イロコイ文化祭。(14)
痛い。
痛い。
痛い。
痛すぎて、どこが痛いのかも分からない。
目の前が真っ暗だ。
足下がおぼつかなくて、歩くことさえ困難になる。
力の入らなくなった四肢。
動かない体は重たい荷物でしかない。
重力に従い、その場へずるりと崩れ落ちた。
モノクロが揺れている。
何の前触れもなく、世界が色を失っていく。
飽和状態のようになった頭では、まともに物を考えることさえ出来ない。
(僕、今、何してたんだっけ)
(誰と一緒にいたんだっけ)
(これから、どうすれば、いいのかな)
コンクリートにもたれかかったまま、茫然自失で空を見つめる。
見慣れたはずの校舎が、まるで異世界のようだった。
すべての音が遠かった。
背後からの足音にも、気づかないくらいに。
「…渡瀬? おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
誰かが何かを言っている。
自分の名前を呼んでいる。
でも、何も聞こえない。
まっくら。
どこもかしこも、まっくら。
(壁が、つめたい)
いったい何なのだろう、これは。
徐々に感覚が麻痺していく。
いつのまにやら、痛みでさえも遠くなる。
「変なの」
ぽつん、と呟いた。
嫌われてることなんか、とっくに解っていたはずなのに―――…。
「だいたいなぁ、逃げ回るくらいなら、最初から来なけりゃ良かっただろう。2日間も1人で校内うろちょろしてただなんて、お前はたから見れば結構マヌケだぞ? 確かに俺は『来ないと後悔させてやる』とは言ったけど、友人の意見をまったく尊重しないほど鬼じゃないんだからさぁ。せめてケータイの電源くらい入れておけよな。おおかた、俺からのメール見たくないとかそんな理由なんだろうけど」
「…」
「去年の事件、まだ引きずってんのかよ。そりゃまぁ、お前の気持ちは分からんでもないけどな。…沢山の人に迷惑かけたし、俺だって負い目を感じてない訳じゃない。でもな、いつまでも後ろ向きでいたって何も良いこと無いだろう?」
「……」
「渡瀬や他の後輩達にも、ちゃんと向き合って謝罪すべきなんだ。後悔する前に、俺達はまずそれをやらなくちゃいけなかった。前向きに、先のことを考えて行動すべきだったんだ。1人で悩まれても鬱陶しいだけだ。それなのにお前らは、いつまでもうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじと! まるでウジ虫のように!」
「……じ、10回も言わなくても」
「 黙 れ 。 」
「……ハイ」
地べたに正座させられた駿河さんは、ボロボロの顔でがっくりと項垂れた。
三杉さんはその目の前に仁王立ちして腕を組み、大真面目な表情でクドクドとお説教を続けている。凛とした口調は「漢」と書いて「おとこ」と読みたいくらいに男前で、その線の細い容姿からは想像も出来ないほど高圧的なオーラを放っていた。
例のセリフ(「俺達の贖罪なのに」とか「渡瀬の言葉は信じてやって」とか云々)の後、三杉さんはあっさりとオレから離れていき、いまだに痛みで動けないままの駿河さんを蹴り起こして(鬼!)座らせたのである。
そして、それ以降ノンストップで説教は続いていた。もうかれこれ十数分だ。
(…すごいなぁ)
三杉さんって、パッと見た感じは(こう言っちゃ何だが)か弱くて、思わず守ってあげたくなるようなタイプなのに、中身は随分とギャップがあるようだ。
ヤンキーを正座させる優等生の図は、なんだか奇妙な微笑ましさすら感じられた。
―――じっと俯く駿河さんの頬が、真っ赤に腫れ上がっていなければの話だが。
「さてと」
数分後、ようやく言葉が尽きたのだろうか。
お説教を止め、三杉さんがくるりとオレの方を俯いた。(駿河さんは口から魂を出して気絶している)
「んじゃ、緒方くん。君はそろそろ校内に戻った方が良いよ」
「え?」
「いつまでもこんなところにいたらダメだろう。君は仮にも執行部の一員なんだから」
「あ…」
「一度引き受けたからには、ちゃんと最後までやり遂げなくちゃね?」
にっこりと三杉さんが微笑む。
そして、ぽんぽんと、オレの肩を優しく叩いてくれた。
居場所を与えられているような安心感が、胸の痛みをやわらげていく。
気づけば、素直にコクンと頷いていた。
オレには居場所がある。でも、それはここじゃないんだ。
(…これ以上、逃げたらダメだ)
スポーツの大会でもよくある。絶対に逃げちゃいけない場面。1人で頑張らなきゃいけない場面。
たぶん今がそれなんだ。
三杉さんと駿河さんの(壮絶な)やりとりを見ているうちに、オレの心は少しずつ落ち着いて、元のようにとまではいかないけれど、ある程度までの冷静さは取り戻していた。
だから、解る。
自分が何をするべきか。
(行こう)
時計を見る余裕がなかったから細かい時間はわからないけれど、文化祭がそろそろ終了するということだけは確かだ。空は少しずつ茜色に染まり、日が沈めばすぐに辺りは真っ暗になる。
お客さんが帰った後は、アンケートの集計や校内の片付けなど、沢山の仕事が待っているのだ。
たとえどんなに傷心していたとしても、オレがそれらをすっぽかしていいという理由にはならない。
きっと桐谷副会長や鳴沢先輩は、もう仕事に取りかかっているだろう。(双子は微妙だが)
――…それに多分、渡瀬会長も…。
「っ」
ぶんぶんと頭を振って、その思いを振り払った。
大切な仕事に、そんなもの持ち込んじゃダメだ。たとえ渡瀬会長がいたとしても、オレは行かなくちゃいけない。
相手を傷つけておいて、仕事まですっぽかすようなヤツだなんて、思われたくない。
「…ありがとうございますっ、三杉さん。オレ行きますね!」
「ハイハイ、頑張ってね」
ひらひらと手を振る三杉さんは、やっぱり優しげで儚かった。
その後ろで放心している駿河さんを見て、オレは失礼だと思いながらも少しだけ笑ってしまった。
「緒方!」
「あ、竹下」
校舎に戻り、上靴の裏をぬぐってから中へ入ると、すぐさまオレを呼ぶ声がした。
振り向けばクラスメイトがこっちに向かって走ってくる。
どうやらもうお客さんは全員帰ったようで、校内は片付けをする生徒達でごった返していた。この分では1−Bでも、とっくの昔に後片付けが始まっているのだろう。
オレは不在だったこと詫びようと口を開きかけた。
が、こちらに駆け寄る竹下の格好を見て、思わず目を見開いてしまった。
「竹下? お前、なんでジャージなんか着てんだよ。制服は?」
「あ、いや…これはちょっと、ジュースが爆発して…」
「へ?」
「いや、俺のことはどうでもいいんだよ!」
ハッとしたように話題を切り替える竹下。
真剣な表情で、ずいっとオレに顔を寄せ、息を潜めた。
「お前がいない間、こっちは大変だったんだぞ」
「…あ、ああ、ごめん。片付け放っぽらかしちまって…すぐ持ち場に戻るから」
「ちげーよ。そのことじゃなくて」
竹下は首を横に振り、何かを言おうとしたが、近くを別のクラスの生徒達が通ったために、慌てて口をつぐんだ。
そして暫く考え込んだ後、いきなり「ああもう」と謎の声を上げて、ぐいっとオレの腕を引っ張った。
「来い!」
「は?」
「いいから。来れば解るから」
「な、ちょっと、竹下?」
オレは混乱しながらも、腕を引かれるまま竹下の後に付いていった。
ざわめく廊下をすりぬけるように進み、人通りの少ない場所へたどり着く。
そこは、職員室や教員専用の研究室、そのほか保健室や休憩室などが集まる管理棟の一部だった。
なぜここに連れてこられたのか、オレは事情がわからず目を瞬く。
しかし竹下はそんなオレに構うことなくズンズンと進み、保健室の扉の前で突然ピタッと止まった。
「ここだよ」
「え?」
…何が?
オレが首を傾げると、竹下はどこか硬い表情でそっと耳打ちした。
「渡瀬会長が、倒れた」
え?
思考回路が停止する。
いつものフリーズじゃない。目の前が暗くなるような感じがして、物事が一切考えられなくなる。
そんなオレをどこか苦しげに見つめ、竹下はそっと目をそらしながら続けた。
「ついさっきのことだよ。花瀬さんが、気を失ってる渡瀬会長をココに担ぎ込んだんだ。…今は、桐谷副会長が傍に付いてる。連絡を受けて、血相変えて駆けつけたらしいぜ。書記長も一緒だ」
「な、なん…で…」
「俺はただの連絡係だから、詳しいことは知らない」
竹下はそう言うと、トン、と優しくオレの背中を押した。
目の前に保健室の扉。
硬直しているオレの肩に手を置き、竹下は微苦笑を浮かべた。
「何があったのかは聞かないよ。でも、今ここに入らなかったら、お前ぜったい後悔すると思うぜ」
優しい手のひらが離れていく。
竹下は教室棟の方へ戻りながら、ひらりとオレに手を振った。
「クラスの連中には、俺がうまいこと言っておくよ」
だからお前は、後悔しないように頑張れ。
小さな声で付け加えて、竹下は再び前を向いて歩き出した。
学校指定の紺色のジャージが遠くなっていく。
その背中が完全に見えなくなるまで見送った後、オレはのろのろと保健室の方へ目を戻した。
本当は入りたくないし、あの人にどんな顔で会えばいいのかも解らない。
けれど。
“渡瀬会長が、倒れた”
それは、オレを決心させるのには充分すぎる言葉だった。
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