ける力もなかった。やがて騒音が止み、近所の人たちがわらわらと駆け寄ってくるまでしばらく、海里くんを抱き締めたままでいた。

「のどかさん……」
 どのくらい経ってからだろう。私の耳に、ようやく海里くんの声が聞こえた。
 彼は身を起こそうとしたようだ。私の肩を優しく掴み、少しだけ引き起こした後、今度は逆に抱き締められた。それで私が恐る恐る、震えながら目を開けると、目の前には彼の日焼けした顔があった。祖父によく似たアーモンド形の目は、今は驚きに見開かれていた。
「助けて……くれたんだよな。でも、どうして……」
 海里くんは不思議そうにしている。
 それはそうだろう。私だって不思議だ。
 でも今となってはもう、祖父のご加護だとしか思えなかった。
「夢で見たんだよ」
 喉がひりひりしている。私の声は醜くしゃがれて、だけど言わずにはいられなかった。
「きっと、おじいちゃんが知らせてくれたんだと思う」
 気がつけば辺りは一層騒がしくなっていて、集まってきた人々が警察や救急車を呼んだり、道に投げ出されたバイクの運転手に話しかけたりしている。バイクの運転手がどれほど怪我をしているのかはわからないけど、意識はちゃんとあるのか、一応の受け答えはできているようだった。
「のどかさんを驚かそうと思ったんだけどな」
 海里くんは長い溜息をついた。そしてバイクがぶつかった、近所の民家の塀を指差す。
「あれじゃもう、持って帰れそうにないよ」
 塀にはべっとりと赤い飛沫が張りついていた。
 夢で見たのと同じだ、私は一瞬震え上がり、目を背けたくなったけど、すぐにそれが想像したものと違うことに気づいた。思ったよりも透き通った、ピンクに近い赤だった。
「かき氷の、シロップ?」
 私が問うと、海里くんは少し寂しそうに頷いた。
 そうか。そういうことだったんだ。夢は、確かに本当になった。
「何だ、いちごシロップかよ……。紛らわしいったら……!」
 ほっとして気が緩んだせいか、紛らわしいのを笑ってやろうと思ったのに、何だか急に涙が出てきた。
 私は地面に座り込んだまま、年甲斐もなくぼろぼろ泣いた。周囲の人たちに、必要以上に心配されるくらいみっともなく泣いてしまった。
 そんな私を海里くんは、黙ってずっと抱き締めてくれていた。

 その後、私たちもいろいろ聞かれた。近所の人たちにも、警察にもだ。
 私はずっと泣いていることしかできなくて、海里くんが私の代わりにちゃんと答えてくれた。そして、私も海里くんもどこも怪我をしていなかったおかげで、その日のうちに伯父さん家に帰ることができた。
 家に帰ってから事情を話すと、伯父さんと伯母さんにはいたく感謝されてしまった。予知夢の話は海里くんにしかしていなかったし、今更話して信じてもらえなかったら悲しい気がしたから、黙っていた。でも急にそんなこと言われたって、誰だってすぐには信じられないに決まっている。実は頭でも打っていたかと思われるくらいなら、あとで落ち着いた時に打ち明けようと、海里くんと話していた。
 でも私はやっぱり、あれは祖父のご加護だと思っている。何日も続いた予知夢は、夢の話を私に信じさせる為の下準備みたいなもので、本当に伝えたかったのはあの事故の夢なんだって思う。
 海里くんは、私とは少し考えが違うようだったけど。
「確かにその夢は、じいちゃんが見せたものかもしれない」
 泣き腫らした私の目を覗き込みながら、彼は言った。
「でも俺にとっては、のどかさんが俺を助けに来てくれたことが一番、大事だと思ってる」
 日に焼けた顔が珍しく真面目な表情をしていたから、私はその時、何も答えられなかった。
 ありがとうとお礼を言われても、頷くくらいしかできなかった。

 こうして、田舎町で過ごす夏は終わろうとしていた。
 私は、当面の間は予知夢だの、オカルトだの、少し不思議だのは結構だと思うようになった。ちょっとの刺激も場合によってはいいものかもしれないけど、心臓に悪いし、あんな思いはもうたくさんだ。こんなに静かな田舎なんだから、平和で、いっそ何にもないくらいがいい。
 そう思っていたのに――伯父の家で迎えた最後の夜にも、夢を見た。

 家に帰る為に、駅のホームへ出た。
 見送りに来てくれた海里くんも一緒だった。
 電車が到着するまでには少し時間があって、私と海里くんは、他に人気のないホームでぽつぽつと会話を交わした。
 そのうちに海里くんは、昨日思い出したという話を私に打ち明けてきた。
 それによれば彼は、やんちゃな祖父に私が泣かされるのを見るのが、とても嫌だったそうだ。そういえば子供の頃、私が祖父に泣かされる度、小さな海里くんはいつも怒って割り込んできていたっけ。のんちゃんをいじめるな、って。
 なのに昨日、結果的に私を泣かせてしまって、すごく胸が苦しくなったと言っていた。
 私は、それは海里くんのせいじゃないよと告げたけど、海里くんは強くかぶりを振った。そしていつになく大人びた顔でこう言った。

 次に会う時は、のどかさんを泣かせないような男になってるよ。
 似てるだけじゃなくて、じいちゃんなんかはるかに飛び越すくらい、いい男になる。
 だから――。

 とんでもない夢だった。
 おかげで目覚めてからも動悸が激しく、頬も熱くてしょうがない。夢の中で見た海里くんの大人っぽい顔も、手を握られた時の感触も、そのまま手ごと強く引き寄せられた時の内心の動揺も、全てついさっきあったことのように感じられた。おかげで私はこれから電車に乗るというのに、おばさんがせっかく用意してくれた朝食をまともに食べられなかった。
 当然、こんな夢を見てしまった以上、私は海里くんの顔を直視できなかったわけだけど――海里くんの方も昨日の一件のせいか、私の前ではどこか決まり悪そうにしていた。朝食の後、少し落ち着きのない様子で言われた。
「荷物もあるし、俺、駅まで送るから。見送らせてよ、のどかさん」

 もちろん、昨夜のはただの夢だ。
 あんな夢を見るなんて、まさか欲求不満なんだろうか。こう見えても一応年頃だし、オカルト沙汰に食傷した後は、恋愛沙汰に夢を見ようとしているのかもしれない。それなら別におかしなことでもないだろう。
 しかし、しかしだ。ここで見る夢はこれまで百発百中である。昨日の夢だけは少しばかり違うところがあったような気もするけど、そうだとしても私はこれから起こるかもしれない夢の通りの出来事を平然と受け止められる気がしない。駄目だ絶対うろたえる。って言うか、マジで何と答えよう。

 出発前に挨拶をしようと、私はお仏壇の前に座った。
 昨日、海里くんを助けてくれたお礼を――もし祖父のしてくれたことだったら、ちゃんと言っておきたいと思って。
 三回鉦を鳴らしてから手を合わせ、そして閉じていた目を開けると、遺影の中の祖父は相変わらず不遜に笑っていた。まるで昨日の一件も、私が今日見た夢も、そしてこれから起こる出来事も全てお見通しという顔だった。
 ここで見た夢が本当は、誰の仕業なのかはわからない。
 でもあの祖父ならやりかねない。私はいまだに担がれているのかもしれない。今も、すっかりのぼせてどぎまぎしている私を見て、どこかで笑っているかもしれない。
「おじいちゃんめ……!」
 とんでもない夢を見せやがって、と今回ばかりは毒づかずにいられない。

 遺影の祖父は私の気も知らず、大変楽しそうに笑っていた。

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