まさかコレが恋の始まり?(3)
看板の破損はそんなに酷いものじゃなかったけど、確かに、これをお客さんの前に出すのは抵抗があるというくらいにはボロボロだった。
見れば、誰かに蹴られたような跡も残っていたし、明らかにナイフか何かで傷つけたのだろうという部分もある。
破損がこれ以上進まないように補強用の板を取り付けながら、オレはぼんやりと先ほどの言葉を思い出していた。顧問の教師と、渡瀬会長の会話だ。
―――去年の事件。
それが何を指すのか、さっきはよく解らなかったけれど、考えてみれば簡単なことだった。
五月先輩が言っていたじゃないか。
去年の生徒会長たちが、暴力事件を起こした、って。
多分、そのことなんだと思う。この看板を壊したのは…きっと、おそらく…。
「遼平、そっちの釘ちょうだい」
「あ、はい」
ふっと思考が途切れる。
釘をケースごと渡瀬会長に手渡し、オレは何となくそのまま手を止めた。
2人きりになったら、一体どんなセクハラされるんだろうと内心ビクビクしていたのだが、今のところ渡瀬会長はそんな素振りを一切見せない。ホッとしたような、少し拍子抜けしたような、何だか複雑な気分だ。いや、別にセクハラされたいわけじゃないけど。むしろ嫌だけど。
…うん。なんか、変だ。
「遼平」
「へっ?」
「どうしたの。さっきから人の顔じっと眺めて」
「え、あ、いや。…何でも」
「…そう」
渡瀬会長は小さく頷いてから、ふっと目を細めて笑った。
「安心してよ。今日は何もしないから」
「え、」
「襲われるんじゃないかと思って、緊張してるんだろう? それなのに自分から残るって言ってくれて、嬉しかったよ。感謝してる。…だから今日は何もしない」
「そ、そう…ですか」
「うん。だから怖がらないでね」
「っ、」
どっくん。
渡瀬会長が微笑んだ瞬間、オレの心臓は大きく跳ねた
やばい。またドキドキいいはじめてる…!
そんなオレを見て、渡瀬会長も違和感を感じたように首を傾げた。
「あれ? どうしたの。なんか顔が赤いけど」
「なななななな何でもないです!」
「…そう?」
こくこくこくと必死で頷くオレ。
渡瀬会長も、ようやく納得してくれたのか「それならいいけど」と呟いた。
…いや、まだ納得してねぇな、あの顔は。ぜったい不審がってる。
やばいぞ。いま体に触られたりなんかしたら、絶対ばれる。
心臓がドキドキいってることとか、体が熱くなってることとか、ぜんぶ知られてしまう。
混乱しすぎて、頭がぐしゃぐしゃになってきた。
あーもうっ、どうすんだオレ!
「――…ねぇ遼平」
そのとき唐突に名前を呼ばれ、びくっと肩が揺れる。
オレはなんとか平静を装おうとした
「な…何ですか…?」
「君、もしかして知ってるの?」
「――え?」
一瞬わけがわからず目を瞬く。
渡瀬会長は続けた。
「去年の、生徒会長たちのことだよ」
「へっ」
急に話題が変わって、オレはきょとんとした。
対する渡瀬会長は、あくまでも真面目な表情をしている。
ここは正直に答えておいた方がいいのかな…。
オレは先ほどからやかましい胸の高鳴りをどうにか押さえ込み、おそるおそる頷いた。
「クラスメイトから、少し聞いたことがあって…それと、五月先輩たちにも」
「…そっか」
渡瀬会長が、苦笑した。
「どこまでを?」
「あ、いいえ。そんなに詳しいことは…。ただ、暴力事件があった、って…」
「…」
「あの、本当なんですか? もしかしてこの看板…」
言いかけて、オレはハッと口をつぐんだ。
渡瀬会長の顔が、ひどく悲しそうに陰っていたからだ。
「…君にも、知る権利があるんだろうね、きっと。今まで教えないでいた方が間違いなんだ」
「い、いや、そんな。オレはただの部外者だし…」
「違う。ボクの後継者だ」
きっぱりと言い切った渡瀬会長の横顔は、そりゃあもう、反則的なくらいに格好良かった。
金槌をコトンと横に置いて、渡瀬会長がゆっくりとオレの方を見やる。
普段のふざけた変態生徒会長の姿はどこにもなく、オレはびっくりするやら何やらで身動きすらとれない。
「君には知って欲しいんだよ」と、渡瀬会長は静かに言った。
去年の事件のことも。
当時、自分がどんな気持ちでいたのかも。
「―――…無理強いはしないよ。聞くのが嫌なら、今すぐ帰ってくれてもいい。聞いていて下らない話だと思ったら、すぐに忘れてくれたって構わない。…でも、聞くならちゃんと最後まで聞いて。耳を塞がないで、最後までボクの話を聞いて」
お願いだから、と。まるで懇願するような声。
「逃げるなら今しかないよ、遼平」
そのとき。
どうしてすぐに部屋を出て行かなかったんだろうかと、オレは後で少し後悔することになる。
生徒会長の花瀬は、明るくて社交的な人だった。
書記長の三杉は、物静かだがよく笑う人だった。
会計長の相沢は、寡黙で真面目な人だった。
議長の駿河は、短気だけれど情には厚い人だった。
「花瀬さんと駿河さんは悪戯好きでね、よく2人でコンビを組んで、一緒にいろんなことをやってたよ。それこそ、教師が目くじら立てて怒りまくるようなことを沢山ね」
渡瀬会長は淡々としていた。オレはじっと黙って聞いていた。
「…2人とも、生徒たちには英雄扱いされてたけど…正直あの頃は大変だったなぁ。三杉さんは2人を見ながら何も言わずに笑ってたし、相沢さんも傍観者だった。悪戯の後始末は、いつもボクやキリヤたちの仕事だったんだ」
でも、そんなとばっちりさえ、当時は何だかんだ言いながら楽しみだった。
大好きな先輩たちに必要とされていることが嬉しかった。
でも。
「それが全部壊れたのは、去年の学園祭だった。…ホント、あんなことになるなんて誰も思ってなかった」
桜木高校の学園祭は、基本的に誰でも参加OKとなっている。部外者だろうが、一般客としてなら入場可能なのだ。
地域の方にとって親しみやすい学園祭を目指すというのが、去年のスローガン。
それが仇になったのだと、渡瀬は苦々しく呟いた。
「ステージ発表の途中だったかな…。ちょっと柄の悪い人たちが、体育館の中で暴れ出したんだ。確か、生徒の誰それと肩がぶつかっただの、それを謝らなかっただの、そういう下らない理由だったと思うけど…とにかくそれが原因でステージはめちゃくちゃになってしまった」
もちろん、その場にいたスタッフが止めに入った。
けれど相手は興奮しており、理屈でどうこう出来るような状態ではなく、結局事態は収拾がつくどころか余計に悪化してしまった。
不幸なことに、その場には桜坂女子高校の生徒たちも居合わせていた。
生徒会役員ではなく、一般客として参加していたのだ。
温室育ちの彼女たちは、あまりの荒々しい状況に混乱し、咄嗟に逃げることも出来ず、その騒ぎに巻き込まれてしまった。
「暴れていた客の1人が、女の子に手を出しそうになってね。近くにいた三杉さんが、慌ててそれを庇ったんだ」
渡瀬会長の顔が、初めて歪んだ。
とても苦しそうな表情で、ゆっくりと続ける。
「…女の子の代わりに殴られて、三杉さんは重傷だった。ボクやキリヤたちは他の場所の担当だったから、そのときのことはよく知らないけど…。花瀬さん達が助けに入ったときには、もうボロボロにやられてたらしいよ。もともと体が弱いのに、殴る蹴るの暴行に耐えられるはずがなかったんだ」
仲間思いの彼らが、そんな三杉の姿を見て、黙っていられるわけもない。
倒れた三杉を相沢に任せて、花瀬と駿河は感情のままに、その乱闘騒ぎの中へと飛び込んだ。
―――後のことはもう、言わずもがな。
「こんな言い方もないと思うけど…ホントに運が悪かったんだ。花瀬さんが殴り飛ばしたチンピラが足を滑らせて…後ろに置いてあった器具で頭を打った。…血がたくさん流れたよ。あまり目立たないけど、今でも壁に染みが残ってる」
語るその声も、自分の袖を握りしめる手も震えている。
その感情が怒りなのか悲しみなのかよく解らないけれど、オレは思わず「もういいです」と言いそうになってしまった。
聞きたくなかった。
渡瀬会長が、とても苦しそうな顔をしているから。
でも、「最後まで聞く」という約束をしてしまったのだから仕方がない。
オレは目を伏せて、じっとその先の話を聞いていた。
「もう1つ不運だったのは、その場に桜坂女子校の生徒たちが居たことさ。乱闘に巻き込まれた女の子の1人が、体に大きな傷を負ってしまった。…跡が残るくらいの、深い切り傷だよ。チンピラが刃物を持ってたんだ。斬りかかられそうになったのを駿河さんが避けて、…女の子に、」
悲鳴。
パニックを起こす生徒達。
痛い痛いと、すすり泣く声。
一体なにを考えているのだろう。
渡瀬会長は暫くの間、じっと目を閉じて俯いた。
やがて、随分と経ってから、静かに顔を上げる。
「――…結局、チンピラは帰って行ったよ。去り際に、桜祭の看板をめちゃくちゃにしてからね」
もちろん、そのあと全員が警察に捕まった。三杉をボロボロにした奴も、女の子に傷を負わせた奴も、全員が逮捕され、しかるべき罰を受けた。
でも、そんなことじゃあどうにもならなかった。
「花瀬さん達のことを、責める人間がいたんだよ。花瀬会長達が乱闘騒ぎを大きくしたんだ、ってね。…実際その通りだったし」
花瀬と駿河が参加したせいで、周囲にいた他の生徒達も触発され、騒ぎはひどく拡大してしまった。
2人がいなければ、チンピラたちだってすぐに気が済んで帰って行ったかもしれないし、桜坂の生徒達が巻き込まれることもなかったかもしれない。
だが、そんなものは今さら後の祭りだった。
「本来なら、冷静に騒ぎを収めなければいけない立場の生徒会役員が、火に油を注ぐような真似をしてしまったんだ。しかも、大切な客人である桜坂の生徒に、大怪我まで負わせてしまった」
渡瀬会長は、オレの顔を見ると、ふっと疲れたように微笑んだ。
「たった一日で壊れたんだ。おかしいだろう。皆で必死になって頑張って、作り上げてきたものが、…たった一日で」
オレは何も言えなかった。目をそらすことさえ出来なかった。
心に何か、重いものがズシンとのしかかっているような気分で、先ほど感じていた高鳴りでさえ消えていた。ただ、全てが重たくて苦しくて仕方がないような、そんな気分。
後悔していた。
さっさと部屋を出て、渡瀬会長のことなんか忘れてしまえば良かったのだ。
――…だって。その話は、渡瀬会長や、他の先輩たちにとって、すごく重い出来事に違いないから。
オレなんかが、聞いていい話じゃなかったんだ。
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