世話好きなのはお互い様。
白組陣地に戻ってきた桐谷は、後輩の差し出すタオルを礼を言いながら受け取り、顔のまわりを拭って小さく息を吐いた。秋とはいえ、長ラン姿で動き回れば汗もかく。
額のハチマキをしゅるりと外し、桐谷は得点板の方へ目をやった。
紅、118点。
白、124点。
点差はそれほど開いていないとはいえ、現在は白組が一歩リードしている。
午前中の最終競技である応援合戦も、ほとんどミスなしで終えることが出来た。
あとは、午後の大一番さえどうにかすれば、白組の優勝は確定だ。
―――まぁ、もっとも、条件は相手にとっても同じなのであるが。
「おい、涼」
桐谷は脱いだ上着をたたんで、バサリと椅子の上に放りながら、ぶっきらぼうに友人の名前を呼んだ。
「いつまで怯えているつもりだ。いいかげんさっきのことは忘れろ」
陣地の隅っこで体育座りをし、じっと俯いていた鳴沢は、その言葉を聞いてのろのろと顔を上げた。真っ青だ。
「忘れろだと…? よくそんなことが言えるな、キリヤ。俺を見殺しにしたくせに…」
「人聞きの悪いことを言うな。俺は何もしなかっただけだ」
「それを見殺しにしたって言うんだよ!」
「しかたないだろう。俺が手出しなんかしたら、透の機嫌がさらに悪くなるのは目に見えてた」
「…だからって…だからって…!」
鳴沢は震えた声で呟き、やがてそのまま、わっと泣き伏せた。
―――よほど怖い目にあったらしい。
我が友人ながら、可哀想なヤツだなぁと桐谷は思う。
たまたま借り人競争に出て、たまたま後輩と手を繋いで、その後輩がたまたま緒方遼平だっただけなのに、それが渡瀬の嫉妬を買ってしまい、手ひどい報復を受けたのだ。本人には何の落ち度もないだけに、本当に哀れだった。
まぁ、同情はしないが。
桐谷はひょいと屈んで友人の顔を覗きこみ、その額に手を当てて顔を上げさせた。
目を合わせながら、相手のその情けない表情に溜め息を吐く。
「緒方には、お前が何をされたのか黙っておいた方がいいだろうな」
「…まぁな。緒方けっこう気にしてるだろうし…」
ようやく恐怖が薄れてきたのだろうか、目元をごしごし擦りながら、鳴沢が言った。
桐谷の手を借りて立ち上がりつつ、彼はぐるりと陣地内を見回す。何やら違和感を感じたらしい。
「どうした」
「ん…。副将の姿が見えないな」
桐谷は冷めた表情で肩をすくめた。
「おおかた皐月のところだろう。あいつら、2時間以上離れていると禁断症状を起こすらしいから」
「…まじで?」
「本人達がそう言っていた」
さらりと答える桐谷に、鳴沢が苦笑する。
試しに、近くにいた2年生にそのことを尋ねてみたら、「副将なら、さっき藤野さんと一緒に紅組陣地の方へ歩いていきました」との答えが返ってきた。しかも、詳しく聞いてみれば、なぜかその背中には皐月がへばりついていたらしい。
「……たぶん、弟の方が我慢できなくなって呼びに来たんだろうな」
「どんだけワガママなんだあいつは」
2人は顔を見合わせて、同時に溜め息を吐き出した。
と、そのとき。
「遼平くん!!」
ざわめきと共に、高月鈴子の甲高い声が耳を叩いた。
「待って、遼平君ッ! どこ行くんですか!?」
2人が驚いて顔を上げると、何やら紅組陣地の方が騒がしかった。
よく見ると、陣地から一目散に走り去っていく姿がある。
「緒方っ?」
鳴沢がきょとんと目を瞠る。
その後輩は、周囲の制止にも耳を貸さず、赤色のハチマキをたなびかせながら、逃げるように走っていく。
「どうしたんだ、あいつ…」
「…」
呟く友人の声に無言を返し、桐谷は視線をゆっくりと移動させた。
紅組陣地である、大きなテント。
正確に言えば、その中に佇むただ1人の人物へ。
――― 透。
遠目だが、真っ黒な長ランに身を包んだその姿はよく目立った。
湖面のように静かなようで、その横顔は不安定に歪み、今にも泣き出しそうな表情をしている。多分それが解るのは自分だけだろう。
周りのざわめきのなかで、渡瀬が佇んでいる付近だけは物悲しく浮き立って見えた。
(緒方と何かあったのか…?)
まるで、欲しいものが手に入らずにぐずついている幼児のような親友の姿を見て、桐谷は目を眇めた。
「…ったく。手の掛かる奴…」
「え? 何て言った?」
唐突な呟きに、鳴沢が怪訝そうな顔をする。
桐谷は「別に」と肩をすくめて、そのまま側に置いてあったメガネケースを手に取った。
「ちょっと行ってくる」
「行くって…どこに」
「さぁ。どこかな」
「は?」
意味深な呟きに、鳴沢はわけがわからず首をひねる。
一方、呟いたその本人は、相手の疑問に答えてやることもせず無言でメガネを掛けなおした。
「おい、キリヤ…」
「涼。悪いけど、後のこと頼む」
「え?」
「透のところに行ってやってくれ」
言いながら、再び紅組陣地を見やる。
目配せをすると、ようやく鳴沢は「ああ」と合点がいったような顔をして頷いた。
「わかった。うまいこと宥めとくよ」
薄い笑みを浮かべながら、彼も桐谷と同じ方向を見やった。
藤野あたりがうまく収めてくれたのだろうか、ざわめきは徐々に元の状態へ戻り、大した騒ぎにはなっていない。
「…相変わらず、勘が良いんだな。キリヤは」
「そうか? 普通だろ」
「遠回しに、俺が鈍いって言ってんの?」
冗談混じりに鳴沢が言う。
その表情はやわらかく、しかしどこか寂しげでもあった。優しげな瞳の裏で、鳴沢は苦笑していた。
きりや、と。静かな声で名前を呼ぶ。
「お前って意外と世話好きだよな」
「ほっとけ」
午前中の競技を終え、昼食休憩に入ったことを告げるアナウンスが響く。
桐谷はゆっくりと歩き出した。
白組陣地を抜け、本部席の裏を通り、グラウンドから少し離れた校舎の裏庭に向かう。
緒方遼平が、先ほど走り去っていった方向だった。
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