嫌だって言ったら嫌なんだ。
「―――…って。何なんですか、それ!?」
バンッ!
机を叩きながら、勢いよく立ち上がる。
我に返ったオレがまず最初に放ったのは、まるで悲鳴のような言葉だった。
そんなオレの目の前で、渡瀬会長は憎たらしいくらい爽やかな笑みを浮かべている。相手にとっては痛くも痒くもないだろうが、オレは怒りを込めた目で、めいっぱい睨みつけてやった。
「…わけがわかりません」
目線は渡瀬会長から外さずに、ぼそっと言う。
頭はすっかり混乱しきっていて、言いたいことは山ほどあるはずなのに、うまく声が出せないのだ。
立ったまま、自分を落ち着かせようと何度か深呼吸をしたあと、オレは力なく「有り得ない」と呟いた。
そうだ。有り得ない。絶対に有り得ない。
この人は―――…渡瀬会長は、今、何て言った?
「だから。君は今日から、生徒会役員になったんだよ。ちなみに、ボクら執行部直属のね」
「はぁ!?」
オレが目を剥くと、渡瀬会長はさも面白そうにクスクスと笑った。
「詳しくは、これから説明するから。とりあえず座りなよ」
「嫌ですよ、なんで会長の言うこと聞かなきゃいけないんですか! 悪いですけど、俺もう帰らせてもらいま…」
「おっと」
「逃がさないよ」
逃げようとしたら、双子の片割れがサッと動いてオレの進行方向を遮った。まだ見分けは付かないけど、たぶん皐月先輩の方だ。急に目の前に立ちはだかれて、オレはびくりと足を止める。
いっぽう五月先輩は、オレがびっくりしている間にいつのまにか背後に回り込んでいた。意外に素早い。前後を、あっという間にはさまれてしまった。
(前門の虎、後門の狼って、こういうときに使うのかな…。)
中学の頃だったか、国語の時間に習った言葉がフッと頭をよぎった。
2年生には、3年生とはまた違った怖さがある。オレは背中を冷や汗が伝うのを感じた。
「駄目だよ、遼平。先輩の話はちゃんと最後まで聞かなくちゃ」
立ち往生するオレを見て目を細めつつ、渡瀬会長がやけに優しい声を出す。
オレは、拳を握りしめて口を開いた。
「…説明が終わったら、帰してくれますか」
平穏な生活に。
言外に含めて確認すると、渡瀬会長は「君次第だよ」と言って微笑んだ。
「とにかく、座ってくれ。話しはそれからだ」
「…はい」
言われたとおりにするのは癪だったが、今はこうするのが最善だろう。相手の意図も解らなければ、まともな反論さえ出来ない。
先輩たちに囲まれて為すすべもなく、オレは悔しさを抑えて頷いたのだった。
渡瀬会長の説明とやらは、こんな問いかけで始まった。
「遼平。我が校の生徒会執行部が、いま何人いるか知ってるかい?」
「は?」
いきなり何を言い出すかと思えば、変な質問だ。
怪訝に思い眉を寄せながらも、オレはとりあえず答えた。
「5人…でしょう?」
会長、渡瀬透。
副会長、桐谷宗吾。
書記長、鳴沢涼。
会計長、天宮五月。
議長、天宮皐月。
オレはあんまり生徒会について詳しくないけれど、多分これで全員のはずだ。
「正解。そうだよ、5人だ」
だから何だと問い返したくなるような当たり前のことを、渡瀬会長は意味深に繰り返す。
オレが無言で続きを待っていると、渡瀬会長は「良い子だね」と笑みを深くした。
「…じゃあ。この人数が、例年に比べると大幅に少ないっていう事実は知ってたかい?」
「えっ?」
それは初耳。
俺は去年はフツーの中学生だったし(間違っても変態に追っかけまわされるような日々は送っていなかった)、この学校に入ったのも今年からなので、もちろん例年のことなんか知るはずもない。
俺が首を横に振ると、渡瀬会長は「だろうね」と頷いた。
「じゃあ、去年を例に挙げて説明しようか。…涼」
名前を呼ばれた鳴沢先輩が、軽く頷きつつガタンと席を立った。
ファイルを取り出し、ぱらりとページをめくりながら口を開く。
「去年の生徒会執行部メンバーは、合計で9名いたんだ」
「9名?」
「そう。役職名で言うと、会長・副会長・書記長・書記(2名)・会計長・会計(2名)・議長。…書記と会計っていうのは、書記長と会計長の補佐役みたいなものでね。毎年、下級生の中から選ばれるのが普通なんだよ」
「はあ…」
ファイルに綴じてある書類をスラスラと読み上げる鳴沢先輩。それに一体何の意味があるのかと、怪訝に思って眉を寄せながら相づちを打つ。
そんなオレを見て、鳴沢先輩は苦笑した。
「ちなみに。俺とキリヤ、去年は書記やってたんだ」
「え?」
「双子は会計」
「へっ?」
「渡瀬は副会長だった」
「去年は、って…――じゃあ5人とも、2年連続で執行部に?」
「そうだよ。それが普通なんだ」
鳴沢先輩の説明を、渡瀬会長が引き継いだ。
「例年通りなら、3年生だけじゃなく、2年生や、1年生も中心になって生徒会を引っ張っていけるような役員編成にするんだ。そうすることで、下級生に生徒会運営のノウハウを解ってもらうことも出来るし、次期生徒会の下地も作っておける。そのために、毎年選挙では下級生の立候補者も募っていたんだよ」
「じゃあ…なんで今年は」
「簡単なことさ。立候補者がいなかった」
さらりと答えて、渡瀬会長が悩ましげに目を伏せる。憂いの浮かぶ顔に、長い睫毛が影を落とした。綺麗だなぁとか思っちゃう自分に気づいて、なんだか悔しくなる。
(血迷うな自分。いくら綺麗でも相手は男だぞ。変態だぞ…!)
そんなオレの葛藤などいざ知らず、渡瀬会長は溜め息混じりに言葉を継ぐ。
「たまにあるんだよ、そういう年が。…だから仕方なく、去年から所属している5人だけで、どうにか形だけ取り繕って…人手の足りないときは専門委員会の人たちに手伝ってもらったりしてたんだけど、ね。さすがにそろそろ新しい問題が出て来たんだ」
「新しい問題?」
「そう。―――後継者さ」
渡瀬会長が、オレを見据えて言い放つ。
「こ、後継者ぁ?」
「つまり。俺たち3年が抜けたあと、生徒会を引っ張っていくための人材がいなくて困ってるんだ」
眉を寄せて首をひねるオレに、それまで黙っていた桐谷先輩が淡々と説明を添えてくれる。
「ここは私立校で、校風はかなり自由。教師陣もそれを心得ているから、大抵のことは生徒の自主性に任せて、細かい口出しはしてこない。校則もどんどん緩くなってきてる。…だからこそ、生徒たちを纏める執行部の人間は、それなりの力量が必要なんだ。いくら選挙をやって当選したからと言って…それまで執行の仕事を一度も経験したことのない人間が、いきなり会長を務められるほど、この学校の生徒会は甘くないってことだ」
なんか説明を聞いたら余計にこんがらがってきたんですが。
オレはうんうん唸りながらも頭の中をどうにか整理して、先輩たちを見やった。
「えーと…つまり…。今年の執行部は、大幅に人手不足で…来年のための後継者がいなくて困ってて…」
そこまで言いかけて、オレはハッとした。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。青ざめていくのが自分でも解った。
「ま、まさか。その後継者って…オレですか!?」
「あはははははははは。うん」
そのまま笑い飛ばしてくれれば良かったのに、渡瀬会長は律儀にコクンと頷いた。
それはもう、気を抜いたら見惚れてしまいそうなほど綺麗な笑顔で。
「まだ正式に役員になったわけじゃないけどね。でも近いうちに、全校に発表するつもりだよ」
「なっ! なんですかそれ…!」
「ごめんねー。もう決定事項なんだ」
わざわざ謝ってみせるところが白々しい。
本気で悪いなんか米粒ほどすら思っちゃいないくせに!
「なんでオレなんですか!!」
「5人で協議した結果、君以外に相応しい人材はいないってことになってねぇ」
「嘘つけ絶対問答無用でゴリ押したくせに!!」
「そんなことないよ。キリヤはちゃんと賛成してくれたよ」
「副会長ぉぉぉぉぉぉ!!!」
「悪く思うな緒方。これも生徒会のためだ」
「だからって後輩を犠牲にしても良いんですかッ!?」
「俺が良ければ全て良し」
「あんた鬼だ!!!」
だんっ、とテーブルに拳を打ち付ける。飲み終わったコーヒーのカップがガシャンと揺れた。
「嫌です嫌です絶対に嫌です! どうしてオレが…」
「まあまあ。そんなに騒いだって、事態は変わらないよ。先生方の承認も、既に得ているんだ」
「はぁ!? なんで…」
「遼平、けっこう先生に気に入られてるんだってね。成績も良いし、責任感があるし、生活態度も申し分ない。まさに生徒の鑑だ。反対する教師は1人もいなかったよ」
やけに嬉しそうな渡瀬会長に対し、オレは「うっ」と言葉に詰まる。
…確かにオレは、どっちかっていうと優等生タイプだ。
あんまり目立ちたくないから校内で騒ぎまわったりしないし(例の鬼ごっこは別だ)、成績が下がると親に小遣いを減らされてしまうので、授業も割とマジメに受けている。大学も推薦で行きたいと思っているから、内申はけっこう重要だ。
そんなわけだから、校則違反なんかはもってのほかだった。ちょっとでも問題を起こせば、スポーツ特待生として貰っている奨学金さえ受け取れなくなってしまうので、日々の生活には結構気を遣っている。
―――そんなオレの行動が、先生や会長たちには「生徒の鑑」として映るらしい。
「で、でも…オレぐらいのヤツなら、他にもいっぱい…」
「いないんだな、これが」
「え?」
「教師からの信頼・責任感・度胸。そして何より、遼平は生徒たちにも人気があるからね。きっと信任投票だって楽にクリアできる」
「オレが…人気!?」
「そうだよ。知らないの? 遼平はかなり有名なんだ。君の名前を知らない人間なんて、この学校にはいないんじゃないかな」
「有名になったのは100パーセント渡瀬会長のせいですけどね」
例の放課後鬼ごっこのせいだ。絶対。
「…だけど、有名だからってオレじゃなくても」
「駄目。君じゃなくちゃ駄目なんだ」
「は?」
「今までもね、役員候補として何人か呼んでみたんだけど…面接の途中で全員逃げ出しちゃってさぁ」
「あんた一体何したんだ!」
「面接」
さらりと答えた渡瀬会長は、にこっと微笑んで首を傾げる。
「だって、生徒会を引っ張っていくなら、ボクやキリヤとも対等に渡り合えるような人間じゃないと…ねぇ?」
「無茶言うな! 善良な一般人が変態や魔王と対等に渡り合えてたまるか!!」
「ひどいなぁ。ボクもキリヤも一般人だよ?」
「校内を数十分間全力疾走しても息1つ乱さない人間を一般人とは呼びません!!」
肩で呼吸しつつも、オレは更に言いつのる。
「第一、オレはスポーツ特待生で…練習が忙しくて、生徒会どころじゃ…」
「ああ。それについては大丈夫」
「は?」
「何も、毎日じゃなくていいんだ。週一回の役員会議に出席したり、行事の実行委員をやったり、…後は、たまに書類に目を通したりするだけで構わない。忙しいときは無理しなくてもいいし、フォローはこっちでちゃんとするから」
「でも…」
「大丈夫だって。涼も特待生だったけど、立派に役員としてやってるんだから」
「え、鳴沢先輩も?」
オレがびっくりして顔を上げると、鳴沢先輩は「うん」と頷いて微笑んだ。
「俺、サッカー部なんだ。もう引退してるけど、今でも部活には顔出したりしてるよ」
「涼は頑張り屋だからねー。自主練だって欠かさないし、いろんな大学から声かかってるんだよー」
友人のことを、まるで自分のことのように誇らしげな顔で笑う。
渡瀬会長はニコニコしながら、オレの方に目を向けた。
「ほらね、遼平。生徒会やってても、部活で結果を残してる人間はいるんだ。涼が良い見本さ。まったく問題はないよ」
「だけど…俺はっ」
無理です。
そう言いたいけど、それを裏付けるための決定的な言葉が見つからない。
混乱した頭の片隅に、ちょっとした恐怖みたいなものが掠めて…オレは目を伏せた。
こわい。
なんでこの人達は、こんな自信を持って言えるんだろう。何を証拠に、オレが相応しいなんて決めるんだろう。
一番わからないのは渡瀬会長だ。
いったいオレをどうしたいんだろう、この人は。
立場の弱い1年生をからかうのが、そんなに楽しいんだろうか。本当にオレが好きなんだろうか。もしかしたら、ただの暇つぶしなんじゃないか。オレが混乱しているのを見て、面白がってるだけなんだ。
そう考えたら急に悲しくなって、―――なんで悲しがるのが自分では理解できなくて…オレは拳を握りしめた。
「遼平?」
渡瀬会長が呼ぶ。きれいな声だ。優しい声だ。
「…嫌です」
オレは繰り返した。嫌です。絶対に嫌です。
生徒会に入ったら、否が応にも渡瀬会長の傍にいなきゃいけなくなる。
そのことが、どうしても嫌だった。
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