マイペースな裏切り者。
それは一瞬の出来事だった。
一体どこをどう通ってきたのだろうか、敷地を取り囲む壁の上から、渡瀬会長が降ってきた。
バトンを手に、少し息を切らしながら、妨害者達の行く手を阻むように立ちはだかっている。その表情は真っ直ぐで、オレを運ぼうとしている妨害者と、その後ろに立っている五月先輩を、きつく睨みつけていた。
手足は擦り傷だらけだし顔も少し汚れていたけど、そんなの気にならない。
渡瀬会長は、見た人が思わず総毛立つくらい格好良かった。
「…あーあ。見つかっちゃった」
感情のこもらない声で、五月先輩が呟いた。
「けっこう早かったですね、渡瀬会長。まさか壁を越えてくるなんて思わなかった」
クス、と笑う気配がする。
演技なのか、それとも本当に笑っているのか、身動きの取れないオレは相手の表情を見ることが出来ない。
ただ、目の前にいる渡瀬会長が、ぎりっと悔しそうにバトンを握りしめる様子が、編み目の隙間からチラリと見えた。
「――…随分と手荒なマネしてくれたじゃないか。君が、そこまで上級生の命令に従順だとは思わなかったよ。五月」
「桐谷副会長に逆らう方が、面倒だなって思っただけですよ」
「ふーん、そう」
走っている途中でケガをしたのだろうか、口元に付いた赤黒い血をぐいっと手の甲で拭って、渡瀬会長はオレたちの方へ近づいてきた。
「まぁ、理由なんかどうでもいいよ。早く遼平を放せ。その子にバトンを渡してゴールさせる」
「無理ですよ」
「なんで」
「見て解りませんか。9対2です。…いや、緒方は戦力にならないから、9対1かな」
五月先輩が前に進み出た。
オレは網の隙間からその背中を見つめ、話に割り込むこともできず、ただ事の成り行きを見守る。
それはオレを担いでいる妨害者たちも同じようで、計画が狂ってしまい、どうしていいのか解らずに、ただ指令役の動向を見つめることしかできないらしかった。
やがて、渡瀬会長が不敵に笑いながら口を開いた。
「君もさぁ、そこまでキリヤに義理立てする必要もないんじゃない?」
先ほどの表情が嘘のように、普段通りの、悪戯っぽくて無邪気な口調に変わっていく。
「生徒は“予言者”にはなれない。紅と白、どちらが勝とうが、僕たちに利益なんか無いんだ」
「…だから?」
五月先輩が先を促すと、渡瀬会長は目を細める。
そして言った。
諦めろ、と。
ひどく優しい声で、痛い目に遭いたくなかったらその子を放せ、と。
「むかつくんだよねー…自分の所有物が他人に触られてると」
「誰がアンタの所有物だ、誰が」
思わず小声でツッコミを入れてしまうオレ。
五月先輩はそれを黙殺して、やれやれと疲れたように肩をすくめた。
「交渉のつもりですか?」
「そうだね。出来れば平和的解決を」
「なぜ今更」
「ボクは、無駄な暴力は好きじゃないんだよ。大切なお客さま相手に乱闘騒ぎを起こすつもりも無い。それに、」
「これは、ただのゲーム。熱くなる方が馬鹿げてる。でしょ?」
「…わかってるじゃないか」
「俺もアホじゃないんで」
淡々とした五月先輩の声。
渡瀬会長は、相手の真意をはかるように、じっと人形の目を見つめていた。
妨害者達とオレは会話の展開に付いていけず、何がどうなるのか目を白黒させながら見ていた。
妙に息苦しい沈黙が続く。
やがて。
「…やーめた」
ぽいっ。
ひどく子どもっぽい言葉と共に、手に持っていた無線機のスイッチを切って、側の草むらに放り投げる五月先輩。
突然の行動に、渡瀬会長を含め、その場にいた全員が目を見開いて固まった。
「…はい?」
網の中でオレが目をぱちくりさせると、振り向いた五月先輩が、オレを担いでいる妨害者たちに「下ろしてやってください」と指示を出した。
あっけにとられていた妨害者たちは、その言葉で我に返ると、口々に不平を言い出した。
「なんでだよ!」
「こいつさえ捕まえておけば、お前ら白組の優勝なんだろ!?」
「そっちの大将が言い出した計画じゃないか! まさか今更おじけづいたのかよ!?」
「俺は嫌だぞ! せっかく金一封が手に入るチャンスだってのに!!」
「そうだそうだ!!」
うん、まぁ、これが普通の反応だろう。
もうすぐお宝が手に入るってときに、いきなり目の前からそれを取り上げられたら、そりゃ不満になるのも無理はない。
ぎゃいぎゃいと文句を言う妨害者達に対し、我らがマイペース王子(さっき命名)五月先輩は、あからさまに鬱陶しそうな顔をして耳を塞いだ。
「あーもーうっさいなー。しょーがないじゃん渡瀬会長と戦って勝てそうな人間この場に1人もいないんだから」
「全員でやれば何とかなるだろ!!」
「ならないならない。絶対ならない。あんたらだって見たでしょー? ここに来るまでの渡瀬会長のご活躍。走りながら、ざっと30人はブッ倒してんだよ? 多分ここにいる全員が束になっても瞬殺だって」
「…し、しかし」
五月先輩の説得(?)に、ざわつきはじめる妨害者たち。
相変わらず、ゆーっくりのーんびりした口調で、五月先輩は続ける。
「諦めた方がいいって。相手は人間じゃないんだからさ。あんたらだって命落としたくないでしょー?」
「いやボク人間だから」
「ってか誰1人まだ死んでません」
渡瀬会長とオレのツッコミを無視して、五月先輩はとどめの一言を放った。
「あんまグダグダ言ってると…報酬、あげないよ?」
「「「「「「「「ッ!!」」」」」」」」
オレと渡瀬会長はきょとんとしていたが、そのセリフは妨害者達にとって何よりも恐ろしいものだったらしい。
サーっと青ざめた妨害者達は、おそろしく素早い動作でオレを地面に下ろして網を解くと、その場に膝をつき地面に額をこすりつけた。文字通り土下座だ。
「「「「「「「「すんませんっしたぁ!!!」」」」」」」」
「ん、よろしい」
偉そうに腕を組んでいる五月先輩を、オレは座り込んで呆然と見つめた。
何が何だかよく解らない。
そんなオレの元に、バトンを手にした渡瀬会長が少し焦ったような顔で駆け寄ってきた。
「遼平! 大丈夫? どっか痛いところ無い?」
「え…あ、いえ」
どぎまぎしながら首を横に振ると、渡瀬会長は「よかった」と言って微笑む。
綺麗すぎる笑顔に、オレの心臓が見事な宙返りを決めた。
そのころの本部。
無線機を手にしていた鳴沢は、後輩との通信が突然ぶちりと切れてしまい、顔面蒼白になりながら焦っていた。
「おい、五月? 五月!? 返事しろオイ!!」
切羽詰まったような声に、藤野が怪訝そうな顔で首を傾げる。
「どうしたの?」
「五月が…」
まったく応答のない通信機器を握りしめて、鳴沢は呻くように言った。
「五月が…裏切った…!」
「え?」
藤野が目を見開く。
テントの奥で無関心を装っていた皐月も、兄の名前に反応して近づいてきた。
「五月が裏切ったって、どういうこと」
「そのまんまの意味だよっ」
半ベソになりながら鳴沢が答える。
「おおかた面倒くさくなったのか…いや、それとも渡瀬に説得されたのかな。とにかく計画が狂ったんだよ。あの馬鹿…このままじゃ、紅組の優勝になっちまうじゃねーか…!」
苦労性の書記長は、あーもう、と頭を抱え込んだ。
「どーすんだよ! キリヤの留守中にこんなこと…っ…後で責められんの俺なんだぞ!?」
わぁっと泣き伏せる鳴沢。
その背中に、藤野は心から同情の視線を向けた。
「不憫な人…」
「恐怖が体に刻み込まれてるんですねー…」
皐月が他人事のように呟く。
放送席の竹下は、あんたら遠巻きにしてないで慰めてやれよ、と内心ツッコミを入れていた。
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