嵐の前の静けさでもいいから平穏が欲しかった。
そりゃ確かに、前から神様に「お願いですから静かで安全な毎日を送らせてください」とお祈りしてはいたけれど。
でも、いくらなんでもこれはオカシすぎるだろう、とオレは思った。
とにかくその日…いや、その週は、最初っからオカシイことだらけだったのだ。
朝。
登校前、家の周りに不審人物(某変態生徒会長とか某電波野郎とか某どS王子様とか…あっコレぜんぶ同じ人)がいないかどうか確認。
いつのまにか習慣になっていたことで、もちろんその日も忘れることなく、右・左・上・下・垣根の隙間・塀の上・背後・家の屋根・隣家の屋根・マンホール全てを安全確認してから、ついでに周囲へ隠しカメラが設置されたりとかしてないか点検してから歩き出した。
思えば、このときから変だった。
恐くなるくらい平和な、平穏な朝。
そんな贅沢なもの、神様がオレに許してくださるはずがないのに。
だが、そんな朝が一週間続いた。
そして、さらに変だったのが、金曜日の昼。
いつもなら昼休みになると、例の甘ったるい美声で「りょーうーへーいー♪」と無駄にハートマークを撒き散らしながら某変態生徒会長がオレの教室まで強襲にやってくるはずなのだが…、今日はそれがなかった。
本当に何事もなく、お昼ごはんの時間は過ぎていったのである。
「きっと明日は大雪だな」
「いや、槍が降るぜ」
「大地震かもしれない」
さっぱりとした秋晴れの空を見上げながら購買のパンをかじり、口々にそう言うクラスメイトたち。
もちろんオレも、そうだなと頷いた。きっとこれは、天変地異の前触れに違いない。
だって。
いくらなんでも。
おかしい。
おかしすぎる。
あの渡瀬透が。
三度の飯よりオレのことが好きだと公言し、生徒会役員のリーダーでありながら仕事よりもオレとの鬼ごっこを優先する、あの渡瀬会長が。
オレがいくら泣いて嫌がっても全っ然へこたれず、むしろ嬉しそうにしながらオレを追っかけ回している、あの変態で悪魔で史上最悪サディストで脳内お花畑な電波男が。
放課後、オレの教室の前を素通りし、そのままスタスタと生徒会室の方へ歩いていってしまったのだ!!!!
「な、何ぃぃぃぃぃぃッ!?」
「なんてこった!!」
「うそだろ、あの渡瀬会長が…!」
「い、今のは本当に渡瀬会長なのか!? 見間違いとか、集団幻覚とか、そっくりさんとか、生き別れた双子の兄とか弟とかじゃないのかッ!?」
「大変だ! 我が校始まって以来の大事件だ!!」
「渡瀬会長が、緒方遼平の目の前を素通りだなんて…!」
「き、気づかなかったんじゃないのか?」
「そんなはずない! 普段なら、たとえ五百メートル離れていようがまるでセンサーのように緒方の気配を感知するような人だぞ!? それを、あんなふうにスタスタと…まるで興味をなくしたように…」
「まじかよ、緒方のやつ、渡瀬会長に飽きられちまったのか!?」
「そんな…あの超面白いリアル鬼ごっこが二度と見られないなんて…世界の終わりだぁ――ッ!!」
「あのな、お前ら…」
「ちっくしょうアレだけが楽しみで毎日ガッコへ来てたのにーッ!!」
「胸に迫るスリル…緒方の悲鳴…渡瀬会長の笑顔…沸き立つ観衆…そして、無事に緒方が逃げ切ったときの感動…。それだけを糧に、日々の苦しいことも悲しいことも全て耐えてきたのに…!」
「まさか…本当に、もうこれで終わりなのか!? 放課後のデスマッチ鬼ごっこは、もう無いのかッ!?」
「そんな…そんな…」
「渡瀬会長ぉぉぉぉぉ、カムバーック!!!」
「そうだよ、俺たちの楽しみはどうなるんだよ!? こうなったら皆で今すぐ会長を連れ戻…っ!」
「オレの平穏と心の安らぎはどうなるんだよこのアホが」
生徒会室へ走り出そうとするクラスメイトの後頭部へ、思いっきりライダーキックをかまして止める。
…ふう、危ないところだった。
ぷしゅぅぅぅぅと後頭部から煙を出して気絶した友人の体をずるずる引きずり、俺は教室へ戻る。しかし、そのほかのクラスメイトたちは、まだしつこく俺の周りにまとわりついてきた。
「緒方!」
「緒方ぁ!」
「…なんだよ」
「なんだよ、じゃねーよ! お前、この異常事態をどう収集つけるつもりなんだ!?」
「異常事態?…何を言ってんだよ。どこが異常なんだよ」
むしろ、これが正常のはず。
今までの出来事が異常すぎただけなんだ。
男が男に(性的な意味で)襲いかかったりとか。
毎日のように(死ぬ気で)鬼ごっこしたりとか。
そっちの方に比べたら、今のこの状態の、なんと平和なことだろう。
いきなり渡瀬会長の気が変わった理由はよく分からないし、あえて分かろうとも思わないが、とりあえずオレはこの平穏がいつまでも続けばいいと思った。そう、出来ることならば永遠に。
しかし、クラスメイトたちはそうは思わなかったらしい。
「頼む緒方! 俺たちは、お前と渡瀬会長の鬼ごっこだけが楽しみで学校に来ているんだ!」
「そうだそうだ! むしろもう鬼ごっこ観戦に命を懸けていると言っても過言では…」
「いやそれは過言だろ。どう考えても過言だろ。っていうか鬼ごっこに命を懸けてるのは他でもないオレだ」
正確に言うならば、逃げ切ることに命を懸けている。
捕まる=貞操喪失だし。
前に捕まっちゃったときは、鳴沢先輩も一緒だったからどうにかなったけど。
「お前、今すぐ渡瀬会長を誘惑してこい!」
「はぁ!? やだよ…」
めちゃくちゃなことを言い出したクラスメイトに、オレは呆れて溜め息を吐く。
なんかもう、やってられない。
「オレ、部活に行くから」
「ちょっ…待てよ、緒方!!」
「俺たちの唯一の娯楽が…っ!」
「知るか」
泣きすがるような友人たちの声を背に、オレはすたすたと歩く。
肩に掛けた鞄がやけに重い。中には練習着やスポーツタオルぐらいしか入ってないはずなのに、なぜかズッシリ食い込んでくる。
「くそっ。みんな好き勝手言いやがって…」
鬼ごっこもない。
追っかけ回され、無理矢理キスされそうになったりすることもない。
最高の放課後のはず、なのに。
なんでオレが、こんなにイライラしなきゃいけないんだろう。
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