イロコイ文化祭。(9)
「緒方君は、去年の事件を知っているの?」
「え、あ、はい。一応…」
「そう」
オレの隣に腰を下ろした藤野さんは、軟らかい表情で、どこか遠くを見つめた。
3人掛けのベンチはゆったり広い。目の前を、見知らぬ人々がざわざわと行き来する。
廊下で立ち話もなんだから、と場所を中庭に移動したのだが、これでは校舎内にいるのと大して変わらないなとオレは思った。
もっとも、藤野さんは誰に聞かれようが気にしないらしい。
「さっきのは、父の部下なの。みんな腕っ節ばかり強くてね…でも信頼できる人達よ」
「そう…ですか」
元ヤクザの部下。
それじゃあやっぱりあの人達も、昔はそういう世界にいたのだろうか。
「どうしてですか?」
「何が」
「どうして…あの人たちを連れてきたんですか」
尋ねると、藤野さんは少し考えるように間を開けた後、ゆっくりと口を開いた。
「再犯防止、かしら」
「なんですかそれ」
「約束したのよ。宗吾に、去年のようにはさせないから、と」
そう言って藤野さんは、口元の笑みを消しながら目を細めた。
一見すればお伽話に出てくるお姫様のように儚げだが、それだけじゃないってことも表情で分かる。
目には強い意志があり、横顔は凛として綺麗だった。やっぱ美人だ。
「――…だから父に無理を言って、大切な部下を何人か貸してもらったの。警備員の代わりみたいなものね。柄の悪そうな連中を見かけたら、そいつらが問題を起こさないように見張っておけと命令したわ。何かあってからでは遅いもの」
「はぁ」
オレは目を瞬いた。
そりゃ確かに、見張りを付けておけば、事件が起こる可能性は格段に減るだろう。
だけど。
「でも…なんで藤野さんがそこまで…?」
「あら、どういう意味かしら」
「だ、だって。他校のために、普通そんなことしますか? もちろんオレや渡瀬会長達にとっては、願ってもないことですけど…。でも、藤野さんには何のメリットもないのに」
「緒方君。私がメリットなしでは動かない女だと思ってるのね」
「い、いや、別にそう言うわけじゃ」
「いいのよ。事実だもの」
クスクスと笑って、藤野さんは前髪をかきあげた。
ふわっと甘い匂いがする。やわらかそうな髪が風に揺られて、オレは思わずドキドキした。
藤野さんは、やっぱり綺麗な人だ。
元ヤクザの娘だなんて…とてもじゃないが信じられない。
そんなオレの考えが通じたかのように、藤野さんはこちらを見やって小さくクスリと笑うと、のんびり空を見上げながら静かに話し始めた。
「…私の祖父は、その筋の世界じゃ割と有名な人でね。大きな組織を取り仕切りながら、政界にも通じたりしていたわ。けっこう歴史も古くて…4代目だとか言ってたかしら。父はその後継者だったの」
「…!」
でかい。
話のスケールがでかい。
「――…なら、どうしてヤクザをやめたんですか?」
遠慮せずに何でも訊いてねと言われていたので、オレはお言葉に甘え遠慮なく尋ねた。
藤野さんはふわりと笑い、どこか誇らしげにさえしながらこう答えた。
「私の母と、結婚するためだったんですって」
思わず、え?、と聞き返す。
藤野さんは続けた。
「母は北欧系の血をひいていてね、身内が言うのも何だけど…かなりの美人なのよ」
うんまぁ、藤野さんのお母さんならそれも当然だろう。
藤野さんの色素が薄いのも、きっとそのお母さんの血を濃く継いでいるからなんだろうと思った。
オレが先を促すと、藤野さんは少しはにかみながら続けた。
「父は、そんな母に一目惚れしたの。それで…二十歳のときにプロポーズしたらしいんだけど、『ヤクザなんかと結婚できません』って、一回目は断られちゃったんですって」
「うわぁ…」
すごい。
二十歳でプロポーズした藤野さんのお父さんもすごいけど、それを断ったお母さんもすごい。
ヤクザ相手に、よくもそこまで強気になれたもんだ。
「それで…藤野さんのお父さんは、お母さんと結婚するために、ヤクザをやめたんですか」
「そうよ。10年がかりでね」
「10年!?」
「ええ」
ぽかんと口を開けているオレの顔が可笑しかったのか、藤野さんはクスクスと愉しげに笑った。
「本家との縁を切って、裏稼業から足を洗って、それまで犯した罪を償って……そうしていたら、いつのまにか10年が経過してたんですって」
「ほへー」
聞けば聞くほどすごい話だ。
その10年間、藤野さんのお父さんは、藤野さんのお母さんだけを想い続けていたんだろうか。
だとしたら、ドラマ並みの純愛だ。
「2回目のプロポーズは、母の三十歳の誕生日だったそうよ。当時の母はバリバリのキャリアウーマンだったけど、父の熱意に打たれて、結婚を承諾したらしいわ」
「すげぇ…!」
カンペキ映画の世界だ。
あんぐりと、開いた口がふさがらない。
「あの部下たちは、父が本家を出るときに手助けをしてくれた仲間なんですって。だから父が本家から引き抜いて、自分の会社に再就職させたらしいの」
「会社?」
「ヤクザをやめた後、父は警備会社を立ち上げたのよ」
「…すごいですね」
「ヤクザの親分より、社長の椅子に座っている方が落ち着くと言っていたわ」
にこにこと笑う藤野さん。
社長令嬢、という肩書きがよく似合う微笑みだ。
やっぱりヤクザの娘なんてイメージじゃないなぁと、オレはおそるおそる微笑み返しながらそう思った。
「あの…でも藤野さん。それじゃまだ、さっきの質問の答えにはなってませんよね」
「さっきの質問?」
「桜祭のために、どうしてそこまでするんですか、って…」
「ああ」
藤野さんは思い出したように頷いた。
そして、穏やかな表情のまま視線を中庭の奥に向ける。
先ほどより少し人の数は減ったが、相変わらず模擬店の周りにはお客さんが沢山集まっていて賑やかだった。
「桜祭のためじゃないわ」
そのざわめきとは対照的に、静かな表情で藤野さんは言う。
「宗吾の、ためよ」
「キリヤ〜。タコ焼き食べよう、タコ焼き。6個入りだってさ」
「…1人で勝手に食え」
「寂しいこと言わないでよ。せっかく涼が奢ってくれるんだから」
「奢らねぇよ!!」
文化祭の昼下がり。
ようやく休憩時間に入った3年トリオは、見回りがてら少し遅めの昼食をとろうと、校内を歩き回っていた。
子どものようにはしゃぐ渡瀬が、アレが食べたいコレも買おうと寄り道ばかりしているので、ペースはかなりゆっくりだ。そろそろ桐谷の機嫌が悪くなるんじゃないかと、一緒に歩く鳴沢は気が気じゃない。
「そ、そういえば渡瀬。1年教室の方には行かなくていいのか?」
「ん? どうして?」
「だってほら、あんなに見たがってたじゃないか。緒方のエプロン姿」
「ああ、それね」
買ったばかりの炭酸飲料をなぜかシャカシャカと振りながら、渡瀬は笑った。
「行ってもしょうがないよ。遼平はもう1−Bにはいないから」
「え、なんで解るんだ?」
「あの子のシフトは午前だったからね。午後はもう自由時間だよ」
「…なんでお前が一年生のシフトを知ってるいんだ」
それまで黙っていた桐谷が、どこか胡乱げな顔で問いかける。
対する渡瀬は、缶ジュースを片手で玩びながら、楽しそうにこう言った。
「だってボク、生徒会長だもん」
「「…」」
桐谷と鳴沢は、無言で顔を見合わせる。
同じ事を考えているのが、互いの表情で分かった。
「―――…つまり、それは…」
「生徒会長の権限を使って、1−Bの企画表を盗み見た、と?」
「正解♪」
にっこりと微笑む渡瀬。
それを見た鳴沢はこめかみを押さえ、桐谷は眉間に皺を寄せつつ溜め息を吐いた。
まったく、少し目を離すとすぐこれだ。
王子の世話係も楽じゃない。
「…でもさ、それにしちゃ機嫌が良いよな」
「うん?」
「だって、わざわざ小狡い手を使ってまで緒方のシフト確認したのに、結局エプロン姿は見られなかったじゃないか」
鳴沢の言葉に、桐谷もそうだなと同調した。
いつもの渡瀬なら、職務放棄まではしないものの、へそを曲げて八つ当たり(主に鳴沢に)くらいはやるだろう。それを考えると鳴沢は何だかものすごく切ない気持ちになるが、まぁ取り敢えずそれは横の方に置いといて。
いまの渡瀬は機嫌が良すぎる。
それがなんだか怪しいのだと、桐谷と鳴沢は少し不安を感じていた。
こういうときの渡瀬を野放しにすると碌なことがない。
「やだなぁ。別に何も裏なんか無いよ」
友達のくせにボクを疑うの?、と渡瀬は顔をしかめた。
対する2人は何も答えなかったが、心の中では「友達だから疑ってんだよ」と同時にツッコミを入れていた。渡瀬透という人間を熟知しているからこその判断なのだ。
渡瀬は暫くの間むすっとしながら2人を見つめていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
そして気を取り直し、再びシャカシャカとジュースを振り始める。(なぜだ)
「わ、渡瀬…?」
鳴沢がおそるおそる声を掛けると、渡瀬はふわりと微笑んだ。
「いいんだよ。実物を見られなかったのは残念だけど、その代わり写真を手に入れる予定だからね」
「「写真?」」
「うん」
頷いた渡瀬は唐突に立ち止まった。
そして、おもむろに背後を振り返る。
「いるんだろ? 出ておいでよ」
「え…」
「まさか」
その言葉の意味を理解し、桐谷が目を瞠って鳴沢が青ざめた次の瞬間。
「――…どうしてわかったんですか?」
曲がり角から、カメラを持った高月鈴子が、拗ねたような表情を浮かべて顔を出した。
「えええええッ!?」
「…やっぱりか」
驚いて叫ぶ鳴沢の横で、桐谷が脱力したように掌で顔を覆った。それを見て、鈴子は少し申し訳なさそうに体を小さくする。
渡瀬だけが、予測が当たって嬉しそうにニコニコしていた。
「ごめんね。なんとなく気配がしたんだ」
「気配は殺していたつもりだったのですが…読めたんですか?」
「だってボク生徒会長だし」
「会長だろうが何だろうが普通は読めないぞ気配なんて」
鳴沢が条件反射でツッコミをいれる。
それを見た桐谷が「なんだか最近おまえ緒方に似てきたな」と小さく呟いた。
「遼平の次は、僕らをターゲットにしようってわけ?」
華奢な手から、ひょいっとカメラを取り上げて渡瀬が言う。
「三杉さんが、こそこそ動き回っている君を見かけたらしくてね。ボクに教えてくれたよ。遼平のエプロン姿だけじゃなくて、僕たちの着物姿まで撮りまくってたんだろう?」
「うぇええッ!?///」
鳴沢が顔を真っ赤にする。写真を撮られるのがあまり得意ではないのだ。
鈴子は素直に「ごめんなさい」と頭を下げてから、でも、と言い訳のように口を開いた。
「宮子お姉さまの命令でしたもの。逆らうわけにはいきませんわ」
「またあいつか…!」
額に青筋を浮かべる桐谷を、鳴沢があわあわしながら宥めた。
渡瀬は何を思ったのかクスッと笑うと、鈴子の手にカメラをそっと戻してやった。
「別に怒っちゃいないよ。写真を取り上げたりもしない。…ただ、2つほどお願いをしてもいいかい?」
「え…ええ、もちろん良いですけど…なんですか?」
首を傾げる鈴子に、渡瀬は優しく微笑した。
「まず1つ目。遼平の写真を、全部焼き増ししてボクにくれること。そしてもう1つは…」
いったん言葉を切って、そっと手を差し出す。
その手には、先ほどシャカシャカと振りまくった炭酸飲料が握られていた。
「これを、放送部の竹下洋司って一年生に届けてくれるかい?」
缶ジュースを鈴子に手渡して、渡瀬は口元の笑みを深くした。
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