続・変態生徒会長とオレ。(63/82)PDFで表示縦書き表示RDF


続・変態生徒会長とオレ。
作:木立久美子



イロコイ文化祭。(10)


 そろそろ中に入りましょうか、と藤野さんが言った。
 ベンチから腰を上げ、校舎へと続く煉瓦道をゆっくり歩きながら、オレはちらっと隣の美少女の顔をうかがった。
 微笑みは消えて、ひどく静かな表情だ。オレの態度や言葉が何か悪かっただろうかと心配になる。でも藤野さんは、特に気分を害した様子はなく、むしろ何やら考え事をしているような様子だった。

「桜祭を成功させて、渡瀬君と卒業生たちの仲を取り持つことが、宗吾の望みなの」

 藤野さんが唐突に振り返って言った。
 顔を盗み見していたのがバレたのかな、と思ってオレはドキッとする。
 けれど藤野さんの表情は相変わらず静かで、ぶしつけな視線を咎めることはなかった。

 ペースは相変わらず酷くゆっくりで、オレの隣を歩きながら、藤野さんはこう続けた。

「私はそれを叶えてあげたい。私が出来ることなら何でもするわ」

 まるで誓約のような響きがあった。
 いつもの笑顔ではなく、厳かと言い換えてもいいくらいに静かな表情だったから、尚更。

(―――…でも、どうして)

 どうして藤野さんは、桐谷先輩のためにそこまでするのだろう。
 幼馴染みって、そんなに大切なものなのかな。それとも藤野さんは、桐谷先輩のことを、幼馴染み以上に大切に思っていたりするのかな。
 そんな疑問が、オレの中にじわじわと広がる。
 藤野さんは桐谷先輩が好きなのかな。そして桐谷先輩は、そのことを知っているんだろうか。
 自分は関係のないことだと解っていても、なんだか気になってしまう。

 そんなオレに気づいたのか、藤野さんはクスリと笑った。静かな表情が消えて、いつもの微笑みを浮かべている。

「別に私、宗吾の恋人になりたいだなんて思っちゃいないわよ」

「うぇえっ、あ、いや、」

「緒方君って本当に解りやすいのねぇ」

 立ち止まり、クスクスと肩を揺らす藤野さん。
 オレはそんなに知りたそうな顔をしてしまったのかと、なんだか申し訳ないような、恥ずかしいような、複雑な気分に襲われる。
 俯くオレに「気にしないで」と優しく声を掛けると、再び藤野さんは歩き出した。
 慌てて後を追い、隣に並ぶと、藤野さんはのんびりと口を開いた。

「私ね、小さい頃、あんまり友達がいなかったの」
「…え?」
「ヤクザから足を洗ったと言っても、周囲の人間にとっては、やっぱり私の家が異質なものに見えたんでしょうね。父の友人や部下は、みんな元ヤクザで、父自身もまだ本家にいた頃の名残を捨てきれなかったみたいだから」
「そ、そんな…」
「もちろん、あからさまなイジメは無かったわよ。近所の人も、最初のうちは色々と噂話をしていたみたいだけど、何年か経ったら大分馴染んでくれたし」

 藤野さんは笑っていた。
 でも一瞬、その笑顔が陰った気がした。

「でもね、やっぱり…“あそこは昔ヤクザだったのよ”って、コソコソ噂されるのは嫌だったわ。子供って、そういうのに対して敏感なのよね。幼稚園でも、小学校でも、私を遠巻きにする人は少なからずいたわ。あの子のお父さんはヤクザだったらしいよ、って。みんな、きっと怖かったんでしょうね。私のこと」

「…!」

「もっとも、そんな人ばかりじゃなかったし、中には私の境遇に同情してくれる人もいたわ。いろいろと気を遣って、とても親切にしてくれた。…でもね、別に私は、自分のこと可哀想だなんて思っていなかったわ。だから私…いつまでも素直になれなくて、同情で近づいてくる人たちには心を開けなかったの。いくら優しくされても、心から感謝するなんて、出来なかった」

「ふ、藤野さん…あの、オレ」

「いいのよ。ごめんなさいね、緒方君。私が話したくて話してるだけだから」

 笑顔を苦笑に変える藤野さんに、オレは「いえ…」と首を横に振った。オレのことは別に構わない。でも、藤野さんは本当にいいのだろうか。無関係のオレにそんなことを話して。

 いつのまにかオレたちは校舎内に入っていた。
 靴を履き替え、人のまばらな廊下をあてもなく歩く。
 いや、もしかしたら藤野さんには目的地があるのかもしれないが、その足取りはとてものんびりしていて、まるでただの散歩のような感じがした。



「宗吾だけだったの」


 唐突に、藤野さんが呟いた。
 オレは驚いて、思わず足を止める。

 藤野さんも立ち止まり、そっと窓に寄りかかりながら続けた。


「宗吾だけが、私に同情しなかった。怖がらないでいてくれた。全てを知った上で、私を認めてくれたのよ」

 
 廊下は静かだった。
 色素の薄い瞳が、遠くを見つめている。
 窓の外に広がる秋空が、人形のような藤野さんを包み込んで、まるで一枚の絵画のように綺麗だった。


「私には、ずっと、宗吾しかいなかったの」


 とても悲しいことのはずなのに、呟く藤野さんの声は、あったかくて優しかった。
 ふわふわと、穏やかな空気。
 それに胸を締め付けられて、オレは思わずこう尋ねてしまった。

「好きなんですか?」

「え?」

 藤野さんが顔を上げて、きょとんと首を傾げる。
 オレは一瞬ためらったが、何でも訊いてくれと言う相手の言葉を思い出して、意を決し続けた。

「藤野さんは、桐谷先輩のこと、好きなんですか」

 なんでそんなことを訊いてしまったのか、自分でも解らない。
 でも、今のオレには、その質問は自然な流れのように思えた。もしかしたら無意識のうちに、藤野さん自身が、オレにそうさせたのかもしれないと。そんな馬鹿なことさえ考えた。

 藤野さんは暫く考え込んでいたが、やがて静かに首を横に振った。


「わからないわ」

 独り言のような声だった。

「もちろん宗吾のことは好きだけど…どういう“好き”なのかは解らないわ。一緒にいたってドキドキしないし、体に触れたいと思ったこともない。なんだか、もうほとんど家族みたいな感覚なのよ」

 藤野さんは顔を上げて、いつものように笑った。

「仮に、もしこれが恋愛感情だったとしても、今更どうこうしようだなんて思わないわ。宗吾が私を女として見ていないのは明らかだし、私だって、もう宗吾がいなくても平気なのだもの。宗吾以外にも、大切な友達が沢山できたのよ。宗吾が傍にいなくたって、私はもう1人じゃない」

 藤野さんの笑顔は綺麗だ。
 言っていることも、嘘や強がりではなさそうだった。

 オレはつられるように微笑み返して、そうですか、と小さく頷いた。


「でも…大切なんですよね。桐谷先輩のこと、特別に思っていることは確かなんでしょう?」

 最後にそう尋ねたら、藤野さんは少しだけ困ったような顔をした。
 そっと目をそらし、窓の向こうに広がる世界を見つめる。
 再び「わからないわ」と呟いて、藤野さんは静かに目を閉じた。やわらかそうな髪がふわふわ揺れている。藤野さんの肩は、かすかに震えていた。

「大切よ、とても。…でも、ときどき混乱するの。つらくはないけれど、恐ろしいわ。宗吾あのひとが一体、自分にとってどういう存在なのか…もう、自分じゃ判断がつかないの」

 オレは目を見開く。
 藤野さんの背中はひどく華奢だった。
 伏せた睫毛が長くて、真っ白な頬に影を落としている。
 藤野さんは、こつん、と窓ガラスに額を押し当ててこう言った。

「―――…好きすぎて、わからない」 










 女の人が震えているとき、男はどうすればいいんだろう。
 情けない話だが、オレは今までそんな事態に直面したことがなかったので、じっと俯く藤野さんを前にどうしたらいいのか全く解らなかった。

 どうやら泣いているわけではなさそうだけど、藤野さんは窓際に張り付いたまま、先ほどから微動だにしない。
 そろそろ心配になってくる。藤野さんはオレより少し身長が低いから、下から覗き込まないと、その表情をうかがうことは出来ない。だからといって、わざわざ近づいて顔を見るのは、とんでもなく失礼なことのように思われる。
 
(どうしよう、オレが変な質問をしたせいだ…)

 声を掛けて、慰めた方がいいのか。それとも、ごめんなさいと謝るべきなのか。
 ――…やっぱりこういう状況って、客観的に見たら、オレが藤野さんを泣かしたように見えるのかな。いや泣いてはいないんだけど、彼女とケンカした彼氏、みたいな。
 いやでも、藤野さんみたいな美人と、オレみたいな平凡な男子高校生が、客観的につり合っているとは考えにくい。
 ここはやっぱり、気分を害してしまったお姫様を前に、どうしたらいいのか解らずオロオロしている付き人、ってのが妥当な線だろう。
 
 ―――って、なに現実逃避してるんだオレは!

「あ、あの…藤野さ…」

 情けない自分を叱咤して、オレはおそるおそる声を掛けようとした。
 そのときだった。


「あースッキリした!!」

「ッ!?」

 いきなり大声を出した藤野さんに、驚いたオレはビクッと後ずさる。
 な、何だ。どうしたんだ一体。

 混乱するオレを置いてけぼりにして、藤野さんは晴れやかな表情を浮かべながら、1人で意気揚々と歩き出す。


「よかったー。ずっと誰かに話したかったのよねー。でも、鈴子に心配をかけるわけにはいかないし、宗吾本人に話すなんて以ての外だし、本当にどうしようかと思っていたのよ。鬱憤を溜めこむなんて、体にも良くないものね」

「…藤野さん…?」

「緒方君は口が堅そうだし、思い切って話して良かったわ。本当にありがとう」

 
 振り向いて、にっこり。

 いつも通りの顔で綺麗に微笑む藤野さん。
 そしてオレの返事も待たずに、再び軽やかな足取りで歩き出す。

 オレは脱力しながら、どういたしまして、と言うのが精一杯だった。
 頬が引きつってしまったのはご愛敬だ。

(…くそぅ…なんか損した気分だ)

 こっちは本気で心配してたのに。姫君は、もうすっかり元気になってしまわれた。
 あなどりがたし乙女。
 オレの悩んだ時間を返してください、と前を歩く背中に心の中で呟いた。


「ああ、そうだわ緒方君。言い忘れてたけど」

 と、いきなりその藤野さんが立ち止まって言った。
 オレは思わずビクっとしてから(藤野さんと一緒にいると、よく心臓が止まりそうになる…)、どもりがちに「な、何ですか?」と聞き返した。

 すると途端にクスクスという笑い声。
 振り向きざまに、藤野さんが笑顔で口を開く。



「花瀬さんを東棟の空き教室に閉じこめておいたから、会いに行きなさい。ゆっくり話が出来ると思うわ」



 思考回路が停止した。


















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