そんなバカなことがあってたまるか。
あれから一週間、オレは桜祭実行委員としての仕事と、部活の練習で毎日てんてこ舞いだった。
執行部の仕事もかなりの量で、さすがの先輩たちも2学期になってから始めたのでは到底まにあわないだろうと践んでいたらしく、地域に配る文書や会議で使う計画書および資料、その他もろもろの関連書類なんかは、夏休みの間に渡瀬会長たちが全て作成し終えていた。
さすが2年連続でやっているだけあって、用意周到だ。
材料の発注とか、外部への手配が一通り終わってるってだけで、あとの仕事はずいぶん楽になる。
細かい書類申請などにわずらわされず、目の前のことだけに集中できるからだ。
「おーい、実行委員ー。ちょっとこっち手伝ってくれー」
「ういーっす!」
校内には、あちこちから活気ある声が溢れる。
準備期間は長いようで短い。
気がつけば、桜祭本番まで残り一週間を切っていた。
「だぁーっもう! なんで毎日毎日こんなに忙しいんだよちくしょー!!!」
オレは今、雄叫びをあげながら校内を走り回っている。
あっちが終わったら次はこっち、こっちが終われば次はそっちといった具合で、そりゃあもう文字通り目が回るような忙しさだ。
いくら部活で鍛えた体力といえど底なしではない。
さすがの渡瀬会長も、こんなときにオレを追っかけまわして遊ぼうなんてバカなことは考えなかったらしい。
ここのところ出現率が下がっているので不思議に思っていた(それでも一日一回はかならず会う)けど、桐谷先輩たちの話では、結構まじめに仕事を片付けているのだそうだ。少し意外だった。
「おう、緒方。ずっと走り回って大変そうだなー」
「他人事みたいに言ってないで先生も少しぐらい手伝ってくださいよ!」
「あははははははは。じゃあ頑張れよー」
「スルーかいッ!!」
ああまったくどいつもこいつも!
オレは心の中で毒づいた。
桜祭が近づき、ようやく部活動が休止期間に入ったというのに、時間に余裕ができるどころか忙しさは増す一方だった。実行委員を引き受けたのは自分なんだから文句は言いたくなけれど、正直もうそろそろ限界だ。
ただでさえ初めての大仕事で精神状態もギリギリだってのに、あの執行部の鬼悪魔ども(除く鳴沢先輩)が、
「部活休みになったんだって? よかったよかったハイじゃあコレとコレとコレ、ぜんぶ明後日までにヨロシクね☆」とか働き者のOLを部下に持った課長さんみたいなノリでドドドンと仕事量を増やしてくれちゃったもんだからさぁ大変!
「やってられっかこんちくしょぉぉぉぉぉぉ!!」
クラスの準備、体育祭の競技に使う器具の確認、実行委員会議、それが終わったら再びクラスの準備、5分休憩のあと生徒会室で鳴沢先輩たちのお手伝い、それが一段落ついたらまた教室に戻ってクラスメイトと打ち合わせ。
…。
…。
……。
―――…ああもう、いっそ殺して!!
「お疲れ様〜。大丈夫かい? 遼平」
「…大丈夫に見えますか…?」
「あっはっは、見えないねぇ。もうボロボロって感じ」
「わかってんなら聞かないでくださいよ…」
仕事のノルマをどうにか時間内に終えたオレは、生徒会室に戻って来るなり椅子に沈み込んだ。
渡瀬会長が近づいてきても、もう逃げる気力さえ残っていない。
そんなオレの状態を解ってくれたのか、渡瀬会長はいつもみたいに無理やり襲ったりしてくることはなく、ねぎらうような微笑みを浮かべながら缶コーヒーを差し出してくれた。
「微糖で良かった?」
「え…あ、はい。ありがとうございます…」
「どういたしまして」
にこっと笑って、渡瀬会長はオレの向かいの席に腰を下ろした。
その手には缶コーヒーのブラック。なんとなくイメージ的に甘党なのかと思っていたが、実はそうでもなかったらしい。
「あの、」
「うん?」
「他の人たちは…」
「ああ。双子はクラスの準備が長引いてて遅くなるんだって。キリヤと涼は、スケジュール確認で職員室に行ってる。多分もうすぐ帰ってくるよ」
「そうですか」
「ごめんね。他の実行委員はもう下校したのに、遼平だけこんな遅くまで引き留めて」
「いえ、それを言うなら会長たちだって…」
「ボクらは主催者だからね。当然さ」
ブルタブを開けてコーヒーを流し込み、ふう、と渡瀬会長は小さく息を吐いた。
新入りのオレがこれだけ駆け回っているのだから、中心でみんなに指示を出している渡瀬会長の疲労だって並みじゃないだろう。それなのに、愚痴1つ言わずにオレのことを気遣ってくれる。
あの人はすごい人だよ。
また竹下の声が聞こえた。
「遼平があんまり良く働いてくれるもんだから、ついつい仕事を頼みすぎたって、キリヤ達が言ってた」
「えっ…」
唐突に、渡瀬会長が言った。
オレの方を見て、やわらかく目を細める。
「ありがとう。君がいてくれて、本当に助かってる」
「い、いや、そんな…オレは別に…」
「照れなくても」
「照れてません!」
顔が赤くなったのが自分でも分かる。
渡瀬会長がアハハと笑って、可愛いなぁと呟いた。
…なんだか不思議な感じだ。
なんか、胸の奥が、むず痒くなるような…。
どきどき。
「…ん?」
「どうしたの、遼平」
「いや、なんか、さっきから胸が…」
「は? 胸?」
渡瀬会長が怪訝そうな顔をしながら、オレを覗き込む。
「具合でも悪いのか?」
心配そうにそう尋ねて、熱を測るときのようにオレの額へ手を伸ばす。
渡瀬会長の、手が、触れそうになった。
どっくん。
「うわわわわわっ!! さ、さわんないでくださいよっ!」
「え…ああ、ごめん」
心臓が跳ねてパニックを起こしかけたオレを見て、渡瀬会長が手を引っ込める。
オレはどきどきする胸を押さえ、叫んだせいで乱れた呼吸を整えた。
はー…死ぬかと思ったー…――って。
「…ん?」
ぴく、と動きを止める。
ちょっと待て。
どきどき、って。
――…あれ? え?
ちょっと待て。なんだこれ。
なんでこんなドキドキしてんの、俺!?
「遼平」
「ぅはっはははいぃ! な、なんですかっ!?」
「…声、裏返りすぎ。大丈夫かい? 体調が悪いなら、もう帰った方が、」
「大丈夫です! ぜんっぜん悪くありません元気です!」
「そう? ならいいけど…」
渡瀬会長は再び缶コーヒーに口を付け、空になった缶をコトンとテーブルに置いた。
「でも、なんかさっきから様子がおかしいね」
「そ、そうです…か?」
「うん。すっごく変。――…あ、もしかして」
にやり、と悪戯っ子のような表情で渡瀬会長が笑う。
「ボクと2人っきりだから緊張してるの? まったく、本当に可愛いなぁ君は」
ぴしっ。
効果音がつきそうなくらい、オレはあからさまに硬直してしまった。
「…え?」
言い出した渡瀬会長も、驚いたような顔で固まる。
そりゃそうだろう。普段のオレだったら、ここは間髪入れずに「んなわけあるかボケ!!」ぐらいの突っ込みを返すはずである。
それなのに、なんで。
なんでこんなふうに、動揺して、何も言えなくなっちゃってるんだろ、俺。
「遼平…え、何…まさか…」
「違います!」
何が違うのかは知らないけど、オレは慌ててそう叫んだ。もう必死だ。
だって。だって、こんなのおかしい。
おかしいよ。胸がすっごいドキドキいってる。
もしかしてオレ、本当に病気になったのかも!
「や、やっぱり今日はもう帰らせてもらいます!! さ、さようなら!!!」
「え、ちょっと…遼平!」
カバンを引っつかんでオレは生徒会室を飛び出す。
顔が熱い。すっげー熱い。何だコレ何だコレ何だコレ何だコレ!?
「うわっ、緒方?」
「どうしたんだ、そんなに慌てて…って、おいコラ!」
「「廊下は走っちゃ駄目なんだぞ〜」」
扉の前で、桐谷先輩たちと擦れ違ったけど、そのときのオレには後ろを振り返る余裕も、その言葉に応えることさえ出来なかった。
混乱していた。
胸がドックンドックンとうるさいのは、全力疾走しているせいなのか、それとも別の何かなのか。
今は知りたくなかった。
一方。
遼平が出て行った後の、生徒会室。
「…今のは一体なんだったんだ…」
呆然とたたずんでいる渡瀬を、その他の生徒会メンバーが珍しそうに眺めていた。
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