腐女子と書いて「おとめ」と読む。
走って走って、気づけば自分のベッドに倒れ込んでいた。
制服も着替えず、カバンも扉の前に放り投げたままで、オレはぎゅっと目を閉じる。
どうやって帰ってきたのか覚えていない。ただ、顔が熱くて、頭の中に渡瀬会長の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返して、もうわけがわからなくなっていた。
手の中には、空っぽになった缶コーヒー。
うっすら目を開け、そこに書いてある「微糖」の文字を見つめながら、オレは強く願った。
先ほどの胸の高鳴りが、どうか気のせいでありますようにと。
翌日。
オレはまったく集中できないままその日の授業を終え、どうしたんだ何かあったのかと問いつめてくる竹下から何とか逃げ切って、生徒会室にやってきた。1年生のホームルームは他の学年より長くなりがち(担任が長話好きってのもある)ので、もう先輩たちは中に揃っているはずだ。
…正直言うと、昨日のことが気になって仕方ないし、渡瀬会長にも会いたくない。
だけど、ここで引き返すわけにはいかなかった。もしも準備をサボったりなんかしたら、某腹黒大魔王から後でどんなお仕置きを受けるか分かったもんじゃないし、オレがサボった分はあの心優しい鳴沢先輩が負担するに決まっている。唯一の癒し系にそんなことをさせるわけにはいかなかった。鳴沢先輩はオレの希望なんだ心のオアシスなんだ。
昨日のことは忘れよう。きっと、一時の気の迷いってやつだ。うん。
だって相手はあの渡瀬会長だぜ? 男だぜ? 変態だぜ!?
そんなやつにオレが惚れるとか…ううん、無い無い無い無い。ぜっっっったい無い!!
昨日はちょっと体調が悪くて不整脈を起こしたんだ、きっと。
「…よし!」
手のひらに「いつも通り」「煩悩退散」と書いて飲み込む。
準備オッケイ。
さぁ、今日もお仕事がんばろう☆
オレはそうやってどうにか渡瀬会長のことを頭の外に追いやり、大きく深呼吸をし、意を決してガラッと扉を開いた。
そして、元気よくご挨拶!
「失礼しまー…す?」
―――…しようと思ったのに、語尾が尻窄みになってしまった。
まあ、それも無理なかったと思う。
だって、目の前にセーラー服姿の女の子が、2人も立っていたのだから。
「…し、失礼しました」
ガラッ、ピシャン。
オレはぎくしゃくと後ろに下がり、そのまま扉を閉めた。
「…」
……あれぇ?
「こ、ここって男子校…だよな?」
なのに何故おなごがいるのだ。しかも結構かわいかったぞオイ。
先輩たちが女装?…――いやいやいやいや、それはない。っていうか身長が全然違ったし、いくら先輩たちが美形といえども、あそこまで女顔じゃなかったし。
…ん?
じゃあ、どうして。
「「おーがーたー」」
「うわっ! ドッペルゲンガー!!」
「…なにそれ」
「人の顔を見るなり失礼だな」
「――…え…ああ。五月先輩と皐月先輩か…びっくりしたぁ」
考え事をしていたところへ急に同じ顔が2つも現れたもんだから、驚いてしまった。
文字通り胸をなで下ろしているオレを無表情でじ〜っと見つめた後、双子の片割れ(…皐月先輩かな?)がオレの腕をぐいっと引っ張った。
「わ、」
「いつまでも扉の前でボーッとしてないで、さっさと中に入りなよ。お客さんがお待ちかねだよ」
「お客さん?」
「言ったでしょ。今日は、隣の女子校からお客さんが来るって」
「え…ああ!」
私立桜坂女子高校!
ようやく合点がいった。
そうかそうか、今日は学園祭の打ち合わせで、桜坂の生徒会長と副会長が来るんだった。(昨日の出来事のせいで、すっかり忘れていた)
ガラリ。
双子に連れられて生徒会室に入ると、いきなり甲高い悲鳴のような歓声がオレを出迎える。
な、何なんだ!?
「いやーん可愛いっ!」
「あらあらまぁまぁ…話には聞いていたけど、ここまでだなんて…」
「渡瀬さんの言ったとおりですわね、お姉さまっ!」
「ええ本当に。これなら合格だわ」
「ふふ。だから言っただろう? 遼平は可愛い、って」
「疑ってごめんなさい、渡瀬君…。でも仕方ないわ。殿方の“可愛い”は、私たちの感覚と少しずれているんですもの」
「けど、遼平は合格なんでしょ? 2人とも」
「もちろんですわ!」
「大満足よ」
「…っ?」
なんだなんだ。一体なんだ、この空気。
セーラー服美少女2人…桜坂女子高校の生徒会長と副会長が、オレの方を見ながらキャアキャアいっている。
…なにゆえ?
「あ、遼平」
「!」
扉の前で固まっているオレに気がつき、渡瀬会長がにっこり微笑みながら歩み寄ってきた。
(双子はパッとオレから離れた)
「体調はもう良くなった?」
「うぇ、あ、はい…」
「じゃあキスしていい?」
「死んでも嫌です」
「あはは、照れちゃって」
「照れてねーよ」
あれ?
なんかホントにいつも通りだ。
胸もドキドキいっていない。あまりにもいつも通りすぎて、少し拍子抜けした。
…やっぱり昨日のは気のせいだったのかな。
っていうか。
「ちょっと! 何いきなり抱きついてんですか!」
「だって最近いそがしかったし…ぬくもりが恋しくて」
「だからって何もお客さんがいる前で…ってかオイ! どこ触ってんだコラッ!」
「あ、せっけんの匂いがする。遼平って結構きれい好き?」
「ちょっ、や、耳元で喋んないでくださ…っつーか首筋をなめるなーッ!!」
ちくしょう油断した!
オレは一生懸命ジタバタ暴れたが、もちろんそう簡単に逃げられるはずもない。
くそっ、この怪力王子めぇぇぇ!
「あーやっぱり遼平の体さわってると落ち着くー…」
「どういうリラックス法だよ!? っていうか先輩たちも「あーまた始まったか」みたいな顔で眺めてないで早く助けて!! お客さんたちがドン引きしちゃうでしょうが!!」
男同士が抱き合ってる光景なんて、誰も見たくないはずだ。オレはそう思って、じたばたしながら必死に叫んだ。
だがしかし。
「――…え?」
オレの叫びに反して、室内の空気は至って和やかだった。
つーか、むしろ薔薇色?
え、なに。何なの、この雰囲気は。
オレは状況が理解できず渡瀬会長の腕の中で目を瞬く。
やがて。
「素敵だわ…」
ぽつり、と。
フランス人形のような容姿をした美少女が、恍惚とした表情で呟いた。
え? いま何て言いました?
「素敵だわ」?
「最低だわ」じゃなくて?
「素敵…ああ、なんて素敵なの!? 深い愛情ゆえに相手を追い求める美少年…しかし相手の少年はまだ幼く、その愛に応えられず途惑っている…ああ! なんて美しい禁断の愛!」
「お姉さま、やっぱり男子校には魅惑の少年愛が存在したのですね!」
「ええ! ええ! さすが渡瀬君、私たちの予想の遥か上を行ってくれたわ…! これぞ究極の萌えよ!」
「はい! 私もゴハン三杯はいけますわ!」
「ふふふ甘いわね…私なんか五杯は軽いわ!!」
「きゃっ、さすがお姉さま!」
・ ・ ・ 。
え?
「放課後の生徒会室での秘め事…愛らしい後輩の姿に、先輩の理性はもう崩壊寸前…!」
「ああ、だめ! このままじゃ相手を傷つけてしまう…――…けれどもう、この想いは止められない!」
「相手を傷つけてでも、自分のこの想いを伝えたいと願う、切ない少年達の恋心…!」
「攻めの執拗な愛撫に、受けの少年も陥落間近…そして2人の愛は絶頂に!」
「ああ…なんて淫猥かつ麗しい世界…」
「深い愛で結ばれた2人は、そのまま禁断の茨道へと踏み込む…」
ポニーテールの小柄な少女が、うっとりしながら手を組み合わせる。
もう一方の、フランス人形のような容姿をした少女…――先ほどから「お姉さま」と呼ばれている美少女は、決然とした表情でグッと拳を振り上げた。
「いける。いけるわ! 次の新刊はこのネタでいくわよ!」
「はいっ、お姉さま! さっそく乙女会の皆にも連絡しておきますわね!」
・ ・ ・ 。
乙女会?
「…渡瀬会長」
「んー?」
「あの、この人たちって…」
「桜坂女子高校の生徒会役員さんだけど?」
「…」
「どうしたの遼平。もしかして、やっと観念する気になった?」
「誰がするか!」
変態生徒会長の腕を振り払ってから(今日は比較的、楽に逃げられた)、オレは近くにいた桐谷先輩に駆け寄った。
「桐谷先輩っ、ちょ、何なんですか!? あの人たちは!!」
「どうした緒方。何か問題でも?」
「いや、だって…なんかわけわかんないことばっかり言ってる! 萌えだとか少年愛だとか…っ!」
「そういう趣味の人たちだ」
「どういう趣味ですか!」
「今お前が聞いたとおりだ」
「え…」
嫌な予感がする。
これは。まさか。あれか?
テレビとかインターネットとかで、聞いたことがある…
「ふ…腐女子!?」
「みたいだな」
あっさり頷いてくださりやがった桐谷先輩の顔を、ものすごく憎らしく感じた。
言うべき言葉が見つからず、ずるずるとその場に沈み込んだオレの後ろで、美少女2人…否、腐女子2人は、キャアキャアとものすごく楽しそうに騒いでいる。
「鬼畜攻めと健気受けの組み合わせが一番萌える」だとか、「いいえこの場合は天然攻めとツンデレ受けの方がいいと思います」だとか。はたまた「三つ巴要素も重要ポイント」だとか。
「生徒会役員って…みんな変な人ばっかなのか…?」
萌え。
BL。
同人誌。
わけがわからない異世界の言葉の数々に、オレはもう立ち上がることが出来なくなってしまっていた…。
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