イロコイ文化祭。(5)
「だいぶ落ち着いた?」
「あ、はい」
「もうすぐ竹下と皐月も帰ってくるから。そうしたら、自分が何するべきか分かるよね?」
「…竹下に謝ります」
「よろしい」
五月先輩が満足げに頷いて、オレの頭にポンと手を置いた。まるで皐月先輩にするみたいに。
「先輩たちは…いま休憩時間なんですか?」
「うん。もう20分くらいしたら、お化け屋敷の方に戻らなきゃいけないんだけどね」
ケータイを開きながら、五月先輩が言った。
竹下と皐月先輩は飲み物を買いに行っている。すべて五月先輩が指示を出した。
正直、あのまま竹下と一緒にいるのは気まずかったし、頭を冷やすのに少し時間が欲しいと思っていたから、すごく助かった。それに飲み物まで奢ってくれるなんて、一体どうしたんだろう。
もしかしてオレを気遣ってくれたのかな、なんて思いながら、オレは五月先輩の横に腰を下ろす。北階段は人通りが少ないから、座っていても他人の迷惑にはならない。
「――…あの」
「ん?」
「ありがとうございました」
「何が」
「…えっと…さっき、止めてくれたことです。あのままだったらオレ…竹下にもっと酷いこと言ってたかも」
言いながら、情けなくなって俯いた。
友達に八つ当たりするなんて、ほとほと自分が嫌になる。
竹下、怒ってるだろうか。傷つけただろうか。良いヤツなのに。オレって最低…。
そんなふうに、どんどん落ち込んでいくオレを横目に、五月先輩は相変わらず涼しい顔をしていた。白い頬に影がかかって、本当に人形みたいだ。陽の射し込まない北階段は、電気が点いていても、ぼんやりと薄暗い。
「別に、君のためじゃないよ。あんなとこでギャアギャア騒がれたら、せっかくの文化祭が台無しだろ。あれ以上は聞くに堪えなかったから、仕方なく止めただけ」
「…それでも…ありがとうございました。本当に」
「つくづくお人好しだよね、君は」
パタンと携帯電話を閉じて、五月先輩は溜め息混じりに言う。
「どうしてそんなに、他人のことばっか気にしてるのさ。苛々するよ」
「い、いらいら?」
「ぐるぐる考えすぎて、がんじがらめになって動けないんでしょ。馬鹿じゃないの」
「ば、ばか?」
えっと。オレは今、怒られてる…ってか叱られてる…のか?
普段はゆっくりのんびり喋る五月先輩が、いつになく、きつい口調で話している。
オレは困惑しながらも、とりあえず「ごめんなさい」と小さな声で謝ってみた。
そしたら睨まれた。(なんでだ)
「君さ、理由も分からずに謝るのやめてくんない」
「ふぇ?」
「わかんないときは、わかんないって言わなきゃ駄目だよ。知りたいことはちゃんと訊かなくちゃ。理解できないまま流してたら、ほんとに何もわかんなくなる」
「…え、」
「緒方って、普段はやたら生意気なくせに、そういう重要なとこだけ黙っちゃうんだよね。礼儀正しいんだか相手のことを気遣ってるんだか知らないけど、そういうの、かえって困るんだよ。見ててホント苛々する。君のためにもならない」
そう言って、五月先輩は立ち上がった。
階段を上がって右手に続く、長い廊下。その向こう側を、目を細めながら見つめる。
「竹下は、それを言いたかったんじゃないのかな」
五月先輩が呟いた後、オレもハッと立ち上がった。
両手に缶ジュースを持った2人が、こちらに歩いてくるのが見えた。
「ちょっと皐月」
「なぁに、五月」
「俺、おしるこ買ってきてって言ったよね。これ、どう見てもお雑煮スープなんですけど」
「あれっ、そうだった?」
「そうだったじゃないよ。なんで自分だけちゃっかりおしるこ買ってるの。それちょーだい」
「え、やだよ。これは俺のおしるこだもん」
「なにそれ。別に全部よこせなんて言ってないよ。少しくらい分けてよ」
「だめ。五月はそのお雑煮すすってればいいじゃん。おしるこもお雑煮も似たようなもんでしょ」
「じゃあ交換して」
「やだ。お雑煮スープとおしるこって味ぜんぜん違うし」
「言ってること矛盾だらけだよ皐月」
おしるこを巡ってしょーもない争いを繰り広げる天宮兄弟の横で、オレと竹下はちびちびとジュースを飲んでいた。
お互い、いろいろ言いたいことは山ほどあるはずだが、どうにも切っ掛けが掴めない。横目で相手をちらちら伺い、口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じという、非常に不毛な動作を何度も繰り返した。
(あーもう、駄目だ。こんなことじゃ…)
オレンジジュースの缶を足下に置いて、深呼吸。
やっぱりオレから謝らないと。
そう思って、オレは意を決して竹下の方を向いた。
「「あの…っ」」
声が重なった。
どうやら竹下も、オレと同時に話しかけようとしたらしい。
顔を見合わせた状態で思わず硬直したオレたちは、そのまま何も言えずに暫く見つめあった。
「…お、お先にどうぞ」
「いや…お前こそ」
「俺は別に…いいから」
「でも…」
ぎくしゃく、って音が聞こえてきそうな会話だ。
おしるこ争奪戦を終えた(結局半分こすることになったらしい)双子が、そんなオレ達を見ながらヒソヒソ話し始める。
「うーわぁ…ベタだねぇ」
「今時どこの少女漫画でもあんなことやらないよね」
「うんうん、初々しいにも程があるよ。ホントに高校生かっつーの」
「ってか、譲り合うくらいなら最初から話しかけるなって話だよねー…」
「ねー…」
「せっかく小声で話してくださっているところ申し訳ありませんが、丸聞こえです、先輩方」
一応ツッコミを入れてから、オレは小さく息をつく。
双子のバカな会話で力が抜けた。
手を伸ばし、気まずそうに目をそらした竹下の、制服の袖をギュッと掴む。
「…!」
「竹下…あの、ごめんな。さっきのこと…オレが勝手に八つ当たりしただけだから。お前ぜんぜん悪くないから」
驚いたように目を瞬く竹下に、オレは頭を下げた。
「ひどいこと言って、ごめん」
こんなふうに、誰かに謝るのは久しぶりだ。
自分が素直じゃないってことは自覚している。だからこそ、こういうときはちゃんと言葉にしなくちゃと思う。
恥ずかしいけど、オレは相手に依存しているのだ。失いたくないと強く思う。
―――…竹下は、大事な友達、だから。
「いや…俺の方こそ悪かったよ。お前の気持ち考えずに、無神経なこと言った」
暫くして、竹下はくしゃりと笑った。
「だから、おあいこな」
「…おう」
なんだか恥ずかしくて、照れくさくて、オレは俯きながら笑った。
竹下も笑っている。なんだこれ、と殆ど同時に呟いた。
ホント何やってんだろうオレ達。
これじゃあ、皐月先輩に「いつの時代の青春ドラマ」って、馬鹿にされても仕方がない。
なんだか無性に笑いたくなる。
おかしくて仕方がなくて、オレたちは酔っぱらいみたいにクックックと肩を震わせながら、いつまでもいつまでも笑っていた。
その様子を、2年生2人は「やれやれ」といった感じで眺めている。
「いいねぇ、若い人たちは」
「…ホントにね」
天宮兄弟は溜め息混じりに呟いた後、オレと竹下にも聞こえるような声でこう言った。
「ジュース代、あとでちゃんと払ってよね」
「1人150円だよ。1本120円プラス手数料30円」
――…どうやら奢りじゃなかったらしい。
そのころの3年A組では。
三杉と渡瀬の冷戦(というか、三杉が一方的に渡瀬をつついて遊んでいた)で神経をすり減らされた相沢が、真っ青な顔で椅子に腰を下ろしていた。
あの後ようやく後輩をからかうことに飽きた三杉は、出された抹茶を美味しそうに飲み干し、衰弱(精神的に)していて動けない相沢を「根性がないなぁ」の一言であっさり置き去りにして、どこかへ行ってしまった。
高校時代はもう少し大人しくて優しいヤツだったんだが、と何だか寂しい気持ちになってしまう相沢である。
いいように振り回されている自分が情けなくて仕方がなかった。
そして、振り回す三杉に微かな違和感を覚えた。
なんだか例の事件以来、三杉は強くなってきた気がする。
「すごいな…あいつは」
ぽつりと呟いた相沢の元に、ゆっくりと近づく足音。
顔をあげると、桐谷が眼鏡の奥で微笑んでいた。大人びた顔立ちに、渋色の浴衣がよく似合う。
相沢と目が合うと、その後輩はにっこりと唇の端を引き上げた。
「お疲れ様でした」
「…どうして助けてくれなかったんだ」
「すみません。巻き込まれたくなかったもので」
「嘘つけ。楽しんで見物してたろう、お前」
「ああ、ばれましたか」
「まったく口の減らない…」
溜め息を吐きながら、出された茶碗にゆっくりと口を付ける。
ほろ苦く、かすかに甘い抹茶の味が広がった。
「桐谷」
「はい?」
「渡瀬の機嫌を直しにいかなくていいのか」
「涼に任せました。最近じゃ、あいつも上手いこと透を宥めてくれますよ」
「…大変だな、王子の世話係は」
「何を今更。もう慣れましたよ、俺も涼も」
クスッと笑う桐谷。
そう言えばこいつは三杉と同系列の人間だったなぁ…と今更ながらに思いながら、相沢はもう一口抹茶を飲んだ。
確かに、性格が良いとは言い難いし、少し捻くれたところもある。けれど根っから悪い奴ではないのだと、相沢は桐谷をそう評価していた。むしろ自分の性格をちゃんと自覚している分、三杉よりはまだマシだと思う。
それに桐谷はなんだかんだ言いながら、他人の面倒を見るのが好きな奴なのだ。でなきゃ、あの渡瀬の親友なんかやってられないだろう。
相沢はそんなことを考えながら、ふと廊下の方を見やった。
そして変なものを見た。
「…?」
思わず目をすがめて、それを見つめる。
ざわめく廊下をゆっくりと、優雅に歩いていくのは、色素の薄い髪をしたフランス人形のような美少女。
彼女には見覚えがある。別に、ここの廊下を歩いていたって不思議はない。彼女は姉妹校の生徒会長で、今回の祭の重要なゲストなのだから。
しかし、相沢が違和感を覚えたのはそこではない。
彼女が一緒にいる…というよりは、引き連れて歩いている男たちが、おかしいと思ったのだ。
あれは、明らかに―――…いや、でも、まさか…。
「どうしました、相沢さん」
「あ、ああ」
声をかけられ、相沢はハッとして振り向いた。
具合が悪くなりましたかと尋ねてくる後輩に、なんでもないと言って首を振る。
ちらっと廊下の方を見やると、もうそこには美少女の姿はなかった。
目を瞬きながら桐谷の方に向き直る。
「おい…さっき廊下を歩いていたのは、お前の彼女じゃなかったか?」
「彼女?」
「ほら…あの髪が長くて色の白い…」
「ああ、宮子のことですか」
桐谷はものすごく嫌そうに顔をしかめた。
そして心外だと言わんばかりに、大きな溜め息を吐く。
「あいつは彼女じゃありませんって、何度言ったら分かるんですか。ただ家が隣同士なだけですよ」
「そう…か」
頷いて、相沢はもう一度だけ廊下の方に目を向けた。
もちろんそこに彼女の姿はなく、彼女に付き従うように歩いていた男達の姿もなく、ただ他の客の笑い声やざわめきが残っているだけだった。
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