イロコイ文化祭。(17)
繋いだ手は
とても温かかった
だからこそ
離れた瞬間
どうしようもなく泣きたくなった
身動きさえできずに
冷えていく指先をもてあまして
ただ
目蓋の裏の君を想う
たとえ今は離れても
いつかまた逢えるようにと
切ない希望を抱きしめて
どうしようもない想いを抱えながら僕らは生きた
ただ
傷つけないように
ただ
傷つかないように
あたりさわりのない言葉だけを口にして
それなのに
理不尽な痛みはやってくる
痛みと
哀しさと
どうしようもない想いを抱えながら僕らは泣いた
ただ 傷つけないように
ただ 傷つかないように
それでも 君に逢いたくて
ただ
君に逢いたくて―――…
「その曲、俺は嫌いだな」
静かな旋律に割り込む雑音。
背後からの声に、高月鈴子はピクリと反応した。
振り向けば、そこには冷たい目をした人形がひとり。
「…天宮さん」
「五月って呼べば?」
「嫌ですよ」
顔をしかめながら、鈴子は首を横に振った。
腰掛けていた椅子から立ち上がり、相手から一歩ほど距離をとる。
「あなたの名前を呼ぶと、あなたの弟さんに睨まれますから」
「そう?」
「…あなたこそ、私があの人のことを“皐月さん”なんて呼んだら、あまり良い顔をしないでしょう」
「ん、まぁね」
よくわかってるじゃん、と満足げに呟いて、五月はクスリと口の端を引き上げた。
普段から表情の乏しい彼だからこそ、ときおり見せるその笑みは、良くも悪くも印象強く頭に残ってしまう。友好的とは言い難い笑顔だ。
「嫌な人」
相手をきつい目で睨みつけた後、鈴子は諦めたように小さく息をついた。
15の頃から変わらない。本当に、嫌な人。
「――…天宮さん。ここへ何しに来たんですか? 確か、まだ片付けは途中のはずですけど」
「そのセリフそのまま君に返すよ、高月鈴子」
五月はぶっきらぼうに言いながらスタスタと相手に近づき、その横にあるスイッチをカチリと切った。とたんに、周囲がしんとなる。室内に流れていた音楽が止んだのだ。
五月が、ゆっくりと鈴子の方を見やった。
「他校の放送室に忍び込んで、勝手にこんな音楽かけて…あんたは一体何がしたいの?」
「…別に、」
目を背けて、鈴子は小さく言った。
「仕事の受け持ち分は片付けたし…もう写真は撮らなくていいと、お姉さまから待機命令が出ているので…退屈で」
だから、音楽を聴いていたことも、特に意味はないんだと。
彼女にしては珍しく、何かを誤魔化すように吐き捨てた。
「それより、天宮さんの方こそ1人で何してるんですか? あの弟さんが引っ付いていないなんて珍しいですね」
「魔王様がご帰還なさったからね。つかまえられて、逃げられなくなってるんだよ」
五月がひょいと肩をすくめ、悪戯っぽい口調で言った。
「ちなみに、俺はこれでもお仕事中。放送器具を返しに来たんだ。…緒方と渡瀬会長がいないから、その分いろいろ動き回らなくちゃいけないし」
コードレスのマイクを数本、ガタガタと近くのケースに片付けて、五月は再び顔をあげた。
無言の鈴子を見て、ゆるりと首を傾げる。
「ああ、もしかして知ってる? あの2人が今どこにいるのか」
「保健室、でしょう」
「うん」
「…」
2人きりの放送室は、本当に静かだ。
壁が厚いせいで外部の音は一切入らず、逆に室内の音も外部には一切漏れない。
先ほどの音楽も、放送室内のみに流していたから、自分たち以外はたぶん誰も気づいていないだろう。
文化祭中は、交代でここへ常在していた放送委員たちも、現在は各クラスの方へ戻っているらしい。だからこそ鈴子も簡単にここへ入ることが出来たのだが。
「ねえ、高月鈴子。君のお姉さまはまだ何か企んでるの?」
唐突に、五月が尋ねた。
鈴子は怪訝そうな顔をする。
「どういう意味ですか」
「だって。あの2人が保健室にいることは分かってるんでしょ? それなら、君がここにいるのはおかしいじゃない。
いつもみたいに、ビデオとか写真とか撮りにいかなくていいの?」
「…私もお姉さまも、そこまで無神経じゃありません」
憤慨したように、鈴子の表情が険しくなる。
猫のような目をつりあげて、彼女は五月を睨みつけた。
「見くびらないでください。いくら萌えのためだからって、他人の気持ちを踏みにじるようなことはしませんわ。私は、幸せそうに笑ってる渡瀬さんと遼平くんが好きなんです。2人が傷ついて泣いている姿なんて見たくない…」
「本当に2人?」
「え?」
思わず聞き返す。
五月の顔に表情はなかった。
ただ、変わらぬ口調でこう言った。
「君が好きなのは、本当に“渡瀬さんと遼平くん”なの?」
「…何、」
「気づいてないなら別にいいけどね」
そのまま背を向ける。
鈴子がまともに口を開く前に、一方的に会話を断ち切って、五月は放送室を出て行った。
ただ去り際、こんな言葉を残して。
「感傷に浸るつもりが無いのなら、そんな寂しい曲を聴くのはやめた方がいい」
ぱたん、と扉が閉じられる。
それがひどく優しく響いたものだから、鈴子は急にお姉さまに会いたくなってしまった。
(ど、どうしよ…今さらドキドキしてきた…)
保健室独特の匂いも、慣れてしまえば何も感じなくなる。
オレはもう、渡瀬会長がつけているコロンの、甘く微かな香りしか感じられなくなっていた。
一体どれくらいのあいだ抱き合っていたんだろう。
ハッと我に返ったオレはその瞬間に、ヤバイ、と思った。
離れられない。
抱きしめてくる相手の腕が、信じられないくらいに心地良い。
「あ、あの、渡瀬会長、そろそろ…」
ドキドキがばれてしまわないよう、オレは何とか渡瀬会長と距離を取ろうとした。
が。
離れられないのは相手も同じだったらしく、抱きしめる腕はいっこうに緩んでくれない。
むしろいっそう強く抱き寄せられ、オレは思わず目眩を覚えた。
「か、会…長…っ!」
「ごめん。まだ、このままでいさせて」
「えっ!? あ、いや、でもっ」
「お願い…もう少しだけ」
「〜ッ!///」
殺 す 気 か !
有り得ないくらいに心臓がバックンバックンと鳴っていて、オレは自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じた。おそらく、遠目にも分かるくらい真っ赤になっているだろう。抱きしめられているおかげで渡瀬会長からは見えないのが唯一の救いだ。
ああもう、さっきとはまた別の意味で泣きたい。
こんなことで…好きな人に抱きしめられてるってだけで、つい数十分前までの出来事が、すべて帳消しになってしまうのだ。
花瀬さんのことも、駿河さんや三杉さん達のことも、桜祭でさえどうでもいいことのように思えてくる。
マジで、やばい。
会長に出会ったばかりの頃は、考えもしなかったことだけど、今はまぎれもない事実なのだ。オレは、この人に心底まいってるんだと思う。
好きなんだと、思う。
「わ、渡瀬会長…っ、ほんと、そろそろ離れた方が…!」
「遼平…好きだ」
「うぎゃーッ!!」
耳元で何てこと呟いてんだこの人は!!!
恥ずかしさのあまり叫んだオレは、渾身の力で渡瀬会長を突き飛ばし、カーテンの裏へ逃げ込んだ。
目にじんわりと涙が浮かび、まるでマラソンを走り終えたときのように鼓動が速い。ドッドッドッドッと、音が保健室中に響きそうなくらい。
どうしたらいいか分かんなくて、オレは情けない声を出して呻いた。
「…あいたたた…びっくりした」
ベッドの上で、渡瀬会長が苦笑している。
「ごめん。嬉しすぎて、ちょっと調子に乗っちゃった」
「…ぅ」
「怖がらないで、遼平。こっちに座ってよ。顔が見たい」
「っ、」
この人は、なんで、そんな恥ずかしいことをスラスラと言えるんだろう。
さっきまでは死人に負けず劣らずの目をしていたくせに、オレが「嫌いなんかじゃない」と言っただけで、こんなに元気になるなんて。
(これじゃ…もし好きだなんて言ったら…何されるか分かんないな…)
そんなことを考えながらも、オレはおそるおそる渡瀬会長に近づく。ベッドの側の椅子を引き寄せ、そこに腰掛けた。会長は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
「…何がですか」
「うーん、なんとなく」
「ナニソレ」
恥ずかしさを隠すためにムスっとするオレ。
渡瀬会長はクスクスと笑い、今度はごめんごめんと謝ってきた。
「とりあえず、それ、飲んだら?」
「え?」
「そのお茶。涼が買ってきたヤツ」
「あ、ああ…ハイ」
無意識のうちにずっと握りしめていたそれは、いつのまにかオレの体温でぬるくなってしまっていた。でも、鳴沢先輩が買ってきてくれたものだから、無下にはしたくない。ストローを差して、言われたとおりにゴクゴクと飲んだ。いろいろと大声を出した後だったので、渇いた喉には美味しかった。
「―――…飲み終わったら、僕の話も聞いてくれるかい」
「え?」
きょとんとして顔を上げると、渡瀬会長がそっと手を伸ばして、オレの頬に触れた。
「話したいことがあるんだ。沢山。…今なら全部、言えそうな気がするから」
優しく、か細い声だった。
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