目を閉じて、耳を塞いで。
一方、そのころ。
桐谷と鳴沢は、本部席のモニターでレースの様子を確認していた。
2人の隣では、放送部1年の竹下がマイクに向かって元気よく喋っている。
「おおっと、これは大変です! 大変なことが起きました! 白組第2走者が、参加者にバトンを奪われましたぁ!!」
頬杖をついてモニターを覗き込んでいた鳴沢は、ゆっくりと横に座る友人の顔を見やった。
目が合うと、どちらからともなく笑みを浮かべる。
「お前の予想通り、だな」
「当然だ」
自分たちのチームがピンチだというのに、さして焦る様子もない。
むしろ好都合だと言わんばかりに、自信に満ちた表情をしている桐谷を見て、鳴沢はのんびりとした動作で椅子から立ち上がった。
「行くのか」
「おう。そろそろ、五月にも準備させておかないとな」
「助かるよ」
ハチマキを締め直す鳴沢に、桐谷は微笑みながらあるものを手渡した。
「桐谷、これ、」
「そろそろ本気で攻めないとな」
「…勝ちに行くつもりか?」
「当然だろう。まあ、透の出方にも寄るけどな。負ける気はしない」
「この自信家」
「なんとでも言え」
クスクスと声を殺して笑う桐谷は、いつになく楽しそうだ。きっと、親友と本気でやり合えるこの体育祭を、心から満喫しているのだろう。確かに、普段からフォロー役に回ることが多い副会長にしてみれば、これは滅多にないチャンスだ。
彼とは大分立場が違うとはいえ、鳴沢にも覚えがないわけではないから、桐谷のその気持ちはよく分かる。
「涼」
周囲に聞かれることを憚ってだろうか、桐谷は友人の腕を掴んでグイと引き寄せると、耳元に顔を寄せて囁いた。
「お前が緒方に同情してるのは知ってる。でも、これはゲームだ。お前の大好きなスポーツの試合と同じだよ。わかるだろう? 手加減なんか必要ない。むしろ、手を抜いたらそれは帰って相手に失礼だ。全力で勝負に挑み、敗者を徹底的に掌握し跪かせてこそ、勝者の権威は成立する」
「…だから?」
「命令だ。奴らを、完膚無きまでに叩きのめせ」
まぎれもない本気の声。
鳴沢はゆっくりと身をひいて、友の顔をじっと見つめた。
やがて、その表情は不敵な微笑へと変化する。
「―――了解、大将」
どうやら鳴沢にも、桐谷の自信がうつってしまったらしい。
いつになく悪戯っぽい顔をして微笑んだ鳴沢は、桐谷に渡された「あるもの」を手に、ゆっくりと本部を出て行った。
ところかわって、こちらは1・2年トリオ。
「バトンが奪われた、って…じゃあ白組どうするんですか?」
「そりゃ、取り返すしかないんじゃないの」
「大幅なタイムロスになるけどねー」
「あの…もちろん、取り返しに行く途中でも、参加者の妨害は…」
「続くでしょ」
「文字通り雨あられのように」
「やっぱりですか…」
オレは準備運動をいったん中断して日陰に入り、天宮兄弟の隣へ座った。
冷めた表情をしている双子とは対照的に、オレはどうしても苦笑を禁じ得ない。
「残念でしたね、五月先輩」
「は、なんで?」
「だって…なんかもう無理っぽくないですか、白組が勝つのは。バトン奪われちゃったし、たとえ取り戻したとしても、そのときにはもう紅組との差は思いっきり広がって…」
「生意気なことを言うのはこの口かー」
「いひゃひゃひゃひゃ!!」
喋ってる途中で、いきなり皐月先輩に頬をつねりあげられた。
「なにひゅるんでふかひゃつきへんはひ!!!」
訳:何するんですか皐月先輩。
ジタバタしながら叫ぶオレを見て、皐月先輩はいっそう手の指に力を込めた。(ひでぇ)
「それはこっちのセリフだよ。よくも勝手なコトほざいてくれたね。俺の五月がそんな簡単に負けるわけないじゃん」
「〜ッ!」
ようやく手を離してもらい、オレは真っ赤になった頬を手のひらでさすった。
さすりながら「う〜」と唸って、怨みがましく皐月先輩を睨みつける。
「あんた紅組と白組どっちの味方なんですか!」
「五月」
さらりと答えた皐月先輩は、ジャージの袖を引っ張って目元にあてると、よよよ、とわざとらしく泣き真似をしてみせた。
「ああ悲しい。遼平くんったら、いつからそんな生意気な子になっちゃったの。お母さんアンタをそんな子に産んだ覚えはありませんことよ」
「当たり前だ! 産めてたまるか!!」
っていうか誰がお母さんだコノヤロー。
ぷんすかと怒っているオレの肩に、五月先輩がポンと手を置いて溜め息を吐く。
「まぁまぁ落ち着いて。…皐月も、俺は大丈夫だから気にしないでよ。たとえバトンが無くても、どんなに差が開いてても、俺は皐月のためにぜったい勝つから」
「五月…っ」
皐月先輩が、オレを押しのけて五月先輩にひしと抱きついた。
―――…ああもう、勝手にやってろ。
三流コントにげんなりしながら、オレは双子に背を向けた。
すると。
「…ん?」
目を向けた先に、こちらへ歩いてくる人物の姿があった。
ワッペンを付けているから、どうやら参加者のようだけど、それにしては落ち着いているというか…のんびりとした表情を浮かべている。他の、金一封欲しさに目をぎらぎらさせていた参加者達とは、雰囲気が全然違った。
(こんなところに…何の用だろう)
まだバトンすら受け取っていないオレ達に手を出したって、大した意味はない。どうやら妨害目的で歩いているわけではなさそうだが、その足は真っ直ぐこちらに向かっていた。
「あ。おーい」
「えっ?」
やがてその人物は、オレが見ていることに気づくと、にっこり笑って手を振ってきた。
挙動不審になりながらも、相手から目がそらせない。
「あ…えっと」
おっかなびっくり手を振り返してみる。
そんなオレに気づいた五月先輩が、皐月先輩の髪を梳きながら怪訝そうな顔をした。
「どうしたの。緒方、誰に手ぇ振ってんの?」
「い、五月先輩。あの人が…」
「どの人」
皐月先輩も顔を上げて、オレの指している人物の方を見た。
そして。
「「あ。」」
双子が同時に声をあげた。
どうやら知り合いのようだ。
オレはおそるおそる、2人の顔を覗き込んでみる。
「あのー…五月先輩、皐月先輩…」
「「三杉さん」」
「はい?」
きょとんとするオレを置き去りにして、2人は急に立ち上がると、そのまま走り出してしまった。
「五月、皐月」
相手の方も、嬉しそうに微笑んで2人に駆け寄る。
1人だけ取り残されたオレは、半ば呆然としながら、少し離れたところで3人の様子を見つめていた。
「三杉さん、久しぶりだね。来てたんだ」
「おう。本当は朝から観客席にいたんだぞ。気づかなかったか?」
「いっぱい人がいすぎて分かんなかったよ。ただでさえ三杉さん小柄なんだもん」
「うるさいなぁ。お前らが大きすぎるんだよ」
「そうかなー。普通だと思うけど」
「そんなことより三杉さん。それ、予言者ゲームのワッペンだよね。まさか参加してんの?」
「ああ、うん。面白そうだったからさ」
「じゃあ何でココに? レース妨害しに行かなくていいの?」
「うん。もともとそういうの得意じゃないし、プログラム見たら、五月がアンカーだっていうからさ。暇だから顔を見にきた」
「体は大丈夫なの? 知ってるでしょ、うちの体育祭のハードさは半端じゃないよ」
「あー平気平気。主治医の許可は下りてるし」
「ほんとー?」
「ほんと。軽い運動くらいなら全く問題ないし、もともと遊び半分で参加しただけだからな。疲れたら、ちゃんと隅っこの方でじっとしてるよ」
ふんわりと優しく微笑む三杉さん。
その視線が、ゆっくりとこちらに移動する。
目が合ってドキリとし、思わず体を強張らせたオレを見て、三杉さんはニコニコしながら小首を傾いだ。
「緒方遼平…くん?」
「え、あ、はい!」
「初めましてー。去年の生徒会書記長の三杉です。よろしくな?」
「あ、いえ、こちらこそ…」
手を差し出され、オレは反射的に握り返した。
オレよりも小柄な三杉さんの手は、男とは思えないほど白くて、ほっそりしていた。
「っ」
オレが触れたところから壊れてしまいそうな錯覚を覚えて、オレはびっくりして手を引っ込める。
躊躇いがちに相手の顔を見ると、何やら大真面目な顔でオレを見つめている三杉さんと、再び目が合った。予想以上に顔が近くて、オレはびくっとしながら後ずさる。
「…」
「えっと、あの」
どぎまぎしながら、この状況はいったい何なんだろうと考えてみる。
「み、三杉さん? オレの顔に何か…」
「…」
「あのー?」
「…」
「み、三杉、さん?」
「ん…ああ。ごめん」
ハッとしたように、ようやく三杉さんが顔を離した。
申し訳なさそうに肩をすくめて笑う。
「悪いね、ちょっと知り合いに似てたもんだから」
「え…?」
既視感。
確か、他の誰かにも同じ事を言われた。
―――悪い。ちょっと、知り合いに似てたから―――
「…相沢さん」
「え?」
今度は、三杉さんがビックリしたように目を瞬く。
横で聞いていた双子も、怪訝そうな顔でオレに目を向けた。
「相沢さん、にも、同じこと言われました」
「緒方、相沢さんに会ったの?」
五月先輩の言葉に、オレはコクンと頷いた。
すると今度は皐月先輩が、遠くを見つめながらポツンと呟く。
「知らなかった…相沢さん来てたんだ…」
オレはなぜか俯いたまま、じっと押し黙って目を閉じた。
よく解らないけど、なんだか急に胸の奥がじりじりと灼けてきて、その不快な熱に声が出せなくなる。
双子の言葉が、わんわんと頭の中に響いた。
―――君が、花瀬さんに似ているから。そっくりだから―――
―――だから渡瀬会長は、君のことが好きなんだ―――
痛い。
胸が痛い。
なんだこれ。
急にどうしたんだ、オレ。
「…緒方くん?」
三杉さんが、静かにオレの名前を呼んで、顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「…」
「気分が悪いのか」
「…いえ」
オレは、なんでもありません、と何とか言葉を絞り出した。
そして再び目を閉じる。
花瀬さんのことを考えると、胸の奥が我慢できないくらい熱くなって、渡瀬会長のことを考えると、その熱はやがてズキズキとした痛みに変わっていった。
「なんか…オレ、変かも」
小さく呟いてみる。
この感情は錯覚なんだと、幻なんだと思いたくて。
「それ、もしかして嫉妬じゃない?」
何か見透かしたような五月先輩の言葉を、オレは聞かなかったことにした。
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