「はい」
「何?」
「プレゼント」
「…ありがとう。開けていい?」
――ガサガサ――
「…ブレスレット?」
「おまえ、好きだろ?そういうの。いっつも見てたし」
「――ありがと――」
「……」
「つけてみるね」
「…ん」
――ガサガサ――
「ねえ、腕時計を贈るのって『あなたを私に束縛しておきたい』って意味なんだってね?」
「あー…何かそんなこと言うなー」
「だったらブレスレットはなんなんだろ?」
「…さあ?」
――カチャカチャ――
「………」
「…」
――カチャカチャ――
「…………」
「…」
「……………」
「…?」
「……ねえ」
「ん?」
「…つけて?」
「…なんで」
「…できない」
「…なんで右につけようとすんだよ。左にしろ。左に」
「だって左は時計つけてるもん」
「……」
「それにこの金具、どうやって右手一本でつけろってのよ」
「…オレが知るか」
「ね?」
「…………」
――――――
「ありがと」
――にっこり――
――無言――
******
「――…ねえ、マスター、あれって許されるわけ?」
「…いいんじゃないですか、微笑ましくって。青春ですねえ」
「ってゆーか、さあ。今時小学生でももうちょっと気の利いた会話しない?いいの?あれで」
「……いいんじゃないですか。恋愛ってそういうものでしょう。ね?」
カフェバー「Mooner’s Bar」は、昼間はカフェとして営業している。半地下構造の店は目立つものではなかったが、そこで出されるコーヒーや紅茶は絶品で、口コミで知る人ぞ知る名店として一部では人気を博していた。
それでも大抵は常連客が数人入る程度で、新規の客が入ることはなかなかないことなのであった。
しかしその日はカウンターの常連客の他に、初見の客がテーブル席に入っていた。二十代前半と思われるカップルで、コーヒーとケーキの載ったテーブルをはさんで何やら話している。当人同士は静かに話しているのだが、どうにも珍しい光景であるため、見るともなし聞くともなしにその様子は周囲に伝わってしまっているのである。
カウンターでそっとマスターに囁いているのはグレーのタートルネックのセーターにパンツスーツの女性。一見普通のOLスタイルであるが、雰囲気は随分とラフで自由なものであった。小さなポーチ以外に荷物のないところから、どうやら近所から昼食を摂りに来ているもののようである。
「ほら、サイさんはどうなんですか?」
「…どうって?」
「恋人に贈り物ってしたことあるでしょう?」
「……忘れたわねー、そんな昔のこと」
「……サイさん、何歳なんですか」
マスターに《サイさん》と呼ばれた女性はわざとらしく視線を浮かせて逸らせた。そんなとぼけた仕草にマスターが苦笑する。
「――そうねー……時計、ねえ…」
視線は宙空に向けたまま、ポツリと彼女が呟く。
「腕時計じゃないけど、時計を贈ったことはあるわね」
人に聞かせる意思があるのかないのか判然としない口調に、マスターはつい意識を向けてしまう。そんなマスターの視線に宙で動かされた彼女の視線がぶつかる。思わず催促するような態度をとってしまったことにマスターは動揺して、慌てて視線を逸らせる。そんなマスターの様子に、彼女がくすりと笑みを漏らした。
「目覚し時計だったかな。欲しいって言ってたのよね。その人が」
そうして続けられた彼女の台詞は、おそらくマスターに気を遣わせないための、彼女の思いやりであったろう。その口調は悪戯っぽい笑みを含んだものであった。
「だから買ってあげたの。デートのときにね。どれがいい?って」
彼女がそんな風に自分のことを話すことは珍しかった。彼女はこの店の常連で、付き合いもけっこう長いものになる。その間たくさんのことを話したり訊いたりしてきた。
彼女は外見とは裏腹になかなか面白い性格の持ち主で、個性的な客の多いこの店の常連客の中でもその存在感は随一である。しかし彼女は基本的に無口なタイプで、自分のことについては多くを語ろうとはしなかった。彼女は決して他人との会話が嫌いなわけではない。むしろ好きなタイプだろう、とマスターは思う。彼女の語る言葉は魅力的であったし、その声もとても耳に心地いい。何人かの常連客が集まると始まる他愛ない会話でも、彼女はいつも楽しそうに参加している。しかし自分のことについて訊かれると、さりげなくかわしてしまうのが、彼女という人物であった。
どうやら可愛らしい恋人同士の会話が店内をほのぼのとしたムードに染めてしまったようだな、とマスターは思った。
「その人?…けっこう、そのすぐ後に別れたかな…」
彼女が小さく肩を竦めた。
「っていうか、…うん、それを贈った頃、もう既にかなり危機だったんだよね」
「なのに何で贈り物したんですか?」
そう問うと彼女は頬杖を突きながらカウンターの表面に視線を落とした。
「…悔しかったのかも。…私ってかなりプライド高いからさ、他の人と比べられるのって我慢ならないのよね。――多分その人はそんなこと気付いてなかったんでしょうけど。ちょっとした会話で、なんかちょっとずつストレスが溜まってたような気がする。…もちろんその人は私がそんなことでイラついてるなんて気がついてなかったでしょうね…ううん、普通は多分気が付かないよね」
半分独り言のように彼女は呟く。焦点の合わない視線がカウンターの木目をなぞる。
「言えばよかったのに。そうしたら解決できることだったんじゃないですか?」
「そうかもね」
彼女が顔を上げた。そしてにっこりと笑ってみせた。
その人に時計を贈った。
『朝起きれないんだよー目覚まし壊れちゃってさあ』
そんなことを言って笑ってるから、
『じゃあ、買いにいこっか?』
そう言ったらなんだかとても嬉しそうだった。
誕生日だったか。クリスマスだったか。覚えてないのはやっぱり多少の罪悪感のせいだろうか。
時計を贈ったデートの、その一週間ほど後には関係は終わっていた。
『何で時計なんて贈ったの?』
『だって、悔しいじゃない』
『だってそしたらその人は一生忘れないでしょ?
その時計を見るたび、時を刻むたび、時刻を報せるたび、それを贈ったあたしのことを忘れることができない。
ずっとあたしのことを考えることになるでしょ?
その人にとってあたしが一番の存在になるでしょう?』
『誰かとあたしを比べてるなんて悔しかったのよ』
『違ったかもしれないのに?』
『それでもあたしは一番じゃなきゃ嫌だったのよ』
「女って怖いのよ、マスター」
勘定を払って出て行く間際、肩越しに振り返った彼女が悪戯っぽい笑みで瞳を細めた。マスターはぱちぱちと瞬きをしていたが、そのままドアベルを鳴らして出て行く彼女の後姿に、慌てて声をかけた。
「またどうぞ!」
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