波乱の幕開け。
『午後の競技が始まります。選手の皆さんは、準備をしてください』
アナウンスの後、大きな人の波がぞろぞろとグラウンドから出て行き、敷地中に散らばった。
リレーに出場する生徒だけでなく、予言者ゲームに参加している一般客達も、それぞれ思い思いの場所にスタンバイしている。選手以外の生徒達も、自分たちのチームの活躍を見るために陣地から移動してきていた。それだけでかなりの人数になるので、競技の邪魔にならないようにと、本部のスタッフがあっちこっちへ走り回っている。
「あ、そこの人ー。はみださないでくださーい」
「その場所は予言者ゲームの参加者優先ですよー。参加者の方はワッペンつけてくださいねー」
「生徒はなるべくお客さんに場所をゆずってー…あ、こらこらケンカしないケンカしない」
「その白いラインからこちら側がリレーコースになりまーす。合図のピストルが鳴るまでは出て来ちゃ駄目ですよー」
「ちょっとそこのお兄さん、いくらダサいからってワッペン外しちゃ駄目ですよ」
ざわざわ、ざわざわ。
係員の声と、生徒や一般客の声がまざりあって、ひどく騒がしい。
普段はだだっ広く感じる学校の敷地も、これだけの人数が入ると少し狭いような気がした。
リレーの選手は、1チーム6人。
選手は、他の生徒との区別を付けるため、競技中はゼッケンの着用を義務づけられている。
紅白合わせて12人の選手の中で、1年生はなんとオレ1人だった。
まったく、光栄なことだ。
“予言者ゲーム”のことを知ってしまった今では、喜ぶ気になどなれないけれど。
「遼平、顔色良くないね。緊張してるの?」
「ええしてますよ。別の意味で」
「別の意味?」
「…無傷で帰ってこられたら奇跡でしょう、これ」
隣を歩く渡瀬会長に、オレは目をそらしながらそう答えた。
「参加者の方ー。競技が始まる前に、プログラムの“妨害工作の際の注意事項”ちゃんと読んでおいて下さいねー」
「選手を妨害するときは、相手にケガをさせない程度でよろしくお願いしまーす」
「危険物は没収させていただきまーす」
「隠しても無駄ですよー。って、あっコラ言ったそばから…!」
係員の焦ったような声が、沈みがちなオレの心を容赦なくどん底まで叩き落とす。
妨害工作…危険物…。
金一封欲しさに、みんな目の色が変わっている。
もはやこれは、体育祭の競技じゃない。
(体育祭って言うのはさぁ…もっとこう…さわやかで、楽しいものじゃなかったっけか…?)
オレは遠い目をしてブツブツと呟く。
そうだ。体育祭というのは本来、お金なんか賭けたりするものじゃないんだ。中学の頃の体育祭を思い出せ。こんな殺気だった雰囲気じゃなく、もっと青春!みたいなキラキラしさを持ったオーラがはじけていたはずだ。先生達の生暖かい視線に見守られながら、学生達がスポーツマンシップにのっとって熱いバトルを繰り広げ、その汗と涙と友情を武器に保護者や地域の皆さんを感動させる…そういう行事のはずだ。
なのに。
「だーかーらー。いくら妨害工作だからって相手をケガさせちゃ駄目なんですってば」
「ほらほら、さっさと危険物出してください」
「かんしゃく玉や鎖鎌も危険物に入るんですかー?」
「飛び道具はダメです。あくまでもフェアにお願いします」
「石は飛び道具に入るんですかー?」
「持ってるだけならOKです。投げたらダメです」
「バナナはおやつに入るんですかー?」
「勝手に食べてください」
(なんだこれ…!)
妙に物々しい雰囲気の中を、オレは冷や汗をかきながら歩いた。
有り得ない。何コレ。ホントどうなってんだよこの状況。
本当にオレは、こんな戦場みたいな空気の中を走らなきゃならないのだろうか。
…ダメだ、信じられない。
実感が湧かない、というよりは、頭が現実に着いていかないと言った方が正しいかもしれない。
いちばん信じられないのは、オレ以外の人間がみんな平然とこの状況を受け容れてしまっていることだ。
なんだか、もしかしたら本当におかしいのは自分の方なんじゃないかって気さえしてくる。
誰でもいいから、そんなことないよ、おかしいのは皆の方だよ、って言って欲しかった。たとえばそう、鳴沢先輩ならきっとそう言ってくれたはずだ。
(…オレも白組が良かったよぅ…)
えぐえぐと心の中で泣きながら、オレはとぼとぼ歩き続けた。
ふと横目で隣を見やると、渡瀬会長の憎たらしいくらい綺麗な顔が視界に入る。その横顔はやけに穏やかで、何を考えているんだかさっぱり分からない。参加者達の目を気にしてか、今はオレに手を出すつもりもないようだ。
正直、ものすごく助かる。ただでさえいっぱいいっぱいなのに、いま何かされたら心臓が破裂してしまいそうだ。
(桐谷先輩…オレやっぱ無理です…)
どんよりしながら歩くオレの横で、係の生徒達は相変わらず忙しそうにお客さんの間を駆け回っていた。その手のカゴには、参加者から回収したとおぼしき“危険物”の数々が沢山詰め込まれている。覗く気にはなれず、そっと目をそらした。こうなったらもう、現実を全てシャットアウトだ。
しかし無情にも、その現実はオレに容赦なく襲いかかってくる。
「すげーなー。今年は過激派が多いみたいだぜ」
「ホントホント。死人が出なきゃいいけどな」
「ちょっとーお客さーん。黒色火薬はナシでしょー」
「そこのお姉さーん、釘バットしまってくださーい」
「何コレまさかダイナマイト…?」
「ちょっ、お客さん! これハジキじゃないですか!!」
「まったくもう、手榴弾なんて一体どこから持ってきたんですかー?」
カムバック平和な現代日本。
「お、オレ、生きて帰ってこれるのかな…!」
小声で呟きながら、オレは真っ青になってガタガタ震えた。それに気づいた渡瀬会長が、大丈夫かいと苦笑する。
そのとき、別の誰かがグイッとオレの腕を引っ張った。
「わっ」
なんだ、と思って振り向くと、なぜかそこには五月先輩と皐月先輩の姿があった。
どうやら2人とも参加者達の中に紛れていたらしいが、考え事をしていたオレは全く気づかなかったのだ。
「何やってるの、緒方。君はこっち」
「へ?」
わけがわからず目をぱちくりさせると、五月先輩が呆れたように目を細めて続けた。
「アンカーのスタート地点はグラウンド前だよ。そっち行ったら遠回りになっちゃうでしょ」
「あ、そっか」
第1走者のスタート地点は敷地の一番東端で、ゴールはその反対の西端であるグラウンド内にあるのだ。
オレは第6走者、つまりアンカーだから、必然的にゴール付近からスタートすることになる。
「じゃあ遼平。ボクはこっちだから、後で」
「え、あ、はい」
慌てて頷いた後、なぜか無意識のうちにオレは、
「気をつけてくださいね」
渡瀬会長に向かって、そんな言葉を呟いていた。
「…ありがと」
ちょっと驚いた後、渡瀬会長が嬉しそうに目を細める。
「頑張るよ」
短く、そんな一言を残して、渡瀬会長は去っていった。その後ろを、他の選手達がぞろぞろと付いていく。
自分の言動が理解できず焦っていたオレは、どこか呆然としながら、その後ろ姿を見送った。
やがて、紅いハチマキがざわめきの中に消えた頃、誰かがオレの両肩にポンと手を置く。
「「見送りは済んだ?」」
天宮兄弟だった。
「あ、すみませ…」
「いいから早く行くよ」
「おわっ」
皐月先輩に首根っこを掴まれ、そのままズルズル引っ張られる。
転びそうになってしまったオレは、慌てて隣にいた五月先輩のゼッケンをぎゅっと掴んだ。
…ん?
ゼッケン?
「五月先輩もリレーに出るんですか!?」
びっくりして尋ねると、またしても呆れたような顔で見つめられた。
「そうだよ。知らなかったの、君と同じアンカーなのに」
「…すいません知りませんでした」
自分のことでいっぱいいっぱいで、相手チームの選手が誰かなんて気にしてられなかったのだ。
頬を掻きながら、あははーと誤魔化すように笑っていたら、皐月先輩がオレの首から手を離して口を開いた。
「ねぇ。緒方ってさ、渡瀬会長のこと好きでしょ」
ぴしっ。
「…はいぃッ!?」
いきなりの言葉に一瞬だけ思考が止まり、次いで大声をあげたオレを、双子は冷ややかな目で見つめた。
「バレバレだよ、もう」
「だからいいかげん諦めればいいのに」
「ちょ、な、急に何を…」
「何を躊躇ってるのか知らないけどさ、そんなんだと、手遅れになっちゃうよ」
「そーそー。よく言うじゃん。大切なものは失ってから気づく、って」
「どういう意味ですか…!」
わけがわからず、焦って声が裏返る。
オレは顔を真っ赤にしつつ、わたわたと慌てて周囲に視線を走らせた。もちろん渡瀬会長本人の姿はないが、それでも他の誰かに聞かれるんじゃないかとヒヤヒヤする。
そんなオレには構わず、天宮兄弟は自分たちだけでさっさと歩き出しながら、振り向きざまにこう言った。
「ねぇ緒方遼平。教えてあげようか」
「は?」
「渡瀬会長が、君を好きになった理由」
「…え」
唐突に、その場の空気が変わった。
ざぁっと風が吹いて、薄い布地で作られたゼッケンが、ひるがえる。
白いハチマキを巻いた五月先輩と、紅いハチマキを巻いた皐月先輩が、オレを見つめながら同時に唇の端を引き上げた。全く同じ、2つの笑顔。その対比がやけに綺麗だ。完璧すぎるシンメトリーに、思わず全身が総毛立った。
ざわめきが遠くなる。
「「君が似てるからだよ」」
人形たちが、喋った。
「君が、花瀬さんに似ているから。そっくりだから」
「だから渡瀬会長は、君のことが好きなんだ」
――――…え?
思考が止まった。
相手の言うことが理解できない。
風がうるさい。
ちらちらと揺れる紅と白のハチマキがやけに目について、オレは軽く目眩を覚えた。
いま、この人達は、何を言った。
(…似てるって)
(オレが)
(誰、に?)
ざぁざぁと音がする。
秋のひんやりした風が、熱くなった頬を冷ましていく。
「置いてくよ」
いつのまにか普段通りの気怠そうな口調に戻って、五月先輩がそう言った。
勝手に喋って、勝手に混乱させて、勝手に歩き出す。
でもどこか、その表情はオレに同情しているようにも見えた。
天宮兄弟が、スタスタと歩いていく。
やがて我に返ったオレは、少し迷った後、その背中を追いかけた。
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