バカップル注意報発令中。
4人の大学生が、体育館裏に隠れて談笑していた。
彼らの手には白いバトンがある。
ほんの十数分前、白組の第2走者から奪われたバトンだ。
「いやーそれにしても上手くいったな!」
「これで紅組の勝ちは決定だな」
――…そう。彼らは、紅組の優勝を“予言”した参加者である。
紅組を勝たせるために、全員で協力して、選手からバトンを奪った。もちろん大した危害は加えていないし、ルール違反もしていない。これでこのまま紅組が無事にゴールしてくれれば、きっと金一封は自分たちのものになるだろう。
「なぁなぁ金が手に入ったらどうする?」
「彼女連れて旅行いきてーなぁ」
「勝手に言ってろよーこの幸せ者。独り身の俺達に対する嫌みか? それは」
「えー違うって」
「なぁなぁ、そんなことよか高級レストランで合コンしようぜ! レベルの高い子ゲットしたい!」
わいわいと、もう金一封を手に入れたつもりで話している。
皆ほくほくした表情で、それぞれのやりたいことを好き勝手に喋っていた。
そのとき。
「―――…お兄さんたち。ちょっと宜しいかしら」
きょとんとして顔を上げた彼らは、思わず目をまん丸く見開き、ごくんと唾を飲み込んだ。
驚くのも無理はないだろう。
やわらかそうな長い髪に、白い肌。まるでフランス人形のような日本人離れした風貌の美少女が、優雅に微笑んで自分たちを見つめていたのだから。
「じゃあ、俺は他の3人を探してくるから」
そう言って、三杉さんは去っていった。
その、小柄なのにやけに大きく感じる後ろ姿を、オレと双子は半ば呆然としながら見送った。
「…」
「…」
「…あの」
「「何」」
「三杉さんって…高校時代から、あんな…?」
「「…」」
「あ、すいません。もう訊きません」
双子の死んだ魚のような目を見たオレは、慌てて話題を切り替えた。
「そっ、それより、リレー! リレーどうなったんでしょうね! なんか、さっきから全然放送とか無いし…やっぱりスピーカーの調子悪いのかな〜あははは」
そんなことを言いながら誤魔化すように笑っていたら、スピーカーの方からピーガガガッという変な音が聞こえてきた。
思わず、3人同時にそちらを振り返る。
『またしても放送機器の調子が悪くて申し訳ありません! 実況を再開します!! なんと奪われたはずの白組バトンが、なぜか選手の元に戻って来ました!!』
「えっ!?」
「わぁ」
「おお」
3人がそれぞれ同時に声をあげた。あんまり変化のない双子の表情と対照的に、オレは目を見開いて、口をあんぐりと開けた。
竹下の放送は続く。
『どうやらバトンがコースの上に放置されていたらしいのですが…詳しいことはよく解りません。いったい誰が置いたのでしょう。奪った参加者が返したとは思いにくいのですが…』
顔を見合わせて、首を傾げる。
「どういうことだと思う?」
「さぁ…」
「…」
『とにかく、これで白組はレースを再開することが出来ました。ただいまバトンは両チームとも第3走者に渡って、紅組が大幅にリードしています! やはりタイムロスがきいたのでしょうか、白組はなかなか追いつくことが出来ず苦戦中! コース上の障害物もそれに拍車を掛けています。バナナの皮に無数のビー玉、道の真ん中には山と積まれた体育用具! おおっと、マキビシなんて一体どこで手に入れたのでしょう! これは踏んだら痛いです!! 行く手を阻む参加者達の数も尋常ではありません! さぁ! 白組は、この遅れを取り戻せるのかッ!!? そして紅組は、このまま無事に逃げ切ることが出来るのかぁッ!!?』
ノリノリだな竹下。
「くそー…あいつ他人事だと思って…!」
「まぁ仕方ないんじゃない」
「実際、他人事だしねー」
双子が淡々と言ったそのとき、背後から「おーい」と聞き慣れた声がした。
鳴沢先輩だ。
振り向くと、ハチマキをなびかせて走ってくる姿が見えた。
「鳴沢先輩! どうかしたんですか?」
「いや、ちょっとな。五月に用があって…」
そう答えながら、少しだけ乱れた呼吸を整える。
走ってきたせいなのか、鳴沢先輩はうっすら汗をかいていた。着ているTシャツをパタパタさせて風を送り込みつつ、これぞスポーツマンの見本と言うに相応しい、爽やかな笑みを浮かべてオレを見る。
「お。緒方、意外と落ち着いてるみたいだな」
「え…ああ、はい。まぁ何とか…」
いつまでも落ち込んでるわけにはいかないしな。
それに、たとえどんなハチャメチャなルールであろうと、勝負と名のつくものには負けたくない。元来オレは負けず嫌いなのだ。
そう言ったら鳴沢先輩は、そうかそうかと満足そうに頷いた。
「よかった。昼のときは、なんだか元気なかったから心配してたんだよ」
「へ?」
「リレーの内容を知らなかったのは俺達のミスでもあるんだし、お前には悪いことしたなって思ってさ。…もう平気か? アンカーだからって緊張しなくていいから、無理すんなよ」
「…鳴沢先輩…っ!」
アンタどんだけ良い人なんだ。
笑顔から後光が差しているように見えて、オレは思わず手を合わせて拝みそうになってしまった。
敵味方関係なく他人の心配が出来る人は、そんなにいないんじゃないかと思う。
ああ…やっぱりオレも鳴沢先輩と同じチームが良かったなァ…。
「お取り込み中失礼」
と、いきなり五月先輩がオレと鳴沢先輩の間に割り込んできた。
「先輩、さっき俺に用があるとか言ってませんでした?」
「あ。そうだったそうだった」
思い出したようにポンと手を打って、鳴沢先輩は五月先輩を手招きする。
「大将からの伝言だよ。それと相談したいことがあるんだ。少し長くなるから、こっちに来てくれ」
どうやら紅組にはあまり聞かれたくない話らしく、2人は少し離れた木陰に移動していく。
その後ろを、皐月先輩が当然のような顔をして付いていった。
――ってオイオイ。
「何やってんですか皐月先輩!」
「ぐぇ」
慌てて相手の首根っこを引っつかみ、こちらに引き戻す。
潰れたカエルのような声を出した皐月先輩は、けほけほと軽く咳き込んでから、じと〜っと恨みがましげな目でオレを睨んできた。
「何すんの」
「こっちのセリフです。なんで敵の作戦会議に堂々と割り込もうとしてるんですか。自分の頭に巻いてあるハチマキの色ちゃんと分かってます?」
「あ」
「“あ”じゃねーよ。なんで「いま気がつきました」みたいな顔してんですか」
「いま気がつきました」
「アホか!」
思わず敬語を忘れて突っ込んでしまう。
皐月先輩は、ぶすっと拗ねたように唇をとがらせた。
「いいじゃん。ちょっとくらいお邪魔したって」
「よくありません。なんでですか」
「だって五月と離れたくないんだもん」
「ほんの数十メートルでしょ」
「数十メートルを笑う者は数十メートルに泣くんだ」
「意味が解りません」
「解れよ」
「なんで逆ギレするんですか!」
と、自分達でも何を言ってるんだかよく分からない会話を続けていたら、いつのまにか話が終わったらしく、白組の2人が戻ってきた。
「いつき〜。緒方がいじめるよ〜」
途端に、皐月先輩がフラフラしながらそちらへ歩いていく。
くすんくすんと泣き真似している弟を抱きしめ、五月先輩がオレに冷ややかな目を向けた。
「ちょっと緒方ー。うちの子に何すんのー?」
「濡れ衣です」
「バカなこと言わないで。俺の皐月がウソをつくわけないでしょ」
「とりあえず目を覚ましてください五月先輩」
そんなオレたちを見て、鳴沢先輩が苦笑した。
「まぁまぁ…。そんなことより、お前達そろそろ本格的に準備しといた方がいいと思うぞ」
「え? どういうことですか」
きょとんとして聞き返すと、鳴沢先輩は近くの時計を見上げて眩しげに目を細めた。
「時間的には、もうそろそろ…」
「「「?」」」
その言葉の意味を尋ねようとしたとき、再びスピーカーから元気な声が聞こえてきた。
『お知らせします! ただいま紅組のバトンが第4走者に渡りました! 余程きつかったのでしょうか、第3走者はバトンを手渡した後バタンキューです!! いま、担架でテントの方に運ばれていきます……おっとぉ! 今度は白組の姿が見えてきました! 紅組に少し遅れて、今、白のバトンが第4走者に手渡されます!! とうとうリレーも後半に入ってまいりました!!』
―――…。
いよいよだ。
緊張感と高揚感が混じり合って、なんともいえない気分になる。
その感覚に、オレはギュッと拳を握り、それをフッと緩めた。呼吸を、なるべく深く、ゆっくりと行う。
こういうときの気持ちの落ち着かせ方を、オレは経験上知っていた。部活の大会で、初めて戦う相手と試合するときは、よくこんな気分になるから。
「渡瀬会長、次だね」
わざとなのか無意識なのか、五月先輩がオレの隣でボソッと呟いた。
一瞬、呼吸が乱れそうになったが、オレはどうにか持ち直し、何も聞こえなかったふりをして深呼吸を続けた。
…落ち着け。
いまは、忘れるんだ。
勝負のときに、あの人のことなんか考えてる暇はない。
視界の端で、鳴沢先輩がやれやれと伸びをしているのが見えた。
「さてと。じゃあ皐月、お前は俺と一緒に本部に戻るぞ」
「え〜…」
「えーじゃない。だいたい、競技中は本部にいろって、事前にあれほど注意しただろうが」
「だって俺…五月の傍にいないと…」
「あーはいはい。とにかく、もう本部に行くぞ。仕事は山ほどあるんだから」
「鳴沢先輩がやればいいじゃん」
「お前それが先輩に対する態度か。ぐずってないで早く歩けよ」
「やだ。五月の傍にいる」
「だめ」
「やだ!」
「だめ!」
ごねる皐月先輩を、鳴沢先輩が強引にひっぱっていこうとする。
それでも諦めようとしない弟の姿を見かねたのか、五月先輩は無表情のまま2人に近づき、拗ねた皐月先輩の顔にそっと手を当てた。
「皐月。だめだよ、先輩のいうことは、ちゃんと聞かなくちゃ」
「でも…」
「でも?」
「俺、五月が心配だよ。緒方は渡瀬会長がいるから大丈夫だろうけど、でも、五月のことは誰が守るの。他の連中なんて当てになんない。こわいよ。五月がケガしたら俺どうすればいいの」
珍しく弱気になっているようだ。
そんな弟の頭に手を置いて、わしゃわしゃと撫でながら五月先輩は「心配しないで」と首を振った。
「だいじょうぶ。俺、ケガしないから」
「…ほんとー?」
「ほんとほんと。言ったじゃん、皐月のために勝つって」
「うん…」
「だから、少しの間ガマンしてよ。これ以上わがまま言ったら、あとで桐谷副会長に怒られちゃうからさ。ね?」
「…」
「皐月」
「…わかった」
兄の袖をギュッと掴んで、皐月先輩は俯いた。
「約束やぶったら、承知しないからね」
「了解」
弟を抱きしめながら、五月先輩はその額に軽く唇を落とした。
周囲の目など気にならない。
まるでお互いしか見えていないように、2人はいつまでも抱きしめ合う。
まぎれもなく、そこは2人だけの世界だった。
「…」
「…」
「…」
「…えーと…」
こほん、と咳払いを1つして、鳴沢先輩が躊躇いがちに口を開いた。
「…ごめん。俺もう帰っていい?」
疲れたように呟くその横顔に、オレは心から同情の視線を送った。
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