イロコイ文化祭。(11)
相沢は迷っていた。
自分は一体どうするべきなのだろうかと。
「…どんな経緯でそんなことになったんだ…?」
ケータイの画面を見つめて、眉間に皺を寄せながら呟いた。
先ほど届いた一件のメール。
表示されている名前は「駿河京司」。
そして、その本文は―――…
“一之が、藤野嬢の取り巻き連中に拉致された。助けてやってくれ”
という、何とも言い難い内容であった。
一之というのは花瀬の名前だ。普段は苗字呼びなのだが、駿河はときどきこうして気まぐれに、友人達をファーストネームで呼ぶ。
(いや…そんなことよりも)
花瀬が拉致されたのなら、どうして駿河がそれを知っているのだ。もしかして一緒にいたのだろうか?
それにしては不自然な点がありすぎる。メールが打てるのなら、何故さっきまでは繋がらなかったのだろう。あえて連絡を取ろうとしなかったのならば、どうして今更、こんなときに。
第一、東棟のどの教室なのかも書いていないではないか。
「…………助けてやれと言われてもなぁ」
溜め息混じりにケータイを閉じた相沢は、ついっと視線を東棟の方へ向けた。
彼は今、中央棟の最上階に立っている。ここは見晴らしが良く、大きな窓からは東棟の様子がよく見えた。もっとも相沢はそれほど視力が良いわけではなかったので、もちろん中の様子まで確認することは出来ない。もし花瀬を助けるとするならば、東棟へ行って教室を1つ1つ見て回る必要があるだろう。
限りなく面倒くさい。
それに、詳しい事情はよく解らないが、もしかしたら自分も何らかの事態に巻き込まれてしまう可能性がある。それは嫌だ。絶対に嫌だ。大切な母校の文化祭で、また妙な騒ぎを起こすことなんてしたくない。
だが、それは花瀬も同じだろうし、困っている友人を放っぽらかすというのも、何だか良心が咎めてしまう。
「…」
さてどうしよう。
保身を取るか、友情を取るか―――…。
「…とりあえず保留」
相沢はくるりと踵を返した。
あの花瀬のことだ。ほんの少しくらいなら放置しておいても大丈夫だろう。
それに今は、居所のしれない駿河の所在を突き止めることが最優先。
(三杉を探して…相談してみるか)
文化祭もだんだんと終わりに近づき、少しずつまばらになってきた人々の間をすり抜け、相沢は階下へとおりた。
人通りの少ない北側に移動し、再びケータイをパカリと開く。
アドレス帳から、友人の名前を選び出して、発信した。
(…えーと、オレ、なんでこんなところにいるんだっけ)
東棟の入り口にしゃがみこみ、オレは不毛な自問を繰り返していた。
藤野さんに言われるがままここまで来たはいいが、途中で急に我に返ってしまったのである。
花瀬さんに会って、何を話せばいいのか、と。
(は、はじめまして…とか…自己紹介? いやいやでもでも、ものすごい短時間とはいえ、初対面は昨日のうちに済ませてあるわけだし…オレはよく覚えてないけど、たぶん一通りの紹介は終わってるんだろうな…。第一、その後どうやって話を続ければいいんだよ。わ、渡瀬会長のことどう思ってるんですか、とか聞けばいいのか!? 藤野さんはそれが目的なのか!!? あ〜もうワケわかんねぇ!!!)
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。
オレは周囲を見回して、もう何回目かも解らない溜め息をついた。
時計は既に午後3時半を回っていて、文化祭もそろそろ終わりに近づいている。
人影はいつのまにか大分減っていて、変なところで座り込んでいるオレに、注意を向ける人もいない。
「…くそー」
もうここまで来たら…最後まで行くしかないのだろうか。
自分の気持ちに、決着をつけるためにも、花瀬さんは避けて通っちゃいけない人のような気がする。
オレは散々躊躇ったすえに、ゆっくりと足を踏み出した。
「げっ」
東棟は2階までがお店で、3階以上は使わない机などの置き場になっており、一般のお客さんは立ち入り禁止とされている。
その3階まで上がってきたところで、ふと廊下の奥を見やり、オレは思わず足を止めた。
とある教室の前に、真っ黒スーツの男が2人、まるで軍隊のようにピシッと立っていたからだ。
(…ま、間違いなくあの教室だな…)
確信したオレは、逃げたいなぁという弱気な心をどうにか抑えつつ、ゆっくりとその2人に近づいた。
「あ、あのー…」
おそるおそる声を掛ける。
すると、向かって右側に立っていた男の人が、サングラス越しにジロッとこちらを睨んできた。
「っ、え、えっと、オレ、藤野さんに言われてここに来たんですけど…!」
ビクビクしながらも何とかそこまで言うと、オレを見つめてくる男達の視線が、少しだけゆるまったような気がした。
「緒方遼平さんですね?」
「は、はい」
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
「…どうも」
がらっ。
強面のオニーサンに扉を開けてもらい、中へ入る。
なんだかエスコートみたい。
ものすごい違和感を感じるのは、オレの気のせいなんだと思うことにした。
それに今は、それよりも―――…。
「誰だ?」
窓際に座っている、オレとそっくりな顔をした人物。
この人のことを見るだけで、異常なくらいにざわつく心を、どうにか理性で押さえ込む。
ただ冷静でいようと、そのことに全神経を集中した。
「…こんにちは、花瀬さん」
背後でピシャッと扉が閉まる音。
それと同時に、オレはゆっくりと歩き出した。
何を話せばいいのかわからないけど、でも、ここまで来た以上、後戻りはしたくない。
花瀬さんは窓際に腰を下ろしたまま動かなかった。表情は逆光でよく見えないが、オレを探るように見つめているのが何となくわかる。
やがて。
「――…ああ。君が緒方遼平か」
ふっと気がついたように、花瀬さんが唐突に呟いた。
びくりと、オレの足が止まる。
そのことに気づいているのかいないのか、花瀬さんはニッコリと笑って首を傾げた。
そして、オレの方にスッと両手を差し出す。
「ちょうどいいところに来てくれたな。悪いけど緒方君、こっちに来て、コレを外してくれないかい?」
「え、」
「立てないんだよ。服の上からだから別に痛くはないけど、そろそろ指先が痺れてきてね」
見ると、花瀬さんは両手両足をロープのようなもので縛られていた。
いつだったか、渡瀬会長がオレを椅子に縛りつけたときのと同じ代物のように見えた。
「まったく藤野嬢には酷い目に遭わされたよ。さっさと駿河を見つけて三杉のところへ連れて行かなくちゃならないってのに、いきなり大人数で押さえ込まれたんだぜ? しかも、わけがわからないままこんなところに閉じこめられてさ。お嬢さまってのは一体、何を考えて生きてるんだろうねぇ」
「…」
オレが言われるがままにロープを外す間、花瀬さんはそんなふうに喋り続けていた。
あまり顔を真正面から見ることは出来なかったが、確かに、目元や鼻の形がオレによく似ている。少し雰囲気が大人っぽくて、竹下の言っていたとおりオレの兄貴と言っても通用しそうだ。
「そういえば緒方君。君はどうしてここへ?」
「…あ、えと、藤野さんに言われて…」
「ふーん…ますます意図が分からないな。藤野嬢は一体何がしたいんだ」
「さ、さぁ」
ロープを外し終えると、花瀬さんは立ち上がって手首や足首をぷらぷらさせた。
いろんな感情が複雑に混ざって、俯きがちになるオレを、花瀬さんは屈託のない笑顔で覗き込んでくる。
「昨日はゆっくり話が出来なかったね」
「え?」
「三杉に教えてもらってからさ、君のこと気になってたんだよ。へーえ、ほんとに俺そっくりなんだな。中坊の頃と瓜二つだよ。なんなら今度、昔の写真でも見せてやろうか」
「…あ、いや」
「遠慮はするな。渡瀬の後継者なら、俺の後継者も同然だ。なんなら、花瀬先輩vvって呼んでもいいんだぜ」
「全力で遠慮させてください」
「そこだけ即答かい」
苦笑する花瀬さんから、オレはそっと目をそらした。
わからない。何を話せば良いんだろう。
この人を見ていると、否応なく昨日のことを思い出してしまう。
嬉しそうに笑う渡瀬会長。オレの知らない表情。振り払われた、手。
(――…藤野さん、わかりません)
オレは一体どうしたらいいんだ。話すことなんか何一つ思いつかない。
渡瀬会長のことも…話したくない。
「緒方君?」
黙り込むオレを、花瀬さんが怪訝そうな顔で見つめる。
その視線に居心地の悪さを感じて、オレは立ち上がった。
「すみません。用事思い出したんで…オレ、もう行きますね」
「へ? ちょっと…」
「ホントすみません。じゃあ、」
一方的に頭を下げて、オレは踵を返した。
呼び止められるのが嫌で、パタパタと小走りに扉へ向かう。
―――…でも。
「え…遼平?」
「っ!」
ガラリと扉が開き、目の前に渡瀬会長が現れた。
驚いたオレは息を呑んで止まり、胸を押さえて僅かに後ずさる。
渡瀬会長はふわりと目を細めて微笑むと、教室の中へ入ってきた。
「どうして君がココにいるの? 模擬店の方にいなかったから、てっきり体育館にでも行ってるかと思ったよ」
「あ、えっと…」
「渡瀬」
びく、と肩が揺れる。
後ろから足音が近づいてきて、オレの隣で止まった。
「そっちこそ、よくココが分かったな。お前も藤野嬢に言われて来たのか?」
「あ、花瀬さん」
ぱっと花が咲いたように、渡瀬会長の顔が華やぐ。
ずきん、と胸の奥が痛んだ。また、オレの知らない渡瀬会長がいる。
黙り込んでいるオレに構わず、渡瀬会長は花瀬さんに近づいて微笑みかけた。
「そうなんですよ。さっき急に、東棟に花瀬さんがいるから会いに行けと連絡が来て…」
「ホントか?」
「はい。どういう理由なのかは、彼女も教えてくれませんでしたけど」
「勘弁して欲しいなぁ…さっきまで縛られてたんだぜ、俺」
「え、本当ですか」
「うん。見ろよ、袖のとこ皺になってるだろ? さっき緒方君に外してもらったんだ」
2人の視線がオレの方に向いた。
「そうなんだ。ありがとうね、遼平」
「…いえ」
どうして。
どうして、花瀬さんのことで、渡瀬会長がオレにお礼を言うんだろう。
ずきん。
再び胸に痛み。
居心地が悪くて仕方がない。
普段は鬱陶しいくらい引っ付いてくるくせに、こういうときに限って渡瀬会長はオレに触れようともしない。
体が冷えていく気がする。
渡瀬会長は、いつもみたいに抱きついたりせずに、ただ微笑んでいるだけだ。
花瀬さんの隣で。
まるでそれが当然であるかのように―――…。
(どうしよう、オレ)
この感情を知っている。寂しさだ。
急に不安になったオレは、少し迷った末、渡瀬会長の名前を呼ぼうとした。
だが、そのとき。
花瀬さんが唐突に口を開いた。
「なぁ、良かったらこの後3人でどっか行かないか?」
「え?」
「駿河も捕まらないし、三杉は怖いし。可愛い後輩と一緒にいた方が気が楽だよ」
「なに言ってるんですか」
肩に置かれた花瀬さんの手を、渡瀬会長は振り払わなかった。
ただ、嬉しそうに笑って。
「まったくもう、花瀬さんは」
渡瀬会長の手が、花瀬さんの服を掴む。
オレの手は振り払ったくせに、花瀬さんには、自分から手を伸ばしている。
それを見た瞬間。
オレの中で、何かが切れた。
「…す」
「え、遼平?」
「もうオレ、帰ります!!」
「なっ…ちょっと!」
「急にどうしたんだ?」
2人の止める声にも構わず、オレは教室を飛び出した。
黒いスーツの人たちがビックリしたようにオレを見送る。
オレはただ、逃れたくて走った。
嫉妬でぐるぐるの自分が嫌になって、走った。
視界が徐々にぼやけていく。
どうして。
どうして。
渡瀬会長は、オレが好きなんじゃなかったのか。
なのに。なんで。
花瀬さんの前でだけ、オレの知らない顔をするんだよ。
「遼平!」
渡瀬会長が追ってくるのが分かる。
でもオレは振り返らずに走り続けた。
もういいかげん解放してほしい。
そんなに花瀬さんが好きなら、花瀬さんの隣にいればいいじゃないか。
オレのことなんか忘れて、普通に他の人と仲良くやってりゃいいじゃないか。
それでいい。
なんにも問題はない。
ただ、全てが元に戻るだけ。
オレと渡瀬会長が、出会う前に戻るだけだ―――。
「待ってよ…!」
行き止まりで、オレは渡瀬会長に捕まった。
息が切れ、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す。腕を振り払う気力さえ、今はない。
渡瀬会長は、顔を歪めながらオレを見つめた。
「どうしたの、いきなり飛び出して…。またボクが何かした?」
「…」
その問いかけには答えず、オレはゆっくりと乾いた唇を動かした。
「…でしょ…?」
「え?」
「渡瀬会長は、花瀬さんのこと、好きなんでしょう?」
「!」
渡瀬会長が目を見開いた。
「遼平、どうして…」
「知ってるんです。オレのこと好きだって言ったのも、いつもオレに構うのも、花瀬さんに似てるからだって」
「っ、違う!」
渡瀬会長の手に力がこもる。
痛いくらいにオレの腕を掴んで、渡瀬会長は悲痛な声を出した。
「誤解だよ、遼平。そりゃ確かに、最初に君に興味をもったのは…君が花瀬さんに似てたからだった。でも、今は違うんだよ。ボクは本気で遼平が…」
「聞きたくない!」
思い切り、腕を振り払った。
硬直している渡瀬会長に向かって、オレは悲鳴のような声で叫んだ。
「オレはあんたのオモチャじゃない! 花瀬さんの身代わりでもない! うんざりなんだよ、もう!」
渡瀬会長を思って、どうしようもなく胸が痛むのも。
嫉妬でぐるぐるの自分を見るのも。
もう、何もかもが嫌だ。
「いいかげん、解放してください…!」
このまま一緒にいたら、オレは絶対に後悔することになる。
昼ドラの定番みたいなセリフを吐いている自分にも嫌気がさすけれど、これ以上この人の傍にいるよりはマシだと思った。
恋をしたら綺麗になるだなんて大嘘だ。醜くなるばっかりだ。
嫉妬で狂って八つ当たりをして、このままじゃ全て壊れてしまう。思ってもないことを口にして、大切な人を傷つける。
そうして最後には自分までも傷つけて、身動きが取れなくなってしまうんだろう。
だから、どうか、その前に。
もうこんなこと終わりにして。
最初から、全部おかしすぎたんだ。
男同士の恋なんか。
「…遼平」
渡瀬会長が、振り払われた手を力無く下ろした。
心なしか顔色は蒼い。
震えた声で、渡瀬会長はオレの名前を呼んだ。
でも、オレはそれを聞かなかった。
どんっ、と思い切り相手を突き飛ばして。
そして。
「あんたなんか…っ…」
にじんでいく視界をどうすることも出来ず、ただ衝動に任せてこう叫んだ。
「あんたなんか、大っ嫌いだ!!!」
―――…本当は。
そんなこと、思ってもいないのに。
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