depot 春野天使編
同じ設定、同じ登場人物で短編を書こう! という企画「グループ小説」第四弾です。「グループ小説」で検索すると他の先生方の作品もご覧になれます。ぜひ、どうぞ〜
「あーっ!」
飯井 頼は、一両編成の電車がゆっくりと遠ざかって行くのを見て声を上げた。
「はぁ、やっぱ間に合わなかったか……」
頼は肩で息をしながら、額の汗を片手で拭う。
──爺ちゃんが野菜を詰め込むもんだから。
帰り間際、頼の祖父がお土産にと、畑で採れたばかりの茄子やキュウリやトマトを紙袋一杯に詰め込み始めた。そのせいで家を出るのが遅くなり、重い野菜の袋を提げては、早く走ることも出来なかった。頼は腕時計をチラリと見る。
「次の電車まで後一時間」
鞄と野菜の袋を足元に置き、頼はプラットホームの椅子にどっかりと腰を下ろした。日が傾き始めた午後五時半。寂れた無人の駅に、夏の終わりの涼しい風が吹き抜ける。過ぎゆく夏を惜しむかのように、ツクツクホウシの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。
「取り敢えず寝るか」
心地よい風は、走り疲れた頼の眠気を誘う。駅には自動販売機がある以外何もなく、まわりには畑と山が広がっている。畑の向こうに数軒の民家が点在するだけだ。他にすることもなくて、頼はそっと目を瞑る。
あさってからは新学期が始まる。中学三年生の頼は、夏休みを利用して田舎の祖父母の家に遊びに来ていた。海、山、川、自然と戯れ、充実した夏休みを満喫した。だが、二学期からは、そろそろ本格的に受験勉強に取り掛からなければならない。この夏休み、少し遊びすぎたと頼は感じていた。
──はぁ、受験かぁ……このままだとマジでヤバイかも……。
志望校には合格したい。中学浪人にはなりたくない。勉強のことを考えると憂鬱な気分になるが、今は受験のことなど考えたくはない。優しい風の感触を感じながら、頼はウトウトと眠りの中に落ちていった。
どれくらい時間が過ぎたのだろう? ふと近くで何かの気配を感じ、頼は目を覚ました。眠りの中では、遠く聞こえていたツクツクホウシの鳴き声が、目覚めと同時にまた鮮明に聞こえてくる。腕時計は午後六時になろうとしていた。
「ふわぁ〜」
大きく伸びをして欠伸をする。
「あっ……」
頼は思わず途中で欠伸をとめた。頼の目の前に浴衣姿の少女が背を向けて立っていた。藍色の花模様の浴衣に赤い帯をして、赤いはなおの下駄を履いているお下げ髪の少女。彼女は、ホームに突っ立ちじっと線路を見つめていた。
「何してんの?」
頼は少女に声をかける。ホームに立っているということは、電車を待っていると思うのだが、少女は手荷物を何も持っていない。電車に乗ってこれからどこかへ行くという雰囲気でもなかった。
「誰かを待ってるの?」
二回目の頼の言葉にも、少女は返事を返さなかった。
──チェ、無視か……。俺のこと警戒してんのかな?
そう思いつつ、頼はもう一度少女に声をかける。
「まだ夏祭りとかやってるとこあんの? もう秋だけどな」
「……」
じっと線路を見つめていた少女は、急にクルッと後を振り返り頼に視線を移した。頼は一瞬ドキリとする。全く日に焼けていない色白の顔、白いというより青白い顔色だ、黒く大きな瞳を真っ直ぐ頼に向ける少女。ほんのりと赤い唇が、色白の顔に映えている。
綺麗な少女だった。だが、全体的にふわっとしていてはかなく頼りなげに見える。
──ま、まさか、着物着た幽霊とか?……。
思わず少女に足があるかどうかを確認してみる。しばらく、頼と少女は見つめ合っていた。日暮れ間近、頼が不安になり始めた頃、少女はようやく口を開いた。
「早く来すぎちゃった……」
少女はそう言って、ゆっくりとベンチの方に歩き、頼の横にスッと座った。
「……」
頼はチラリと少女の横顔を盗み見る。少女は両手を膝の上に置いて俯き、また口を閉ざした。沈黙。涼しい風がホームを吹き抜け、静寂をぬって聞こえてくるツクツクホウシの声が、耳にうるさいくらい響いてくる。
「……次の電車まで後三十分さ」
居心地が悪くなり、頼はまた腕時計を見てそう言った。
「……後、三十分……」
消え入りそうな声で少女は呟く。
「私の人生は後三十分ね」
少女は長いまつげを二三度瞬かせる。
「え?」
「人生の一番最後に会った人があなたって訳ね。あなた名前何て言うの?」
少女は顔を上げ、驚いた顔をしている頼を見る。
「私は東堂 巡」
「俺は飯井 頼……」
キョトンとしたまま頼は答える。
「いいらい?」
「いいい・らい」
頼はゆっくりと口を動かし、声を強めて言う。
「噛みそうな名前だろ。いーらいでも良いさ、よく間違えられるし。友達は皆、いーらいって呼んでる」
巡はクスリと笑った。
「ダジャレじゃないよね? なら、頼って呼ぶね」
「……」
巡は弾けるような笑顔で笑う。さっきまでの暗く沈んだ顔とは大違いだった。
「どうかした?」
自分の顔をまじまじと見つめる頼に、巡は尋ねた。
「や、別に。なんか君、笑うと別人みたいになるなと思って」
「え?……」
口をつぐみ、巡は笑顔を消した。また、巡の顔に陰りが浮かんでくる。
「……本当だ。なんか久しぶりに笑ったような気がする」
「それで、さっき言ったことどういう意味?」
「さっき言ったこと?」
「私の人生が後三十分だとか言ってたろ」
「あぁ、私ね……」
膝においた手を見つめながら、巡は続ける。
「次の電車が来たら飛び込もうかと思ってるの」
「はぁ?……」
一瞬、言葉の意味が分からず、頼はしばし黙り込む。間近に見る巡の横顔。目を伏せた長いまつげが、微かに震えている。
「……まさか、飛び込み自殺しようって訳じゃないだろうな?」
頼は恐る恐る聞いてみる。
「……その、まさか。私もう生きていくの疲れちゃった」
「……」
自殺願望のある人間のことはある程度知っていた頼だが、いざ目の前に死にたがっている人間が現れた時、何て言えば良いのか分からない。
──死ぬな、って言うのもなんか無責任な気がするな……けど、じゃあ死ねば、って突き放すのもあんまりだよな……ここは、この子の悩みでも聞いてやればいいのか? って言っても俺、カウンセラーじゃないし……。
頼はまた腕時計を見る。時刻は六時七分。
──あぁ、後二十三分しかないじゃないか……なんて考えてる場合でもないか。
「聞かないの?」
頼があれこれ考えて黙っていると、目を伏せたまま巡が聞いてきた。
「はぁ?」
急に振られ、頼は間の抜けた声を出し、ポカンと口を開ける。
「なんで自殺なんかするんだって」
巡は口の端を少しだけ上げた。
「興味ないよね。他人だし……」
「いや」
淡々とした巡の口調に頼は少しいらついてくる。
「それより、困る。俺、次の電車に乗る予定だから。自殺されたら電車の発車が遅れるだろ。それに、大変だぜ飛び込んだ人の後始末。始末する人の身にもなってみろよ」
「そっか……」
巡はクスクスと笑った。
「確かに、綺麗なもんじゃないよね」
「だから、やめとけよ。とにかく次の電車には飛び込まないでくれ」
「頼も結構自己中だね」
「ってか、飛び込み自殺する人間よりはマシだろ。でさ、なんで浴衣着てんの?」
「ああ、これ?……」
巡は両手を広げ、浴衣の袖を伸ばして見せる。
「一度浴衣を着て夏祭りに行って見たかったから、最期に浴衣を着てみたかったの……私、ずっと引きこもり気味で、友達と夏祭りとか行ったことないし、高校受験に落ちてからは一歩も外に出てなかったのよね。浴衣着て外に出たいって言ったら母さん大喜びして着せてくれた」
「なんだよ、自殺の理由ってそんなこと?」
「そうよ、何か悪い?」
巡は少しムキになり、口をとがらせた。
「や、別に……」
「兄さんや姉さんは成績優秀で明るくてみんなに好かれてる。なのに私だけ、馬鹿で暗くて……」
「本当、馬鹿だよな」
頼はフーと大きく息を吐く。
「え?」
「それくらいのことで死ぬなんてさ」
「良いじゃない。私の人生なんだから」
拗ねたように、巡はプイと顔をそむける。
「だよな、人それぞれの人生だもんな……」
頼と巡はしばらく黙っている。山から一陣の風が吹き抜け、巡の髪をサッと撫で浴衣の裾を翻す。
「俺もさ……」
頼はベンチから立ち上がる。
「来年受験なんだよ。頭もそんなに良くないし、志望校はギリギリってとこ」
「……ふ〜ん」
巡は気のない返事を返す。
「もし、巡も来年受験して合格したら、俺達同じ高校生になれるんだよな……あ、巡が今日自殺しなければの話だけど」
「……」
「……お正月には無理だけど、来年の春休みにはまたここに来るつもり」
「それで?」
巡は顔を上げて頼を見る。頼はポリポリと頭をかいた。
「そん時、巡と一緒に合格祝いとか出来たらいいかもなって、ちょっと思った」
「……もし、高校受験失敗してたら?」
「なこと言うな。ま、その時は、『残念でしたのお祝い』」
「そんなのお祝いって言うの?」
巡はクスっと笑った。
「どちらかが合格してどちらかが不合格だったら最悪だね」
「まあな、そん時は恨みっこなしだぜ。それで……」
頼は線路に目を向けた。畑の向こうの方からゆっくりと一両編成の電車が近づいて来るのが見える。頼は、足元の鞄と野菜の入った紙袋を手に取った。
「それで?」
頼の言葉を繰り返し、巡もベンチから立ち上がる。
「それで、来年の夏休みにはまた遊びに来るから、そん時は一緒に夏祭りに行けたら良いよな」
「……」
巡は頼を見つめて微笑んだ。弾けるような綺麗な笑顔だと頼は思った。無事に電車がホームに到着する。頼は巡が飛び込まなくて、一応ホッと安心した。
「また、その浴衣着て来いよ。その……よく似合ってるからさ」
頼は照れながらそう言って、ほんのりと頬を染める。
「……じゃあな」
電車のドアが開き、頼は電車に乗り込む。巡は電車の側まで近づいた。
「……来年の夏までは死ねないね」
笑みを浮かべ、巡がポツリと言う。
「そうさ、約束だからな」
「春休みになったら、ここのホームで待ってるね」
二人の間の電車のドアがゆっくりと閉まった。
「あっ、それと……巡は笑ってる方が綺麗だ!」
ドア越しの最後の言葉が巡に聞こえたかどうかは、分からない。電車はゆっくりと動き出した。
段々とホームを遠ざかって行く電車の中で、頼はずっと巡の姿を見つめていた。巡もじっと頼を見ていた。電車が進むに連れ、小さくなっていく巡の姿。巡と過ごしたほんの三十分間。その時間が、頼にとっても巡にとってもかけがえのないひとときだったような気がする。
「絶対待ってろよ」
頼は呟く。電車が緩いカーブを曲がり、ホームに立つ巡の姿は完全に見えなくなった。 頼はほとんど乗客のいない席に腰を下ろす。
──あ、でも巡と連絡とれるのかな?……携帯の番号かアドレス聞けば良かった。ま、いいか、巡はホームで待ってるって言ってたし。
頼は頭の中で浴衣姿の巡の笑顔を思い返し、顔をほころばせる。
──よし、受験、絶対合格してみせるぞ!
頬杖をつき後に飛んでいく景色を窓から見ながら、頼はそっと心に誓った。 完
三十分の物語、ということで割と短い作品になりました。
恋愛のようなそうでもないような感じですが、一応ジャンルは「恋愛」にしました。夏の終わりの田舎の駅(depot)をイメージして書きました。