嫉妬に駆られた王子様。
その後も、借り人競走は続いた。
オレは白組陣地へ帰っていく鳴沢先輩に必死で頭を下げながら、ちらりと競技の方に目をやった。ちょうど、竹下がスタートしたところだった。
自分で鈍足だと言っていたのは謙遜じゃなかったらしく、竹下は本当に足が遅かった。いや、平均的な男子高校生としてはそんなにひどくないのだけど、やっぱり運動部の目から見れば遅く感じると言うことだ。
同時にスタートした紅組の生徒は陸上部で、2人の間はあっというまに差が開いてしまった。こりゃキツイな。
「竹下、がんばれ」
組が違うからあんまり大きな声では応援できないけど、一応クラスメイトのよしみとして、オレは小声で竹下にエールを送ってやった。
紅組の選手に大分遅れて、ようやく竹下が箱に辿り着いた。
そして、そのお題は――…。
「校長先生ぇ――ッ!!」
「校長!?」
オレは思わず口をあんぐりと開けた。
まさか校長先生まで借り人にされているとは思わなかった。
「むむっ、出番じゃな!?」
本部席から、ひらりと舞い降りた影。
いつのまにやら、ちゃっかりジャージを着込んだ校長先生が、見事なフォームでグラウンドを疾走してきた。
なんか、いかにも「待ってました!」みたいな顔だ。はしゃぐ子どものように目がキラッキラしている。
――っていうか。
「速!!!」
「すっ、すげー! 校長すげぇ速ぇ――ッ!!」
「見ろよ! 竹下のヤツ引きずられてるぞ!!!」
「っていうか校長が走った後に砂煙が上がってるんだけど!!」
「なんだあれ! 人間戦車かよ!!」
「ふぉっふぉっふぉっふぉ! まだまだ若いもんには負けん!!」
高らかな校長の笑い声。
応援席がざわめき出す。
ジャージ姿の校長先生は陸上部顔負けのフォームで、そりゃもう軽やかに走っている。
すごいすごいと騒ぎ出す者、あまりの光景に呆然とする者、ケータイやカメラを取り出しものすごい勢いでパシャパシャとやり始める者…。反応は三者三様だった。
ちなみにオレは、校長の意外な一面に声も出せず硬直していた。
あれ、ちょっと待てよ校長って確か今年で67歳とか言ってなかったっけ。
「…(汗)」
化 け 物 !
「ゴール!」
「お見事です先生!」
「ふぉっふぉふぉふぉふぉ!!」
白いテープが切れた。
結局、校長先生は相手の陸上部を軽やかに抜き去り、竹下を引きずって見事1位でゴールしてしまったのである。しかも息1つ乱していない。なんつージジイだ。
ぐったりしている竹下の横で、腰に手を当てながら高笑いをする校長の姿は、見ていた人々の畏怖と尊敬を集めた。ものすごい歓声がグラウンドを揺らしている。っていうか校長、普段は厳格で物静かな人なのに、一体何なんだろうあの壊れっぷりは。もしかしてあっちが素なのかな。だとしたら何か嫌だな。うん…。
オレは紅組の列を抜けて、おそるおそるゴールの方へ近づいた。
「竹下ー…大丈夫かー…?」
「ぅ…お、緒方ぁ…」
「ど、どうしたんだよ」
「…うぅ…俺って…俺の体力って…老人以下…?」
「そっ、そんなことないって!」
落ち込んでいるクラスメイトの肩に手を置いて、オレはグッと拳を作った。
「安心しろ竹下! お前は普通だ。校長が異常なんだ!」
「…そうか…。そうだよな。67歳で現役陸上部を追い抜くなんて、まともな人間に出来るわけないもんな!」
うんうんと頷き合うオレ達を見て、校長先生が「ん?」首を傾げた。
「何か言ったかね?」
「「何でもありません」」
オレと竹下は真顔でふるふると首を横に振った。
…それにしても。
「本当にこの学校って…まともな人間少ないよな…」
「…否定はしない」
オレたちは顔を見合わせて、疲れたような微笑みを交わした。
「―――…ただいまの競技、借り人競走の結果をお知らせします。勝者、紅組、20点。敗者、白組、10点。続きまして、第二競技、障害物競走へ移ります…」
ちょうどそのときアナウンスが響き、紅組陣地からは喜びの歓声が、白組陣地からは悔しそうな声が聞こえてきた。
「いやぁお疲れお疲れ。よくやった」
紅組陣地へ帰ると、両腕を広げた皐月先輩が、笑顔でオレ達を出迎えて―――…くれるわけがなかった。
相変わらずの無表情だ。セリフにもまったく感情がこもっていない。
「頑張って勝ってきたんですから、せめて拍手ぐらいしてくれてもいいんじゃないですか」
「ぱちぱちぱち〜」
「もうちょっと気合いを入れて」
「気合い? なにそれおいしいの?」
「…わかりましたごめんなさい。期待したオレが馬鹿でした」
不毛な会話を終わらせて、オレはやれやれと溜め息混じりに腰を下ろした。
皐月先輩の言葉は、たまに本気なのか冗談なのか解らなくなるので非常に困る。もちろん五月先輩もだけど。
「――ん?」
オレはふと違和感を感じて、きょろりと周囲を見回した。
なんだか体がスースーする。こういうときは、まっさきにオレに抱きついてきそうな人物の姿が見えない。
渡瀬会長が居ないのだ。
ホッとすると同時に、なんだか物足りないというか、寂しさによく似た感情を抱いてる自分に気がついて、オレは舌打ちをしたくなった。
「どうしたの、緒方。変な顔して」
「皐月先輩。…あ、あの…渡瀬会長の姿が見えませんけど…」
「うちの大将なら、さっき出て行ったよ」
「出て行った?」
「うん」
「渡瀬会長、次の競技に出るんですか?」
「ううん」
「え。じゃあ、なんで…」
「気になるの?」
「べっ、別にそういうんじゃなくて!」
大将が陣地内にいないのは不自然だから、少し気になっただけだ。
オレがそう言ったら、皐月先輩は目を細めて「ふーん?」と意味深な相づちを打ってきた。
くそ、なんか頭に来るなぁ。
「ホントですよっ! 深い意味はありません!」
「あ、そう。まぁ別にどうでもいいけどね」
「…」
先輩じゃなかったら張り倒したい。
そんな物騒な感情を押し殺して、オレは小さく息をついた。
「――で。渡瀬会長はどうしたんですか」
「うーん。よく分かんないけど、急に用事が出来たとか言って、白組陣地の方へ歩いていったよ」
「…白組陣地?」
「そう。なんかねー、借り人競走の途中から、いきなり様子がおかしくなって…」
「えっ…そ、それって…まさか…」
嫌な予感がする。
先ほどの鳴沢先輩との会話を思い出した。ざわざわと胸が騒ぎ、こめかみに冷や汗がたらりと流れる。
――やばい。助けなきゃ。
これから起こるであろう惨劇を食い止めようと、オレが身を翻した、次の瞬間だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
白組陣地の方から、哀れな鳴沢先輩の絶叫が聞こえてきた。
―――…お、遅かったか…。
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