イロコイ文化祭。(18)
窓の外を夕闇が支配していく。
時間の経過を教えてくれる空の色が、長かったようであっという間の一日を思い出させた。
ずいぶんと長い間、逃げ回ってしまった。
アンケートの集計も校内の片付けも、もう全て終わっているに違いない。きっと今ごろは、模擬店の最優秀賞が発表されているだろう。結局、終盤はクラスにも生徒会にも顔を出せないままで、オレの初文化祭が終わろうとしている。
でも、今はそんなの気にならなかった。
仕事を放っぽらかしてしまった分は、あとで皆に謝ろう。
誰に何と言って怒られたとしても、オレはたぶん後悔しない。否、絶対にしない。
そう、自分の心に誓える。
だから。
だから、今だけは。
「…渡瀬会長」
この人の声に、全力で耳を傾ける。
「ボクには父親が3人いる」
渡瀬会長の話は、こんな一言で始まった。
驚いて目を丸くするオレに、渡瀬会長は「唐突でごめんね」と、苦笑混じりに謝った。
「ずっと話したかったんだ。自分自身のこととか、家のこととか、いろいろ。君に知ってほしかった。知って受け容れてほしかった。キリヤや涼や…花瀬さん達がそうしてくれたように、君にも……ボクを解ってほしかった。自分勝手な思いであることは、重々承知の上で」
「…」
花瀬さんの名前が出て、オレはわずかに動揺した。でも、それはすぐに治まった。
もう、嫉妬に狂って、みっともなく泣き叫ぶことはしたくない。
オレはゆっくりと、相手に先を促した。
「どうして今、話すつもりになったんですか?」
逆に言えば、どうして今までは話さなかったのか。
そう尋ねたら、相手はそっと目を伏せた。
「話しても、受け容れてもらえる自信がなかった」
渡瀬会長は静かに呟き、再びオレの方へ目を向けると「当然だろう?」と笑ってみせる。
「君はずっとボクから逃げてたじゃないか。ずっと、嫌われているとばかり思っていたんだよ。そんな状態で、自分のことなんか話せるわけがない。…まさか遼平、ボクがそこまで図太くて無神経な人間だなんて思ってたの?」
「はい」
「つくづく素直だな君は」
クスクスと面白そうに渡瀬会長が笑う。気分を害したような様子はなく、むしろ緊張の糸がほどけたような、やわらかい表情だった。
オレはそんな相手に安堵し、一応、ゴメンナサイと頭を下げる。
そして暫く躊躇った後、おずおずと続けた。
「あの…それで、さっきの話…」
「ん? ああ、父親が3人、ってヤツ?」
「は、ハイ」
こくんと頷く。
言われた直後は突然すぎて理解できなかったけど、今は、それがかなりデリケートな話題であることがよくわかる。
父親が3人、って。やっぱり親の離婚とか、そういう複雑な家庭事情があるのだろうか。本人にとっては、きっと重いものであるに違いない。普通なら、他人には絶対に教えたくないことだろう。それなのに、渡瀬会長は、オレにそれを受け容れてほしいと思ってるんだ。
どうしてか。
それは…やっぱり…
…オレのことが、好き…だから?
「…」
「どうしたの? 遼平。なんだか顔が赤…」
「なんでもありません!!!!」
「あ、そう」
何が面白いのかクスクスと笑い続け、それが少し治まったところで、ようやく渡瀬会長は改めて口を開いた。
どこか遠くを見るような目だった。
「――…僕の母さんは舞台女優やってるんだ。けっこう売れっ子で、仕事で全国を飛び回って…最近は海外にも行ってる。だから昔から、滅多に家に帰ってこなかった。…僕は、ほとんど祖父母に育てられたようなものなんだよ。父と呼んでいた人も、小学校に上がる前に亡くしたから」
「…え」
「ごめん、順を追って話すね。かなり長くなるけど」
少し困ったように、あははと眉を下げて笑ってみせ、渡瀬会長は立てた膝の上に額を押しつけた。
俯いてはいるが、その表情は決して暗いものではなく、言うべきことをまとめようと考えているように見えた。
やがてまとまったのか、オレの方を見て小さく笑う。
「――…1人目の父親は、母の学生時代の恋人だった。…血縁関係で言えば、この人が本当の父親ってことになるのかな。もっとも、僕が生まれる前に他の女性と結婚しちゃったらしいから、顔さえ見たことないんだけどね」
その人は、渡瀬会長のお母さんが妊娠していることを知らなかったのだという。
別れた原因は相手の浮気。
それが発覚した当時、渡瀬会長のお母さんは怒り狂い、失望し、自分を裏切った恋人を決して許さなかった。とてもプライドの高い女性なのだと思う。相手の家まで乗り込んで見事な右ストレートをお見舞いしてやった後、一方的に別れを告げた。そして彼女は、かねてから目標にしていた演劇の世界に飛び込んだのだ。
妊娠していると気づいたのは、恋人と別れてから3ヶ月後。
「母さん、一度は堕ろそうとしたんだって。そりゃそうだよねー、1人じゃ育てられないし、仕事の邪魔にもなる。…でも、結局は産んでくれたんだ。なんだかんだ言いながら、好きだった人の子供だから。殺すことに罪悪感もあったんじゃないかな」
「シングルマザーになった、ってことですか?」
「そういうこと。きっと母さん自身、かなり悩んだと思う。僕を産んでからも、どうやって育てていくのかとか、いろいろ苦しんだに違いない…」
そんなとき。
彼女は、役者仲間の1人からプロポーズされた。
線の細い、優しげな男性だったという。その人は、好きな人が―――…渡瀬会長のお母さんが悩んでいるのを放っておけなくて。あまりにも苦しんでいるのを見かねて、手を差し伸べたのだ。同情ではなく、ただ好きだったから。力になりたかったから。
彼は言った。
自分を好きにならなくてもいいから、どうか傍にいさせて下さい、と。
あなたと結婚したいんです、と。
まるで一昔前の純愛ドラマに出てきそうなセリフを、つっかえつっかえ並べたような告白。
ひどくありきたりで、不器用なプロポーズだったそうだ。
でも、渡瀬会長のお母さんは、いいかげん1人で頑張り続けることにも疲れていて。
その言葉を聞いたとき、思わず涙をこぼしたのだという。
プロポーズしてきたその男性は、不器用だけど、とても純粋で優しかったから。
とても優しい人だったから。
「その人が…―――2人目の父親」
渡瀬会長が懐かしそうに目を細め、何を思いだしたのか、とても幸せそうに笑った。
「僕はずっと、その人が本当の父さんだと信じて育ったよ。とても優しかった。大好きだった。母さんよりも」
「…いっしょに暮らしてたんですか?」
「そうだよ。6歳の頃までだったけどね。…母さんと違って、父さんは売れない役者だったから。いっつも家にいた。体もそんなに丈夫じゃなかったし、30歳くらいの頃からだんだん病気がちになっていったらしくて、仕事もほとんど出来なかったんだって」
「…っ…それで…」
「うん。亡くなった。僕は子供だったから難しいことは覚えていないけど、循環器系の病気だったみたい」
そこで渡瀬会長はいったん言葉を切り、オレの顔を見ると苦笑した。
「なんて顔してるの。泣かないでよ」
「なっ、泣いてないです!!」
「そう言う割りには目が潤んでるけど?」
「違っ…これは…っ…!」
「君、ほんと可愛い」
「むぎゃー!!!!!!」
舐 め た !
一瞬のことで避けられなかった。渡瀬会長はあろうことか、オレの目尻をペロッと舐めたのだ。
オレは思わず悲鳴を上げて、再び渡瀬会長を突き飛ばそうとした。
だが今回は相手もそれを予測していたのか、突っぱねた腕もするりといなされてしまい、距離を取るどころかむしろ近づいてしまった。まずい、と思う前に手首を掴まれ、引き寄せられる。気づいたときには渡瀬会長の腕の中にいた。
デジャヴュだ。
先ほどと全く同じ体勢に、オレは自分の顔がどんどん熱くなるのを感じた。
やばい。ホントやばい。
「わ、わ、わ、渡瀬会長! 何やってんですか!!」
「んー…何って?」
「話…っ、まだ話の途中なのに…!」
「いいじゃない、別に」
「よくねーよ!!」
真っ赤な顔で吠えても迫力はないとわかってはいたが、オレはそう叫んで、渡瀬会長を睨みつけた。
さっきまでオレ、ものすごく真面目に話を聞いてたのに…なんでいきなりこんな状況になってんだよ…!
オレがそう言ったら、渡瀬会長はケロリとした顔で「だって〜」と言った。
「ちょっと肩の力を抜いた方が良いかな、って思ったんだよ。君があんまり深刻そうな顔するから…」
「あ、当たり前でしょ! 深刻な話してたんだから!!」
「そう思ってるのは君だけだよー」
「はぁ!?」
「僕は、ただ、君に僕のことを知って欲しくて喋ってるだけだもん。確かに内容はあんまり明るい話じゃないけど、君がそんな暗い顔をする必要はないんだよ」
オレが何かを言い返す前に、渡瀬会長がオレの肩口へ顔を埋めた。
抱きしめる腕に力がこもる。
「君はただ、僕の話に頷いてくれるだけでいい。…拒絶しないでくれるなら、それだけでいい」
だから。
だから、聞いて。
最後まで。
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