それぞれの思惑。
緒方遼平が妨害者の網から解放され、鳴沢涼が本部で半泣きになっている、その頃。
白組大将、桐谷宗吾は、校門のそばに立ってある人物を待っていた。
あたりには人の姿が無く、とても静かだ。
グラウンドやその周辺など、競技の真っ最中である場所からは少なからず喧噪が聞こえてくるのだが、いま彼のいる場所はそこから大分離れた場所にある。
実況があれば多少は状況が分かるのだが、その放送さえ今はほとんど聞こえてこない。指示通り、五月がカメラに布をかぶせたのだろう。
(――…正直、五月が作戦に協力するかどうかは五分五分だったんだが…どうやら、ちゃんとやっているらしいな)
少し意外だ、と桐谷は呟いた。
もちろん彼は、その五月がたったいま裏切りを働いたことなど知るよしもない。
もしも知っていたなら、待ち人を放ったらかしにしてでも、すぐさま本部へ駆け戻っただろう。
(なんだか少し…うまく、いきすぎているような気もするが…。まぁ、涼がいれば何とかなるだろ)
勘の良い桐谷は、ふいに生じた胸騒ぎを、友人への信頼で打ち消した。
後に、それを少々後悔するはめになることを、このとき彼はまだ知らない。
「おーい、桐谷ぁ」
「あ、三杉さん」
ちょうどそのとき、待ち人がやってきた。
懐かしい声に、桐谷は顔を上げて微笑む。相手の方も、にこにこしながら駆け寄ってきた。
「久しぶり。お前、でっかくなったなぁ」
「そんなに変わってませんよ」
答えた後、相手が1人でいることに気づいて、桐谷は首を傾げた。
「あとの3人は?」
「んー、実はまだ見つけてないんだ。相沢には会えたんだけど、他の2人を探すからって、ここに来る途中で別れた」
「そうでしたか…。駿河さんと花瀬さん、来てないんですか?」
「いや、学校には来てるみたいだよ。さっきケータイにかけたら、もう着いてるって言っていたから」
そう言って、三杉は肩をすくめた。
「まぁ会えなくても無理ないよな。今日は人が多いし、皆リレーのせいで大騒ぎしてるから」
「たしかに」
今年のリレーは例年と比べても、かなり盛り上がっている。
生徒や観客のテンションも半端じゃない。あの喧噪の中、特定の人物を捜し出すのは容易ではないだろう。特に三杉は小柄だし、長時間歩き回るのは彼の体質上あまり宜しくない。
桐谷は苦笑しながら口を開いた。
「ここで待ち合わせた方が早そうですね。今、2人と連絡は付きますか?」
「あー。それがなぁ、さっき電話してる途中で、急にブチって切れちゃって…」
「切れた?」
「うん、おおかた電池切れだろう。花瀬も駿河もずぼらだからなぁ…。ケータイの充電はこまめにしとけって、昔から何度も言ってるのに」
「…2人とも繋がらないんですか」
「イエス」
頷いて、三杉は苦笑した。
「ホント、何のための携帯電話だよって感じだよな。まあ、そのうち会えるだろうと思って、待ち合わせ場所を指定しなかった俺も悪いんだけどさ」
「仕方ないですよ、今回は。…とりあえず、相沢さんだけでもココに呼べませんかね」
「ああ、それなら、」
「もう来てる」
声のした方を振り向くと、ちょうどケータイを手にした相沢が、校舎の方からこちらに歩いてくるところだった。
桐谷は少し驚いて目を瞬いた。
どうやら、三杉があらかじめ場所をメールしておいたらしい。
「よう相沢、早かったな」
「三杉…お前、桐谷とグルだったのか」
「ん、何のことかな」
微かだが眉をひそめている相沢に対し、三杉はニッコリ微笑んで小首を傾げた。19歳の男がやるには少し可愛らしすぎる仕草だが、彼がやると違和感がない。
桐谷は呆れと感心が半分半分の視線をその先輩に向けた後、気を取り直して相沢に説明した。
「俺が三杉さんに招待状を送って、ぜひ来てくださいと頼んだんですよ。それから、出来れば他の先輩方も呼んでくださるようにと…」
「お前が?」
「はい。でも、半分は賭けでしたね。本当に来てくださるとは思ってませんでした」
「俺の影響力をなめるなよ、桐谷」
クスクスと笑う三杉から、相沢は冷や汗を掻きながら距離を取った。
「…話は解った。だが桐谷、どうして…」
「透のためです」
怪訝そうな顔をする相沢に、桐谷はきっぱりと言い放った。
「先輩たちを責めるわけではありません。でも、去年…花瀬さんと駿河さんが生徒会を抜けて、相沢さんと三杉さんも引退してしまった後、あいつ…かなり落ち込んでいたんです。傍目にはそう見えなかったでしょうけど」
「…」
相沢が黙り込み、三杉がその肩に手を置く。
それを見て桐谷は淡々と続けた。
「機会を与えてやってくれませんか。先輩たちと話す機会を。…何も解り合えないまま卒業されて、それきり会えなくなってしまって…。あいつにとっても、花瀬さん達にとっても、このままで良いなんて思えない」
だから。
「透を、花瀬さんに会わせます」
「いやぁそれにしても突然こんな展開になるとは思わなかったな〜」
「のんびり喋ってないでちゃんと前向いて走ってください渡瀬会長!!」
「あはは、そんなに怒らないでよ遼平。君のことはボクが最後まで守りきってみせるから…ね?」
「ね、じゃねーよ!! 走りながら口説くな! そして手を握って見つめてくるな! 本当に今の状況わかってんのかッ、この万年発情バカ会長!!」
「ああ…久しぶりだね、その罵声」
「嬉しがるんじゃね――ッ!!!!」
オレは今、渡瀬会長と一緒に敷地内を大激走している。
行く手を塞ぐ障害物はやたらと多く、一体どこからどうやって運んだのだろうか、大型の体育用具がゴロゴロしていた。たとえば、壁のように並べられた跳び箱だとか、山のように積まれたマットだとか、足下に張られた大縄だとか。
渡瀬会長はそれら全てをヒョイヒョイと軽く越えていきながら、時折オレに話しかける余裕さえあるらしい。
だがオレはもちろん、そんな化け物じみたことが出来るはずもなく、必死に全力疾走しながらどうにか障害物を避けるので精一杯だ。おまけに渡瀬会長の発言にいちいちツッコミを入れて(ほとんど条件反射)いるもんだから、もう息も切れ切れである。
…。
えーっと。
なんで、こんな状況になっているのかというと。
「ほら遼平、はやく逃げないと五月に追いつかれちゃうよ? あいつ普段はダルそーにしてるくせに、本気出したら結構速いからさー」
「知ってますよ! ってか誰のせいでこんなことになったと思ってんですか!!」
「え? ボク?」
「てめぇの他に誰がいるんだこのアホんだらぁぁぁぁッ!!!」
腹の底から叫んだ。
そう。
オレ達が今、こんなにも切羽詰まった状態で走っているのは、渡瀬会長のせいなのだ。
そのわけは、遡ること数分前…。
「遼平! 大丈夫? どっか痛いところ無い?」
「え…あ、いえ」
「―――良かった」
妨害者の網から解放され、展開の速さに付いていけず目をぱちくりさせているオレの元へ、渡瀬会長はすぐさま駆け寄ってきてくれた。
オレが無傷でいるのを確認すると、心底ホッとしたように柔らかく微笑む。
直視してしまったオレは、急にドクンと高鳴った心臓を押さえ、紅い頬を隠すために俯いた。
(…ちょ、至近距離でその顔は反則…っ!)
いっそ憎らしいほど、心臓がドキドキいっている。
渡瀬会長に気づかれたらと思うと、不安で仕方ない。
そんな様子を変に思ったのか、渡瀬会長が怪訝そうにオレの顔を覗き込もうとした。
「遼平? やっぱり、どこか…」
「あっ、ち、違います。大丈夫です。ちょっとボーッとしただけで」
「…そう」
「!」
慌てて顔を上げ首を横に振ると、その途端に抱き寄せられてしまった。
ここまで走ってきたせいか、渡瀬会長の体は熱くて、ほんのり汗ばんでいる。
「///〜ッ!!」
「よかった…君に何かあったら、どうしようかと…」
ますます顔が紅くするオレには気づかず、渡瀬会長は腕に力を込めて抱きしめてくる。
肩口に顔を埋められ、さらさらの黒髪がオレの頬をくすぐった。
「無事でよかった」
甘くて優しい囁き声。
オレは焦りながら身をよじった。
(本気でヤバイって…!)
どういう拷問だよコレは!
「っ、ちょ、渡瀬会長、離れてくださ、」
「遼平…」
「うぎゃー!!」
耳に吐息が! 腰に手が!!
どうにか離れようともがくオレを弄ぶように、渡瀬会長の唇が耳たぶに触れる。
びく、と体が震えてしまうのが自分でも分かった。
「やだ…かいちょ……んっ」
「遼平」
「ひっ…!」
「あのー、お取り込み中たいへん申し訳ないんですけど」
ぴたっ。
のんびりした声が唐突に割り込んできて、オレと渡瀬会長の動きが止まる。
顔を上げると、相変わらず無表情の五月先輩が、すぐ横に立ってオレたちを見下ろしていた。
いつのまにやら、妨害者達の姿は消えている。
なぜかオレは冷や汗をかいた。
「い…いつき、先輩」
「何なの五月。邪魔しないでよ」
「だから申し訳ありません、って言ったじゃないですか。…つーか渡瀬会長、今が競技中だってこと解ってます?」
「あ」
「忘れてたのかよ!」
条件反射でツッコミをいれるオレ。
ついでに、密着状態の体を、相手を思いきり突き飛ばすことで距離をあけた。
そんなオレたちのことを呆れたように見つめて、五月先輩がやれやれと溜め息を吐く。
「――…言っておきますけど、俺、紅組に勝ちを譲ったわけじゃありませんからね」
「「え?」」
キョトンとする。
だって、さっき無線機を捨てていたから、てっきり寝返ったのだとばかり思っていたのに…。
「渡瀬会長とサシでやるのは、分が悪いって思っただけさ」
まるで思考を読み取ったかのように、五月先輩がオレを見つめながら唇の端を引き上げた。
笑顔じゃない。目が全く笑っていない、威嚇の表情。
まっすぐにオレを見据えて言う。
「こっからは手加減なし。緒方と俺の勝負だよ」
―――絶対勝つって、皐月と約束したんだから。
優美な口調でそう告げる五月先輩の手には、なぜか、真っ白なバトンがしっかりと握られていた。
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