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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第8章 動き出す世界
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8-39 英雄散華Ⅵ

 ここは何処だろうか。


 意識が微睡の中で揺蕩う。頭の芯がぼうっとなって、思考が上手く定まらない。覚醒と睡眠の、ちょうど狭間のような状態だ。それが徐々に覚醒へと近づいて行く。


 ここは何処だろうか、と。ぼんやりした頭で再び考える。記憶を遡ろうとするも、まるで本のページを破られたように、記憶が欠落している。果たしてここは何処で、あたしは誰なのだろうか。周りの風景から推理しようとするが、愕然としてしまった。


 四方八方、どこを向いてもあるのは暗黒だけ。まるで怪物の体内に囚われたかのような、虚無のような暗黒が周囲を幕のように包み込む。手を伸ばそうとして、足を踏み出そうとして、そこでようやく自分の状態に気が付いた。


 手が無い。


 足が無い。


 そもそも、体が無いのだ。


 意識だけがこの暗黒の世界に漂っている。これではまるで死者のようではないか。


 ―――いや、よう、では無いのか。


 あたしは死者なのだ。


 千年前、黄龍に敗北し、魂が御霊に導かれる事も出来ずに居る、ただの死者だ。


 その事に思い至れば、破れた記憶のページが戻って来た。生前の末期と、そして死後の始まりの記憶だ。


 実の所、こうして意識が明瞭になるのは今回が初めてでは無かった。黄龍に敗北し、無念の内に死亡してから時折、意識だけが息継ぎをするように浮上する。暗黒の空間に揺蕩うだけしかできず、いずれこの覚醒した意識もまた、微睡の中に戻っていくことが定められている。


 だけど、このわずかな時間だけは、死後に許された、死者の時間。微睡から目覚めて、そして微睡に沈むまでの時間、あたしはあたしの記憶を振り返る。


 そう、『英雄』と呼ばれたくせに、肝心な時に臆病者と化したあたしの過去を。







 予感がしていた。


 古代種の六龍が一体、黄龍と対峙した時、あたしはエルフの滅びを感じ取ってしまった。別段、そういった類の技能スキルを持っていたわけでは無い。ただ、山の如き巨躯までに膨らんだ黄龍から放たれる邪気を浴びた瞬間、あれが何者かの手によって生み出された存在だと理解したのだ。


 肉を持つ精霊と呼ばれた古代種の、それも龍をあそこまで作り変えたという事実は、裏を返せば世界がそれだけエルフという種族を許せない所まで来たという証だ。魔力の乏しくなった世界において、数少ない豊饒な大地を独占し続けた一族に対する憎しみが、怨嗟が、恨みが、墜ちた精霊黄龍を生みだしたのだ。


 その一端を担ったのは、他でもない。


『英雄』であるあたしだ。


 黄龍はあたしの影であり、対の存在であり、罪に対する罰なのだ。そう実感した時にはひたすらに恐ろしかった。人間が追い詰められると、こんな怪物を生みだしてしまうという事と、それに関わってしまった自分。その両方に恐怖を抱いたのだ。


 だから、恐怖を拭い去る為にたった一人、黄龍に挑んだ。


 身に宿した精霊たちの静止の言葉は耳朶を震わすだけで、脳が拒絶した。精霊剣は狂ったように輝き、幾筋もの光線を放ち、黄龍の巨躯を削った。だけど、足止めすることは出来ても、黄龍を滅するだけの火力は無かった。


 遮二無二戦い、荒い息を繰り返し、疲労が全身を襲う中、あたしは単身黄龍の内部へと突入した。外側から駄目ならば、中からの一撃は効果があるのではないかと考えたのだ。


 一歩、足を踏み入れた瞬間、精霊達はあたしの中から消えた。消滅したわけでは無いが、黄龍の持つ魂吸いの力と、肉を持たない精霊は相性が悪く、存在を保てないのだ。本当の意味で一人になったあたしは、そのまま黄龍の内部を焼き払い続けた。内部に足を踏み入れると、黄龍の生贄にされたと思しき幽体が有象無象のように現れ、邪魔をする。


 大人も居た、子供も居た。男も、女も居た。人間種もいれば獣人種も居た。探せば、魔人種も居たかもしれない。大勢の人が、黄龍を邪悪な存在に変質させる為に使われたのだ。あたしは、その事実に憤りを感じ、憐れみを覚え、怒りを抱いた。精霊剣が肉なき魂の霞を振り払う。


 今となっては皮肉な話だ。彼らはあたしの未来の姿であり、そして先達だったのだから。


 幽体の妨害に遭いつつも、黄龍の内部を破壊するという作戦は全うした。光線が肉壁を貫き、闇を退ける。脳を焼き、肺を裂き、血管を沸騰させ、神経を引き千切り、内臓を悉く潰して回る。だけど、黄龍の再生能力は異常だった。


 周りの肉壁が損傷した箇所を補修するのだ。例えるなら、筋肉が肝臓や脳の代わりを務めるような物だ。一瞬で肉体を蒸発させなければ、徒労で終わるしかない。


 自然な流れで、残った最後にして重要な器官であるはずの心臓を狙うのは、当然だったはずだ。


 しかし、それは悪手だった。


 肉壁に守られていた心臓の前に立った瞬間、致死寸前の魂吸いを浴びた。一瞬で体の自由が効かなくなり、黄龍の内壁に倒れこんだ。立ち上がる気力も萎えた。ただ、次の瞬間には水がめの窪みに溜まった様な生命力が吸い上げられて終わると思った。


 でも、あたしを待ち受けていたのは、死よりも恐ろしい現実だった。


 生命力が致死寸前まで減った事を受けて、《パッシング・フォワード》がこれまでにない勢いで回復をさせる。でも、限界寸前まで回復した生命力は一秒後には致死寸前まで奪い取られ、そしてまた回復してしまう。


 空になった器に並々と注がれた水が、一瞬で黄龍に飲み干されるような物だ。あたしという底の抜けた器を通して、黄龍が肥えていくのが分かる。尽きる事ない餌を手に入れた事で、喜びに沸き立つのが伝わって来る。


 幽体もあたしを脅威とみなさなくなったのか、それとも憐れんでいるのか近づく事すらしなくなった。死んでも拘束される彼らと、生きながら死んでいるような状態のあたし。果たしてどちらがより不幸なのかと、考えるのも馬鹿々々しい疑問を抱きながら、あたしの意識はそこで一度途切れた。


 目が覚めたのは、悲しみを憂いた灰色雲の空の下。


 周りに居たのは実体化した精霊たちだ。


 心配そうにしている彼らの話を纏めれば、どうやら帰って来ないあたしを心配して、精霊たちが救出してくれたそうだ。その過程で、何体もの精霊が黄龍に飲み込まれてしまった。此処に居ない友達の事に、悲しみに浸る暇を黄龍は与えてくれなかった。


 黄龍の中に突入する前と今では、周りの景色が大分違っていた。


 花の都を取り囲む、絶対の防壁だった鋼鉄の森。どんな魔法ですら耐える要塞の如き堅牢差を誇った森が、枯れ始めていたのだ。原因は黄龍だ。


 あいつは、あたしという極上の食料を奪われたことに腹を立て、否、腹を空かせて辺りの魔力を根こそぎ奪い始めた。それは文字通り、根こそぎだった。種があれば、どれだけ作物が奪われてもまた植える事ができる。土があれば、水があれば、日があれば、また実りは生まれる。だけど、黄龍はそれら全てを喰い尽くしたのだ。


 魔力が通る道すら奪うというのは、大地が死滅するのと同義だ。鋼鉄の森は枯れ、大地が渇き、川は干上がり、草花が散っていく。


 誰かが言った。


 花の都は終わる、と。


 あたしは、不謹慎にも、その瞬間。


 笑ったのだ。


 誰にも見られてはいない、誰にも知られてはいない、誰にも気づかれてはいない。


 残ったのは意識だけに成り果てたあたしの記憶の中だけ。


 でも、確かに笑っていた。


 花の都が、あたしを縛りつけていた国という枠組みが滅ぶことを、誰よりも望み、願い、そして喜んでしまったのだ。


『英雄』と呼ばれ、その名に恥じない様に敵を殺し続け、古代種の龍をも邪悪に変質させる因子となったこのあたしが、喜んでいた。


 それが何よりも、許せなかった。


 気が付けば、自らの腹に精霊剣を突き刺していた。そうする事で、喜んだ自分を葬り去れるように思いながら。剣があたしの血に塗れ、《パッシング・フォワード》が傷を治癒しようとする。だけど、あたしはその分の、回復される生命力を精神力に回す。剣が脈打つように淡い紅色の輝きを増していき、力が充填されつつある。


 そして、あたしは最後の力を振り絞って、黄龍の背に向けて跳躍した。憎みつつも愛した故郷を蹂躙する外敵を討ち滅ぼす為に、黄龍の背中を駆けあがり―――そして力尽きたのだ。


 これはあたしが敗北で終わる物語だ。


 これはあたしが敗者で終わる物語だ。


 これはあたしが失敗で終わる物語だ。







 意識だけの存在に成り果てても尚、生前の感覚は残っているのか。生前の記憶を振り返り、恥辱で身もだえしたくなる感覚に襲われる。記憶の再生が終わると、いつもこうだ。


 どうしようもなく、愚かで、惨めで、死んで当然の人間。それが自分だという事にあたしは絶望する。だからだろうか、意識が覚醒すると、決まって声が聞こえるのだ。


 お前は『英雄』なんかじゃない。お前は臆病者だ。卑怯者だ。最後の最後に失敗した愚か者だ。恥知らず。故郷が、同胞が踏みにじられる姿を見て、喜ぶ慮外者め。お前が居なければ、こんな事にならなかった。祭り上げられて、いい気になり、求められるがまま力を振るった結果、皆こうなったんだぞ。


 暗黒の世界は一人きりでは無い。


 無限に広がる暗闇の中、僅かに感じるのだ。黄龍に取りこまれた、あたしと同じ無数の魂を。彼らと意思を交わす事は出来ないはずなのに、彼らがあたしを罵倒する声が聞こえてくるのだ。


 耳が無いのに、意識に染みこんでいく怨嗟の声に、あたしは謝る。


 ごめんなさい。『英雄』と呼ばれていい気になって、ごめんなさい。


 ごめんなさい。最期の最期に、臆病者になってしまい、ごめんなさい。


 ごめんなさい。国が滅びる姿に喜んでしまい、ごめんなさい。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 どれだけ謝罪の言葉を重ねても、自分のした事は変わらない。過去は変えられない。それと同様に、この地獄は終わらない。


 どれだけの時間が経過したのか。


 どれだけの時間を経過するのか。


 分からないけど、あたしの罪と罰は永劫に残り続けるのだろう。


 懺悔の沼に沈みながら、再び死の微睡に戻るはずのあたしの意識が、今回に限っては違った


 暗黒の世界に光が差したと思ったら、直後、周りの風景が一変していたのだ。


 黒い雨が降り注ぐ、荒涼とした風景。対峙するのは四人の少年少女達だ。


 風景には見え覚えがあった。それは当然だ。あたしは此処で死んだのだ。


 内部に侵入したことで、心臓のある位置は大よその見当が付いていた。溜めこんだ精神力を、一点に集中すれば、黄龍の頑強な肉体を貫く槍となるはず。そう考えて黄龍の背中を駆けあがったのだ。


 振り返れば、おそらく精霊剣が突き刺さっているのだろう。もしかすると、あたしの遺体が落ちているのかもしれない。


 だけど、意識だけのあたしは、どういう訳か白い靄のような形で顕現しているのに、体の自由は利かなかった。何か邪悪な意思にこの仮初の体は操られているように、視界は固定されてしまう。


 ならばと、眼前に居る四人を眺めた。


 まず、初めに思った事は、四人の年齢が若いという事だ。人間族の男女に、魔人種と思しき少女、そして―――ハーフエルフの幼女が一人。皆、種族の平均的寿命からすれば、少年から青年へと至る狭間の頃だろうか。


 しかし、纏う雰囲気は年齢にそぐわず、一端の戦士だ。射抜くような視線に生前の戦士たちを想起させた。特に、唯一の男である少年が携えている剣。不思議な形状のした剣からは、意識だけの存在になっても、むしろ意識だけになったからか途轍もない力の波長を感じる。


 それこそ、黄龍と肩を並べる存在を感じていた。


 一体、何者なのだろうかと興味が尽きなかった。


 他の二人、金色の髪を靡かせる少女や、癖のある紫がかった黒髪の少女も興味を引かれた。でも、一番の衝撃はやはりハーフエルフの少女だろうか。灰色と緑が入り混じる短髪に、長い耳はエルフの、そしてぴょっこりと飛び出ているのは狼人ヴォルフ族の証だ。外界との接触を断ったエルフが、他種族との交配を認めた事も、そして何より一族の子孫が生きていることに驚いた。


 エルフは滅んでいなかった。


 その事実を目の当たりに出来ただけで、あたしは満足した。


 すると、そのハーフエルフが何かを叫ぶようにしているのが見えた。だけど、体の自由が奪われたあたしは、彼女が懸命に訴えかける言葉が届かないのだ。それを断ち切る様に、カスミの体は、同じく霞の精霊剣を振るう。


 戦端は前触れもなく開いた。


 少年少女達は懸命に戦った。良く連携が取られており、互いが互いを上手く援護し、個々人が何をできるのかが明確になっていて、無駄を削ろうと効率的に立ち位置を変えている。まだまだではあるが、合格点を上げても良い等と、上から評価してしまう。


 しかし、それでもあたしは強かった。例え、意思が奪われ、受動的な戦い方しかできなくとも、戦い抜いた記憶からか、積み上げてきた技量からか、彼らの猛攻を凌ぎきっていた。


 その頃になると、状況がうっすらと分かり始めた。


 死んでからどれだけの時間が経過したのか不明だが、彼らは黄龍を倒す為に、あたしが残した精霊剣を狙って此処まで来たのだ。言葉は聞こえずとも、視線は雄弁に物語る。そして黄龍はその事に気づいたのか、精霊剣を守る番人として、あたしを此処に呼んだという訳だ。


 ああ、なんという事だろうか。彼らは本気で世界を救おうとして、黄龍を倒そうとしている。真剣な表情、剣筋や気迫からそれらは如実に表れている。生前のあたしに比べれば、彼らは弱く、黄龍を倒そうなどとよくぞ思いついたと称賛したくなる。だけど、彼らは本気だ。弱体化しているあたしすら倒せないでいるのに、諦めようとせず、もがき続けている。


 太陽を隠したのかと思いたくなる雨の中でも、彼らが輝いているように見えた。


 だというのに、そんな彼らを妨害する尖兵として、あたしは此処に居るのは、なんという皮肉か。最期の最期で、逃げた臆病で、卑怯なあたしが、彼らの邪魔をするとは。


 ああ、神よ。


 地上から去り、天上におわす神々よ。


 願わくば、彼らに貴方方の恩寵を。本気で世界を守ろうとしている彼らを、どうか助けてください。


 あたしのような、最期の瞬間を躊躇した、臆病な卑怯者と違う、真っ直ぐで、一生懸命な彼らに幸運を与えてください。


 無神時代が始まってから生まれたあたしは、生涯を通じて一度たりとも神に祈りを捧げた事はなかった。死後になってから初めてあたしは神に本気で祈る。


 それが通じたのだろうか。


 黄龍の体が内部で起きた衝撃に揺れた。


 一瞬だが、幽体を操る黄龍の意思も乱れ、動きが止まった。その瞬間を狙いすましたかのように少年らは動き出した。見違えるほどとは言い過ぎだが、明らかに動きが良くなった彼らは、淀みない連携であたしを翻弄する。打ち合わせをする暇があったとは思えない。おそらく即興アドリブなのだろう。


 互いに戦いを積み重ねたからこそ通じる、阿吽の呼吸。


 いつも一人で戦っていたあたしには無縁の事だと羨望の眼差しを送り―――いや、待てよ。


 あたしは一人で戦っていたわけじゃない。いつも、背中にはあいつが居たはずだ。


 あいつとは、誰だ?


 何かを思い出す前に、金色の髪を揺らした少女が一気に空間を突き破った。巨大化した剣が衝撃波を撒き散らし、黄龍の背中に突き刺さると、彼女はそれを一顧だにせず、精霊剣へと飛びついた。霞の体は、彼女を止めるべく精霊剣を振るうも、何かの力が働いたかのように向きを変えさせられた。


 そして―――もう一度振り返った時には、全てが終わったのだ。








 黄龍の背中に突き刺さったまま、千年の時を経ても劣化をする事なく、内包した精神力を減少させなかった精霊剣バルムンク。宝石と見紛うほど美しい白銀色の刀身が鮮烈なる赤に変化する。剣が所持者の意思を反映させて、最適な形で力を放出した。


 刀身から放たれる赤き光線は黄龍の肉を食い破る様に垂直に落ちる。それは正に赤き槍だ。


 赤き槍は、一筋の軌跡を描く様に黄龍を貫き、そして心臓を抉った。


 その手ごたえは精霊剣を握るリザには伝わらないが、しかし、何かが終わった感覚だけは足元から感じ取った。地鳴りのような呼吸音も、不気味な脈打つ感触も消えた。つまり、黄龍は死んだのだ。


 だけど、それを喜ぶ余裕はリザに無かった。


「レ、レイ様! どうしましょう!」


「どうかしたのか、リザ!」


 悲鳴混じりの声を上げたリザに叫ぶと、彼女は振り返りながら焦る様に続けた。


「け、剣が。精霊剣が暴走しています!」


 告げられた内容にレイを含めた三人は困惑する。精霊剣が暴走とはどういう事だ。意味が今一つ理解できない事を察したリザは更に言葉を重ねた。


「剣の中にある精神力が異常過ぎて、全部を真下に向けて放つと、内部が黒焦げになってしまいます。そうしたら、中に居るサファ様や、マクスウェル様を巻き込んでしまいかねません!」


「そいつは不味いな。だったら、剣を止めれば」


「それが無理なんです! この剣、私の言う事なんて聞くつもりが全くなくて、止まるどころか、内包した精神力を全て吐き出そうとしているんです!」


 力ある武具を扱うには、当然、優れた力量が所有者には求められる。龍刀にしろ、バジリスクの魔短刀ダガーにしろ、レイは十全の力を引きだせないでいる。おそらく、精霊剣もその類なのだろう。


「下手に止めようとすると、今度は此処を中心とした爆心地が出来てしまいます! ど、どうするべきですか!?」


 指示を仰ぐリザ。彼女の両手に握られた精霊剣は細かい振動を続けて、鮮烈なる赤い刀身は爆弾が臨界点に達するような不気味さを抱いている。


 どうするべきか、考えあぐねているレイ達の前で、刻々と貴重な時間が過ぎていき―――。


 ―――あたしに任せな。


 と、唐突に声が聞こえた。


 耳朶を震わす肉のある声では無く、頭の中に響く不思議な声だった。だけど、不快感は無く、むしろ力強さを感じる、芯のある声だ。声が何者から発せられたのだと考えるよりも前に、彼女は動いていた。


 幽体のイーフェがリザの後ろに立ち、彼女が固定している時限爆弾となりつつある精霊剣に触れたのだ。背後から幽体抱き締められているリザに緊張の色が浮かんだ。


 ―――安心して。バルムンクと感覚を合わせるの。簡単だから、やってごらんなさい。


「……は、はい」


 声に導かれるようにリザは目をつぶり、精霊剣に意識を向けた。呼吸を整えると、若干だが剣の振動が弱まった様に見えた。


 ―――上出来よ。それじゃ、剣を引き抜いて、切っ先を上に向けて。


「分かりました。……こうですか」


 ―――うん、そうね。この子に溜めこんだ精神力は、もう熱に変わってる。だから、吐き出すしかないの。あとは……分かるわね。


「ええ。こう、するんですね!」


 謎の声に疑問も不安も抱かず、リザは言われるがまま剣を黒い雨が落ちてくる空へと向けた。そして、精霊剣から目も眩むような鮮烈なる赤き光線が、一直線に昇ったのだ。


 空を貫く光柱は黒い雨雲を消し飛ばし、一気に青空を取り戻すのだった。もう既に日は傾いているが、それでも日は空の上にある。


 一気に快晴になった空を見上げていると、レイの視界に不思議な色合いの光が落ちてきた。


 それは雨雲を払った精霊剣の光線の、残響のような物だ。鮮烈なる赤色から、淡い紅色へと変化した美しき光の破片はまるで、


「桜のようだ」








「桜のようだ」


 と、少年が呟いたのをあたしは聞いた。空を見上げて、精霊剣から放たれた光線の残滓は、いつも決まってこの淡い紅色をしていた。ほんのりと色づく花弁が吹きすさぶような光景は、実は密かに気に入っていた。


 死後の記憶よりも、生前の記憶よりも前。


『招かれた者』であるあたしの、始まりの生に唯一の染みついた記憶。


 見た事も無い、訳の分からない道具が並ぶ、妙な空間。透明な箱にはあたしを含めた赤ん坊が何人も並んでいて、その間を白い服を来た大人が歩き回る。棺桶のようだが、どちらかというと、人を生かそうとする場所なのではないか。


 生まれたての、そして死に逝くあたしの眼は、そこの閉じた空間の外に広がる淡い紅色だけを捉えていた。何もかもが白い世界において、唯一の色が記憶に、魂に染みついていた。


 花の都には、ありとあらゆる花が芽吹いているというのに、あの色だけは何処にもなかった。


 そうか、あれは桜というのか。


 恐らく、自分と同じ異世界からの来訪者の言葉を刻み込もうとして、あたしは気が付いた。霞の体が、あたしの思う通りに動くのだ。周りの言葉を聞く事が出来る。


 これが何を意味するのか、あたしは直ぐに分かった。


 黄龍が死に、あたしを含めた死者たちが解放されたのだ。


 つまり、あたしたちは本当の意味で、これで死ねるのだ。


 ―――ありがとうね、あんたたち。名前も知らない、未来の戦士。


「……意識が戻ったのですか。イーフェさん」


 黒髪に白髪が混じる少年に名前を呼ばれて、あたしは驚いた。


 ―――おや。あたしの名前を知っているという事は、案外そんなに未来じゃないのかな、今は。


「いえ。貴女から見れば、此処は千年後の未来です。僕らが、貴女の事を知っているのは、彼女のお蔭です」


 少年が背後に隠れているハーフエルフの幼女を押し出すと、彼女は青色の指輪を大切に握りしめながら呟いた。


「《ハヅミ》、おいで」


 途端、指輪から魔力が放出され、一つの存在が具現化された。それは水で構成された少女だ。


 見覚えのない精霊の姿。だけど、感じる気配は間違いようも無かった。


 ―――ミヅハノメ? もしかして、ミヅハノメなの。


『ええ、そうよ。いまはハヅミと名乗っているけどね。……久しぶりね、イーフェ』


 ミヅハノメは、いや、ハヅミか。


 ともかく彼女は嬉しそうにも、泣いているようにも見える笑顔を浮かべた。おそらく、あたしも似たような表情をしているのだろうか。


『変ね。貴女にあったら、言いたい事があったのに。謝りたい事もあったのに。……なのに、こうして貴女を前にした途端、なにも言えないわ』


 でも、とハヅミは続け、そして彼女は頭を下げた。


『でも、謝らせて。貴女をたった一人で死なせたことを。貴女一人に全てを、エルフと精霊の運命を担わせたことを。押し付けてしまった事を、謝らせて』


 落雷が頭の上から足裏までを突き抜ける。


 ああ、違う。そうじゃないの、ハヅミ。


 ―――あたしは、貴方達に謝られる資格なんて無いのよ。


 気が付くと、あたしの口は一人でに動き出していた。怪訝な顔をして頭を上げたハヅミに、あたしはあたしの最期を伝える。


 ―――あたしはね、卑怯な臆病者なの。だって、あたしは死ぬとき、死ぬ寸前、迷ったのよ。貴方達を、精霊を、エルフを救うべきなのかどうなのかって! 滅べばいいんじゃないかって思ったのよ!!


 叫んだ瞬間、背後で衝撃波が突き抜けた。振り返れば、黄龍の鱗が肉片と一緒になって吹き飛び、体内から人影が姿を現したのだ。


 着地を決めた人影の相貌は記憶にある者よりも険しく、まるで長い月日を掛けて水滴が削った岩のような凄みがあり、一方で纏う不思議な衣服から伝わる体躯は今にも折れそうな程痩せていた。


 ああ、そうだった。


 あたしは戦場で一人じゃなかった。


 精霊ともう一人、あんたが居たね―――痩せっぽち。


読んで下さって、ありがとございます。


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