イロコイ文化祭。(4)
ぽす、と背中に重み。
頬に柔らかな黒髪が触れ、甘いコロンがふわりと香る。
そのまま腕を回して抱きしめられて、桐谷は思わず硬直した。
「…おい、透」
「んー?」
「何やってるんだ」
「んー…」
答えにならない声を発しながら、渡瀬は桐谷の肩口に顔を埋める。
背中から抱きしめられている桐谷には相手の顔が見えないが、声の調子から、渡瀬が何やら考え込んでいるようすなのが何となく分かった。
こういうときの彼には無駄なことを言わない方が良い。
桐谷が無言で相手の反応を待っていると、やがて渡瀬は「あーあ」と深い溜め息を吐き出した。
「抱きごこち悪ー…」
「は?」
眉間に皺を寄せ、ぐるりと首をめぐらせ振り返る。
桐谷は目を眇めながら、背中に引っ付く親友を睨みつけた。
「いきなり抱きついておきながら、その言いぐさは何だ」
「だってホントに悪いんだもん。桐谷ってば、身長高いし肩幅広いし骨格もしっかりしてるし、もう最悪」
「…男としては長所だと思うが?」
「僕は抱き心地の問題を言っているんだよ」
相変わらず桐谷の肩に額を押し付けたまま、渡瀬が喋る。
くぐもったその声は、少し疲れているようにも感じられた。
「あーあァ…遼平ならもっと、腕にすっぽり収まるんだけどな。あの子、筋肉質だけど細っこいから」
「よく知ってるな」
「うん。抱きしめると分かるんだよ。バランスの取れた、すごく綺麗な体だった」
「…お前…そういう変態じみたことを真顔でサラッと言うから嫌われるんじゃないか?」
「いいもん。僕どうせ変態だもん」
「ふてくされるな」
渡瀬の子どものような口調に、桐谷はやれやれと苦笑して、ゆっくりと相手の腕をほどいた。
正面に向き直って相手の顔を覗き込みながら、その頭を撫でるように手のひらを置く。
「――…昨日、ちゃんと花瀬さんと話せたか?」
滅多に出さない優しい声で尋ねると、渡瀬は少し表情を緩めながらコクンと頷いた。
「ありがとう。キリヤが計らってくれたんだよな?」
「いや…まぁ確かにそうだが…結局は三杉さんの思うように踊らされたよ。大したことは出来なかった」
「それでも、ありがとう」
言いながら、今度は正面から抱きついてくる。
感情表現がいちいち子どもみたいなヤツだなと思いながらも、彼がそうするのは気を許した相手の前でだけだと知っていたので、桐谷は笑って「どういたしまして」と言ってやった。
そのとき、ガラリと扉の開く音がした。
「おーい、渡瀬、キリヤ。休憩時間は終わりだぞ。そろそろ店の方に戻…って……」
ひょっこりと顔を出した鳴沢が、抱き合っている2人を見て、そのまま目を見開きながら硬直した。
渡瀬とキリヤも「…」と無言で鳴沢の顔を見つめ、引っ付いたまま身動き1つとらない。
たっぷり十数秒間、誰も言葉を発しなかった。
なんとも言えない微妙な空気。
そして。
「お、お邪魔しました」
一体何を勘違いしたのやら、鳴沢は顔を真っ赤にしながら回れ右をし、後ろ手にピシャッと扉を閉じた。
そのままバタバタと慌ただしく駆けていく友人の足音を聞きながら、桐谷と渡瀬はゆっくりと顔を見合わせる。
「…誤解されたかな?」
「…誤解されたな。間違いなく」
3年A組の店は、甘味処だ。
生徒は皆、渋色の浴衣を着て接客をする。秋に浴衣は少し寒いけれど、桜木高校は空調設備が整っているので特に問題はない。
主なメニューは抹茶と団子。他にも金団や草餅、簡単な砂糖菓子など、料理の得意な生徒達が腕によりを掛けて作ったのだ。
内装も和風に統一され、入り口には暖簾がたらしてある。
最後の文化祭というだけあって、皆とても気合いが入っていた。
「びっくりしたよ…。てっきり渡瀬がヤケおこして、緒方からキリヤに乗り換えたのかと…」
「やだなぁ。そんなことするわけないだろ」
「あ、あはは。そうだよな。ごめん、早とちりして」
恥ずかしさを誤魔化すように、鳴沢は笑った。
あのあと桐谷と渡瀬に本当のことを聞いて、自分の認識が誤解であったと理解したのだ。
「でもさ、お前らホントそういう雰囲気に見えたぞ」
「え。そう?」
「ああ。だから気をつけろよ。藤野さんあたりが見たら、きっと大騒ぎすると思うぞ。あることないこと想像して…」
「いや、藤野さんは騒いだりしないと思うよ」
「そうか?」
「うん。盗撮したり同人誌のネタにしたりはやるだろうけど」
「…」
その手の話題にあまり免疫のない鳴沢は、何も言えずに目をそらした。
そこへ、別のクラスメイトが「おい」と声を掛けていく。
「三色団子、お代わり追加だ」
「はいよー」
黙りこくっている鳴沢を放置して、渡瀬は持ち場に戻った。
木皿に載せた串団子を、お客さん達にテキパキと配っていく。もちろん営業スマイルも忘れない。
廊下で呼び込みをしている桐谷も、身内の前では絶対にやらない『優等生』の顔で、にこにこと愛想を振りまいていた。猫かぶりも、あそこまでいけば一種の才能だ。
「おー。ここも繁盛してるなぁ」
「あ、三杉さんに相沢さん!」
聞き覚えのある声に振り向いてみると、そこには大好きな先輩たちの姿。
暖簾をくぐってやってきた2人に、渡瀬は笑顔で駆け寄った。
「いらっしゃいませ。今日も来てくれたんですね」
「まだ駿河が揃ってないからな」
「ったく…あいつ、どこほっつき歩いてんだか」
溜め息を吐く三杉に苦笑して、渡瀬は「とりあえずどうぞ」と2人を席へ案内した。
時代劇によく出てくる茶屋にあるような腰掛けだ。
「何にします?」
「抹茶」
「じゃあ、俺も」
「え? 飲み物だけでいいんですか」
「ああ。実は、さっき1年の店で食ってきたところなんだ」
「かわいかったなぁ、緒方くん」
クスッと笑いながら言う三杉に、渡瀬がぴくりと反応する。
それを見て、三杉は口元の笑みをいっそう深くした。何やら面白いことを思いついたような顔だ。
必死に目で「やめろ」と訴えかけてくる相沢を無視し、三杉はわざと渡瀬をからかうようにこう続けた。
「渡瀬の気持ちが分かったよ。確かにアレはいじりたくなるよなぁ」
「…」
「ウェイター姿じゃなかったのは残念だけど、市販のエプロンってのもなかなか馬鹿に出来ないね。ホントお前にも見せてやりたかったよ。可愛いクマのエプロン姿で、にっこり笑う緒方くん」
「…っ」
超 見 た い … !
ぶるぶると拳を震わせて堪える渡瀬。
クスクスと笑う三杉。
そんな2人の間に挟まれ、冷や汗を流す相沢。
「キリヤ…助けに行かないのか…?」
「面白いから、もう暫く放っておく」
「…そうか」
副会長と書記長は、少し離れた場所でその様子を見守っていた。
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