北廊下のドッペルゲンガー。(前)
走って。
走って。
走って。
「っ、あれ? 追ってこない…」
息を切らして立ち止まり、オレは膝に手をついてゼエゼエと荒い呼吸を繰り返した。
うしろを振り返っても、足音や声は聞こえてこない。勢い余って、生徒会室とは反対側の1階北廊下まで逃げてきたのだが、あたり一辺は静まりかえっている。
…諦めてくれた…のか…?
じんわり滲んだ汗を拭い、慎重に周囲を見回す。
不気味なまでの静けさだ。違和感を覚える。何かがおかしい。どうして、追ってこない?
「…もう。なんなんだよ、一体」
渡瀬透のバカ野郎。
急に会いに来なくなったと思ったら生徒会室に呼び出すし、待てと言いながら追ってこないし。
まったく、桐谷先輩といい天宮先輩といい、あの人たちは本当に何を考えているんだろう。本当、うちの生徒会執行部は少々キャラが濃すぎやしないか。変態と腹黒だけでもう手一杯なのに、新登場の天宮五月先輩も、なかなかの曲者みたいだし。
唯一の癒し系である鳴沢先輩にも、今日はなぜか会えなかった。多分、絶対に出てくるなと渡瀬会長に命令されてたんだろうな。うう、悔しいな。くっそー。
あいつらは、何を考えている?
これ以上オレに何を求めている?
オレはこれから、一体どうなるんだ?
振り回されっぱなしのオレは、もう、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
制服からは、先ほど襲われたときに染みついてしまったらしい渡瀬会長のコロンの香りがしてくるし…甘い匂いで頭がくらくらだ。
ああもう、ホントどうしてくれんだよこんちくしょー。
「…はぁ〜…」
溜め息を吐き出したら、少しだけ気持ちが落ち着いた。本当に少しだけだけど。
まあ。とりあえず、追ってこないのなら、この状況は好都合なんだと考えよう。
また見つかって、面倒なことになっても嫌だし、今日はもうさっさと帰って―――…って。
「あっ! カバン!!」
しまったぁ!
生徒会室前の廊下に、置いてきてしまったままだ。
桐谷先輩に脅されたり、天宮先輩の裏切りが発覚したり、渡瀬会長に襲われたりしてたから、すっかり忘れてしまっていた。どうしよう。中には財布やケータイ、それに定期も入っているから、カバンがないと家に帰ることさえ出来ない。
「…ど、どうしよ…」
戻るか? 生徒会室に?
いやいや待て待て。そんなことしたら、それこそあの変態生徒会長の思うつぼ。
…でも、じゃあ、どうすればいい。
どうしようもない。
多分オレのカバンは今頃、奴ら(生徒会連中)の手の中にあるのだろう。
そして、オレがすごすごと戻ってくるのを、今か今かと待っているに違いない…。
なんだよそれ。めっちゃ悔しいんですけど。
「あーッ、ちくしょー!!」
「何を叫んでるの」
「へっ?」
急に背後から聞こえた声。
オレがびっくりして振り向くと、そこには意外な人物が立っていた。
「あ、天宮先輩ッ!?」
「緒方遼平、見ーつけた」
そう言って悪戯っぽく微笑む天宮先輩。
一体いつのまに!?
追ってくる気配は全然なかったはずだ。
生徒会室からこの北廊下までには、かなりの距離があるはずだし、オレが逃げ出した後に、すぐ走り出したのだとしても、静かに突っ立ったまま息1つ乱れていないのはどう考えてもおかしい。
まあ確かに世の中には毎日放課後に全力で鬼ごっこをしても全くバテないとかいう嘘みたいな体力を持った変態王子様も存在するけれど。
でも、そんな人間が同じ学校に2人も存在するのだろうか。
…否、存在してたまるものか。万国人間ビックリショーは渡瀬透1人で充分だ。いや1人でも要らないけど。
――…とにかく!
距離、時間の計算から言って、天宮先輩が今オレのすぐそばに居ることは有り得ない。
っていうか第一、ぜんぜん走ってくる音がしなかったし!!!
「天宮…先輩…。一体どんなマジックを使ってここに…」
「何をバカなことを言ってるの。俺は、ずっとここに居たよ」
「はぁ!? え、ちょ、…恐ろしいこと言わないでくださいよ。だって、さっき…」
「事実だよ。俺はずっとここに立ってた。緒方遼平が来たら捕まえておいて、って…渡瀬会長に言われたから」
「やっぱりアイツの差し金ですか!!」
なんかよく分かんないけど、渡瀬会長が絡んでいることは間違いない。
意味不明な天宮先輩の言動やここに存在する理由もかなり気になるが、今はそれを言っている場合じゃない。
逃げなきゃ!!
「とりゃあっ!」
「うわっ。びっくりしたぁ」
オレは天宮先輩に向かって思いっきりライダーキックをかました。もちろん、ただのコケおどしだ。本当に蹴るつもりはない。ただ、相手が一瞬ひるんでくれれば、それで充分だった。
天宮先輩の隙をついて、反対方向に全力ダッシュ!
「…逃げても無駄だよ。」
背後で、天宮先輩がそう呟くのが耳に届いた。
一体どういうことだ?
走りながら、オレはちらっと後ろを振り向く。すると…
「こちら天宮。緒方遼平は音楽室の方へ逃げた。フォーメーションB、展開」
…なんか、無線機みたいな物に向かって淡々と喋っている天宮先輩。
え、なに、どういうこと? そんでもってフォーメーションBって…まさか。
「ッ! うわぁぁぁ!」
逃げ込もうとした教室から、制服を着た人たちが5〜6人ほどドッと押し寄せてきて、無理矢理オレを押さえつけた。かなり体格のいい人達ばかりだ。たぶん上級生か、運動部の生徒だろう。
「な、なんなんだよアンタら…って、竹下!?」
オレを取り押さえている生徒たちの中には、顔見知りのクラスメイトの姿もあった。
びっくりして大声を出すと、そのクラスメイト―――竹下洋司は、「ごめんなー」と言ってヘラヘラ笑う。
「お前を捕まえるのに協力してくれって、渡瀬会長や天宮先輩たちに頼まれちゃってさぁ」
「なっ…?」
「ほら、それに俺、生徒会学年委員だし」
「えッ!」
オレは両腕と背中を押さえつけられてる状態で、苦労しながら周囲の人間をぐるっと見回した。
もしかして…。
「この人たち全員、学年委員!?」
「ぴーんぽーん」
答えたのは、天宮先輩だった。
ゆるく腕を組んで、整った表情を少しも崩さず、いっそ不自然なくらいにクールな声。
「観念しなよ、緒方遼平。へたに暴れると、怪我しちゃうかも」
「んなっ」
「スポーツ特待生なのに、それはヤバイよねぇ?」
ただの脅迫じゃねーかそれ!
3倍ぐらい怒鳴りかえしてやりたかったけど、それを堪えてぐっと言葉を飲み込む。
この人数相手に暴れられるほどオレもタフじゃなかったし、今日はもう色々ありすぎたせいで、もうドロドロに疲れ果てていたから。
それでも、このまま引き下がるのが悔しいことには変わりなくて。
「…降参、です」
たった一言を絞り出すのに、かなり苦労した。
<後編へ続く> |