いつだって常識人ばかりが苦労する。(後)
事の始まりは、ほんの些細なこと。
今になって後悔しても遅いけれど、愚痴の1つぐらいは許してほしい。
本当に、あのときは、こんなことになるなんて思ってもみなかったのだから。
「ねえ。僕と一緒にいる時間が一番長いのって、誰だと思う?」
そう尋ねてきた渡瀬に、不審に思いながらも「そりゃあクラスメイトであり生徒会仲間の俺たちだろう」と答えてやったら、彼は唐突に目を輝かせたのだ。
「だよね。やっぱり、同じ学年で、同じ生徒会にいれば、一緒にすごす時間も増えるよね」
渡瀬がどういうことを考えているのか全く見当が付かなくて、何が言いたいんだよ、と問いかける。
次の瞬間、それを後悔した。
「じゃあ…――違う学年で、もっと一緒にいるためには――…」
無邪気な悪魔が微笑んだ。
「あの子を、生徒会に引きずり込むしかないよね」
可哀相な一年生の顔が脳裏に浮かんで、思わず膝をついてしまいそうな敗北感と無力感、そして懺悔。
――――ごめん、緒方。
心の中で謝ったって、今さら後の祭り。
「言っておくけどな。あいつにヒントを与えたのはお前だぞ、涼」
「えっ!? なんでだよ」
まとめ終えた資料をファイリングしているときだった。
今回の、あまりにも唐突な渡瀬会長の行動について、副会長と書記長は片手間に仕事を進めながら話し合っていた。途中、いきなり桐谷が言い出したのだ。事の発端は、涼の些細な一言なのだと。
「このあいだ、押して駄目なら引いてみろ、って透に言っただろう」
「え…ああ、うん。言ったけど、それがどうして…」
押して駄目なら引いてみろ。
一応、自分なりのアドバイスだったのだが、渡瀬はあっさりとそれをはねのけた。
そんなまどろっこしいこと、ボクに出来るわけないでしょ。
一刀両断に、切って捨てるような清々しさで、自分の考えを貫く渡瀬。
それが羨ましくもあり、哀れでもあり。だからこそのアドバイスだったのだが、やはりそれは無駄だった。
渡瀬は、緒方のことになると一直線だ。
それこそ、友人の言葉すら耳に入らなくなるぐらいに。
「ところがどっこい。ちゃんと耳に入ってたみたいだな」
「はい?」
「涼のおかげで、一石二鳥の良い計画を思いついた、と言っていた」
「はいぃ〜?」
棚の整理を終え、企画に必要な書類だけを取り出した桐谷が、くるっと振り向く。
一重まぶたの鋭い瞳を、黒いフレームの伊達メガネで隠した彼は、仮面の下で意地悪くニヤリと笑った。付き合いの長さゆえに、鳴沢はその笑顔の裏にあるものにも気がついてしまう。どうせなら気づかないでいたかったのに。
「たぶん今、透は身辺整理をしてるんだ」
「身辺整理?」
「そう。万全に態勢を整えて、緒方をこっちに引き込むための準備をしてる。学園祭と次期選挙の直前だ、多少ゴタゴタするのは承知の上だろうが…あいつは本気でやるつもりだぞ。そりゃあもう、恐ろしいぐらい用意周到にな」
「どういうことだ?」
「大真面目に仕事に取り組むことで、周囲の信頼を強固にしておくんだとさ。お膳立てを整え、その間は一切緒方に会いに行かないことで、ついでに緒方自身も油断させておく。そして、頃合いを見計らって一気に引きずり込むのさ」
「え…ちょ、キリヤ…話がよく分かんないけど…そこまで知っていながら、なんで渡瀬を止めないんだよ」
「止める理由がないからな。実はこれ、俺にとっても利益のある話なんだよ」
「り、利益って?」
「この計画がうまくいけば良い雑用係が手にはいるし、それによって生徒会活動中に透が『会いたい会いたい』と騒いだりすることもなくなる。ついでに、足りなかった実行委員の補充も出来る。一石二鳥どころか、三鳥だ」
「え…まさか。そんなことのためだけに、お前、緒方を犠牲にするつもりじゃ…」
「それの何が悪い?」
「…っ…」
鬼悪魔…!!!!!!
「どうしたの、涼。さっきから溜め息ばかり吐いて」
「…あ」
回想終了後。
顔を上げると、渡瀬がこちらを覗き込むように、じっと見つめてきた。
「溜め息を吐くと幸運が逃げちゃうよー?」
「いやむしろお前に幸運を吸い取られてるような気がするんだけど」
何十回目になるか分からない溜め息を吐き出し、鳴沢は閉じ終わったファイルを近くの棚に並べる。
仕事は、完璧に終わってしまった。
「…そろそろ頃合いだね」
渡瀬がなんとも嬉しそうな顔で、桐谷にそう囁いているのを見てしまった鳴沢は、一気に肩が重くなったような気がした。背中に何かが乗っている。おそらく、罪悪感とか疲労感のたぐいだろう。
「ごめんな…緒方」
お膳立ては、整った。
もう止めることは出来ない。
止めようとすら思わない。
なんだかんだ言って、鳴沢も、あの無邪気で哀れな友人のことが大切だった。
ああ、それでも。
胸の痛みやら良心の呵責やらに、さいなまれることに変わりはないわけで。
「本当に、ごめん…」
今ごろは元気に部活へ励んでいるだろう一年生の顔を思い浮かべ、鳴沢は何度も謝罪の言葉を呟いた。
いつだって、常識人ばかりが苦労する。
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